第6話「奪い、還す者」
広場で《万象奪界》のことを話してから、ずいぶん時間が経った。
それでも眠れなかった。
俺は毛布を胸まで引き上げ、目を開けたまま木組みの天井を見つめていた。
昼間の戦いを思い出す。
――直接手を下してなくても、原因はお前だろ?
野盗の声と、焦点を失った男の目が、頭の中で重なった。
膝から力が抜けていく瞬間。
そして、この手で何かを引き抜いた感触。
(……俺は、また奪った)
左手を握る。
能力のことを話しても、怖さが消えたわけじゃない。
ただ、もう一人で隠しておくことはできなくなった。
扉がかすかに軋み、開いた。
「……起きてる?」
ライラだった。
勝手に入ってくると、寝台の脇へ腰を下ろす。
「なにその顔。“いつものユイト”どこ置いてきたのさ」
「……置いてきたんじゃねぇ。落としてきた」
「じゃあ拾ってこないとね」
軽く言ってから、ライラは俺の左手を見る。
少し迷って、両手でそっと包んだ。
「……まだ、残ってる?」
何のことかは聞かなくても分かった。
「……ああ」
「そっか」
それ以上、無理に励まそうとはしなかった。
ただ、手だけは離さない。
「俺さ……奪う瞬間は、正しいって思えるんだ。守るためだって。でも終わった途端、人を見る前に、その人が何を持ってるか探してしまう」
「……うん」
「いいな、とか。欲しい、とか。俺、そういうの嫌いだったのに」
ライラは笑わなかった。
「じゃあ、そうなったら言って」
「何を」
「欲しくなってるって」
「……それだけ?」
「それだけ。あたしが止めるから」
あまりにも簡単に言う。
だからこそ、少しだけ肩の力が抜けた。
不意に、目の奥がずきっと疼いた。
まだ使えるか確かめようと、《穿界視》へ意識を向ける。
木壁へ焦点を合わせても、視界の奥が薄く濁る。無理にその先を見ようとした瞬間、痛みが強くなり、俺はすぐに力を閉じた。
(……今日、使いすぎたか)
「そういえばさ」
ライラが声を変える。
「明日、団長が何するか知ってる?」
「野盗の荷を返しに、村へ行く」
「そ。ユイトも一緒にね」
俺も、返す側に立つ。
団長たちがそうしてきたことは知っていた。でも、俺が持ち主へ荷を届けるのは初めてだった。
そのことが、妙に胸に残った。
「……眠れそう?」
「まだ無理だな」
「じゃあ目つぶってなよ。眠るまでいてあげる」
「……お前が?」
「なにその顔。今日は寝落ちしないって」
「信用できねぇ」
「うるさい」
ライラが笑う。
その声を聞きながら、俺は目を閉じた。
奪った感触は、まだ消えていない。
それでも明日は、この手で返すものを運ぶ。
今は、それだけ考えることにした。
*
夜明け前から、拠点には足音が満ちていた。馬車の軋む音。木箱を積む音。縄を締める音。荷台に並ぶ木箱には、金貨、銀細工、衣服、薬草、乾燥肉――そして村印の付いた袋がいくつも。
「よくここまで溜め込んだもんだな、あのクズども」
ガレウス団長が鼻を鳴らす。
「……全部、返すんですか」
俺が聞くと、ガレウス団長は当然みたいな顔で言った。
「当たり前だ。奪ったのはあいつらだ。元の持ち主に戻す」
誰かの冬を越すための食料。
誰かが働いて蓄えた金。
持ち主の顔を知らなくても、それが誰かの暮らしだったことだけは分かった。
ふと横を見ると、ライラがあくびを噛み殺しながら荷台の縄をきゅっと締めていた。目が合った瞬間、彼女はにやっと笑う。
「今日のユイト、ちゃんと“いつもの顔”してる」
「してねぇ」
「してるって。ほら、眉がちょっとマシ」
「褒め方が雑すぎる」
「雑でも褒めてる。大事」
荷を積み終えると、俺たちは馬車で山を越え、村へ向かった。
*
村は、山の陰に隠れるようにして建っていた。
畑は痩せ、ところどころ屋根も傷んでいる。
馬車が近づくと、道にいた村人たちが足を止めた。
一人が子どもの肩を抱き、家の中へ下がらせる。
別の男は、こちらを警戒するように農具を握った。
「……野盗の仲間だと思われてる」
レナリア先輩が小さく呟く。
「しゃーねぇ。ここらは何度もやられてんだろ」
ガレウス団長が馬車から降り、村の中央へ歩み出た。
「――おい、聞け!」
村人たちの視線が集まる。
「ここにあるのは、昨日潰した野盗どもが溜め込んでた荷だ! 金も薬も食いもんも服も――心当たりがある奴は出てこい!」
一瞬、誰も動かなかった。
やがて一人が、荷台を指さす。
「……村印の袋……」
別の老人も、一歩だけ前へ出る。
「返して……くれるのか」
「……本当に?」
ガレウス団長は肩をすくめた。
「そんな顔すんな。俺たちは、取られたもんを運んできただけだ」
そして俺へ顎をしゃくる。
「ユイト。村印の袋から確認しろ。持ち主を間違えるなよ」
「はい」
俺は荷台へ上がり、右手で最初の袋を手前へ引き寄せた。
麻袋の隅には麦の穂を模した村印。その下に、三本線の印が縫いつけられている。
「この印に心当たりは?」
人垣の奥で老人が息を呑んだ。
「……息子夫婦の家の印だ」
差し出された木札と見比べる。
同じ三本線が刻まれていた。
「間違いない。返します」
ライラに袋の底を支えてもらい、老人へ渡す。老人はその重さを確かめるように、両腕で抱え込んだ。
*
捕らえてきた野盗たちは村長へ引き渡し、荷は一つずつ持ち主を確かめながら返していった。
家の印。
袋に縫いつけられた印。
中身や傷の位置まで確かめる者もいた。
それでも持ち主が分からなかった物だけは、村長と村人たちを交えて振り分ける。
薬草は病人のいる家へ。
衣服は冬支度の足りない家へ。
乾燥肉は、その場で数を確認して分けた。
誰も揉めないように、ガレウス団長たちは何度も確認していた。
これは、一度や二度の経験で身につく手際じゃなかった。
村の外れにある小さな家へ行ったとき、一つの袋の底から古びた木彫りの笛が出てきた。
老婆が、それを見た瞬間に息を止めた。
「……それ」
震える手で受け取る。
笛にはひびが入り、もう音は出ない。
「野盗に家の物を袋ごと持っていかれてな……」
老婆は笛を胸へ抱いた。
俺は自分の左手を見る。
俺が奪ったのは、形のない《矜持》だった。
でも、あの男を支えていた何かを、俺は確かに引き抜いた。
善いものだったとは思わない。
だとしても――人から何かを奪う重さは変わらない。
(忘れちゃいけないな)
だから俺は、ここに来てよかったと思った。
*
帰り道。
夕焼けが山道の影を長く伸ばしていた。
荷を返し終えた馬車は、来た時よりずっと軽い音を立てている。
俺たちは、その横を歩いていた。
村が見えなくなった頃、ガレウス団長が俺の隣へ並んだ。
「今日のうちに、一つ言っとく」
「なんですか」
「お前の力のことだ」
俺は団長を見る。
「能力ってのは、使い方を覚えりゃ伸びる」
「……伸びる?」
「ああ。精度が上がる。長く使えるようになる。能力によっちゃ、できることそのものが増えることもある」
ガレウス団長が前を歩くライラを顎で示した。
ライラは歩きながら、小さな火花を指先に灯しては消している。
「同じ炎でも、ただ燃やす奴もいりゃ、あいつみたいに刃にする奴もいる。能力は持って終わりじゃねぇ。どう使うかで変わる」
「……じゃあ、《万象奪界》も」
口にした瞬間、ガレウス団長の表情が変わった。
「だから焦るな」
「……え?」
「お前の力は人間の中身に触る。便利になることだけ考えて鍛えりゃ、力より先にお前が壊れる」
昨日、《矜持》を奪った直後の感覚が蘇った。
もっと欲しい。
もっと奪いたい。
「……じゃあ、どうすれば」
「体を鍛えろ。判断を鍛えろ」
団長は前を向いたまま続ける。
「それと、自分がおかしくなった時に気づいてくれる奴を作っとけ」
前を歩いていたライラが振り返る。
「なに? あたし呼んだ?」
「呼んでねぇ」
「じゃあ勝手に見張っとく」
「何をだよ」
「ユイトがちゃんとユイトかどうか」
ライラが戻ってきて、俺の手の甲を指先でちょんと突く。
「確認。まだ人間?」
「その確認いらねぇ!」
「いるって。すぐ変な顔するし」
「してねぇ!」
「してるしてる」
くすくす笑う声が、夕暮れの山道に響いた。
掌には、まだ奪った感触が残っている。
でも今日は、その同じ手で、奪われた物をいくつも返した。
しばらく歩いたところで、ガレウス団長が唐突に俺を見た。
「おい、ユイト」
「……なんですか」
「肩が治ったら、訓練を増やす」
「……はい」
「筋肉が足りねぇ」
「そっちですか?」
「能力が強くても、身体がついてこなきゃ意味ねぇ。まず食え」
「どれくらい」
「今の三倍」
「急に具体的ですね……」
ライラがぷっと吹き出した。
「三倍食べたら、ユイトより先に食糧庫が死ぬよ」
「誰のせいで食糧庫が軽くなってると思ってんだ」
「夜食は別腹」
「腹の話じゃねぇよ」
俺たちはそんな軽口を叩きながら、拠点への道を歩いた。




