32. 魂の共鳴
戦場に漂う張り詰める空気、剣戟の音、眩く光る魔法の輝き。
本来それはお互いの意地を、信念をぶつけ合う崇高なものだ。
その崇高で神聖な儀式を今現在も穢してゆく不条理な存在を目の当たりにし、エナレティシアは嫌悪を隠しきれずにいた。
「眠りについた我が戦友たちを侮辱したその罪、主の命だけでは済まされんぞ。」
その眼光は鋭く、紛れもない殺意を孕んでいる。
だが、返ってくるのは不適な笑みと嘲笑うかのような言葉だった。
「そんなこと言ったって、実体のないその姿じゃこの結界の維持が限界なんじゃない?
お伽話の結末はいつもハッピーエンド。でも、ページをめくり続けた先にある『現実』を、君たちに見せてあげるよ。」
結界を隔てていても、その強烈な悪意が伝わってくる。
その灰色の意思は、煌めく聖域を、輝く伝説を、確実に侵食し始めていた。
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『竜戦士フーリヒの英雄譚』
それはこの世界に生まれた男子のバイブルと言っても過言ではない。
大剣を携え、神竜と共に世界を救うその姿は誰しもが一度は夢見る勇姿だ。
アイクとて例外ではない。
そして今その英雄が目の前にいる。
本当ならばこれほど嬉しいことなどない。
だが、今アイクの中にある感情は、とめどなく溢れる怒りだった。
「世界を救った英雄……。弱いわけはないが、これほどまでとは。」
「僕はむしろ、まだこれだけで済んでるのが奇跡だと思ってるよ。」
フーリヒが地を蹴り、飛び上がる。
聖域の光に照らされるその姿は、紛うことなき『伝説』そのものだった。
そして、輝く大剣を振り下ろす。
アイクの剣とフーリヒの大剣が重なる。
だが、それは「打ち合い」ですらなかった。
巨大な鉄の塊が叩きつけられたような衝撃。アイクの腕の骨が軋み、足が攻撃の重みで地面にめり込む。
(なんて重さだ……!)
ただ剣を振った。それだけで周辺の空気が圧縮され、衝撃波となってリゼやレントのもとへと襲いかかる。
「ただの剣圧だけでこの威力。リゼ、大丈夫か?」
「うん、なんとか。それよりも……。」
リゼは杖を構え直し、フーリヒとの邂逅の時から抱いていた疑問を口にする。
「魔力が、揺らいでいる……?」
その瞬間、アイクは見た。
辛うじて防いだ大剣の向こうの兜、その更に奥にある虚な瞳から、一筋の涙がこぼれる。
「え……。」
『英雄』は嘆いていた。
自身の使命が、時の理を歪めて侵されていることを。
『英雄』は憂いていた。
魂を分けた、盟友の存在をも軽んじられていることを。
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その戦場はフーリヒのような華麗な剣戟とは対極を成すような、凄まじい光景が広がっていた。
灼熱の吐息も、空気さえも切り裂くその爪も、全てを薙ぎ払う尾の一撃も、全てがライラにとって致命傷になり得るものだ。
なのに、ライラの攻撃は何一つ通らない。
まさに理不尽。
一筋の可能性すら見出すこともなく、ただ命を守るだけで精一杯だ。
「まるで嵐……。ロクに攻撃もできない。」
一縷の望みを託し、赤い魔石へと魔力を注ぐと、聖域の光に照らされ、魔石は高ぶるように紅潮する。
ライラの周囲に魔法陣が現れ、炎、雷、風……様々な攻撃が放たれる。
しかし、神竜は翼を翻し一陣の旋風を巻き起こすと、その攻撃は虚しく霧散した。
「ここまで成す術がないものなの……。」
神竜は飛翔し、一瞬のタメのあと全てを無に帰す無慈悲のブレスを放つ。
ライラは青の魔石へと願いを込めると、空間そのものを断絶するような透明な壁を顕現させる。
紅蓮の炎はライラの数センチ手前で二股に分かれる。
今、その炎がライラの命に届くことはないが、その圧倒的な力の前に確実に消耗は進んでゆく。
(防いでばかりでは勝てない。でも、勝ち筋が……見えない。)
魔力の指向性、単純な攻撃の威力、属性の相性、術式の構築精度。
考え得る限りの試行を繰り返し、そのことごとくが薙ぎ払われる。
ーーー焦燥が冷たい汗となって背中を伝う。
(セラ、もうあなたに頼るしかないの?でも……。)
いつも静かな紫の魔石は大精霊との邂逅から、より強い沈黙を纏っている。
「……泣き言は言ってられない。今やれることを、後悔を残さずにやるだけ。
それが私の、私の魂の進む先だから。」
ライラは杖を握る手に力を込め、今一度、その覚悟に鞭を打つ。
アイクたちの姿が脳裏に浮かぶ。
(『守る』ために託した。私も、私の託された使命を果たす!)
ーーー神竜の魂に盟友の落涙が流れ込み、熱くその魂を濡らす。
神竜の悲しき慟哭が谷に響き、盟友の矜持を呼び起こす。




