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彼氏、貸します  作者: 蒼野理人
Report by 秋月真吾
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報告書・CASE3

「信じられない……」


 呆れたように呟いたのは晴美だ。

 モルペウスに入ってもう半年。すっかり店の一員となった彼女の顔には、いつも浮かべている笑みはない。

 さっとピンク色のチークをさっとはいた頬は固くこわばり、見つめる視線はなんとも冷ややかだ。

 彼女は向かいのソファにどっかりと腰を下ろす真吾を睨みながら、やや乱暴な手つきでテーブルの上に何かを放り投げた。

 シックなデザインのテーブルの上に散らばったのは、数枚の写真。それらに写し出されているのは夜の繁華街だった。見たことのあるような店のネオンに、行き交う人々。一見、夜の繁華街、喧騒の東京をそのまま切り取ったなんの面白みもないただの風景写真のようにみえる。

 だが、写っているのは景色だけではなかった。

 遠い近いはあるものの、そのすべてにおいて共通するものがある。それは真吾ともう一人の姿だ。

 写真を見つめていた晴美は、がくりと肩をおとし、大きくため息を落とした。


「あんな時間に未成年を連れまわすなんて一体、どういうつもりですか」

「まあ、……ちょっと、色々事情があって、ね」


 伸ばしても届くことのないモノへの焦燥。無邪気と無謀と恐れ知らずな感情。そして、それらを隠そうともせず、むしろむき出しにすることが美徳だと信じて疑わない彼女の姿は、とうの昔に捨て去ったものを否応なく思い起こさせた。

 しかし嫌な気分ではなかった。まあ、ほんの少しばかり気恥かしさは感じていたが、どちらかというとほほえましいと思うことの方が多かった。

 だが、それと同時にこれらは二度と手に入らないものだと思い知らされた。

 少し前の真吾ならば、このことに多いに絶望をしただろう。

 年を重ねるごとに得るものも多いが、また失い欠けていくものも多い。失われたものの大きさに気が付き、無駄だとしりつつももがき続けたかもしれない。失われたものがいかにくだらない些細なものだとしても、手に入らないとなるだけで貴重なものに見えるものだ。

 だが、今の彼にはそんな青臭い感情すら無かった。

 ほろ苦い笑みをうかべる真吾に、晴美はこれまた思いっきり顔をしかめてみせた。


「どんな事情ですかっ! 未成年をこんな時間まで連れ歩くなんて……立派な犯罪なんですよ!」


 テーブルをバン、と両手を叩きながら睨みつける彼女に、真吾は軽く首をかしげる。


「そんなに興奮しないの。ほら、晴美ちゃん、皺、できちゃうよ?」

「だ、れ、の、せ、い、ですかっ!」


 肩で息をつく彼女を、真吾は薄く笑みを浮かべながらテーブルの上に散らばる写真を冷ややかに見つめる。


「で、この無粋な写真はどこから?」

「一条さんのところに匿名で送られてきたものです」


 重なっていた写真を晴美は片手でさっと広げる。

 枚数はかなりの数で、撮影場所は二人にも見おぼえのある場所。ここからさほど離れていない繁華街の通りだということがわかる。

 そのどれもこれもピントはひどく甘い。周囲のぼやけ具合からかなりの距離から狙われていたらしい。どうやら盗撮されたもののようだ。

 写真の焦点は主に真吾にあっていたが、何枚かは女の子の顔形まではっきりと映っていた。

 晴美は写真を一枚手にとりながら、軽く眉をひそめる。


「……真吾さん、どうして彼女がこと報告してくれなかったんですか?」

「報告する必要ないでしょ。だって、彼女は私の友達だよ」

「……友達って」


 相変わらず人を食ったような笑みをうかべる真吾に晴美は大仰にため息をつきながら、一冊の週刊誌を差し出す。

 それはお世辞にも品の良いとはいえないゴシップ記事がメインの今時流行らない薄い雑誌だ。対象は中年にさしかかった会社員相手のせいか、表紙は艶やかな笑み絵をうかべた女優が。一枚めくるとかつてテレビを騒がせた妙齢の女優の姿が飛び込んでくる。磨き上げられた肢体を包むのは、水着というにはあまりにも面積の少ない布切れだ。

 豊満な肢体をくねらせる女優のページをかなり乱暴な手つきで頁をめくっていた晴美は、丁度中ほどで動きを止めた。

 そこは単色刷りの頁で、その大半を占めるのは文字だった。

 その中ほどに印刷されている写真に映し出されているのは、昨今ニュースで頻繁に名前のあがる政治家の一人だ。

 すでに与党の重要ポストを歴任し、末は大臣と目されているその男はいかにも人の良さげな笑みを浮かべながら隣国の高官と握手を交わしていた。


「彼女が何者か、真吾さんご存じだったんですか?」


 明らかに知っているだろうと匂わせる晴美に、真吾は曖昧な笑みを浮かべたままゆるく頭を振る。


「んー、そもそもファーストフードでナンパされただけだし。話しっていっても彼女の愚痴を聞くぐらいで、そういった込み入った話は聞いたことがなかったかな」


 しれっと返す真吾に、晴美はがくりと肩をおとす。

 テーブルの中央に放り投げられた写真にうつっているのは、茶髪に今風の化粧を施した少女。

 大きな目をさらに強調するようなアイラインにつけまつげ。少女の年頃には似つかわしくない豪奢なアクセサリーが首や耳、腕を彩っている。

 見るからに高価なそれとは裏腹に、彼女の表情は自信のかけらもない。

 一言で彼女を形容するならばアンバランス。

 装いが華美なぶん、不安げな表情とまだ残るあどけなさが悪目立ちをしているようだった。


「……どーみても子どもじゃないですか。どうしてこういう迂闊な事するのかな……」

「まあ、興味があったから?」

「興味って……」


 真吾のあけすけな物言いに、晴美は顔をしかめる。


「真吾さん。冗談になってません!」


 持っていた写真をテーブルに叩きつけ、椅子から立ち上がった晴美は足音荒く部屋を出て行ってしまった。

 遠ざかる足音を耳にしながら、一人残された真吾はため息をつきながら、視線を窓の外へとやる。

 乱立するビルの隙間から糸のような日差しがかろうじて部屋に差し込んでくる。

 オフィス街や住宅街に隣接する繁華街ならこの時間、かなりのにぎわいをみせるだろうが、ここは違う。ここが一番活気づくのは大抵の人が寝静まった夜だけ。逆に今の時間、この街は深い深い眠りの中にいるのだ。

 差し込む日差しがテーブルの上の写真――彼女の瞳にかかる。化粧などしなくても十分くりっといていて可愛いだろうに。けばけばしい化粧が施された瞳には、はっきりと不安がにじんでみえた。

 真吾はその瞳に指を伸ばしながら、小さく息を吐いた。


「君も因果な性分ですね……。もう少し上手くやるのではないかと思っていたのですが」


 ふいに聞こえた声に、真吾はそろりと顔をあげる。

 先ほど晴美が飛び出した扉にもたれるように立っているのは


「一条さん」


 オーナーの姿に、真吾は苦笑とも取れる笑みを浮かべた。


「買い被りすぎですよ。オーナーは私をどんな人間だと思っているんですか?」

「優秀な人だと思っていますよ。見事なまでに感情を抑え込み、そしてそれを他人に感づかせないだけの強さを持った」


 浮かべた笑みは寸分の狂いもない。まるで作り物でも張り付けたような笑みを唇に浮かべる一条に、真吾は軽く目を伏せる。


「……そんなことありませんよ。やっぱりオーナーは私を買い被ってます」


 吐き出された言葉は、晴美に向けたのとはわずかだがニュアンスが違った。

 疲れたように目をつむる真吾の前。先ほどまで晴美が座っていた席に一条は腰を下した。彼らの眼の間には晴美が残した写真が散らばっている。一条はその中の一枚を手に取り、うすく笑みを浮かべる。


「それにしても、なかなか良く撮れているじゃないですか。これなんかはウチの広告につかってもいいぐらいですね」

「晴美さんに怒られますよ」


 肩をすくめる真吾に、一条はくすりと笑う。


「彼女は真面目ですからね。君と同じように」

「私が真面目、ですか?」

「ええ」


 一条なゆっくりとうなずく。


「真面目ですよ。それに君はもともと一途ですからね。情熱家でもあるし」


 一条の言葉に、真吾は虚をつかれたように声を詰まらる。


「一途……? 私が?」


 真吾の問いに、一条は散らばっていた写真を束にしながら再び寸分の隙のない笑みを浮かべてみせた。それは肯定とも否定ともとれない。酷く曖昧な返事のようにみえた。


「それにしても、今回は君らしくなかったですね。気が付いていなかったのですか?」

「……すみません」


 軽く頭をさげかけた真吾を、一条はゆるゆると頭をふって押しとどめる。


「いえ、写真については別段、大したことじゃありませんよ。まあ少しだけ手間はかかりますけど」


 そういって一条は束になった写真を手に取り、椅子から立ち上がる。


「この件については私の方であずかります。君は」

「わかってます。彼女とはもう」


 軽く片手をあげた真吾に、一条は薄く笑みを浮かべる。


「懸命ですね。まあ、もっとも、彼女の方は君を捜すでしょうけれど」


 可愛そうですが、と呟いた一条に、真吾は小さく頭を振る。


「……すぐに忘れますよ。私の事なんて」


 真吾は視線を再び窓の外へとむける。

 中天に駆けあがろうとする太陽のかけらがビルの隙間からみえる。日差しの強さは乱立するビルに遮られ、細い糸のようになったとしてもそれはかわらない。そしてそれによって作られる影もまた、濃く深くなっていく。それは夜の闇よりも深いものかもしれない。

 そんなことを思いながら、真吾はそっと目を瞑った。



Report by singo akiduki

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