36. 色彩の音色
驚きと安堵と、そして縋るような目でこちらを見ている三人。
(……ライラよ。そなたはこの目を向けるのではなく、向けられるようになっていたのだな。)
その紫の魂ーーーセラは、ただの少女が一人の精霊魔術師として、生の息吹を宿した日のことを思い出す。
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その少女は絶望していた。
赤に染まり、灰に還ってゆく故郷の終焉を、ただ見届けることしかできない自分に絶望していた。
その少女は祈っていた。
一人でも多くの命が安寧を得ることができることを、この無益な燈の奪い合いが一刻も早く終わることを祈っていた。
その少女は欲していた。
絶望し、祈るしか出来ないそのーーー灰緑色の魂は欲していた。
守る為の力を、無力な己と決別する為の確かな力を、渇望していた。
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私は、この世界を『音』と『色』の奔流として眺めてきた。
肉体を持たず、時間に縛られぬ精霊にとって、人間の生など一瞬の火花に過ぎない。
彼らは泣き、喚き、争い、そして何も残さず土に還る。
そんな泡沫のような存在に、心を寄せる必要などない。
ずっと、そう思っていた。
あの日、あの村に、あの火の海に降り立つまではーーー。
村を包んでいたのは、絶望という名の濁った「赤」だった。
逃げ惑う人々の叫びは不協和音となり、そこは私の求める静寂とは程遠かった。
領土を求めた争い。
何の意義も意味も成さない、命を減らすだけの無意味な奪い合い。
やはり人の世は『色』の無い、無機質なものだ。
そんな混沌の中で、ふと、異質な『音』が聞こえた。
それは『叫び』であり、『祈り』でもあり、強烈な『覚悟』の産声。
瓦礫の中に、一人の少女が座り込んでいた。
灰を被り、服は裂け、腕からは血が流れている。
彼女の足元には、もう動かなくなった『誰か』が横たわっていた。
成す術なく目の前で命が奪われ、そして、今からこの無力な少女も同じ道を辿るのだろう。
それはただ受け入れるしかできない運命であり、この少女にはその運命に抗えるだけの力は、無い。
だがその少女は、震える手で大切そうにその『死』を抱きしめ、その瞳だけは、目の前の地獄を真っ向から見据えていた。
(……なんて、美しい瞳なのだろう。)
彼女の魂から溢れ出していたのは、悲しみではなく、暗い怒りですらなかった。
それは、何者にも屈しないという強固な意志。
守れなかったという悔恨を、そのまま生きるための泥臭く、鮮やかな力へと変えようともがいている。
私は気づけば、彼女の元へと降りていた。
それはただの気まぐれだった。
少し毛色の違う猫を見かけたから見てみようと腰をかける、その程度の興味と言うにも大袈裟な、ただの気まぐれ。
少女は、ゆっくりと顔を上げた。
私の姿が見えているのかさえ分からないほど、その目は虚ろで、だがその奥には、鮮烈な『色』が息づいていた。
「そなたは、何を欲する?」
無意識に口をついて言葉が出た。
期待をするから失望がある。
私は人間に期待していたのだろうか。
だから失望を重ね続け、絶望したのだろうか。
けれどもし、それが失望ではなく希望になるのならーーー。
「……みんなが幸せでいられる為に、守りたい。」
その瞬間、灰色の世界は少女の『祈り』によって色彩を与えられる。
煌めく情景が、そこにはあった。
「……そなたの名は?」
「ライラ……ブルーガーデン。」
掠れた、優しい『音』だった。
だが、その声は心地良く耳に染み渡る。
ゆっくりと手を伸ばす。
ライラはその手を静かに取った。
それは契約などという形式的なものではない。
彼女の絶望を私が喰らい、私の孤独を彼女が埋める。
私たちは、その日から二人で一つになった。
魔術師団で孤立していた時も、三年前、あの戦いの中でで再び地獄を見た時も。
私はずっと、彼女の内側でその震えを感じてきた。
だから、分かっていた。
彼女が自分を顧みず、誰かのためにその命を燃やし尽くそうとしていることも。
私が沈黙を守れば守るほど、彼女が孤独な決断を繰り返すことも。
(ライラ……そなたはいつも、私を置いていこうとする。)
私は震えていた。
エナレティシアという『根源』を前に、大精霊の谷という自身の『源流』に立ち、かつての失望がその身を支配した。
精霊としての理が、過去の自分が絡みつき、動けなくなっていた。
だが。
胸を貫かれ、冷たくなってゆく彼女の心臓の鼓動を感じた瞬間、強烈な『色』を放ち『音』を立て、魂を奮わせた。
私の愛したこの魂を、こんな薄汚れた悪意に塗りつぶさせてたまるものか。
(……ライラ、そなたが守りたいものは、まだそこにいる。)
消えゆく彼女の意識の底で、私はその魂を強く、強く抱きしめる。
漆黒の魔槍が、紫の光に焼かれて霧散した。
崩れ落ちるはずだった体が、ゆっくりと、天を突くような意思を持って立ち上がる。
目を開くと、視界が『色』を成して『音』を感じ取る。
怒り狂う神竜も、嘲笑う『研究者』も、震える弟子たちも。
今の私にとっては、ただの書き換えるべき事象に過ぎない。
「……ライラの世界は、灰ではない。鮮やかなものであるべきなのだ。」
ライラの唇から漏れたのは、私の声。
冷たく、それでいて燃え盛るような、精霊としての残響。
さあ、お伽話を終わらせよう。
守るのだ。
私とそなたの、二人の世界を。




