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神格鑑定局の土俵際~神格鑑定士・竜炎山と異世界の女勇者  作者: 明石竜


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第一話 土俵を穿つ鉄槌

「おい、どすこい。サボってんじゃないわよ。そっちの路地裏、まだ簡易検査キットを振ってないでしょ」

 夕暮れ時の地方都市。ひび割れたアスファルトを踏み鳴らしながら、エルザは背中の大剣を揺らした。金属鎧の上に羽織った薄手のトレンチコートが湿った夜風になびく。

「サボってなどおらん。ただ、この土地の『気』が少しばかり乱れているのが気になってな」

 数歩後ろを歩く巨漢――竜炎山りゅうえんざんは、穏やかな声を返した。身長二メートル、体重百八十キロ。現役の大相撲力士でありながら、国家機関「神格鑑定局」に所属する神格鑑定士でもある。浴衣の上に特注の防弾法衣を羽織り、巨大な雪駄をペタペタと鳴らす姿は、それだけで圧倒的な存在感を放っていた。

「気が乱れてるなら、なおさら検査しなさいよ。こっちは端から全部調べてるんだから」

「お前はキットを振る勢いが強すぎる。先ほど一本、泡を噴いておったぞ」

「あれは土地の神気が強かったの」

「容器の蓋が緩んでいたように見えたが」

「細かいことはいいのよ」

 エルザは肩まで伸びた金髪をかき上げた。二十代半ばほどの、すらりと背の高い女だ。鋭い琥珀色の瞳と整った顔立ちをしているが、勝ち気な表情と背中の大剣のせいで、近寄りがたい戦士にしか見えない。彼女はかつて異世界と呼ばれた特異領域から現代日本へ流れ着き、紆余曲折を経て神格鑑定士資格を取得し、局と外部契約を結んでいる女勇者である。

 もっとも、局も彼女の正体を完全には把握していない。人間なのか、異世界の神格なのか。それとも「勇者」という役割そのものが定着した疑似神格なのか。複数回の予備鑑定を経ても、正式な分類は保留されたままだった。

 本人はその話題をひどく嫌い、「私は勇者。それでじゅうぶんでしょ」と取り合わない。


 二人が派遣されたのは、最近になって不審な「奇跡」の報告が相次いでいる、寂れた商店街だった。末期がんの老人が突然完治した。倒産寸前の商店が突然大繁盛した。そんな絵に描いたような幸福の裏で、街の浮浪者や野良猫が次々と姿を消しているという。


 二人は商店街に入ってから、奇跡を受けた者たちを順に訪ねていた。

 病が治った老人は、「眠る前に、女の声で願いを聞かれた」と証言した。繁盛し始めた総菜店の店主も、閉店後の店内で同じ声を聞いていた。

 ただし、二人とも願いを口にした覚えはないという。心の中で強く思っただけだった。

「声を聞いた翌朝に奇跡が起きて、その夜に一人か一匹が消える。今のところ、全部同じ順番ね」

 エルザは端末に表示された記録を指で弾いた。

「だが、消えた者と願いを叶えられた者に、直接のつながりはない」

「無作為に代価を取ってる?」

「あるいは、何者かが『不要』と見なした命を選んでいる」

 竜炎山はそう言って、商店街の奥を見た。

「典型的な『おねだり系』の疑似神格か、それとも人を喰う悪魔の仕業ね」

 エルザが鋭い琥珀色の瞳をぎらつかせ、懐から取り出した神格鑑定局支給の『簡易式異能検査キット』をかざした。ガラス管の中の青い液体が、ある路地裏に近づいた瞬間、どす黒い紫色に変色して激しく沸騰し始める。

「ビンゴ。この変色は、神格濃度が局所的に跳ね上がっている証拠……それも、かなり悪質なやつ」

「うむ。薫るな……血と、甘ったるい欺瞞の匂いだ」

「ただし、これだけじゃ疑似神格とは決められないわね。願望を媒介にする悪霊かもしれないし、土地神が歪んだ可能性もある」

 エルザはガラス管を目の高さまで持ち上げた。紫色の液体の底に、黒い沈殿物が細い輪を作っている。

「輪状の沈殿か」

「ええ。局の記録だと、ひとつの場所に居着いた存在より、噂を伝って広がるタイプに出やすい反応」

「ならば、土地そのものに根を持つ神ではない」

 竜炎山は路地の入口にしゃがみ込み、太い指で地面に触れた。

「地脈は穢されているが、奪われてはいない。外から流れ込んだ念が、この場所を仮の社にしているだけだ」

「都市伝説型の疑似神格、って線が濃くなったわね」

「まだ仮説だ。本人の言葉と、代価の取り方を確かめる」

 竜炎山が太い眉をひそめると同時に、路地裏の奥から「ヒタ、ヒタ」と、濡れた足音が響いてきた。暗がりの向こうから姿を現したのは、一見すると美しい人間の女性だった。だが、その背中からは何本もの半透明な触手が生え、それぞれの先端には、消えたはずの浮浪者や動物たちの「顔」が、苦悶の表情で張り付いている。女性の顔をした怪異は、歪んだ笑みを浮かべて二人を見下ろした。

『私はこの街の救世主。人々の願いを叶え、代わりに不要な命を間引き、世界の均衡を保つカミサマです。鑑定士風情が、私の聖域を侵すのですか?』

「一つ問う」

 竜炎山は怪異を見上げた。

「誰が、不要な命を決める」

『私です。この街を見守る私こそが、もっとも正しく価値を量れる』

「では、病を治した老人の代わりに、なぜ路地の猫が消えた」

『弱く、誰にも求められていなかったからです』

「あの猫には、毎朝餌を与えていた老婆がいた」

 怪異の笑みが、わずかに止まった。

「倒産を免れた店の代わりに消えた浮浪者も、翌日から保護施設へ入る予定だった。お前は命の価値を見極めてなどいない」

『黙れ。私は願いを叶えた。人々は私に感謝している』

「感謝されたから神なのか。それとも、神だから感謝されるのか」

 竜炎山は一歩前へ出た。

「お前は、人の願いを聞いているのではない。強い欲を嗅ぎつけ、代価を勝手に選んでいるだけだ」

『違う! 私はこの街の救世主です!』

「その名を、誰から授かった」

 怪異は答えなかった。

「カミサマ。ねえ、ちゃんちゃらおかしいわ」

 エルザは大剣の柄に手をかけ、一気に引き抜いた。まばゆい聖なる光が路地裏を照らし出す。彼女の異能『勇者の加護』が発動し、大剣の刃が白銀に輝く。

「自分の価値を自分で決める神など、この世にはおらんのだ」

 竜炎山が静かに歩み出た。その足取りは重厚で、地面がわずかに揺れる。彼は懐から、金縁の神格鑑定士免許証を取り出して掲げた。

「神格鑑定局所属、神格鑑定士・竜炎山。これより、眼前の存在に対する暫定鑑定を行う」

 怪異は嘲笑うように触手を引き絞り、一斉に二人へと放った。空気を引き裂く速度で迫る触手。だが、エルザがその前に躍り出た。

「はあああッ!」

 一閃。白銀の刃が触手の群れを鮮やかに切り裂く。切断面から溢れ出たのは血ではなく、凝縮された人間の怨念を孕む紫色の霧だった。

 その霧がエルザの剣にまとわりつき、その表面に幾つもの文字のような模様を浮かべた。

「どすこい、見える?」

「ああ。祈りではない。噂の断片だ」

 竜炎山の目に、青白い炎が灯った。

「『願いを叶える女』『代わりに誰かが消える』『夜の路地で呼ばれる』。複数の語りが重なって、形を得ている」

「じゃあ、もともとこの土地にいた神格じゃない」

「うむ。人の恐れと期待が、何かの怨念に肉を与えたものだ」


 エルザは大剣を構え直して竜炎山に叫ぶ。

「どすこい、前座はここまでよ! 格付けを終わらせて!」

「応!」

 竜炎山は深く腰を落とし、大相撲の基本にして究極の構え――『腰を割る』姿勢をとった。

 彼が大きく右足を上げ、大地へと踏み下ろす。

「――四股ッ!!」

 凄まじい衝撃波が路地裏を駆け抜けた。ただの足踏みではない。竜炎山の四股は、大地に潜む邪気を祓い、霊的な境界線を強制的に固定する神事そのものだ。

 踏み下ろされた右足を中心に、不可視の『結界』が急速に展開され、怪異の周囲の空間を圧迫していく。

『な、何ですかこれは!? 体が……私の神威が、押し潰される……!?』

 怪異が悲鳴を上げた。竜炎山の四股によって、彼女が周囲から吸い上げていた偽りの信仰エネルギーが遮断されたのだ。

 結界に遮られた怪異の身体から、紫の霧が剥がれ落ちていく。霧の奥に、一人の女の影が浮かんだ。古びた衣服。焼け焦げた護符。首に残る黒い痕。

 同時に、竜炎山の脳裏で、局から渡された未解決事件の記録が重なった。

 七年前、この商店街の外れで違法な呪術を行っていた女が変死している。死の直前、女は「私だけがこの街を救える」と繰り返していた。

 残留した怨念。願いを叶える女の噂。奇跡を求める人々の期待。

 すべてが、一つの像を結んだ。

「暫定鑑定を確定する」

 竜炎山は穏やかに告げた。

「お前の正体は、七年前にこの地で変死した呪術者の残留思念を核として、『願いを叶える女』の都市伝説と、人々の期待が結合して生まれた疑似神格。分類は流行神・悪霊混成型。等級四級、脅威度B。無差別の生命徴収を継続中。対話、協定ともに拒絶。依代を持たず、現状では封印も困難。よって撃滅措置を認める」

『嘘だ! 私はカミサマだ! 人々は私を崇めているッ!』

「少なくとも、人を救うカミサマを名乗る資格はない……エルザ!」

「言われなくたって!」

 エルザが地を蹴った。勇者の加護を受けた彼女の身体能力は、文字通り人間の域を超えている。空中へと高く跳び上がり、大剣を両手で上段に構えた。

「神格鑑定局の名において――お前の偽りを断罪する!」

『勇者の一撃』が、怪異の脳天から真っ二つに叩き込まれた。まばゆい光の奔流が路地裏を包み込み、疑似神格の肉体が光の粒子となって霧散していく。触手に囚われていた魂たちが、解放されたかのように夜空へと消えていった。


 静寂が戻った路地裏で、エルザは大剣を背中の鞘へと収め、ふう、と息を吐いた。

「相変わらず、あんたの四股は話が早くて助かるわ。即座に霊的供給を断てるんだから」

「これでも現役の大関だからな。神事の真似事くらいはこなさねば、お天道様に顔向けできん」

 竜炎山は防弾法衣を整え、穏やかな笑顔に戻った。しかし、その目はまだ完全には曇りを晴らしていなかった。

「だが、エルザ。今回の疑似神格、発生の仕方が不自然だ。まるで、誰かが意図的に都市伝説を流布し、信仰を集めさせたかのような……」

「……民間鑑定組織か、それともカルトの連中かしらね」

 エルザが苦々しく呟く。

 カミサマが政治や軍事を左右する資源となったこの現代において、人為的に神を作り出そうとする不届き者は後を絶たない。二人が路地裏を後にしようとしたその時、竜炎山の懐にある通信機が電子音を鳴らした。画面に表示されたのは、神格鑑定局の本部からの緊急指令だった。

「――竜炎山、エルザ。至急、次の任務へ向かってくれ。東京湾の人工島にて、正体不明の『巨大神格』が顕現。民間組織との争奪戦が始まっている」

 二人は顔を見合わせた。まだ夜は始まったばかりだ。人と神の境界線を守る彼らの戦いは、終わる気配を見せない。

「行くわよ、どすこい。今度は大物みたいじゃない」

「うむ。我が相撲が、どこまで通用するか……いざ、出陣だな」

 竜炎山は深く頷き、エルザと共に夜の闇へと歩き出した。


 東京湾へ向かう局の車両内で、エルザは端末に報告書を打ち込んでいた。

「対象を一刀両断、以上。これでいいでしょ」

「よくない」

「簡潔で分かりやすいじゃない」

「何を一刀両断したのか分からん」

「悪いやつ」

「報告書で最も書いてはならぬ表現だ。発生条件、聞き取り記録、代価の選定法、撃滅根拠を書け」

 隣の席で自分の報告書を確認していた竜炎山が、画面から目を上げた。

「長い!」

「報告書は、次の被害を防ぐために書くものだ」

「じゃあ、あんたが書いて」

「すでに我の欄は終わっている」

「仕事が早い力士って腹立つわね」


 この報告書を提出し、局の確認を経て正式な鑑定証が発行される。

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