34. 新たな絆の胎動
横たわる師の姿が見える。
血溜まりが広がってゆく。
胸には漆黒の魔槍が突き立てられている。
何が起きた?
分からない分からない分からないーーー分かりたくない。
「いやああぁぁぁ!」
膝から崩れ落ちるリゼ。
研究者を睨みつけるアイク。
呆然と立ち尽くすレント。
三者三様の反応だが、変わらない現実ーーー打ち砕かれた希望が目の前に突きつけられる。
「誤算が少しあったとはいえ、まさか君たちがあの『竜戦士』を倒すとは思わなかったよ。そこだけは予定外だったね。
でも、これでもう僕の邪魔をする者はいなくなった。さあ、大人しく僕の理想の礎となっておくれ!」
研究者の高笑いが残酷に響き渡る。
神竜の慟哭、リゼの嘆き、それら全てをかき消すほどの鮮烈な狂気。
ーーー『英雄』は、もういない。
このまま絶望という名の奈落へと落ちてゆくだけなのか。
(それはダメだ。)
聖域を、師を、このまま見捨てるのか。
(まだ、終わっていない。)
アイクは恐怖で竦む足を踏み出し、後悔で震える手で剣を握る。
(まだ僕には、守るべき仲間がいるんだ。)
アイクの横にレントが並び、目が合う。
その目には、アイクと同じ覚悟が宿っている。
光を失った師を背に二人は剣を構え、お伽話の行く末を切り開く。
神竜が地を震わせ、一歩踏み出す。
それだけで、視界は土煙と圧倒的な『質量』に占拠された。
「ガァァァッ……!」
振り下ろされた爪を剣の腹で受け止める。
だが、その威力は人が踏み入ってはならない領域に達していた。
まさに『災害』。
アイクの膝が砕けんばかりに軋み、足元が悲鳴を上げて割れてゆく。
「アイク!一人で無茶をするな!」
横からレントが、死角を突いて神竜の足首へと剣を叩きつける。
だが、渾身の一撃は漆黒の鱗に火花を散らすだけで、傷一つ負わせられない。
蚊が刺したほどの影響すらない。
神竜はただ煩わしげに尾を払う。
「がふっ……!?」
視認すら不可能な速さの一撃。
レントの体は木の葉のように吹き飛び、岩壁に激突した。
(こんなにも……遠いのか。勝てる勝てないの次元じゃない。この暴威を前にまだ人の形を保てていることが奇跡だ。)
遠のく意識の中で、レントは自嘲気味に笑った。
喉の奥からせり上がる血の味。
剣を握る右手の感覚は段々と薄れていく。
神竜の瞳が、背後に横たわるライラと、傍で泣きじゃくるリゼを捉えた。
殺意なき、ただの排除の視線。
「させ、ない……っ!」
満身創痍のアイクが、レントが、折れかけた剣と、決して折れることのない信念を支えに立ち上がる。
瞳は血に染まり、全身が痛みと疲労で悲鳴を上げている。
それでも、二人は神竜に立ち塞がる。
その背中は、どんな英雄の背中よりも必死で、脆く、そして気高かった。
しかし、その気高い背中はリゼにしか見えない。
神竜から見る二人は、吹けば消えてしまいそうなひ弱な燈のような存在。
その後ろにはそれを嘲笑う狂人。
「リゼ。ライラさんを連れて逃げるんだ。」
レントは背を向けたままリゼへと言った。
強がりでも何でもない、仲間の無事を心から願う震えた声。
アイクは歩き出す。
一度立ち止まり、振り返りリゼへと微笑むと、再び歩き出す。
「素晴らしい絆だね。けどそんなもの、死んでしまえば失われる。儚くて脆い……ただのまやかしだよ。」
全てを打ち砕いたその元凶。
薄ら笑いの奥にあるその目には、希望の光さえも飲み込むほどの、ただただ真っ暗な闇が広がっている。
「ダメ……ダメだよ。」
遠ざかるその背中が、師のそれと重なる。
また自分は助けられないのか。
故郷を襲われ震えていたあの時のように。
そして、師を守れなかった今のように。
『力が、欲しいかい?』
「えっ。」
声が聞こえた。
優しさに溢れた、見定めるような声。
「誰なの?」
『僕はネスリティス。今は時間が惜しい。君はどんな力を求める?』
力が、欲しい。
自分のためではなく、大切な人を守るための力が。
「……守りたい。もう誰も、失いたくない。」
『わかった。手を伸ばして、僕の名前を呼んでごらん。』
リゼは手を伸ばす。
絆はまやかしなんかではない。
そこに確かにある、紛れもない力なのだ。
「行こう。ネスリティス。」
リゼを柔らかな光が包み込む。
温かな、それでいて確かな決意を孕んだ力強い光。
光が晴れ、伸ばした掌には白い魔石が胎動とともに輝いていた。
リゼの中に、聖域の意思が流れ込む。
「今なら……出来る。」
神竜が飛翔し、その巨躯が仲間たちの方へと
迫り来る。
目の前の絆を、断ち切らんとするために。
ーーー重ね、置く。
その空間に触れた瞬間、淡く輝く魔法陣が現れ、神竜は白銀の楔によって堕ちた。
「何を、したんだい?」
初めて、研究者の顔に強い困惑の色が刻まれる。
「行くよ、ネス。もう泣いていられない。」
新たな精霊魔術師の胎動が、聖域へと響く。




