第2話「嫉妬は人間らしい」
昼下がりの訓練場。
陽射しは強いのに山奥の風は冷たく、汗が乾くと背中がひやりとした。俺は木剣を肩に乗せ、腕の筋肉が悲鳴を上げるのを感じながら、その場に崩れそうになる。
「ふー……もうダメ。腕がもげそう……」
木陰で革の水袋を揺らしていたライラが、わざとらしく首をかしげた。
「えー? まだ午後の部、始まってないよ?」
「お前……鬼か……?」
「失礼だなあ。鬼じゃないよ。優しい先輩だよ? 鬼なら、もげるまで振らせるよ?」
「今まさに振らせようとしてるだろ」
「大丈夫。もげたら、ちゃんと拾ってあげる」
「拾ったあとどうすんだよ」
「今日の夕飯に添える」
「食卓に俺の腕を並べるな!」
ライラは水袋を抱えたまま、けらけらと笑った。
ライラの横にいると、疲れが少しだけ薄くなる。うるさいのに、安心する。……兄妹みたいに。空を見上げると、拠点の屋根の端が見えた。前の世界では、画面の中で勝って負けてを繰り返して、何かをやり遂げた気になっていた。
でも今は、剣を振れば汗をかくし、痛みも残る。逃げた分だけ、何も残らない。
――だから悔しい。だから欲しい。ここで生きるって、たぶんそういうことだ。
ライラが器用にできることが、眩しくて、腹が立つ。そういう感情が自分の中にあること自体が、情けない。
「ねえ、ユイト。今日、魔力制御もやろ」
ライラの声が、急に少しだけ真面目になる。
「……魔力制御?」
「うん。ユイト、魔力は多いのに、操作が雑。力任せですぐバテるでしょ」
言い返せない。
魔力は“能力”を動かすための燃料みたいなものだ。誰でも火を起こしたり傷を治せたりするわけではなく、使えるのは自分が持つ能力だけ。
世の中には能力を二つ三つ持つやつもいれば、ひとつしか持たないやつもいる。大抵の人間は何らかの能力を持っているが、魔力の流し方が下手なら暴発したり、形にならなかったりする。
だから魔力操作がうまいほど、能力も扱いやすくなる――という理屈らしい。
「じゃーん。見て見て、これ」
ライラが掌を上に向ける。
ふわり、と赤い炎が咲いた。ただ燃えるだけじゃない。呼吸に合わせて揺れ、花びらみたいに形を変えて、風に逆らうようにその場で踊る。
「……相変わらず器用だな」
「ま、才能ってやつ?」
「ムカつく言い方すんな」
「ライラ様すごい! ライラ様かわいい!って言いなよ」
「言うか」
ライラは楽しそうに笑う。その笑い方が、訓練場の陽射しみたいにまぶしい。彼女の能力は《紅蓮舞踏》。
炎を生み、操り、紅い刃へ変える。
けれど、その紅刃を何本も同時に浮かべ、それぞれ別の軌道で動かすのは、ライラ自身が磨いてきた魔力操作だった。剣筋に合わせて火を走らせ、逃げ道を塞ぐように操る。派手なのに隙がない。……その無駄のなさが、俺には一番眩しい。
「でもさ、この力も最初から使えたわけじゃないんだよ?」
「はいはい、自慢は――」
「ちがうって。団長に拾われて、ここへ連れてこられたときに目覚めたの」
そう言うライラの笑みが、わずかに薄くなる。
「怖くてさ。知らない大人ばっかりでさ。もう逃げられないって思った瞬間、体の奥が熱くなって……火が出た」
「……」
「で、あたしパニクって拠点の壁ちょっと焦がしてさ」
「へー、ちょっとね」
「うるさい!」
ぷいっとそっぽを向いたまま、肩越しに続ける。
「そのあと、レナリア先輩が教えてくれたんだよ。魔力の流し方も、火の“形”の作り方も」
努力。積み重ね。ライラが、自分で手に入れたもの。
それを俺は、触れて、選んで、一つだけ奪えてしまう。
しかも奪ったあとには、他人の持つものが前より眩しく見える。
「もっと欲しい」という渇きが、胸の底に澱のように残る。
「……ユイト」
気づけば、ライラが俺の顔を覗き込んでいた。
「さっきから、顔こわい」
「……そうか?」
「うん。あたしが火出したら、嬉しそうにムカついてる顔」
「最悪の表現だな」
「それって、もしかして嫉妬?」
やめろ。冗談みたいに軽いのに、逃げ道がない。
俺は息を吐いて、正直に言った。
「……しょうがないだろ。悔しいもんは悔しい」
ライラは小さく頷き、少しだけ笑う。
「うん。嫉妬って、人間らしくて好きなんだ」
「……好き?」
「うん。悔しいとか羨ましいとかって、何かを“欲しい”って思える気持ちじゃん。生きてる証拠」
「ユイト、前よりちゃんと悔しがってる。前は、悔しがる前に引っ込んでたもん」
その指摘は責めじゃなかった。むしろ、背中を軽く叩かれた気がした。
俺は、怖い質問を口にしてしまう。
「……ライラ。もし俺が、お前の才能を奪ったら、どうする?」
ライラは驚いた顔をした。けれど目を逸らさない。
「もしもの話? んー……最初は泣くかも」
「……だよな」
「でも、それでもユイトが生きるためだったら、いいよ」
思わず息を呑んだ。許されていいのか。奪うことでしか生き延びられなかった俺が。
ライラは指を一本立てる。
「その代わり。奪った分、あたしの分まで強くなってね。じゃないと許さないから」
冗談っぽい。けど目は真剣だった。
それがあまりにもライラらしくて、胸が熱くなる。
「……お前、ほんと変なやつだな」
「ユイトに言われたくない」
ライラが俺の額を、指先でちょんと突く。
「大丈夫。何を気にしてるのかは分かんないけどさ。悔しいって思えるユイトなら、きっと乗り越えられるよ」
俺は頷き、魔力の流れに意識を向けた。
*
夕方。訓練場の片隅で、レナリア先輩の木剣が唸った。
「腕だけで振るな。踏み込みに合わせて腰を回せ」
「は、はいっ……!」
木剣が肩口を掠め、遅れて髪が揺れた。
「……ッ、今の、避けれた……?」
「たまたまだ」
先輩はそう言いながら、ほんのわずかに口元を緩める。
「でも、少しずつ良くなっている」
その一言が嬉しくて、俺は拳を握りしめた。――前に進めてる。そう思いたかった。
*
夜。囲炉裏の火が爆ぜ、団員たちは酒と飯を囲んで笑っている。
俺とライラは隅でパンとスープ。
「今日のユイト、なかなかやるじゃん」
「そりゃレナリア先輩とお前にボコされ続けてりゃ、少しはな」
「ふふん。明日はもっとボコるから覚悟しといて」
「鬼だわやっぱ……」
温もりがある。人と過ごす時間が、ちゃんと“自分の時間”になっている。
――なのに、胸の奥には黒いものが沈んでいる。
《万象奪界》。奪う。近道。楽になる甘さ。勝つために、守るために――と言い訳を並べれば、何でも正当化できてしまう。その言い訳ごと、いつか自分が信じてしまいそうで怖い。
「……ねえ、ユイト」
ライラが木のスプーンをくるくる回しながら、何でもないように言った。
「ユイトの“能力”って、結局なに?」
心臓がひゅっと縮む。
この世界では多くの人が、魔力の育つ十歳ごろに神殿で祝福鑑定を受け、自分の能力の傾向を知る。
けれど俺は、その年頃には身分札を持たない盗賊団の子どもだった。正規の神殿へ入れば、能力より先に身元を調べられるため、祝福鑑定を受けられなかった。
十年近く一緒にいるのに、俺は自分の能力を曖昧にしたままだ。ライラの問いは、優しいのに鋭い。
「……魔力が、ちょっと多いだけだよ」
嘘ではない。魔力量が多いのは事実だ。ただ、それだけじゃない。
「えー、絶対ちがう。あたし、勘いいんだよ?」
笑ってごまかし、逃げるようにパンを口へ押し込む。うまく飲み込めず、喉につかえた。嘘まで一緒に引っかかっているみたいだった。
「そのうち、ちゃんと話す」
自分でも曖昧だと思う返事を吐き出す。
ライラはじっと俺を見て――ふっと笑った。
「……そっか。じゃあ、待つ」
少しだけ優しい沈黙。
けれど、すぐに身を寄せて悪戯っぽく囁く。
「でもさ。隠しごとって、癖になると怖いよ?」
「脅しか」
「忠告〜♪」
そこでライラは、珍しく視線を落とした。
「……あたしも、ずっと隠してることあるし」
「……お前が?」
「うん。だから、おあいこ」
それだけ言って、また木のスプーンをくるくる回し始める。
俺も聞かなかった。
聞けなかった、が正確かもしれない。
嫉妬は人間らしい。
なら、奪ったあとに残るあの渇きも、同じものなのだろうか。
答えは出なかった。
隣で、俯いたライラの瞳だけが小さく揺れていた。
怖さを忘れたら終わりだ。そう分かっているのに――胸の奥の黒い声は、今日も小さく笑っていた。




