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KKK  作者: てこ/ひかり
第一幕
7/9

三回裏 普通

 あぁそうか、ここではこれが普通なんだ。


 一年生のほぼ全員がそう信じるのに、それほど時間はかからなかった。普通。日の出前に起きて、先輩の分まで、一年が炊事・洗濯・掃除その他諸々を行うのも。部屋にゴミ一つ落ちていたら問答無用で殴られるのも。一年は基本裸足、スリッパは使ってはいけない……といった部内ルールも。


 颯汰も、初めは戸惑いもあったが、数ヶ月も経つとそれが普通になっていった。朝早く起き、野球をし、授業中に仮眠を取って、昼休みや体育の時間に野球をし、放課後は夜遅くまで野球をする。24時間、野球のことしか考えてない。体は毎日筋肉痛だったし、頭は(かすみ)がかかったみたいにずっとぼんやりしていた。

それが普通だった。

練習自体はキツイとか辛いとかはなかったが、寮生活もしばらく経った頃、ふと颯汰が風呂場の鏡で自分の姿を確認した時、頬はげっそりと痩け、体が骸骨みたいに痩せ細っていた時は、さすがに笑ってしまった。


 野球自体は好きだったが、寮生活、そしてミスをすると先輩方から容赦無く殴られるのには辟易していた。寮は学校側から部屋を細かく指定された。三年生は別棟で基本二人部屋、レギュラークラスの選手には学年問わず個室が与えられた。二年生は四人部屋、一年はというと、八人で一部屋だった。10畳で八人だから、はっきり言って狭い。四月の頭は、まだ知り合って間もないこともあり会話も少なく、颯汰もしばらく全員の名前と顔が一致しなかった。唯一分かったのは、あの吉常だった。歓迎会でボコられたアイツだ。


「僕は納得いかないね!」

 練習後。部屋ではいつも吉常が、

「何で僕が『戦犯』なんだよ!? おかしいだろ。僕の中学では暴力なんて一切なかった! 監督から怒鳴られたことすらなかったのに」

 誰に語るでもなく、一人薄暗い天井に向かってブツブツと呟いていた。同部屋の颯汰たちはそれを聞きながら眠りにつくのが日課になっていた。


 吉常は……日を追うごとに全身に青痣を増やしていった。背が高く、元々頑丈なのだろう、練習では気丈に振る舞って休むことはなかったが、部屋や風呂場で会うたびに、顔や腹が紫や緑に気味悪く変色している様は、側から見ても痛々しかった。


 歓迎会から()()()()()吉常は、先輩たちに何かと因縁を付けられて睨まれる羽目になってしまった。彼も彼で、大人しく従うフリをしていれば良いものを、正義感が強いというか若いというか、理不尽なことや自分がおかしいと思うことに、一々反発して、「それはおかしい」と声を上げてしまうのだった。


「殴られて野球が上手くなるんだったら、世界で一番野球が上手いのはプロボクサーだね!」

「ウルセェな。もう寝ろ。明日も早いんだからよ」


 隣で横になっていた同級生……確か名前は堀北……が暗がりの中、低い声で唸った。颯汰は、眠ってんだが気絶してんだか、良く分からない意識の失い方をした。睡眠時間は毎日大体五時間程度。もちろん寝ている間も、野球が夢に出てくる。果たしてそれが吉夢なのか悪夢なのか、颯汰には良く分からなかったが。


 ここで少し説明が必要かもしれない。戦犯とは。野球……に限らないのかも知れないが、スポーツ界では、ミスをした選手、特に試合の負けに直結するような失敗をした選手を『戦犯』として吊し上げる謎ルールが存在する。文字通り犯罪者として扱われるのだ。


『戦犯』になった選手は、一時的に人権を剥奪される。罵詈雑言を打つけられても文句は言えないし、何なら物理的に、拳やモノが飛んでくることもある。緑茂高の場合は、三年生からの『感謝』だった。


「ありがとうございます!」


 顔、腹、ケツバット……誰かがミスをしたら、連帯責任で同部屋(その日の気分で、全員という時もあった)の部員が地べたに正座をして、次々と殴られる。殴られたらお礼を言わなければならない。自分たちを想って殴って()()()()()()()のだから、当たり前だ。


「ありがとうございます……!」


 先輩たちは何も自分たちが憎くて殴っているわけではない。心を鬼にして、悪役を買って出ている。だから感謝しなくてはならない。人は殴られるから、痛みがあるから成長できるのだ。


 もっとも、どんなに理屈を捏ねようとも痛いものは痛い。まぁそれで、実に良く殴られるのが、戦犯になるのが吉常だったというわけだ。挨拶に心がこもっていない。部屋が汚れている。貴様らたるんどる。笑顔がない。体育館の壁に大々的に張り出された笑顔率は、アレは選手のやる気や充実度を測るためのものではない……逆だ。チームに反抗的な選手を炙り出すための指標として使われていた。


 吉常の笑顔率はチーム内でもぶっちぎりの最下位だった。連帯責任で、同部屋の颯汰も良く殴られた。ありがとうございますありがとうございますと口の中で呟きながら、颯汰はほろほろと涙を溢した。


「どうして殴るんですか?」


 ある日のこと。吉常がまた、いつもの如く無駄に先輩に反抗し始めた。颯汰は胃がズシンと重くなり、心臓をギュッと掴まれた気がした。大体この後は、普段の三倍『感謝』が待っている。みんなそれが分かっているから、誰も何も言わないのに、彼だけはやたらと食ってかかるのだった。


「分からないのか? これは愛のムチなんだよ」

「アイ……?」

「お前を愛しているからこそ殴るんだ。エラーしたら殴る。三振したら殴る。愛ゆえにだ」

「アイユエニ……」


 吉常は「初めて耳にする外国語」と言った顔で、しばらく先輩の言葉の意味を考えていた。考えているうちに殴られた。

「何だその目つきは!」

 勢い余って地面に平伏し、それでもなお睨み上げる彼に向かって、三年生たちの怒号が降り注いだ。殴られ過ぎて、最近では颯汰たちは、野球をやっているより『感謝』をしている時間の方が長いくらいだった。いつもと変わらない日常。だがその日常が、ある日を境に突然様変わりした。


「A組抜擢?」


 練習後。掃除洗濯その他諸々を終え、やっとの思いで狭い狭い八人部屋に帰ってきた颯汰たちは、吉常の言葉に驚愕した。


 A組とは、三年生以上、レギュラークラスが練習をしている組である。緑茂高は部員が200人を超える大所帯のため、全員で一つのグラウンドを使うと逆に非効率だった。そこで練習中は

少数精鋭のA組(約30名程度)、

その他大勢のB組(約50名程度)、

奴隷扱いのC組……に組み分けされていた。それぞれグラウンドの場所が違い、設備や環境も雲泥の差だ。もちろん颯汰たち一年は一番狭い、一番遠くにある、雑草が方々に荒れ果てたC組グラウンドからのスタートだった。


 一年がA組に抜擢されることはほとんどない。それこそ吉常が、緑茂高野球部としては数年ぶりの新人A組抜擢だった。あのエース・真堂ですら、一年の間でA組に編成されたことはなかったのだ。


「すげぇな」

「マジかよ」

「やっぱり見てる人は見てるんだな」


 颯汰たちは興奮覚めやらぬ様子で口々と唾を飛ばした。吉常は神妙な顔をして、黙って頷いた。その頬には、まだ青あざが残っていた。


 良かった。颯汰は心から喜んだ。もう数え切れないほど殴られたけど、やっぱり先輩は、監督は野球を見てくれているんだ。正直ホッとしていた。ここでは野球の技術を評価してくれているんだ。吉常は野球が上手いからA組に抜擢されたんだ。バカ正直にそう思っていた。


 違った。


 吉常は能力を見込まれてA組に呼ばれたのではなく……その実態は、彼を孤立させるためだった。そしてそれから数日後。例の事件が起こった。

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