第6話「団長だから」
「レナリア先輩!」
森を出ようとした俺の隣で、ライラの膝が折れた。
「ライラ!」
セレナ一人では支えきれず、二人が傾く。俺は左手でライラの腕を掴み、反対側から身体を支えた。右手の剣を外へ向けて、刃を二人から遠ざける。
「離して、ユイト……」
「離したら倒れるだろ!」
セレナと一緒に森の奥へ一歩下がった。もう一歩進もうとすると、ライラの身体が腕にずしりとかかる。
脚に力が入っていない。俺は足を止めて抱え直し、セレナと歩調を合わせてまた下がった。顔を上げると、木々の間から訓練場で斬り結ぶ三人が見えていた。
「来るな、ユイト!」
団長はこっちを見ずに怒鳴った。
喉へ伸びた細身の剣を、右から入った先輩の剣が弾く。その下を大剣が横へ走り、ルキアノスの外套の裾を裂いた。
どくん。
団長の膝が揺れた。倒れるかと思ったが、次の鼓動でまた伸びる。
あれだけ血を流して、まだ《鋼心》を止めない。俺たちを逃がすまで立っているつもりなのか。支えたライラの身体を、左腕で抱き寄せた。
「右です!」
団長が大剣の柄を突き出し、回り込んできた鞘を押し返した。その脇から先輩の剣が伸びる。狙うのはルキアノスの左脇。細身の剣で外されても、手首を返して今度は剣を持つ手へ向かう。
ルキアノスが右手を引くと、切っ先は喉へ迫った。鞘が間に入る。だが、先輩の剣はその上を滑り、もう右膝へ振り下ろされていた。
男が剣と鞘を防御へ回し、一歩退く。先輩は追わずに身を沈めた。
その頭上を、大剣が通り過ぎる。
ルキアノスがさらに下がった。先輩は団長を振り返りもしない。後ろからあんな大剣が来るのに、しゃがむタイミングを一度も迷わなかった。
「あなたも、見過ごせませんね」
「今さらね」
「何年一緒にいると思ってやがる」
先輩が団長の横で剣を構え直す。
「空いた場所は、私が埋めます」
「空きすぎだ。馬鹿」
ルキアノスの笑みが深くなった。
赤い目が淡く光る。身体から魔力が溢れ、森の入口にいる俺まで、息が詰まった。
脚に絞った《穿界視》の中で、魔力の流れがまた太くなっている。これだけ戦って、まだ増えるのか。
「その目に、その馬鹿みてぇな魔力……てめぇ、人間じゃねぇな」
団長が切っ先を向ける。
「魔族か」
「ええ」
「魔族……? 人間ではない、ということですか……?」
ライラを挟んだ向こうで、セレナの足が止まった。俺を見たが、答える間もなく訓練場へ顔を戻し、大きく息を吸い込む。
「ルキアノス!」
声が裏返った。剣のぶつかる音に負けないよう、セレナは声を振り絞った。
「なぜ、こんなことをするのですか! 父は、あなたを信じていました!」
団長と先輩が左右から迫る。ルキアノスは二つの刃の間へ入り、剣と鞘で外へ押し広げながら、こちらへ顔を向けた。
「陛下には感謝しております。国を守りたいという、あれほど美しい願いを見せていただきましたから」
よく通る声が、訓練場を越えて届いた。
「わたくしは、その願いが何よりも強くなるよう、少し育てて差し上げただけです」
ライラを支えるセレナの腕が、震えた。
「父の様子がおかしくなったのは……」
傍にいる俺へ、かろうじて届く声だった。セレナは唇を震わせ、息を吸い直した。
「あなたが、父を操っていたのですか! 母にも、同じことをしたのですか!」
「妃殿下にも、同じお手伝いを。もっとも、選ばれたのは、お二人ご自身です」
大剣をかわした男が、何でもないことのように答えた。
セレナは口を開いたまま、動かなかった。ライラの肩を掴む指に力が入り、呼吸だけが浅く速くなっていく。
「セレナ」
俺が呼んでも、こちらを見ない。あの男から目を離せずにいる。
「父と母を……返してください! 二人を――」
「嬢ちゃん! そいつと話してる場合じゃねぇ!」
団長の怒声が遮った。
銀色の刃が先輩の頬を掠める。血が流れても、先輩は団長の前へ回り、次の一撃を受け止めた。
「早く逃げろ! ユイト、二人を連れていけ!」
セレナは開きかけた口を閉じた。俯いた拍子に、涙がライラの肩へ落ちる。
俺はライラを抱え直し、セレナへ頷いた。向こうからも、小さく頷きが返る。二人で身体を支え、森の奥へ足を向けた。
けれど、ライラは足を持ち上げることもままならなかった。木の根を越えるだけで膝が折れかけ、俺たちは数歩進んだところで立ち止まる。
訓練場から、また剣のぶつかる音がした。顔を上げると、木々の間に団長の背中が見えた。
団長が大剣を低く構え、踏み込んだ。左脇から血が噴き出す。止まらずに地面すれすれを薙ぎ、ルキアノスを跳ばせた。
その先には、先輩がいた。
下から突き上げた刃が右肩へ食い込み、黒い外套が赤く染まる。着地した男の右腕が下がり、剣先が土を掠めた。
今なら。
団長も、もう踏み込んでいた。ルキアノスが剣と鞘を交差させて受けたが、大剣に押され、両足が土を削る。一歩、二歩。男は訓練場の端まで押し戻された。
「素晴らしい」
肩から血を流して、まだ笑っていた。《闘宴昇華》で魔力は増え続けている。けれど、剣を持つ腕は下がったままだ。
あそこを、もう一度狙えれば。
「これほどの方々を失うのは、実に惜しい」
「殺してる奴が言うな」
団長が大剣を担ぎ、先輩が右へ並ぶ。顔も見合わせずに二人は動いた。団長が正面から、先輩は横へ回る。
ルキアノスが地面を蹴った。
大剣が下りる前に、懐へ入る。細身の剣が団長の腹へ向いた。
「駄目だ!」
避けてくれ。
なのに、団長は自分から前へ出た。
銀色の刃が腹へ深く沈む。
「団長!」
口から血がこぼれた。それでも団長は倒れず、大剣から左手を離してルキアノスの右腕を掴んだ。剣が刺さったまま、男を離さない。
「レナリア!」
「はい!」
先輩の剣が首へ迫った。ルキアノスが左手の鞘で受けると、先輩は手首を返し、鞘に沿って刃を滑らせた。肩が裂ける。
ルキアノスの笑みが消えた。
膝が団長の腹へ入った。団長が折れ曲がり、掴んでいた腕が抜ける。細身の剣が腹から引き抜かれた。
その刃が、止まらずに先輩へ向かう。
「レナリア先輩!」
胸を斜めに裂かれ、先輩の身体が揺れた。俺はライラを支えたまま、前へ身を乗り出していた。
先輩は剣を離さない。もう一歩踏み込み、ルキアノスの脇腹へ突き立てる。男が下がったところへ団長の大剣が走り、外套と、その下の胸を浅く裂いた。
ルキアノスが大きく跳び退く。
大剣が、団長の手から落ちた。
片膝をついた団長の隣で、先輩も剣を支えに立っている。まだ立っている。そう思ったのに、握っていた指が緩み、身体が横へ傾いた。
団長が背中を受け止めた。二人は、そのまま土の上へ座り込む。
ルキアノスは追ってこなかった。右肩と脇腹、胸から血を流し、二人の前で足を止めている。
剣の音が途切れると、団長の掠れた声が聞こえた。
「……三人は」
「森へ行かせました」
「そうか」
先輩が、団長の腕の中で小さく息を吐く。
「団長は、最後まで団長ですね」
「団長だからな」
俺はライラを支える腕に力を込めた。団長はまだ喋っている。先輩も答えている。
だったら、もう休んでくれ。二人とも、それ以上喋らなくていいから。
「私は……団員失格でしょうか。最後の命令を聞きませんでした」
「今さら、一回くらい命令を破ったからって追い出すかよ」
先輩の口元が、わずかに緩んだ。
「それなら、よかったです」
頭が団長の肩へ触れた。
そのまま、動かなくなった。
「レナリア」
返事がない。団長は、先輩の背中へ回した腕を解かなかった。
顔がこちらへ向く。
目が合った。
まだ、ここにいます。
そう言おうとした俺に、団長の唇が動いた。
――行け。
先輩を支えていた手から力が抜けた。団長の身体が、先輩へ重なるように傾く。
大剣は土に横たわったままだ。
次の鼓動を待った。さっきみたいに、もう一度膝が伸びるのを。
何も聞こえなかった。
「団長……」
呼んだつもりなのに、掠れた息しか出てこない。
二人とも、動かなかった。
ルキアノスが憎い。
殺したい。
そのための力が欲しい。
団長と先輩を倒した、あの速さが。あの剣の技が。あの魔力が。
欲しい。
ルキアノスの赤い目が、ゆっくりと俺へ向いた。
その笑みが、再び深くなった。




