35. 紫の残響
「神竜が空間に触れた瞬間現れた魔法陣……そうか、なるほど。何かと思えばただの二番煎じじゃないか。」
一瞬困惑の色を見せたその顔は、すぐにまた薄ら笑いの張り付いた不気味なものへと戻った。
「リゼ、今のは……。」
「いや、それもそうだが。僕の勘違いでなければ、詠唱がなかった。」
アイクとレントは、白銀の楔に抑え込まれた神竜に驚き、そして、リゼの変化へと意識が向く。
「ごめん、説明は今はできない。時間が、ないの。」
(バケツをひっくり返したみたいに魔力が漏れていく。ネスとの『リンク』がまだ不安定なのが分かる。ライラさんがいったいどれだけの研鑽を積んだのかを、肌で感じる。)
焦りが身体を震わせ、汗が背中を伝う。
余力も時間も、残り僅かだ。
「あとは君達さえ倒れれば、ゆっくりと結界の楔を壊せばいい。そんな二番煎じぐらいでは、この圧倒的な力の前に何も出来ないことを思い知るんだ。」
研究者は手にどす黒い魔力を纏わせ、それを神竜へと流し込む。
その狂気に身体の自由を奪われ、神竜は荒々しい咆哮を響かせる。
だがその黒い魔力は確実に自由を蝕んでゆく。
白銀の楔を砕き、立ち上がる。
「みんな、行こう!」
リゼがと杖を突き上げる。
そして、その場にいるもの全てを覆う結界を展開する。
「この期に及んで何の真似だい?こんな結界で何ができるのさ。」
「……結界じゃない。これはネスの『領域』。」
(分かる、感じる。ネスの力が私の中に広がってくる。)
「アイク、レント。私を信じて。」
リゼが放った言葉はそれだけ。
でもそれだけで、三人は通じ合える。
だからこそ、絆はまやかしなんかではない。
二人からの返答はない。
剣に力を込め、心に決意を抱く。
それだけで十分だった。
二人は地を蹴り、神竜へと立ち向かう。
それを尾で薙ぎ払い迎え撃ち、糸の切れた人形のように飛ばされるーーーはずだった二人の姿がふっと消える。
(消えた……?どういうことだ。)
研究者は観察を続ける。
全てを解明してきた彼にとって、『分からないこと』というのは何にも勝る不安要素であった。
そして消えた二人は、突如として神竜の頭上から現れ、剣を振り下ろす。
(まさか。)
その剣は虚しく鱗に弾かれ、ブレスは二人を焼き尽くすーーーはずだったが、またもやその姿は消え、今は神竜を挟むように二人は姿を現した。
(『領域』内での対象の座標の改竄……。それがこの能力の正体か。)
リゼが魔石へと祈りを込める。
二人の足元に白銀の魔法陣が出現した。
神竜の巨大な爪が岩盤を砕く寸前、二人の体は別の座標へと移り変わる。
(……これなら、いける!)
本来なら数秒かかる間合いの詰めも、リゼが点と点を繋ぐだけで、一瞬でゼロになる。
「レント、合わせるよ!」
「ああ!」
二人が地を蹴る。神竜がそれを迎え撃とうと首を振った瞬間、リゼが杖を振る。
ーーー座標置換。
神竜の目の前にいたアイクが消え、その死角である首元にレントが現れる。
レントの斬撃が鱗を叩く。傷は浅い。だが、神竜は初めて、その巨躯を苛立ちで震わせた。
「無駄だよ! 蚊に刺されたような傷をいくら重ねようが、その鱗はーー」
「それはどうかな!」
研究者の嘲笑を、アイクの言葉が遮る。
座標改竄による超高速の波状攻撃。
右から、上から、後ろから。
リゼが空間をパズルを解くように組み替え、アイクとレントがその『隙間』を全力で駆け抜ける。
神竜は、嵐のような三人の連携に、その巨大な視線を追いつかせることができない。
それは、端から見れば奇跡のような善戦だが、内実は綱渡りだ。
(……ダメ、だ。私の魔力が、もう……!)
白銀の魔石は徐々に淡く、その光を失ってゆく。
神竜は、ダメージを受けているのではない。ただ『捉えられない』ことに苛立ちを募らせているだけ。
やがて、その苛立ちは『災害』としての本能を呼び覚ます。
「面白い、実に面白いよ! 座標の改竄か。だが、逃げ場そのものを消してしまえばどうなるかな!」
研究者の顔から困惑が消え、狂気に満ちた歓喜が取って代わる。
彼が神竜へさらにどす黒い魔力を注ぎ込むと、神竜の喉元に、領域全体を飲み込まんとするほどの巨大な紅蓮の光球が凝縮されてゆく。
(……まずい。この密度、防ぎきれない……!)
リゼの視界がチカチカと明滅する。
ネスとのリンクは限界を超え、全身の筋肉が、細胞が悲鳴を上げている。
アイクとレントも、その圧倒的な熱量に足を止める。
逃げ場はない。領域の隅々までを焼き尽くす、終焉のブレス。
「終わりだ。絆も、その領域も、君たちの無意味な足掻きも、すべて灰になるんだ!」
研究者の号令とともに、神竜が顎を開く。
咆哮。
爆ぜる大気。
すべてが赤く染まる。
だがーーー、
その無慈悲な爆炎の中から現れたのは、三人を守る、光を失ったはずの守護者の姿だった。
「ライラ……さん?」
その声にそっと振り返ったその瞳には、紫の魂が宿っていた。




