29. 侵食される聖域
四人は谷へと降り、目的である大精霊のもとを目指す。
水晶で光が弾け、谷へと吹き込む柔らかな風が木々の葉をなびかせる。
頬に触れる空気は冷たさの中にも、まるで精霊に抱擁されているような安心感がある。
四方に広がる幻想的な光景は、まるでおとぎ話の世界へと迷い込んだような錯覚を感じさせる。
「すごい……ところだね。」
「ああ。こんな場所がリルオール王国にあったなんて。」
アイクとレントが目の前、いや、自分たちを囲むその全てに驚嘆している。
「厳密にはここはリルオール王国領ではないんだよ。便宜上、自治権は王国のものになってはいるけど、政治的な干渉は暗黙的に禁止とされているの。
王国誕生前から存在する聖域だからね。」
「精霊の存在というのは、そんなに昔からあったんですか?」
そう言うリゼの顔は少し赤らんでいる。
この『大精霊の谷』の濃い魔力と精霊の気配に『当てられて』いるのだろう。
大なり小なり、魔術師ならばこの場の影響は受けるが、リゼはより強くその影響を受けているようだ。
「私も歴史的な知識しかないからそのぐらいのことしか言えないけど、その始まりは今から会いに行く大精霊だと言われている。
竜戦士と共に邪神を滅ぼし、今の王国の成り立ちを作った、というのが王国に伝わるお伽話だね。
それよりもリゼ、大丈夫?ここの空気はしんどくない?」
「あ、はい。不調とかはないですけど、なんというか……魔力の昂りを感じます。」
「同じだね。私も同じような感覚がある。」
ライラにとってはもう一つ、ピアスから感じる精霊たちの気配がより濃くなってきている。
そして、目的の場所に到着した今が、最もそれは顕著に感じられる。
谷の中央に見えた水晶の塊。
近くまで来ると、それが祠のようになっていたとわかった。
「さあ、入ろうか。」
警戒とはまた違う、だが四人の緊張は今最も高まっている。
特に魔術師、精霊魔術師であるライラとリゼはまた違った緊張感を感じている。
当然だが中は水晶に囲まれており、奥に水晶とは違うーーー大きな魔石が置かれている。
「ほう。懐かしい気配を感じると思えば、何百年ぶりよ。」
どこからか、声がした。
透き通った、だが威厳に溢れた、厳かな声だった。
声は祠に反響してその出所は分からない。
そもそも、そんなものがあるのかどうか、そう感じさせるような神秘的な響きがある。
(……セラ?)
魔力の濃さと精霊の強い気配で気付かなかったが、セラの気配だけが不自然に小さくなっている。
「誰、の……声?」
「それに何百年ぶりって。」
アイク達も理由は違うが、同じように戸惑っている。
リゼは突如現れた巨大な存在に、言葉を失っていた。
そしてそれは、ライラも同じだった。
「まずはお主達に挨拶をせねばならんな。妾はエナレティシア。今は大精霊と呼ばれる存在だ。」
その声の主は突如目の前に現れた。
長い銀髪を靡かせた、美しい女性だった。
それは本当に突然だった気もするし、ずっとそこにいた気もする。
だが、そんなことはどうでも良くなってしまうぐらい流麗で、精霊の祖と呼ぶに相応しい品格が溢れ出ている。
四人は何も言葉を発することなく、ただその存在に目を奪われる。
「改めて聞くが、いつまで黙っておるつもりか?」
「あの……、先程から誰と喋っているのですか?」
初めに口を開いたのはアイクだった。
魔術師ではないアイクにも、この存在の大きさを感じるのだろう。
緊張からか声がうわずっている。
レントの表情も固い。
「そこの娘の連れている精霊じゃ。……若い他の二体は知らぬが、もう一体は見知った顔でな。」
そう言ってエナレティシアが見ているのはライラだ。
「まあいい。喋る気がないのならそれはそれで構わん。して主ら、何の目的でここへ?」
射貫くような、それでいて神々しい瞳が四人を捉える。
ライラは一歩前に出る。
「私はライラ・ブルーガーデン。精霊樹の加護を受けしエルフェリオンの巫女より、あなたを訪ねるよう導かれ、参りました。」
「精霊樹の苗木を分かたれたあの国か。……ふむ、なるほどな。主の魂には確かに、祈りが刻まれておる。」
エナレティシアは納得したように頷き、ふわりとライラの傍らに浮遊した。
そして、ライラの左耳で沈黙を貫く紫の魔石を見つめる。
「……主が人とともに歩むか。時の流れというのは精霊をも変えるのだな。」
(セラ?)
エナレティシアの言葉に、セラの魂がほんの一瞬、揺らいだ気がした。
「ライラ・ブルーガーデンよ。主がここへ来たのは、自らの力の根源を知るためか? それとも、外の世界で蠢く『歪み』に抗う術を求めるためか?」
エナレティシアの言葉に、ライラの脳裏にこれまでの記憶が走馬灯のように流れていく。
「……両方です。私は、大切な人たちを守りたい。そのために、精霊たちの真の姿を知り、向き合いたいのです。」
エナレティシアはその言葉には答えず、険しい顔をライラへと向ける。
「……主ら、何を連れてきた?」
「え?」
思っていたものとは違った答えに、ライラは困惑する。
ーーーそしてすぐに、その言葉の意味を知ることになる。
突如、谷に地響きが鳴り響く。
「何!?」
四人は祠の外へ出る。
周りを見渡し、最後に上を見る。
忘れもしない、忘れられない、忘れてはいけないーーー。
迷宮でライラたちを絶望の淵に叩き落とし、ジルフリードを使い精霊王国を踏みにじった悪意。
(あいつは……!)
その悪意は不適で不気味な笑みを浮かべ、ライラたちを見下ろしていた。




