第二話 東京湾の鉄火場
「おいおい、冗談でしょ? これ、民間組織の規模を超えてるわよ!」
ヘリコプターの爆音が鳴り響く中、エルザは眼下の光景に顔をしかめた。
東京湾に浮かぶ広大な人工島。そこは現在、神格鑑定局の規制線を強行突破した大手民間鑑定企業「ミカド・スピリチュアル・テクノロジー(MST)」の私設軍隊によって完全に占拠されていた。
夜の海原に浮かぶ人工島の中心部。そこから、天を衝くほどの『神気』の光柱が立ち上っている。その輝きは禍々しい黄金色。海水を沸騰させ、周囲の空間を現実の物理法則から切り離しつつあった。
「ふむ……あれが本部から通達のあった『巨大神格』か」
竜炎山はヘリの機内で深く腰掛け、法衣の隙間から巨大な数珠を取り出した。
「ただの自然発生ではないな。人工島の地下から、古い祭祀遺物が掘り起こされたと見える。問題は祭具そのものではない。掘り出した者が、そこへ何を注ぎ込んだかだ」
ヘリが限界まで低空飛行に移ると同時に、エルザは迷わずハッチを開けた。
「ぐずぐずしてたら、あの成金企業に神格を『資源』としてパッケージングされちゃう! 行くわよ、どすこい!」
「待て。先にお前が跳べ」
「何よ、怖いの?」
「我が先に出ると、機体が大きく傾く」
「現実的な理由だった!」
「応ッ!」
二人は高度数十メートルから、夜の人工島へと直接飛び降りた。
着地と同時に、エルザは背中の大剣を引き抜き、凄まじい衝撃波で周囲のMST私設兵たちを吹き飛ばす。続いてドスンと重低音を響かせて着地した竜炎山が、即座に身構えた。
「何者だ!? ――いや、神格鑑定局の『関取鑑定士』か!」
最新鋭の霊子装甲服に身を包んだMSTの隊長格が、自動小銃を二人に向けた。
「ここは我が社が法的に占有権を取得した特異点だ! 国家機関といえど、民間企業の資産を奪うことは許されん!」
「資産、ねえ。あんな化け物を自分たちでコントロールできると思ってるわけ?」
エルザが鼻で笑った。その言葉を肯定するように、人工島の中央が激しく爆発した。光柱の根元から姿を現したのは、全長数十メートルに及ぶ、黄金の鱗を持った巨大な蛇のような怪異だった。
だが、その頭部にはいくつもの人間の「骸骨」が王冠のように連なり、周囲の空間を腐食させる黒い霧を吹き出している。
『我は……大物主……国を造り、蛇の姿を取る大いなる神……祭壇を……肉と信仰を捧げよ……』
その名乗りを聞いた竜炎山の眉が動いた。
「否。その神名は、お前のものではない」
巨大神格の放つ圧倒的な威圧感――「神威」によって、MSTの兵士たちが次々と泡を吹いて倒れていく。霊子装甲服の防御など、本物の神格の前には紙切れ同然だった。
「ひ、悲鳴を上げるな! 重霊子ネットを射出せよ! 捕獲して我が社の動力源にするんだ!」
隊長が狂ったように叫ぶが、巨大な蛇が一度尾を振るうだけで、彼らの最新兵器は鉄くずに変わった。
「欲に目が眩んで神の器を見誤るとは、哀れなものだな」
竜炎山がゆっくりと歩み出た。彼の雪駄がアスファルトを踏み締めるたび、その足元から清浄な「白」の気が広がり、周囲の黒い霧を押し返していく。
「エルザ、あれの鑑定を行う。時間を稼げるか」
「当たり前じゃない! こちとら世界を救った勇者様よ!」
エルザが地を蹴り、黄金の蛇へと突撃した。大剣に『勇者の加護』を限界まで注ぎ込み、白銀の光刃を巨大な体躯へと叩き込む。
硬質な黄金の鱗と激突し、激しい火花が散った。
蛇が苦悶の声を上げ、エルザを叩き潰そうと巨大な尾を振り下ろす。
「そこよッ!」
エルザは空中で身を翻し、蛇の尾を踏み台にしてさらに高く跳躍した。その隙に、竜炎山は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。彼の脳内に、鑑定局のデータベースと、自身が培ってきた相撲の「神理」が交錯する。
目を開いた瞬間、彼の瞳は神聖な青い炎を宿していた。
「鑑定――。あれは大物主神そのものでも、その御魂でもない」
竜炎山の瞳に、青い炎が揺れた。
「地下から掘り出された蛇形の祭具に、国造りと蛇神にまつわる伝承を人為的に接合して生まれた模倣型疑似神格だ。大物主の神名を借り、その信仰を吸い上げようとしている」
「つまり、大物主神じゃない。神名を騙った疑似神格ってことね」
「うむ。分類は人為改変・神名詐称型。等級三級、脅威度A。既存祭祀への侵食が進行し、停止要請にも応じない。祭具本体を保護した上で、寄生する疑似神格のみを撃滅する」
「脅威度Aか! 骨が折れるわね!」
エルザが叫ぶと同時に、蛇の頭部から無数の黄金の光線が放たれた。島全体を消し飛ばしかねない一撃。
「逃がさん」
竜炎山が、その巨体を信じられない速度で前に進めた。相撲の基本にして、最速の突進――『ぶちかまし』。ただの肉体の突進ではない。彼の全身を包む法衣が神気で膨らみ、移動する結界となって黄金の光線を正面からすべて弾き返した。
「な、何という肉体……!」
生き残っていたMSTの隊長が、唖然としてその光景を見上げていた。
蛇の懐へと潜り込んだ竜炎山は、右手を大きく広げた。
「我が手にあるは、五穀豊穣の型。我が足にあるは、大地を鎮める柱!」
巨大な蛇が竜炎山を丸呑みにしようと、大きな顎を開いて迫る。
「はっけよい――」
竜炎山の手が、蛇の顎の下へと滑り込んだ。大相撲の技――『のど輪』。人間の手が入るはずのない巨体に対し、竜炎山の放った手のひらは、霊的な概念として蛇の動きを完全に止め、その巨躯を強引に上空へと押し上げた。
「――のこったあああッ!!」
渾身の力で突き上げられた黄金の蛇が、宙に浮く。その完璧な好機を、相棒の女勇者が見逃すはずがなかった。
「終わりよ、偽りの黄金!」
上空で待機していたエルザが、大剣を逆手に持ち替え、彗星のように落下する。勇者の全魔力を込めた一撃が、蛇の脳天へと突き刺さった。
白銀と黄金の光が激突し、次の瞬間、人工島全体を揺るがす大爆発が起きた。
光が収まった時、そこには消えゆく黄金の霧と、息を切らせながら大剣を引き抜くエルザ、そして静かに勝ち名乗りを受けるかのように佇む竜炎山の姿だけがあった。
黄金の霧が消えると、人工島の中央に、小さな蛇形の祭具だけが残った。
黒くこびりついていた人為的な術式は剥がれ落ち、本来の静かな姿を取り戻している。
「祭具は局で保護する。本来の祭祀元も調べねばならんな」
竜炎山は蛇形の祭具を両手で包むように持ち上げた。
「ずいぶん小さいのね」
「本来、力とは大きさで量るものではない」
「さっきまで島を壊しかけてたけど」
「あれは、人間が勝手に膨らませた姿だ。この祭具に罪はない」
エルザは祭具を覗き込んだ。
「神様って、面倒ね。大事にされても、利用されても、勝手に姿を変えられる」
「人間も同じだろう」
その言葉に、エルザは一瞬だけ黙った。
「……私のこと言ってる?」
「一般論だ」
「そういうことにしておくわ。ふぅ……今回ばかりは、ちょっと腰に来たわね」
「戻ったら湿布を貼るとよい」
「勇者にずいぶん庶民的な治療を勧めるわね」
「腰は勇者も力士も同じだ」
「夢のない正論!」
エルザが大剣を肩に担ぎ、不敵に笑った。
「見事な太刀筋だった、エルザ。お前の加護がなければ、あの鱗は破れんかった」
竜炎山が微笑み、懐から鑑定局の報告書を取り出した。これでこの地の安全は確保され、MSTの違法行為も現行犯で記録された。しかし、二人が安堵したのも束の間。崩壊した人工島の瓦礫の影から、パチ、パチ、と場違いな拍手の音が聞こえてきた。
「素晴らしい。国家機関の『お抱え力士』と『異世界の遺物』。噂以上の連携ですね」
闇の中から現れたのは、仕立ての良いスーツを着た、片目の潰れた男だった。その纏う雰囲気は、先ほどのMSTの兵士たちとは明らかに一線を画している。
「民間組織の小悪党ではないな……何者だ」
竜炎山が鋭い視線を向ける。男は不気味な笑みを浮かべ、胸元から見たこともない黒い鑑定状を覗かせた。
「我が名は『黒祖会』の調停者。竜炎山、そして勇者エルザ。あなた方の鑑定、次の舞台では通用しませんよ。我が神が、間もなく真の目覚めを迎えるのですから」
男はそう言い残すと、足元の影に沈み込むようにして、瞬時に姿を消した。
「……黒祖会。世界的なカルト集団ね」
エルザが顔をしかめる。
「どうやら、私たちが思っている以上に、この国の神々を巡る水面下の動きは加速してるみたい」
「うむ。だが、神の名を騙る者が何を企もうとも、正面から受け止めるまでだ」
竜炎山は穏やかに、しかし固い決意を込めて拳を握りしめた。東京湾の夜風が、二人の衣服を激しく揺らしていた。次なる嵐の予感を孕みながら。




