8-3.Viande 鹿ロースのロティ 低温のコンフィ仕立て
「殿下、何用でございましょうか?」
ずしり、と。
親父さんが片膝をつき、首を垂れる。だが、その巨体から放たれる威圧感は凄まじいものがあった。
第三王子はビクッと肩を震わせたが、虚勢を張るように「ふん」と鼻を鳴らした。
「言葉を交わすのは久しいな、辺境伯。息災で何よりだ」
「ありがたきお言葉。……それで、ご用向きはご挨拶だけですかな?」
「其の方の娘に用がある」
「セリーヌに……? はて、娘と殿下は先ほど婚約を解消されたはず。今さら何用にございましょう?」
「僕の用は他でもない。セリーヌ、お前に勝負を申し込む!」
王子は俺をびしっと指差し、高らかに言い放った。
「勝負でございますか……。それは一体……」
いや、何を言い出してるんだ、この王子。
「セリーヌ、お前はあの日、僕に言ったな。ソフィーの胃袋は自分がもらう、と。ならば僕とお前は競争相手というわけだ。戦おうではないか。ソフィーの胃袋を賭けてな!」
「それは……!」
得意げに言い放つ王子の言葉に、俺は開いた口が塞がらなかった。
「勝負と言われますが、一体どうやって?」
親父さんが怪訝そうに尋ねる。
「料理勝負に決まっているだろう! 僕とセリーヌ、どちらがソフィーの胃袋を満足させるか、その勝負だ。セリーヌ、お前は料理をするそうだな。その腕前、とくと見せてもらおうではないか!」
「娘が、料理を……?」
親父さんが不思議そうに首を傾げ、俺を見た。そりゃそうだ。親父さんの前で、セリーヌが料理を作ったことなど一度もないのだから。
「……殿下も、ご自身で料理をなさるのですか?」
親父さんの質問に、王子は鼻で笑った。
「王族たる僕が厨房に立つわけがないだろう。当然、僕付きの宮廷料理人が作る。僕とソフィーが結ばれれば、その者がソフィーに料理を供するのだからな」
「その理屈でいけば、娘も代理の料理人を立てられますが」
親父さんが至極まっとうな指摘をする。
「ふむ、そうなるか。それでも構わぬが……自ら『胃袋を握る』と啖呵を切っておいて、他人に作らせるつもりなら笑わせるな」
「ふうむ。わかりました。セリーヌ、その勝負、お受けしろ!」
「お父様!?」
はぁ?
親父さんがとんでもないことを言い出した。
いったいどういうつもりだ?
「武門の誉れ高きヴァン=ルージュ家。勝負を挑まれ逃げたとあっては、家名の恥である!」
この親父ぃぃぃ!
とんだ勝負好きじゃないか!
「お父様、いくらなんでもソフィー様のお気持ちも考えずにお受けするわけには参りませんわ!」
「む……ふむ、それもそうか」
俺の剣幕に、親父さんが少したじろぐ。
その時だった。
「私は、かまいません……!」
「ソフィー様!?」
俺の隣で頭を垂れていたソフィーが、きりっと顔を上げ、王子をまっすぐ見据えた。
「殿下。ですが、その代わりお約束ください。もしセリーヌ様が勝てば……セリーヌ様に、これまでの非礼を正式に謝罪なさってください!」
「ソフィー様……」
なんてことだ……! 彼女は俺の……いや、セリーヌの名誉のために、自分自身を賭けのテーブルに乗せたのだ。
「ふん、いいだろう。だが僕が勝てばソフィー、君は僕のものだ!」
「では決まりましたな!」
親父さんの声が弾む。なんでそんなに嬉しそうなんだよ!
王子は指を広げた右手を大仰に突き出した。
「勝負は一週間後、王城の厨房にて行う。課題は肉料理の一皿。ソフィーは審査員の一人として参加する。そのため勝負までの間、ソフィーには王城の一室で過ごしてもらう。その間セリーヌとの接触は禁止だ。競技者と審査員が馴れ合うなど、許されぬからな!」
「……わかりました!」
ソフィーが力強く頷く。
くっ……と、俺は奥歯を噛み締めた。
「殿下! 当然、当事者の一人として殿下もソフィー様との接触は禁止であることをお忘れなきよう!」
俺が鋭く釘を刺す。
「なっ……わ、わかっている……!」
あ、こいつ絶対わかってなかったな!?
自分は代理人を立ててるから関係ない、くらいに思って、会いに行く気満々だったな!?
「——なんだか、面白そうなことになってるねぇ」
不意に、優雅な声が割って入った。
「あ、兄上……!」
第三王子がバッと振り返り、露骨に萎縮する。
開け放たれた扉にもたれかかっていたのは、先ほど謁見の間にいた第二王子、アンリ=シャルルだった。弟と同じ金糸の髪を肩まで流し、底の見えない笑みを浮かべたまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「ぜひ、私もその審査員に加えてくれないか?」
「兄上が!? なぜです?」
「食べてみたいからさ。貴族の令嬢と宮廷料理人の対決なんてそうあることじゃない。それとも、私が審査員だと不味いことでもあるのかい、ルイ?」
「そ、そんなことはありません……! わかりました。兄上にも審査員をお願いします」
第三王子が戸惑うように、だが諦めた様子で頷く。
第二王子はそれに満足そうな笑顔を浮かべ、俺を品定めするようにチラリと一瞥してから立ち去った。
それからすぐに、勝負の詳細を一歩的に話し終えた第三王子は、逃げるようにマントを翻して控室を出て行った。
静まり返る室内。
俺は一人、深く頭を抱えるしかなかった。
(なんでこんな、少年漫画の料理バトルみたいな展開になってるんだ……!)




