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8-10.Viande 朝引き地鶏の香草焼き 大地の慈愛と人の情熱が詰まった蕪とともに

「殿下側の肉の一皿は、『鴨のポワレ 赤ワインソース』です!」


 司会による高らかな料理の紹介と同時に、五人の審査員の前に皿が置かれる。


「鴨は最高級の狩猟鴨(コルヴェール)、ソースにはダクスブール産一級シャトーの赤ワインを惜しげもなく使用されております。付け合わせの野菜と調味料は……」


 司会が、使われている調味料や高級食材を次々とあげていく。その圧倒的な豪華さに、観客席の貴族たちから感嘆のため息が漏れた。


(読み通り、王道の鴨が来たか)


 俺は、目を細めてその一皿を観察した。


 厚く切り分けられた鴨の胸肉の断面は、見事なまでに美しいピンク色。パサつきなど一切ない、完璧な火入れ(キュイッソン)が遠目からでもはっきりと見てとれた。


 そして、とろりとかけられたソースは濃厚そのもの。立ち昇る湯気からは、赤ワインの芳醇な酸味と、肉や香味野菜の旨み、そしてたっぷりと溶かし込まれたバターの香りが漂ってくる。


 間違いなく、非の打ち所のない素晴らしい一皿だ。正直に言うと、俺も食べたい。


 審査員たちの口内にじゅわりと溜まった唾液が、ゴクリと喉を通っていくのがわかる。


 そして五人は、ほぼ同時にフォークに刺した鴨肉を口へと運んだ。


「美味いっ!」


 モンフォール公爵の低く太い声が、いち早く会場に響き渡る。

 その隣で、ルヴァン男爵も大きく頷いた。


「これは……流石ですね、シェフ。王道の中の王道。誤魔化しのきかない直球だからこその美味しさが、極限まで際立っています」


 ルロワ侯爵夫人が、口元をナプキンで拭う。


「そしてこの鴨、ジビエの臭みが全くなく、実になめらかで繊細な脂だわ。……これは、ベルモンヌ産の鴨では?」


「おお……侯爵夫人。お見それいたしました。ご明察の通りでございます」


 王子の代理人である宮廷料理人が、誇らしげに深く一礼する。


(……ふふっ)


 そんなやり取りを耳にしながらも、俺は思わず扇子の陰で頬を緩めた。


 ソフィーも、口に含んだ瞬間にパッと花が咲いたような幸せそうな顔をしていたのだ。だが、ハッとしてこちらを見た彼女は、俺と目が合うと慌てて「美味しくなんてないもん!」とでも言いたげな顰めっ面を作ってみせた。


 かわいいな。あれはよっぽど美味しかったのだろう。おじさん、そんなに気を遣ってもらわなくても大丈夫だぞ。ちゃんと美味しかったら美味しい表情をするのが料理に対する礼儀だ。


 一方で、アンリ=シャルル第二王子は、表情を変えることなく淡々と肉を口へ運んでいる。食べ慣れた味だからか、それとも別のことを考えているのか。全く底が見えない男だ。


「さて……マルグリット。そろそろ私たちも厨房へと向かいましょうか」


「はい、お嬢様」


 この皿の後には審査員たちに前の料理の脂を流すための口直し(グラニテ)が出され、それからこちらの料理が提供される手筈となっている。


 俺とマルグリットはアルフォンスを残し、審査員が食べ終わる前に会場を出た。







 俺は長く赤い髪を後ろでギュッと手でまとめ、口に咥えていた紐で一つに結んだ。そして純白のエプロンをかけ、腰紐をキツく縛り上げる。


 今、厨房に立っているのは俺とマルグリット、そして腕組みをした数人の『立会人』たちだ。


 彼らは、調理の全工程を観察する監視係だ。俺が調理中に不審な動き――毒物や怪しい薬などの混入――をしないかを見張り、完成した料理の毒味も兼ねている。何しろ、高位貴族や王族の口に入る一皿なのだ。これだけチェックが厳重になるのは当然のことだった。


 俺は熱したフライパンに菜種油と皮付きのニンニク、そして香草たちを入れて火にかけた。ふわっと、ローズマリーの爽やかな香りが広がる。


 油に十分香りが移れば、香草を一旦取り出す。

 少し温度を落としてから、今朝締めたばかりの地鶏の胸肉を、塊のまま皮目から静かに入れた。


 フライパンの温度が上がってくると、香ばしく焼ける匂いが漂う。鶏の皮から新鮮な脂が滲み、漏れ出た水分は油の中で跳ね踊った。


 ――チリチリチリッ!


 俺はスプーンを手に取り、フライパンに滲み出たその熱い脂をすくい上げては、肉の身の側へと何度も何度も、リズミカルに回しかけていく。油に出た肉の旨みを再び肉に戻す『アロゼ』。熱い脂を身に浴びせ続けることで、しっとりと火を通していくのだ。


 ジュワッ、ジュワッ、と脂をかけるたびに、香草(ハーブ)の爽やかな香りと鶏の旨味の匂いが厨房を満たしていく。


 隣のコンロでは、付け合わせの野菜――ミュジニの蕪と玉ねぎを焼く。野菜たちの糖分が焦げ、艶やかな黄金色の焼き色をつけていた。甘く香ばしい香りが、鶏と香草の香りに混ざり、溶け合う。


 厳しい顔で監視していたはずの立会人たちの鼻が小刻みに動き、その喉が、たまらず唾を飲み込むようにゴクリと揺れた。


 最後に俺は茹で上がったじゃがいもを手に取り目を細めた。そして、じゃがいもをきっちりと潰し、念入りに裏漉してしていく。


 俺のその姿を見たマルグリットが、ポツリとつぶやいた。


「お嬢様……じゃがいもに恨みでも……?」







 調理を終えた俺は会場へと戻った。

 純白の皿に盛り付けられた、渾身の一皿と共に。


「辺境伯令嬢側の肉の一皿は、『鶏胸肉の香草焼き』です!」


 司会による料理の紹介が響く。だが、観客席からは歓声やどよめきではなく、戸惑いと落胆の入り混じったざわめきが波のように広がった。


「鶏肉……?」

「鶏って卵以外食べるのか?」

「平民たちは卵を産まなくなった親鶏を煮込んで食べるとは聞いたことがあるな」

「平民の食材を、このような場で!?」


 ざわめきの中、給仕たちが審査員席へと皿をそっと置いていく。


 司会役も戸惑いを隠せないまま、手元のメモを読み上げる。


「鶏肉は今朝締めたばかりの朝引き地鶏。付け合わせは蕪と玉ねぎ。じゃがいもとバター、牛乳。使われている調味料は……塩と、胡椒……以上、です」


 あまりのシンプルさと高級食材の無さに、司会の声は最後には尻すぼみになって消えた。


 その静寂を破るように、第三王子ルイ=オーギュストが笑い声を上げた。


「ははははははっ! セリーヌ! ついに気でも違ったか!? 鶏だと? 卵しか価値のない鳥だぞ? それに蕪? 貧乏人が腹の足しにする泥臭い野菜を、高貴なる王族や貴族の前に出すとはな! 僕たちを愚弄する気か? それとも食材が手に入らなかったからヤケになってるのか?」


「で、殿下。お静かに……」


 司会が慌てて止めるが、王子の笑いは止まらない。しかし、審査員席に座る第二王子アンリ=シャルルが冷ややかな目で一瞥すると、第三王子はビクッと肩を揺らし、ようやく不満げに口を閉じてドカッと椅子に座り直した。


 代わって、ルロワ侯爵夫人が静かに、発言を求めるように片手を挙げた。


「セリーヌ様。私はもちろん、鶏肉も蕪も口にしたことはございますわ。鶏肉は硬く、長時間の煮込み料理にしか向きません。特有の臭みもあります。さらに胸肉はパサつきやすい。香草を使っているとはいえ、それをただ焼いただけで出すとは。蕪も同じです。繊維が強くて水っぽく、味が薄い」


 侯爵夫人は、あからさまな侮蔑の目を向けた。


「……残念ですが、殿下の仰る通り、到底この勝負には向かない代物ですわ。もし、あなたがまともな食材で『作り直す』と仰るなら、私は待ちますけれど?」


 俺は扇子を広げて口元を隠す。


「ご忠告、痛み入りますわ、侯爵夫人。ですが……私は少し、がっかりいたしました」


 広間が、水を打ったように静まり返る。

 俺は広げた扇子を閉じ、左の掌に打ち付けた。

 パシッという音が、広間に響く。


「高名な美食家である夫人がまさか舌ではなく頭で味わう方だったとは。美食家とは一切の偏見や食材の格に囚われず、ただ己の舌が感じる味覚だけを信じるものではございませんの?」


 ピキッ、と。

 ルロワ侯爵夫人の厚く化粧された顔が引き攣った。


「この、小娘が……」というギリギリと歯を食いしばるような声が、俺の耳にもはっきりと届いた。


 審査員席のソフィーが、俺と侯爵夫人の一触即発のやり取りを見てオロオロと戸惑っている。だが、俺が扇子を少しだけ下げ、彼女に向かって「大丈夫だ」と安心させるようにフッと微笑みかけると、ソフィーはホッとしたように肩の力を抜き、落ち着きを取り戻してくれた。


「……いいでしょう! では、食べて判断するといたしましょう! もし、これがこの舌に耐えうるものでなかったならば……!」


「ええ。その時は、いかようにも酷評なさってくださいませ」


 俺がふふんと自信たっぷりの表情を見せた後、背後に控えていたマルグリットが、熱のこもった声でそっと囁きかけてきた。


「お嬢様。……これも、相手の虚を突く計算し尽くされた『作戦』なのですね?」


 俺はふふっと、とびきりの笑顔をマルグリットへと向けた。


「いいえ。私は美食家とか食通を自称する者が大嫌いなものですから、つい」


 ――そう、前世のことだ。

 俺は、ネットの口コミサイトで自称フレンチの大御所気取りが、知ったような口調で俺の勤めるホテルのレストランに『低評価』をつけたことを、三十八歳で死ぬまで、いや、生まれ変わった今でも、海より深く根に持っているのである。


「『つい』って……お嬢様!? お嬢様!?」


 マルグリットの目が限界まで丸くなり、絶望に満ちた甲高い声が漏れた。


 そんな主従のコントのようなやり取りに気付いていないか、それとも気付かない振りをしているのか、司会が弾かれたように声を上げる。


「で、では……審査員の皆様、ご実食をお願いいたします!」

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