第7話「残ったもの」
ルキアノスの赤い目が、俺を捉えていた。
右手には剣。左腕にはライラの身体がかかっている。セレナも反対側から支えていたが、重みは少しずつ増していた。
ルキアノスが歩き出した。
右肩は下がり、脇腹と胸から血を流している。細身の剣の切っ先が、一歩ごとに土を掠めた。
団長たちがつけた傷だ。
まだ、こっちへ来るのか。
「来るな!」
剣を向けても、切っ先が震えた。男の足は止まらない。
近づいてくる腕を見た。あそこに触れて、あの力を奪いたい。
俺は剣を地面へ落とし、右手を伸ばした。
掌に黒紫の光が集まる。
――《万象奪界》。
ルキアノスの歩みが、わずかに鈍った。土を掠めていた剣先が持ち上がる。
あと一歩だ。あいつが近づけば、届く。
俺は指を伸ばした。
左腕が、ぐっと下へ引かれた。
ライラの膝が折れていた。
「ライラ!」
右手はまだ、ルキアノスへ向いていたが、俺はその手を引き戻した。
黒紫の光が消え、両腕で抱き留めると、セレナも必死に支えてくる。脇腹に痛みが走ったが、腕を緩めるわけにはいかなかった。
ライラの頭が、俺の胸元へ触れた。浅い息が聞こえる。
俺はそのまま顔を上げた。
ルキアノスは、訓練場と森の境で止まっていた。赤い目が腕の中のライラから、光の消えた右手へ移る。
「……なるほど」
「……何で俺を見てる」
「そちらを選ばれましたか」
男の視線が、ライラへ戻った。
「最低……」
胸元で、掠れた声がした。ライラが顔を上げる。
「団長と戦いたかっただけなら、ほかのみんなまで殺す必要なかったでしょ!」
「お退きくださいとは申し上げました。残られたのは、皆様の選択でございます」
言葉が出なかった。
こいつが来なければ、みんな今も食堂にいた。セドも、ヴィンクも、ティモンも。誰も、あんなところに倒れていなかった。
セレナがライラを支える腕に力を込めた。
「父も母も……わたしも、あなたを信じていました。二人の心を変えておいて、父と母が選んだことにしないでください」
声が震えていた。セレナは一度言葉を切り、掠れた声で続けた。
「二人を、元に戻してください」
赤い目が、セレナへ向いた。
俺はライラを抱き寄せた。落とした剣は足元だ。拾おうとする間に、目の前の剣が届く。
ルキアノスはセレナの願いに答えず、血の流れる右肩へ目を落とした。
「皆様に負わされた傷は、浅くございません。今宵は、ここまででございます」
細身の剣が、乾いた音を立てて鞘へ収まった。
その音を聞いても、俺は腕の力を抜けなかった。
ルキアノスの目が、セレナから俺へ移る。
「次は何を奪えば、あなたは何になるのでしょう」
「あたしたちは、あんたの見世物じゃない!」
ライラが叫んだ。
「もう誰も奪わせない」
喉から絞り出した。
「次に会ったら、俺がお前を殺す」
「それは楽しみでございます」
ルキアノスは一礼した。
「それでは、またお会いしましょう」
そのまま背を向け、折れた竹の囲いを越えていく。黒い外套が木々の間へ消え、足音も聞こえなくなった。
セレナは何か言いかけ、唇を噛んだ。ライラを支えたまま、男の消えた森を見つめている。
俺はまだ、そちらを見ていた。戻ってくるかもしれない。あの声がもう一度聞こえたら。
夜風が木々を揺らしただけで、身体が強張った。
どれくらいそうしていたのか、分からない。
俺はようやくライラをセレナへ預け、足元の剣を拾った。鞘へ戻そうとして、先が一度外れた。やり直して納めたが、手はまだ震えていた。
訓練場からは何も聞こえない。さっきまで、団長の声も剣の音も、ここまで届いていたのに。
「……行こう」
ライラが顔を上げた。見ているのは、ルキアノスが消えた方ではなかった。
「みんなのところへ戻る」
セレナの肩を借りて足を踏み出す。すぐによろめき、俺は反対側へ回って支えた。
「ライラ、無理するな」
「するよ。みんなを置いていけるわけないでしょ」
俺たちは訓練場へ戻った。さっき離れたばかりの場所なのに、やけに遠い。足元の竹を避け、ライラの足が止まるたびに立ち止まった。急ぎたいのに、これ以上速く歩けば、また転ばせてしまう。
折れた竹を越えると、地面に倒れた仲間たちが見えた。
ヴィンクのそばには、鎖が落ちている。セドとルフスはすぐ近くに倒れていた。ティモンも、ネストルも、俺たちが逃げ出したときの場所にいた。
誰も動いていない。
その先で、団長とレナリア先輩が寄り添うように座っていた。
「団長!」
ライラが腕を振りほどこうとした。支えが外れた膝が折れ、俺たちまで引かれて地面へ崩れる。
ライラは土に手をつき、二人へ這うように近づいた。俺も膝をついたまま進み、団長の肩へ手を伸ばす。
「団長……」
触れた身体には、まだ温かさがあった。
俺は手を離せずに、胸が動くのを待った。呼んだら、いつもみたいに顔を上げてくれないか。
何も動かなかった。
大剣は、すぐそばの地面に横たわっている。
先輩の頭は、団長の肩へ触れたままだった。ライラが震える指で、その頬に触れる。
「レナリア先輩。戻ってきたよ」
何も返ってこなかった。




