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8-11.Viande 朝引き地鶏の香草焼き 大地の慈愛と人の情熱が詰まった蕪とともに

 黄金色に香ばしく焼き上げられた、パリッとした鶏胸肉の皮目。その脇には、こんがりとした焦げ目の蕪と玉ねぎが添えられている。その下には滑らかなじゃがいものピュレが敷かれ、鶏肉と野菜を受け止めている。


 皿からまず立ち上るのは、爽やかなローズマリーの香り。それに追随するように、ニンニク、ローリエ、そしてタイムの芳醇な香りが幾重にも重なっていた。


 だが、審査員たちの手は止まったままだった。あの第二王子アンリ=シャルルでさえ、ナイフを持った手を空中でピタリと固まらせている。


 その重い静寂を破ったのは――ソフィーだった。


 彼女が迷いなく、艶やかな肉に銀色のナイフを入れる。


 ――パリッ。


 香ばしく焼けた皮が割れる小気味良い音が、静まり返った会場に響き渡った。


 硬い肉の抵抗感など一切なく、ナイフは前後に動かすとすんなり進み、あっという間に白い磁器の皿まで到達する。


 その切り口からは、閉じ込められていた透明な肉汁(ジュ)が、堰を切ったようにじゅわりと溢れ出した。


 栗色の髪を揺らし、ソフィーは小さな口をいっぱいに開けて、フォークに刺した一口大の鶏肉をパクリと頬張った。


「んんーーーーーー!!」


 肉を噛んだ瞬間、彼女のクリッとした大きな瞳が、限界まで見開かれた。


「お、おいひいれすせりぃぬひゃま!」


 頬をリスのように膨らませたまま飛び出したその声に、張り詰めていた会場がドッと沸き、観客たちの肩の力が一気に抜けた。


「ソフィー様、お行儀が悪いですよ。落ち着いて……」


 俺は扇子の陰で苦笑いしながら、優しく語りかける。


 ソフィーはハッとして顔を真っ赤にしながらも、もぐもぐと顎を動かし、ごっくんと飲み込んでから改めて口を開いた。


「おいしいです、セリーヌ様! とっても柔らかくて、お肉の味がすごく濃いです! これって、もしかして……」


「そうです。ソフィー様。ヴァロワ家の鶏です」


「やっぱり! ではこの蕪も?」


「ええ。ミュジニが手塩にかけて育てた蕪ですわ」


 その言葉にソフィーが、パァッと顔を輝かせて蕪にもナイフを入れる。


 そのやり取りを聞いていた第三王子ルイ=オーギュストの顔が、驚愕で引き攣った。


(ざまぁみろ! 蕪を馬鹿にするから株が下がるんだよ!)


 さんざん第三王子が馬鹿にした鶏肉と蕪は、奴が愛するソフィーの実家産だ。これで少しは静かになるだろう。


 ソフィーがまるで綿菓子が溶けていくような顔で幸せそうに食べる姿を見て、硬直していた他の審査員たちも、ついに自分たちの皿へと目線を落とした。


 ゴクリと喉を鳴らし、一斉にナイフを動かし始める。


 次に肉を口に運んだのは、あのルロワ侯爵夫人だった。


「――っ! これは……!!」


 侯爵夫人は、目を見開いたまま言葉を無くし、やがて驚愕の声を上げた。


「驚くほど柔らかいながらも、身には心地よくしっかりとした弾力がある……! 懸念していた臭みなんて、微塵も感じないわ。それに……噛むたびに溢れんばかりの肉汁と旨味が口いっぱいに広がる! これほどの力強さ、最高級の鴨肉に勝るとも劣らないわ!」


 夫人は我を忘れたように、皿に顔が付きそうなほど近づけて鶏肉の断面を凝視する。


「しかもしっとりとしていて、胸肉特有のパサつきなんてどこにもない! これは『アロゼ』による、火入れですね!」


 俺は扇子を閉じ、優雅に微笑んで頷く。

……さっきまであんなにバチバチに煽り合っていたのに、この評価。どうやら己の『舌』に対しては、自分自身の気持ちにも一切忖度しないらしい。


(美食家気取りは嫌いだが……夫人。あんたのことは嫌いじゃないぜ! あんたは本物だ!)


「この柔らかい鶏肉は……もしかして卵を産んでいない……それとも雄の鶏かしら?」


「侯爵夫人。さすがの鋭い舌をお持ちでいらっしゃいますわ。その通りです。この鶏肉は雄の若鶏です。卵を産んでいない雌鶏も柔らかいですが、雄鶏の方が弾力と旨味が強いのです。ヴァロワ伯爵家の菜園で元気いっぱいに育てられた鶏ですわ」


 俺は夫人に向かって一礼した。鶏は卵を産む雌鶏が優先して育てられる世界だ。これを機に変わっていくかもしれないな。


 第二王子も肉を食べ、無表情だった両目を大きく見開いて、何度も何度も深く頷いていた。


「これは……美味いではないか! 鶏肉とはこのように美味いものなのか!」


 王子の身内であるはずのモンフォール公爵の野太い声が、熱を帯びて会場に響き渡る。


 ルヴァン男爵も、一心不乱に咀嚼して胃へと飲み込んでから、感嘆の溜息とともに口を開いた。


「驚きました。この塩だけのシンプルな味が、肉本来の旨さを極限まで際立てています。鴨とは違うこの淡い味わいに、濃厚なソースなど不要でしょう……。それに、敷かれたじゃがいもの甘味との相性が素晴らしい!」


 そう。この鶏肉に濃いソースは不要だ。そこでソース代わりに選んだのが「じゃがいものピュレ」。裏漉ししたマッシュポテトにバターと牛乳を加えて滑らかにし、塩と胡椒で味を整えた。


 それに、これは肉の二皿目。ソースの重さで客の胃に負担をかける必要もない。ソースがない方が、肉のポテンシャルを見せつける『インパクト』が強いだろう。


 鶏肉の興奮も冷めやらぬ中、ルロワ侯爵夫人が、蕪の表面にナイフを静かに下ろした。


「…………ッ!! 柔らかい……!」


 刃が触れただけで崩れるように切れる感触に、夫人は息を呑み、そのまま口へと運ぶ。


「なんて……なんて繊細できめ細かいのでしょう! あの特有の筋張った繊維など、まるで感じませんわ。そして、この爽やかに鼻に抜ける香り。舌の上で淡雪のようにとろける滑らかな口当たり……。果物とは違う、野菜としての気高さにも似た甘味が鶏肉の脂と溶け合って、口の中で和音(ハーモニー)を奏でております!」


「本当だ……! これが、あの蕪というものなのか!? これほどの美味を、なぜ我々は今まで『庶民の泥臭い野菜』などと蔑んでいたのだ!?」


 モンフォール公爵が、フォークを握り締め、低く唸るような声を絞り出した。


「蕪は冬の荒地でも育ちやすく、また保存も効く素晴らしい野菜です。侯爵夫人が過去に食べられた『繊維質で水っぽく、味の抜けた蕪』というのは、長く保存されて古くなった状態のものか、成長が悪かったものかもしれませんわ。この蕪は今朝土から抜いたもの。きちんと育てられた新鮮な蕪はとても甘く、生で食べればサクサクと歯切れ良く、火を入れれば……このように、とろとろの食感に変わるのです」


 俺の解説に、審査員たちは一様に深く深く頷きを返した。

 その横で、ソフィーが「えっへん!」とばかりに、誇らしげに胸を張っている。


 すると、ルロワ侯爵夫人がふとナイフを置き、俺に向かって深々と頭を下げた。


「セリーヌ様。先ほどの非礼への謝罪を。……私の目は、完全に曇っておりました。これほどまでに素晴らしい一皿であることも見抜けず、己の浅はかな知識で貴女を侮辱してしまったこと、お恥ずかしいかぎりです」


 その言葉には、一切の誤魔化しのない清々しさを感じられた。


「いいえ、侯爵夫人。私こそ感服いたしました。そうやって絶えず自らを磨くそのお姿……尊敬の念に絶えません。夫人は間違いなく、我が国で最高の美食家であると存じますわ」


 俺と夫人が和解の言葉を掛け合う中、審査員席から漂う狂おしいほどの香りに、観客席の熱気も最高潮に達していた。


「あ、あの鶏肉と蕪、俺も食べてみたいな……」

「私もですわ。皆様があんなに美味しそうに食べているのをみたら、もう我慢できなくなって……」

「商会に頼めば、うちの屋敷にも美味い鶏肉と蕪を仕入れてくれるだろうか?」


 ひそひそとした、しかし確かなざわめき。

 俺の、シェフではなくホテルマンとしてのビジネスセンサーが、ピーンと激しく反応した。


(――今だッ!!)


 俺は観客の方へとくるりと優雅に向き直り、とびきりの笑顔を振りまいた。


「皆様! 実はヴァロワ伯爵領では今、素晴らしい温泉が湧き出る保養地(リゾート)を整備中でございます! もしお越しいただければ、本日のお肉や野菜はもちろん、最高の『お魚料理』もご用意しておもてなしいたしますわ!」


 観客席が一瞬静まる。皆お互いの顔を見合わせた。


「さ、魚だって!?」

「魚は生臭いと聞くが……」

「馬鹿、あの鶏と蕪のように、魚だって絶対に美味しいに決まっている!」


 観客席のざわめきが、一気に期待に満ちたどよめきへと変わる。


(よし! 宣伝(プレゼン)は完璧だ!)


 俺は心の中でガッツポーズを決めた。ふと観客席の片隅を見ると、ヴァロワ伯爵が滝のように涙を流してハンカチを噛み締めていた。領地の未来に希望を見たのだろう。相変わらず涙もろい、いいお父さんだ。


「ご、ごほんっ! そ、それでは、皆様! 厳正なる審査発表に移りたいと思います!」


 熱狂の渦に巻き込まれそうになっていた司会が、慌てて咳払いをし、審査員たちが一欠片の食べ残しもなく皿を平らげたのを確認して、高らかに宣言した。

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