第3話「恐怖が呼ぶ力」
「ユイト〜、こっちこっち!」
木漏れ日を裂いて、ライラの声が跳ねる。赤橙色の髪が、森の緑の中で火花みたいに揺れた。
「おい、ライラ! あんまり奥に行くなって、レナリア先輩に言われてただろ!」
怒鳴りながら追いかけるのに、俺の足取りはどこか軽かった。拠点の裏手――獣が多く、団員たちも「危険地帯」と呼び、奥までは入らない“灰色の森”。訓練の終わりに森の鳥を一斉に飛び立たせた何かは、結局見つからなかった。
危険だと分かってる。
それでも、引き止めるより先に、ライラの背中を追ってしまう。
……守れなかったことがある人間ほど、止めるのが遅い。
「ねえ、これ! 前に話してた石碑、やっと見つけた!」
ライラの声が、木々の奥から届いた。
今日は食料用の罠を見回り、木の実と薬草を持ち帰る予定だった。獲物が罠にかかっていなければ、今夜の飯は干し肉と固いパンになる。そんな道中で、ライラが以前から探していたものを見つけたらしい。
苔むした岩陰の先。
割れた石碑が、半分だけ土から覗いていた。
いや、石碑だけじゃない。
地面を覆う落ち葉の下から、白い石畳が細く伸びている。太い木の根に持ち上げられ、ところどころ砕けながらも、森のさらに奥へ続いていた。昔は、ここに道があったのかもしれない。石碑には、読めない古い文字が刻まれている。
文字の上には、大きさの違う二つの円が刻まれていた。
その下では、人間と頭に角を持つ何者かが向かい合っている。風雨に削られ、ほとんど形を失っていた。それでも、ここに今とは違う時代があったことだけは分かった。
「……これ、何の石碑だ?」
「分かんない。でも、向こうにも何かあるかも」
ライラが、石畳の続く暗がりを覗き込む。その頭上を、硝子みたいに透き通った羽を持つ青い鳥が横切った。日の光を受けた翼が、青、紫、金へと色を変える。
鳥は一度だけ俺たちを見下ろし、遺跡の奥へ吸い込まれるように消えた。
綺麗だった。
怖いほどに。
この森の奥には、俺たちが知らないものがまだいくつも眠っている。
そんなことを、初めて思った。
「だからって、ひとりで突っ走るな。……危険地帯だぞ」
「だいじょーぶ。ユイトがいるし!」
「……そういう問題じゃねぇよ」
口では怒りながら、俺は石碑の前にしゃがみ込む。
指で苔を払う。
文字の溝に残っていた淡い青色の光が、指先から逃げるように一瞬だけ瞬いた。ひんやりした石の感触が、妙に現実味を持って掌に残る。
――そのとき。
背後の茂みが、ざり、と鳴った。
「……誰だ」
「……思ったより若いな」
低い声だった。
笑いがない。値踏みする目だ。
「灰色の森に入れる程度の腕はある、ってことか」
二人が木々の間から滑り出る。
野盗だ。
先日、森の鳥を一斉に飛び立たせたのは、こいつらだったのか。
服には、泥と乾いた血がこびりついている。剣の持ち方も、慣れ切っていた。
「ガキ一匹と……女か。この女、上物じゃねーか。かなりの値がつく」
怒りじゃなく、仕事の目。
その冷たさが、ただの怒声より怖かった。
「やめろ……!」
ライラが一歩退いた。けど、足が地面に縫い付けられたみたいに動かない。怖い。分かる。訓練の木剣とは違う。本物の殺意がそこにある。
俺は、前に出た。
――守れ。
――また奪われるな。
胸の奥で、黒い熱がうねった。
「金ならねぇ。……帰れ」
「だぁれが帰るかよ」
男の一人が、斜めから踏み込む。
刃が走る。俺は腰の鉄剣を抜き、その一撃を受けた。金属が噛み合う音が耳を裂く。
(速い……!)
腕が痺れる。受けるだけで押し負けそうになる。
もう一人が回り込む。
視界の端で、ライラが息を呑むのが見えた。
「――っ!」
俺が踏み直した途端、木の根に足が引っかかった。
わずかに体勢が崩れる。
(まずい)
そこへ、三人目が木の陰から飛び出した。狙いは俺じゃない。ライラだ。姿を現したばかりなのに、男の視線には迷いがなかった。ライラの位置を探す素振りすらない。最初からそこにいると分かっていたみたいに、刃の先がまっすぐライラへ向いている。
「――っ!」
考えるより先に身体が動いた。俺はライラを突き飛ばし、その前へ踏み込む。動けた。自分でも驚くほど、迷いなく。
だが――刃までは避けきれなかった。
「ぐっ……!」
左肩を刃が走る。焼けるような痛みが、一気に広がった。
鮮血が噴き出す。視界が揺らぐ。
「ユイト……っ!」
ライラの声がひきつる。
俺の中の黒い熱が、さらに濃くなる。
――奪われる。
――また、奪われる。
(やめろ)
肩を掴まれ、引き倒される。
三人目が覆いかぶさり、刃先が喉元へ迫った。
「ガキがァ……死ねやッ!」
息が止まる。
世界が狭くなる。
残る二人の足音が近づく。
――半開きの玄関の向こうで、家族が他人に踏みにじられた夜と同じだ。
今度も、また「間に合わなかった」で終わるのか? 嫌だ。三度目は嫌だ。俺は、奪ってでも――守る。
(くそ……動け……!)
動け。
動けないなら――
その願いに、何かが応えた。
頭の奥で、世界が“軋む”音がした。
視界が反転し、色が薄くなる。音が遠のく。
そして、はっきりと“囁き”が来た。
――奪え。
触れられている左肩から黒紫の光が溢れ、野盗の身体を包んだ。
頭の奥へ、相手の“中身”の輪郭が押し寄せる。
(来た……!)
《万象奪界》が、再び目を覚ました。
――“あの時”は、選んだ自覚すらなかった。
何が並んでいるのか確かめる余裕もなく、本能のまま掴み取っただけ。
……でも今は違う。接触して、ひとつだけ選ぶ。
目の前の男の中に、いくつもの“札”みたいな輪郭が浮かぶ。その瞬間、腹の底の魔力が一気に削られた。
(選ぶだけで、これか……)
弱い筋力。鈍い痛覚。空間把握。薄い魔力。
鋭い視覚。その奥に、それと絡み合った、名前の分からない力がある。
それだけじゃない。恐怖。怒り。殺意。そして、その奥には記憶まであった。何を覚えているのかまでは分からない。
男の視線が、俺を正確に捉えている。
(なら――あの「見る力」を)
俺は、その輪郭を選んだ。
――掴め。
さらに魔力が引き抜かれ、視界が一瞬暗くなる。掌の奥で、何かが“ちぎれる”感覚がした。
「……っ!? な、なんだよ……っ!」
野盗の瞳から、何かが“抜ける”のが分かった。
同時に、俺の中へ何かが流れ込んでくる。
――世界が、透けた。
野盗の服の下にある骨格と筋肉。その腰に隠された短い刃まで見える。
「う、うわっ……! 見えねぇ!? 何も……っ、何も見えねぇ!!」
男はまだ俺の左肩を掴んでいる。もう一度意識を向けたが、《万象奪界》は沈黙したままだった。
一人から奪えるのは、ひとつだけ。
男の刃を転がってかわし、立ち上がる。
距離感を失った男が根につまずく。その鳩尾へ柄頭を打ち込むと、男は膝をついた。
残る二人の足音が近づく。
顔を上げると、木々の向こうに続く地形も、草に隠れた石や木の根も透けていた。茂みの奥には、身を潜める獣まで見える。
ただ、焦点を合わせた場所だけが鮮明で、その周囲は薄い霧をかけたように滲む。
もっと遠く、深くまで見ようとした途端、視界の端に白いノイズが走った。
「っ……!」
目の奥が痛む。情報が多すぎて、頭まで割れそうになる。
(範囲にも、深さにも限界がある……)
俺は目前の野盗へ焦点を戻した。
「……《穿界視》」
口から、名前が漏れた。
正面の野盗が舌打ちし、突っ込んでくる。
「クソガキがぁっ!! 調子乗ってんじゃねえぞ!」
野盗の腹の奥から腕へ、握った剣へと淡い光が流れた。魔力だ。
肩の筋肉が張り、重心がわずかに前へ傾く。
(動く前に……分かる)
これは、ただの透視じゃない。
(踏み込む。重心が前。膝が開く。肩が落ちる――上段)
俺は半歩ずらし、剣を受け流す。
そのまま懐へ潜り、柄で鳩尾を叩いた。
「ふっ!」
硬い感触が手に返る。
野盗が息を詰まらせ、膝をついた。
それでも男はよろめきながら立ち上がり、背を向けて逃げようとした。俺は追いつき、柄頭をこめかみに打ち込んだ。
男の足から力が抜け、落ち葉の上へ崩れる。
最後の一人が青ざめて後ずさった。
「な、なんだよ……! お前、なんなんだよ……!」
野盗の腰が引く。
踵が浮き、重心が後ろへずれた。
――逃げる。
視線をその先へ向ける。
木々の向こうへ焦点を合わせると、男の進路が透けて浮かんだ。
張り出した木の根。低く垂れた枝。その先には、足場の悪い斜面。
(そっちへ行くのか)
未来が見えているわけじゃない。
身体が出す兆しから動きを読み、その先に何があるのかまで拾える。
《万象奪界》を使ったときから、胸の奥に居座る黒い衝動が囁いた。
――逃がすな。
それでも、選ぶのは俺だ。
野盗が身を翻す。
俺は一気に距離を詰め、柄をこめかみに叩き込んだ。
鈍い音がした。
「がっ……」
野盗はその場へ崩れ落ちた。
――これで、戦える奴はいない。
少し離れたところでは、視覚を奪われた野盗が地面を掻きながら、必死に方向を探していた。
……この森で、目を失うってことがどういう意味か。
考えるまでもない。
*
「ユイトッ!!」
ライラが駆け寄り、ふらつく俺を支えて地面に座らせた。
左肩から血が滲み、服が重い。ライラは隣に膝をつき、服の上から傷口を押さえた。
「だ、大丈夫……!? ごめん……っ、あたし……動けなくて……!」
声が震えている。
それでも、傷を押さえる手は離れなかった。
「……謝るな」
息を整えながら、俺は言った。
「ライラが止まるのは普通だ。訓練じゃ、あの目には慣れない」
ライラは首を振った。
「……普通じゃない」
いつもと違う。からかいも強がりもない、剥き出しの声だった。
「あたし、訓練してた。剣も、炎も。ちゃんとやってきたつもりだった」
空いた手を、膝の上で握りしめる。
「なのに……本物の殺意を向けられた瞬間、全部どこかに吹っ飛んだ」
唇を噛む。
「木剣と本物が違うのは分かってた。でも、こんなに違うとは思わなかった」
いつも俺の先を走っているライラが、初めて俺と同じ場所に立っている。
「……次は、動けるかもしれない」
俺が言うと、ライラは少しだけ間を置いて、短く答えた。
「……動けるようになる。絶対」
強がりじゃない。
自分に言い聞かせている声だった。
(俺は……奪った)
守れた。助かった。
なのに掌の奥が冷たい。
誰かの“中身”を握りしめた感覚が、まだ残っている。それに――静かになった途端、遅れてくる。
(……いいな)
(強いな)
(奪えば、もっと――)
嫉妬と羨望が、泥みたいに沈殿していく。戦闘中は熱に紛れていたのに、我に返った瞬間、黒さだけが残る。
目の奥が、ずき、と痛んだ。
さっきまで“透けて”いた森が、急に濁る。焦点が合わない。視界の端が、微かに二重になる。
(……使い続けたら、壊れる)
俺は逃げないと決めた。
隠しごとは癖になる。――ライラが言った通りだ。
「……俺の力、《万象奪界》っていうんだ」
俺は打ち明けた。
触れて、選んで、一つだけ奪えること。
対象は能力だけではない。感情も、記憶も含まれること。
ただし、記憶の中身までは分からないこと。
そして奪ったあとには、他人の持つものを「もっと欲しい」と思う感覚が残ること。使うほど、それが強くなる気がすること。
分かっているのは、そこまでだった。
「そんな力を……ずっと一人で?」
ライラが目を見開き、唇を引き結ぶ。
震えは止まらない。けれど目は逸らさない。
「……怖かった、すごく。でも……」
ライラは一度、息を吸って、言い切った。
「ユイトが使ったのは、あたしを守るためだった。そうでしょ?」
「……ああ」
ライラは小さく頷いて、俺の手を握った。指先が微かに震えているのに、離さない。
「だったら、あたしがユイトの心を守る。ね?」
胸の奥が、じわっと熱くなる。
「……ありがとな、ライラ」
「……うん。任せて」
風が吹く。森の匂いが戻ってくる。
でも、俺の目はもう違う世界を見ていた。
木々の向こう。
土の下。
人の内側。
――《穿界視》を、俺は手に入れた。
俺はもう、ただ守られるだけじゃない。
この力を使って、守れる側へ行く。
たとえ、そのために何かを奪うことになっても。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ユイトと仲間たちの続きを見届けたいと思っていただけたら、ブックマークしていただけると嬉しいです。
毎日20:10に更新しています。




