八回表 御祭
東の空で渦巻いていた暗雲が、やがて風に乗って町全体に広がって行った。
ポツ、
ポツ……と、傘を差すまでもない雨粒が道行く人々の頬を撫でる。遠く山の方で銃声のようなものが聞こえた。千紘は不安げに曇天を見上げた。
臨時集会が終わると、すぐに捜索が始まった。
千紘を含め、境内に集まった数十人……下手したら数百人はいる……平日の昼下がりによくもまぁこれだけ集まったものだ。全員に、襦袢のような簡素な白装束と、ツノの生えた鬼のお面が配られた。このお面。
「オヤタマサマの御心のままに!」
先日校舎の窓から自分を覗き見下ろしていた、あのお面だ。彼女はそのことに気がついて、薄気味悪さを感じながらも、それを受け取った。年季の入ったそれは、ところどころひび割れていて黴臭かった。
『それでは皆さん、安全第一で。怪我なく、狩りを行いましょう!』
拡声器を持った中年男性の声が……お面を被っているので顔までは分からない……境内に響き渡ると、白装束の集団がゾロゾロと山に向かって行進を始めた。お面のせいで少し息苦しかったが、おかげで素性がバレないのは千紘にとって幸いだった。視界確保のための小さな穴から、彼女は周囲を窺った。集まった人々は皆それぞれ、鎌であったり鍬であったり、各々で準備した何やら物騒な得物を担いでいる。
……まさか人に向かって使うつもりじゃないでしょうね。
千紘は妙な胸騒ぎがした。白装束の集団は、鼻歌を歌ったり、皆狩りを愉しみにしている様子だったからだ。
鎖で。竹刀で。さすまたで。金属バットで。
ある者は徒歩で、またある者は軽トラで。仮面の集団が意気揚々と山へと向かって行く。何だか百鬼夜行の中にでも紛れ込んだ気分だ。大きな人だかりに流されるように千紘が歩いていると、やがて何処からともなく、掛け声のような、歌のようなものが聞こえてきた。
……ありがとうございます。あの時先輩方に殴っていただいたからこそ、私たちはこうして立派な大人になれました。ありがとうございます。ありがとうございます。先輩方には感謝しかございません。この御恩を忘れることなく、私たちもまた殴ります。子を、孫を、殴り続け、立派な大人に育てます。ありがとうございます。ありがとうございます……。
冗談とも本気とも取れないその文句に、千紘は薄ら寒いものを感じた。やがて麓に到着すると、警備員らしき初老の男性が、千紘たちを待っていた。校門のところにいた警備員だわ。千紘は気がついた。
「脱走者は4名です。2名は門の中、校舎の方に逃げて、後の2名が門の外に飛び出した。まぁ中の2名はいずれ捕まるでしょう。何せこの壁がありますからな」
そう言って初老の男性は嗤った。
「奴さん方、カメラを分解して校舎に持ち込もうとしたんですな。1回目は通ったが、事を焦ったんでしょう、日に何回も出入りしようとするから、怪しんだ同僚が声をかけたんです。そしたら、青い顔して逃げよった。一体何を撮影しようとしてたのやら」
『手分けして探しましょう』
仮面の中の、リーダーっぽい格の人が拡声器で皆に呼びかけた。何せ皆同じ格好、同じ仮面をつけているから、声で判断する他ない。
『半分は敷地内を。もう半分は門の外を探してください。見つけ次第警笛を。スマホは、圏外になってるかもしれないので、くれぐれもご注意を。標的は4人です』
応
、とまるでこれからスポーツでも始めるかのような歓声が、四方で上がった。それにしても、何故わざわざこんな不気味な格好をしているのだろう? これじゃまるで、
(……誰が犯人か、分からなくするためみたい)
千紘はこれから起きる事を想像して、背筋を震わせた。
山狩りが始まった。
千紘は壁の外担当に振り分けられた。3〜4名で徒党を組み、下からジリジリと、包囲網を狭めるように斜面を登っていく。千紘の隣にいた鬼の仮面が、長い棒を槍のように突き出して、何度も何度も乱暴に地面を抉った。もしあれが人に当たったら、擦り傷では済まないだろう。むしろ全員、最初から五体満足で逃亡者たちを捕えよう、という気がないのが余計に不安を駆り立てた。
「祭りじゃ、祭りじゃ」
千紘の班にいた、また別の仮面が嬉しそうに嗤った。息が苦しい。千紘は仮面の中で荒い息を吐き出し、額に滲んだ汗を指で拭った。顔と面の間に熱気が溜まり、お世辞にも快適とは言い難い。視界は悪く、襦袢は通気性が悪いやらで、とても移動に向いているとは思えなかった。霧雨に濡れた苔生す岩肌を、千紘は滑らないように慎重に、慎重に歩を進めた。
ひひ、ひひひ。ひひ。ひひひひひ……。
雨で濡れた昏い森の中に、四方から、鳥の囀りのような嗤い声が谺する。木々の騒めきと、祭囃子と、それからまた、銃声。一体自分は何してるんだろう……?
見つからなかったらいいな。誰だか分からないけれど、お願いだから無事に逃げて。
だんだんとぼんやりしてきた思考の中で、千紘がそんな気分に囚われていると、不意に頭上から、斜面の上の方から叫び声が聞こえてきた。
「いぃたぁぞ〜ッ!!」
山全体に轟くような叫び声に、仮面の集団が呼応する。皆一斉に、雄叫びを上げながらそちらの方へ走って行った。驚いて立ち竦んでいた千紘は、皆から遅れを取った。白い背中を追いかけながら、こんな急な坂道を、よくもまぁそんなに走れるものだと驚いた。みんな、鬼ごっこの鬼みたいに……あるいは獲物を狩る肉食獣みたいに……一心不乱に斜面を駆け上がっていく。彼らの熱気が、叫び声が大気を震わせ、地鳴りのように周囲を揺らした。
後々考えれば、これも集団催眠の一種だったのだろう。そういえば、千紘が小学生の頃、近所で宇宙人の目撃情報があった。3歳年上の、別の小学校に通う男子が、夕方帰宅途中の土手で銀色に光る宇宙人を見かけたのだという。保護者は警察に相談し、次の日には不審者情報が広まった。
すると不思議なことに、それ以来、同じく「自分も宇宙人を見た」という小学生が相次いだのだった。皆、発見場所はバラバラで、姿形も……銀色だったり緑色だったり、大きかったり小さかったり……実に曖昧だった。千紘自身、当時はこの付近に、宇宙人の住処があると信じて疑わなかった。隣の家の、高校生のお兄ちゃんは、鼻で笑っていたけれど……千紘たち小学生の間では、宇宙人はその時確かに存在したのだ。
きっと小学生にしか見えない宇宙人なんだろう。
それで、その宇宙人から手紙をもらったり、「宇宙の石」をもらった子供も多かった。千紘も実物を見せてもらったが、確かにその文字はさっぱり読めなかったし、石は宇宙っぽかった。残念ながら中学生に上がると同時に、だんだん宇宙人は見えなくなってしまったのだけれど……山が一層騒がしくなった。同じ仮面、同じ衣装に身を包んで、集まった人々は今、催眠状態に陥っていた。
それも、かなり悪い方向で。
「こっちだ! こっちだ!」
「早く! 早く!」
「こンの餓鬼ゃぁあーッ、ギャハハハハハ!!」
白装束の群れが、弱った餌を見つけた烏のように一箇所に群がっている。一人が金属バットを振り被り、茂みの奥に向かって渾身のフルスィングをした。鈍い音とともに、ギャッ、という短い悲鳴が聞こえてきた。千紘は息を飲んだ。間髪をいれず、鍬が、鎌が、鉄の棒が振り下ろされる。それからはモグラ叩きみたいに、容赦なく滅多打ちだった。
千紘がようやく人垣の端に辿り着いた頃には、粗方終わっていた。幸か不幸か、肝心の犯人の様子は見えない。千紘の足元を、雨に混じってつう……っと赤黒いものが流れ伝っていった。赤と黒は水溜りになって、小さな滝になって、細かな運河になって下へ下へと流れていった。千紘は立ち尽くしたまま、呆然とそれを見送った。
「オヤタマサマの御心のままに!」
誰かが叫んで、仮面たちが次々と拳を突き上げ咆哮した。千紘はもはや、声を出すことも出来なかった。
「鉄拳制裁じゃ!」
「公開処刑じゃあッ!」
月光の下、穴の奥で、皆の血走った眼がギラギラと輝いた。
「……祭壇の用意を!」




