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KKK  作者: てこ/ひかり
第一幕
11/12

五回裏 餡蜜

 眠気覚ましの一発は、強烈なブラックだった。淹れたてのコーヒーの香りが、千紘の鼻を擽り、ひたすら眠らせろと命令してくる脳を激しく揺さぶった。正直いまだに慣れない黒の味を、半ば無理やり嚥下する。窓際の、角の席で、彼女は大きくため息を吐いた。開店直後とあってか、穏やかなクラシックが流れるカフェの店内にはまだ客が少ない。店主と思しき妙齢の男性が、カウンター内でのんびりと雑誌をめくっていた。


 そうだ、緑茂町を見に行こう。


 そう思いたった千紘は、午前中に下山した。山は登るより降りる方が大変だと聞くが、正にその通りだと思った。どんなに疲れていても勝手に足が坂道を転がっていき、気を抜くと転けそうになる。襲ってくる眠気に何度か意識を持って行かれそうになりながら、千紘はやっとの思いで麓の町へとたどり着いた。


 緑茂町はその名の通り、緑に囲まれた自然豊かな田舎町である。人口は公表では8万人弱で、バスも電車も本数は少ないが、車で20分くらいのところに、新幹線駅のある政令都市がある。つまり車がないと生きていけないということだ。全国的には《緑茂スイカ》が有名らしいが、千紘は今日初めてそのことを知った。やはり他の地方都市とご多分に漏れず、人口流出が止まらず、少子化と高齢化が喫緊の課題になっている。特に緑茂町は高齢者の人口比率が高く、《日本の将来の縮図》として、東京から偉い人の視察団も来ているとか、いないとか。


 都会でもなければ田舎でもない。そこまで廃れてもいないが、これ以上栄えようのない町。


 AIに要約させたこの町の第一印象は、そんなものだった。そんな町の人々が、政治に、宗教に、そして野球に縋るようになったのも、ある意味必然だったのかもしれない。


 名所という名所はないが、東に標高600mほどの緑茂山を臨み、頂上にはあの緑茂高校がある。甲子園の常連で、創設四十五年、全国大会で二度の優勝経験を持つ強豪校だ。さらに調べたところ、前回の甲子園優勝メンバーにあの野坊野人監督の名前を見つけて、千紘は驚いた。あの男、なんと甲子園優勝投手だったのだ。


 野坊が監督として帰って来てからは、ほぼ毎年甲子園出場、春夏通算21勝。そんな監督の名声に惹かれて、越境入学してくる希望者が後を経たない。生徒は250名中245名が野球部で、正に野球をするためのスポーツ高と言った感じだった。部員でない残りの5名は、縁茂教の幹部候補生として在籍しているらしい。


 新興宗教・縁茂教の存在が確認されるようになったのは、昭和の終わり、平成が始まった頃である。ホームページには《緑が生い茂るように、良縁と、子孫繁栄・世界平和を願った宗教》と書かれている。信徒の数は全国で50万人弱。中々の規模である。その約6分の1がこの町にいることになる。町の住人はほぼ緑茂教の信徒だと思って間違いない。


 表向きは健全な宗教団体を謳ってはいるが……ネットの噂では、とある政党と蜜月の関係にある……だとか、毎月信徒によるお布施(献金)額がランキング形式で発表され、奴隷の鎖自慢大会が開かれている……だとか、裏で臓器ビジネスや人身売買を行なっている……だとか、とにかく陰謀論レベルの黒い噂も絶えない。


 千紘はスマホの画面から目を離し、一息ついた。小腹が空いてきたので、緑茂町の名物だという、《メープルシロップ・味覇ソルトカレーバナナカカオあんみつ with Tabasco》を注文した。一口食べるなり、彼女は思わず噴き出した。もし世界がひとつになったら、こんな味がするだろうな、と思った。


 徐々に店が騒がしくなり始めた。会計を済ませ、店を出る。外は憎らしいほど快晴だった。眩しさに目を細めつつ、ぶらりと町を歩いて見ることにした。通りの商店街は、開いてるところよりも、シャッターが降りている店の方が多かった。


 宗教都市……と言っても特段変わったところは見当たらない。謎の巨大オブジェがそこらで睨みを利かせていることもなければ、「ネコと和解せよ」なんて立て看板もない。千紘は何だか少し拍子抜けした。


 とりあえず適当に話を聞いてみることにした。一般的には、田舎ほど閉鎖的で他所者に冷たいと聞くが、有難いことに、この町で住民と打ち解けるにはそれほど苦労はしなかった。


 野球だ。この町の誇りであり、信仰の対象。野球の話題を出せば、皆途端に破顔して胸襟を開いてくれる。


「おぅ、今年は優勝も狙えるべや。なんつったってあの真堂が3年やから」

「去年は悔しかったからねぇ。ほんにあとちょっとで……今年は栄輔君もおることやし、あの子は子どもの頃からほんに良い子やったから、ねぇ、何とか頑張ってもらいたいねぇ」

「そもそも野球に品行方正や清廉潔白なんて求められても困る。ひたすら性格の悪い奴らの、騙し合い殺し合いのスポーツなんだよ。相手の嫌がることを、自分がやられて嫌なことを徹底的にやっていく。それが野球というスポーツの、勝利の鉄則なんだ」

「真堂は間違いなく球史に残る名投手になるね。だってK/BBが4.21、FIPは2.01なんだぜ。そんで、RSAAは何だと思う? 聞いて驚くなよ? 52.62。ヤバすぎ。極め付けはWHIPで、コイツがなんと……」


 ……などと、真偽の程はともかく、各々好き勝手に自論を延々と語ってくれる。よっぽど野球が好きなんだと、野球のやの字も知らない千紘にも十分伝わって来た。そんな彼らが共通して口にするのが、


「今年の緑茂高校は過去最高、真堂栄輔は10年に1度の怪物」


 という事だった。真堂……昨日千紘と挨拶をした、あの好青年である。聞くところによると、日本のプロだけでなく今やメジャーのスカウトまで彼に熱視線を送っているらしい。千紘には良く分からないが、まだ高校生ながら、何万人……いや何十何百、何千万の人々の期待を一身に背負うというのは、一体どんな気分なんだろう? 自分なら……重圧に押し潰されてぺしゃんこになるか、天狗になって降りて来られなくなるかどっちか、だと思う。


 時計の針は14時を回っていた。野坊監督に紹介された宿は、チェックイン時間まであとちょっとある。どこかで暇を潰そうかとぶらぶら歩いている時、その時、千紘はふと立ち止まった。


「………?」


 不意に違和感を感じて、千紘は後ろを振り返った。誰もいない。寂れた商店街では、野良猫が花壇の脇をのそのそと散歩しているだけだ。小首を傾げながら、彼女は暇潰しに、近くにあった緑茂神社へと向かった。


 それなりに歴史を感じる古めかしい神社だったが、境内はそこそこの広さがあった。300人くらいなら余裕で入るだろう。こちらも平日ということもあってか人は少ない。社務所の壁に飾られていた、禍々しい鬼の仮面が否応にも目に付いた。あの仮面、どこかで見たことあるような……?


 試しにおみくじを引くと、『凶』が出た。何とも具体性に欠けるアドバイスに頷いたり反発したりしながら、神社から出た。さて宿に向かおうかと、表通りに向かう途中、千紘は思わず立ち止まって振り返った。


 尾行(つけ)られている……!?


 やっぱり。千紘は緊張で固まった。さっきからずっと、視線を感じる。唐突に向けられた悪意に、思わず怖気(おぞけ)が走った。素早く周囲に視線を走らせると……見つけた……見知らぬ男と目が合った。年齢は、20代くらいだろうか。千紘と目が合うと、男は慌てて視線を逸らし、物陰に身を隠した。


 年齢は近いが、全く知らない男だった。一体誰? 何で? いつから? ……頭の中をクエスチョンマークが駆け巡る。


 男が再び、恐る恐る物影から半分だけ顔を出し、こちらを覗き見てきた。千紘は、もう迷わなかった。

「タクシー!」

 道路脇から急いでタクシーに飛び乗り、

「どこでも良いから出して! とにかく遠くまで!」

「お客さん、でも……」

「良いから!」

 困惑する運転手を説き伏せ、車を発信させた。


 荒々しく加速するタクシーの中、千紘は後部座席から路地を振り返った。さっきのストーカーが道端に姿を現し、恨めしそうにこちらを見つめている。どんどん離れ行く人影を眺めつつ、千紘は生唾を飲み込んだ。


 ……上手く行くと良いけれど。


 タクシーに飛び乗る際、千紘はわざと、慌てたフリをしてポシェットを落とした。化粧品などが入った小さなピンク色のポシェットである。


 中には小型のGPSトラッカーが仕込んである。フェイスパウダーの底に隠してあるから、中身を確認したとしても、男だったらまず気が付かないだろう。あの男がストーカーなら、きっと持って帰るはず……。


 千紘は固唾を飲んで後ろを見つめた……かくして後部座席から、男が、ポシェットを拾い上げるのを確認した。千紘は前に向き直り、急いでスマホの『探す』アプリを起動させた。


 GPSトラッカーは正常に起動している。よし。これであの男が今どこにいるのか、どこに向かうのか居場所が突き止められる。逆ストーカー返しだ。


 後は警察に「カバンが盗まれました」とでも言って、同行してもらおう。あわよくばナントカ罪で現行犯逮捕してもらう。千紘は画面に釘付けになって、GPSトラッカーがゆっくりと移動するのを、食い入るように見つめた。

 

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