第1話「火花の朝」
「ユイトー! 生きてるぅ〜?」
朝から拠点の寝室に響き渡る、不穏なくせにやけに元気な声。案の定、その主はライラだった。
「……生きてる。あと、お前はノックを覚えろ」
「ノックしたら起きちゃうじゃん」
「起こしに来たんじゃないのかよ」
「起こすだけじゃ、つまんないでしょ?」
毛布の端を勢いよく引っ張られ、俺は半分転がるように起き上がった。眠気より先に、頭の中に“いつもの”調子が流れ込んでくる。
頭のてっぺんで無造作に団子状に結った赤橙色の髪が、ほどけかけている。ライラが笑うたび、逃げ出した後れ毛が火花みたいに跳ねて、肩にかかるボブの毛先まで一緒に揺れる。琥珀色のいたずらっぽい目と、よく通る明るい声。
目の前の少女は、俺の一日を乱暴に始めて、乱暴に終わらせる。厄介なくせに妙に安心もさせるやつだ。
「ほらほら、起きろ起きろ〜。先にごはん食べちゃうよ〜?」
「……昨日の訓練のせいで体が重いんだよ」
「じゃあ肩揉んであげよっか? あたし、力には自信あるよ〜?」
「絶対なんか裏がある」
「裏? ないよ。表だけ。善意100%」
「信用度0%なんだよなあ……」
軽口を叩きながらも、俺は布団をたたむ。
朝、誰かに名前を呼ばれること。
それだけで、昔の俺なら息が詰まっていた。でも今は、ライラの騒がしい声だけが、俺を悪夢から引き戻してくれる。こういうやり取りが当たり前になったのは、いつからだろう。
――いや、答えは分かっている。
俺が拾われたとき、ライラはすでにここにいた。俺より小さくて、ガリガリで、やたら目だけが強かった。ガレウス団長の背中を、必死に追っていた。
だから俺が来た日、ライラは偉そうに腕を組んで、こう言ったのを覚えている。
『あんた、泣く? ……泣いたら殴るよ?』
『最悪の励ましだな』
『最悪だけど、ここはそういう場所。泣いてもいいけど、立てないなら置いてかれる』
それでも、あいつは俺の隣に座ってくれた。飯の食い方も、剣の握り方も、寝床の取り合いも――全部、あいつと一緒に覚えた。
幼馴染って言葉は、どこか綺麗すぎる。
俺たちはもっと雑で、もっと近くて、もっと面倒くさい。
兄妹みたいに、遠慮がない。
兄妹みたいに、遠慮ができない。
――そういうことにしておけば、この距離に別の名前をつけずに済む。
「ユイト、ぼーっとしてないで。顔洗ってきて」
「お前、母親か」
「母親じゃない。先に拾われた先輩」
「年下のくせに」
「年下でも先輩は先輩。はい、起立」
「いや、寝室で号令かけるな」
押し出されるように部屋を出る。廊下の壁には、手入れ途中の短剣や弓が無造作に掛けられている。山奥の古びた屋敷を無理やり改造したこの拠点では、男も女も関係なく、団員たちが一つ屋根の下で寝起きしていた。
基本は二人一部屋。この盗賊団は、ガレウス団長を含めて九人。けれど拾われた当初、組む相手がいなかった俺は、一人部屋をあてがわれた。
……それをいいことに、ライラがこうして毎朝のように侵入してくる。
食堂に行くと、すでに仲間たちが朝食を囲んでいた。
「おはよー、ユイト」
「遅いぞ坊主! パン残ってねぇぞ!」
「ほら、あたしの分、ちょっとあげるから。ちゃんと起きなさいよね」
ライラが自分のパンをちぎって寄越してくる。優しさなのか、からかいなのか。――まだ俺には判断がつかない。
(……いや、こいつは“からかうついで”だ)
そう思っておかないと、胸が変に落ち着かなくなる。
「今日は朝から訓練だ、ユイト。昨日の“構え”の続き」
静かな声に、俺の肩がわずかに強張った。
レナリア先輩。
すっと伸びた背筋に、無駄のない立ち姿。整った顔立ちは綺麗なのに、まっすぐこちらを見る目には剣みたいな鋭さがある。盗賊団の中でも剣の“筋”が違う女剣士だ。
団長以外で、先輩から一本取った団員を、俺は見たことがない。
ただ、そこに立つだけで周囲の空気が張りつめる。まるで戦場の匂いが混ざるみたいに。
団員たちも自然と背筋を伸ばした。
噂では帝国軍にいたらしいが、詳しいことは誰も知らない。
「今、焦ったね」
レナリア先輩が静かに言った。
「え?」
「魔力が波立った。剣先より先に、心が崩れてる」
……この人には、人の心や魔力の揺れが“波”みたいに見えるらしい。
ライラが、にやにやしながら俺を見る。
「ふふ、今日のユイト、怒られなきゃいいけどね?」
「プレッシャーかけんなよ……」
「愛だよ、愛っ」
「その“愛”、木剣で殴ってくるやつだろ」
団員たちがどっと笑った。
前世で失ったもの。もう戻らない日々。
でもここには、仲間がいて、食卓があって、俺を叩き起こしてくる奴がいる。
――これが、俺にとっての“家族”だった。
前の世界では、家族が同じ家にいても、俺は自分から部屋へ籠もっていた。呼ばれても「あとで」と返して、画面の向こうばかり見ていた。
こっちで家族を失ったあとは、もう誰かを家族だと思うことすら怖かった。
それが今は、朝から布団を剥がされて、パンを分けられて、木剣で殴られている。
「……ユイト、何ニヤついてんの?」
ライラが怪訝そうに覗き込む。
「ニヤついてねぇ」
「いや、今ちょっと笑ってた」
「気のせいだ」
「気持ち悪」
「お前が言うな」
また笑いが起きる。
昔の俺なら、こんな騒がしさを面倒だと思ったかもしれない。
でも今は、この騒がしさがなくなる方が、ずっと怖かった。
拾われてから十年。
雑用、荷運び、見張り、地図の写し作りなら何度もやった。剣も、自分の身を守るための最低限だけは教わっている。だが、前線へ出るための訓練を始めたのは最近だ。ガレウス団長が、俺を正式な戦力として扱うと決めてからだった。
*
訓練場には朝霧が薄く残り、竹の囲いの中で俺とライラが向かい合った。木剣の柄は汗で滑り、握り直すたび指の皮が痛む。
「今日は“受け”と“間合い”。攻め急がないで。守りを崩さない」
レナリア先輩の声に、俺たちは構える。
「じゃ、いくよー!」
ライラが踏み込み、木剣を袈裟に振り下ろした。
俺は胸の前で受ける。木剣がぶつかった瞬間、衝撃が手首まで突き抜けた。
「いてぇ……!」
「今の、受けたっていうより当たったって感じだったね」
「うるせぇ……!」
構え直す間もなく、側面からの一撃が飛んでくる。
俺は遅れて反応し、足がもつれる。
「って、またかよ!」
転がる。土が口に入る。
……日常だ。日常なんだけど。
(……くそ。悔しい)
胸の奥が熱くなる。
ライラは俺より二つ年下で、俺より小さくて細いのに、剣の当て方が上手い。体格の差じゃない。積み重ねてきた経験が違う。
「……なんでそんなに動けるんだよ、お前」
「そりゃあ、ユイトより先に拾われて、ユイトより先に転んで、ユイトより先に怒られてきたからね〜♪」
軽く言うのが、腹立つ。
でもその言葉が、妙に刺さる。
俺が来る前から、こいつはここで必死に生きてきた。
それを、誇らない。見せびらかさない。
だから余計に、眩しい。
俺が歯を食いしばった瞬間、ライラがぐいっと顔を近づけた。
「……ねえ、今の顔」
「は?」
「あたしに負けたの、そんなに悔しい?」
「……うるさい」
「分かりやす」
「うるさい!」
「もう一回」
俺が言うと、ライラはニッと笑った。
「お、やる気じゃん。じゃ、ちゃんと受けてね」
立ち上がり、木剣を握り直す。
レナリア先輩が、少しだけ頷いた気がした。
*
昼食後、団員たちが木陰で仮眠を取る中、俺とライラは川辺にいた。冷たい水が指先を撫で、身体に残った訓練の熱を少しずつ冷ましていく。
「……なぁ、ライラ」
「ん?」
「……なんで、俺にそこまで構ってくるんだ?」
一瞬、ライラの手が止まった。
水面を見つめたまま、言葉を探すように唇を動かす。
「んー……何でだろうね」
「適当だな」
「適当じゃないし。……たぶん」
ライラは小石を拾って、水面に投げた。
ぽちゃん、と音がして、波紋が広がる。
「ユイトってさ、ここにいるのに、たまに“いない”顔するんだよね」
「……は?」
「遠く見てるっていうか。誰にも触らせない場所があるっていうか……」
胸が少し締まった。
言ってない。前世のことなんて、誰にも。でも、こいつには匂いみたいに伝わってる気がする。
「……放っておけないんだよ。先輩だし。姉みたいなもんだし」
「年下のくせに姉ぶるな」
「先に拾われた方が姉なの。だからさ、ユイトが勝手に遠く行くの、むかつく」
むかつく、って言葉が妙に優しい。
「それに――」
「それに?」
「……別に。いろいろあるのっ」
バシャッ、と水を跳ねさせて話を濁す。
ライラは視線を水面に落とした。
横顔が、少しだけ赤く見えた。
*
夕方、拠点裏の訓練場。俺とライラが稽古を終える頃、ガレウス団長の周りでも、団員たちがそれぞれ武器を収め始めていた。
全身は汗だくで、肩は痺れ、脚は棒のようだった。
でも、なぜか心は軽い。
「剣ってさ、一人で振ってるより、誰かとやる方が……ちゃんと前に進んでる気がするな」
俺が呟くと、ライラは鼻で笑った。
「ふーん、珍しく良いこと言うじゃん」
「やかましい」
「そのまま続けなよ。ユイト、そういうの似合う」
似合う、って言葉が、やけに胸に残る。
この日常が、ずっと続けばいい。
そう思った――そのとき。
遠くの森の方角から、鳥が一斉に飛び立つ音がした。ばさばさ、と羽音が重なり、空気がざわつく。
「……なんだ、今の」
俺が顔を上げると、団員の何人かも同じ方向を見ていた。
ガレウス団長は、何も言わない。
ただ、森の影を睨むように見つめている。
その横顔に、笑いはなかった。
「……早めに戻るぞ」
それだけなのに、胸の奥が嫌に冷えた。
俺は木剣の柄を握り直す。
反射的に、ライラの位置を確認していた。
嫌な予感だけが残った。




