冷たい視線
少し椅子に座ったまま、テーブルの上に置いてあった水差しから、ガラス製のコップへ水を注ぎ、喉を潤すと、俺は少しだけ落ち着き「ふ~」と安堵の息を漏らす。
もう少し、湯船に漬かって居たら、湯船の中で意識を失ったかもしれない程、体中だけでは無く頭の中や顔中が火照っている状態だ。
大分、落ち着いた所で俺は素っ裸だった事にやっと気がつき、無限収納から新しい下着や戦闘服を召喚して着替えを済ます。
汚れた戦闘服や下着類は、当然無限収納へ格納だ。
豪華な脱衣所から出ると、そこは休憩場所になっており、俺達を案内してくれたメイドさん達が壁際に立っていて、俺の姿を見ると「お疲れ様でございました」と言って頭を下げた。
ナークは椅子に座っており、テーブルの上にはティーカップと、果物がのせられた小皿が置かれている。
入浴の順番待ちであっても、ちゃんとお茶や茶菓子が振る舞われるとは、流石に大公家の迎賓館だ。
「ナーク、待たせたね。どうぞ入ってくれ」
「……うん。疲れた顔しているけど、何かあった?」
「ああ、浴室に魚人族が乱入してきた。例の魚人族だよ」
「……そう。判った。それじゃ、あたしも入浴してくる」
「うん、俺は此処で待ってる」
ナークは、淡々とした表情で、特に詳細を尋ねるでも無く、そのまま飲みかけの紅茶を残したまま、脱衣所へと入って行った。
これで、未だアリエルさんが浴室内の湯船に居たとしても、ナークが驚く事は無いだろうけど、別に言わなくてもナークなら驚かなかったのかもしれないと思うほど、何時もどおりの冷静さを保っている。
壁際に佇んで居たメイドさんが、ワゴンを押してテーブルの脇まで来ると、ナークの飲んでいたティーカップを回収してから、俺に「お茶になさいますか?それとも、冷たい果汁もございますが」と尋ねて来た。
「ありがとう。冷たい果汁をお願いします」と応えると、「どうぞ」と言って、綺麗なガラスのコップへ、果汁を注いでくれる。
そして、ナークが手を着けて居なかった果物も回収すると、新しい果物がのせられた皿をテーブルの上に乗せた。
果物の皮は剥いてあり、一口サイズにカットされている。
銀製のフォークも添えられており、俺は果汁を飲んでから果物を口に放り込んだ。
コップに注がれた果汁は、色が薄いピンク色をしていたのだが、味は林檎ジュースの様な味で、少し酸味が強く、火照った身体には嬉しい美味しさだ。
果物の方は、甘い香りが口の中に広がり、その味は桃に良く似ていた。
大公家で飲まれる果汁なのだから、珍しいジュースなのかもしれない。
果物の方も同じで、高価な果物なのだろうか。
しかし、美味しい果物だったので、更に口へ放り込んでしまった。
「美味しい果物ですね」と言うと、メイドさんは「お気に召して何よりでございます」と微笑んでくれる。
30分位だろうか、ジュースのお代わりを頂き、メイドさん達と果実の名前やジュースの元になった果実の話しなどをしていると、ナークが浴室から出てきた。
長い黒髪も洗髪したのだろうか、しっとりと濡れている。
表情は入浴前と同じく淡々とした表情で、特に疲れた様な表情ではなかった。
俺は、気になっていた事をナークへ尋ねる。
「まだ魚人族の方、居た?」
「……居た。女の子だったんだね……」
「そう、未だ居たの……元気な娘だったろう」
「……良く喋る娘だった。スベニへ行くのを喜んでた」
「そうなんだよ、どうやってスベニまで運ぶか悩んでいるんだけどね」
「……裸だった……」
「そうだね……魚人族は服を着ないと言ってたな」
「……胸も見えてた……」
「そう……」
それっきり、ナークとの会話は途切れた。
ナークの淡々とした表情は、一切変化は無いのだが、どうやら見た目の表情と違い、内心では決して穏やかでは無いと言う事だけは判る。
これは、アリエルさんをスベニ、そしてイサドイベまで連れて行くには、運搬方法だけでは無く、なんとか上半身だけでも、いや、胸を隠す何かを着用して貰わねばならないだろう。
しかし、これは女性陣にお願いした方が良さそうだ。
俺が、あれこれ言ったり用意したりすると、やぶ蛇になるのが容易に予想出来た。
ちなみに、この異世界にはブラジャーなんぞ、影も形も存在しない。
俺とナークは、メイドさん達に案内されて迎賓館内にある大きな居間へと行く。
既に、"九ノ一"部隊の面々は全員が戻って来ており、どうやら無事に私物の荷物を回収出来た様だ。
ロックとミラも、タースの教会関係者との会談が終わり、お茶を飲みながら寛いで居た。
ミラから「司教様より宜しくとの事でした」と言われた。
司教さんは年配の男性だったそうで、聖女となったミラに会えた事を大層喜んで居たと言う。
俺はまた、マーガレットさんの様に神眼・真眼の持ち主だと厄介だったので、会うのを遠慮した事をミラには言っていない。
ミラや"九ノ一"達へ風呂へ入ればと言うと、"九ノ一"達は一番最後で良いと言うので、ミラへ入る様に勧めると、ベルやアンが戻って来てからで良いと言う。
俺はロックへ最後に「入ってくれば」と言うと、「はぃ、それでは」と風呂へと向かった。
魚人族の事を言うべきか、どうしようか迷ったのだが、俺はロックに近づき耳元へ小声で伝えた。するとロックは、「ぃや、やはり寝る前に入る事にします」と言って入浴を断念した。
そうだよロック、それが賢い男の選択だ。
その後、タースの街からベルやサクラさん、アンも戻って来た。アントニオさんは娘のマリアンヌさん宅へ宿泊するそうで、やっぱり孫と一緒が良いそうだ。
マリアンヌさん宅なら、ギルさん達"雛鳥の巣"が一緒なので安心だ。
テンダーのおっさんは、タースの生産ギルドの友人達と今夜は飲み明かすそうなので、アンはさっさと帰って来たとの事。
まあ、テンダーのおっさんなら心配は無いだろう。
そして、イサドイベのレティシア姫君や、護衛のローランさんとメイド達も居間へと入って来る。
レティシア姫や専属メイドさん達は、着替えた様で見違えた様な姿だ。
ローランさんによると、ラインハルトさん達が闇ギルドのアジト内にあった倉庫から、略奪されたレティシア姫達の荷物を発見し、それを回収して来てくれたのだと言う。
ローランさんは、騎士用の甲冑姿となっており、無精髭も綺麗に剃り乱れていた髪も整えて、すっかり男前になって居た。
既にレティシア姫は入浴を済ませていたので、ベルとアン、そしてミラに加えてサクラさんが浴場へと向かう事になった。
そして、その一行にナークが何やら耳打ちをすると、一斉に"自衛隊の"女性陣が俺の方を見た。
俺は、思わず彼女達と視線が合わないように目をそらしたが、彼女達の冷たい視線が俺を貫いているのを感じずには居られない。
ただ一人、サクラさんだけは、口を押さえて笑っていた。
そう言えば、サクラさんの裸も俺は見ちゃったもんな……。
ナーク以外の"自衛隊"女性陣が入浴で居間から席を外したのと入れ違いに、執事長のセバスチャンさんが入室してきて、俺の元へと歩み寄って来た。
そして、俺にお辞儀をしてから、少し微笑んで口を開く。
「ジングージ様、フェアウェイ大公閣下からの伝言でございます」
「はい、何でしょうか?」
「本日の晩餐会の前に、大公閣下よりパーティー・ジエータイの皆様と、クノイチの皆様へ勲章の叙勲式を行うので、必ず全員が式典へ出席下さる様にとの事でございます」
「えっ、勲章を頂けるのですか?」
「もちろんでございますとも。タースを救った英雄の皆様でございます。これは、大公閣下のみならず、公爵家やタースの貴族の総意でございます故、必ず、ご出席下さいませ」
「……はい、ありがとうございます。全員で出席させていただきます」
「お時間になりましたら、ご案内いたしますので、宜しくお願いを申し上げます」
「はい、判りました」
どうやら、勲章を授与していただけるらしい。
自衛官として勲章を頂けるのは、これほど名誉なことは無い。
異世界での勲章授与とは言え初めての勲章に、俺は驚くと共に嬉しさが、徐々に込み上げて来るのだった。




