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奪うほど欠けていく俺は、今度こそ居場所を守りたい ~能力も記憶も感情も奪う《万象奪界》の異世界盗賊譚~  作者: 色乃理
第五章 奪われる場所

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第1話「ルキアノス」

 「……名を名乗れ」


 さっきまで酒瓶を取り返そうとしていた団長の声が、低くなった。

 玄関へ向かったティモンは、扉を開けずに脇へ寄っている。ヴィンクも席を立ち、音を立てずに反対側へ回った。セドが腰の剣へ手を置いたのを見て、俺も自分の剣を確かめる。

 ルフスとネストルは食卓を離れ、窓際と食堂の奥へ分かれた。隣では、ライラの右手が食卓の下へ隠れる。さっきまで俺の椀に伸びてきていた手だ。もう、肉の話をする顔ではなかった。


 「これは失礼いたしました。わたくし、ルキアノスと申します」


 扉越しの声は相変わらず穏やかだった。団長に名乗れと言われても、少しも慌てた様子がない。

 カラン、と向かいで音がした。セレナのスプーンが椀に落ちていた。


 「ルキアノス……?」


 椅子を引いて立ち上がったセレナを、モチくんが見上げる。


 「知ってるのか」

 「はい。王城で、少し前まで父に仕えていた方です」


 セレナは団長に答えながらも、扉から目を離さなかった。

 王城の人間。セレナを連れ戻しに来たのか。


 「……おや。セレナ殿下も、こちらにいらしたのですか」


 今、初めて気づいたような声だった。

 それきり、男は何も聞かない。無事だったかとか、どうしてここにいるのかとか。父親に仕えていた人なら、まず気になるんじゃないのか。

 隣へ目をやると、ライラも眉を寄せていた。


 「道を尋ねに来たんじゃなかったのか」


 団長は長椅子の背に身体を預けたまま、扉へ声を投げた。


 「尋ねたかったのは、こちらへ続く道でございます。実に巧く隠されておりましたので、少々時間がかかってしまいました」

 「最初から、ここを探してたってことか」

 「はい」

 「王都からここまで、どうやって追った」

 「王都へ戻った騎士の方々の報告から交戦地点を割り出し、そこに残された馬車の跡を辿りました。それでも三日かかりましたが」


 三日。

 俺たちがここで飯を食って、傷を休めていた間、この男はずっと後を追っていたのか。


 「ティモン。顔が見えるだけ開けろ。中へ入れるな」


 扉が細く開き、冷たい夜風が煮込みの匂いに混じった。俺は席から腰を浮かせ、隙間の向こうを覗く。

 長身の男が一人、立っていた。銀灰色の髪が片目にかかり、上等そうな黒い服の上に長い外套を羽織っている。暗い赤の裏地が見えた。俺がそんな格好で山道を歩いたら、枝に引っかけるか、泥で汚すか、たぶん両方だ。

 ところが、男の服には泥もついていない。息も乱れていなかった。右手に持った黒い杖には細かな飾りがあり、山を登るためというより、服に合わせて選んだように見える。

 顔を見ようとすると、髪の間から覗く赤い目とぶつかりそうになった。


 「夜分に押しかけましたこと、お詫び申し上げます」


 男――ルキアノスは、空いている手を胸へ添えて頭を下げた。顔を上げると、また穏やかに笑っている。

 ティモンとヴィンクが扉の両脇にいる。隙間だって、人が通れるほどは開いていない。それを確かめても、俺は剣から手を離せなかった。

 とりあえず、右手だ。あの杖がただの杖かどうかくらいは、調べられる。


 《穿界視》を開き、男の右手と杖だけに目を凝らした。黒い表面が透けると、持ち手の下から先端近くまで、細長い刃が見えた。

 剣を仕込んでいる。

 握っている手へ焦点を移したところで、今度は魔力の流れに目を奪われた。指から腕へ、細い一筋が通っている。細いのに、流れている量が多い。しかも、少しも揺れない。

 どうやって、こんなに綺麗にまとめているんだ。俺がどれだけ集中しても、こんなふうにはできない。笑って人と話しながら、それを保っているなんて。

 腕だけでこれなら、ほかはどうなっている?

 つい全身へ視野を広げかけた途端、黒い濁りが押し寄せた。まずい、深く見すぎた。慌てて《穿界視》を閉じると、元の黒い服が目に戻ってきた。


 怖いのに、もう一度見たいと思ってしまった。

 何のために杖を調べたんだ、俺は。


 「何か、気になるものでもございましたか?」


 顔を上げる。ルキアノスの赤い目が、まっすぐ俺を見ていた。


 「……その杖。中に剣がある」


 ティモンとヴィンクの視線が、男の右手へ落ちる。ルキアノスは隠すどころか、見せるように杖を少し持ち上げた。


 「ええ。旅の道中は何かと物騒ですから。護身用でございます」

 「護身用にしちゃ、随分使い込んでるな」


 ヴィンクに言われて見れば、杖の下の方には細かい傷がいくつも重なっていた。ただ地面を突いてできた傷には見えない。


 「物持ちがよいもので」


 笑みを崩さずに答える男へ、セレナが食卓を回って近づこうとした。モチくんが慌てて後を追い、彼女の前に回り込んで両腕を広げる。セレナはその後ろで足を止めた。


 「ルキアノス。王都はどうなっていますか。父は――」

 「申し訳ございません、殿下」


 柔らかい声が、セレナの言葉に重なった。


 「今宵の目的は、殿下ではないのです」

 「では、なぜここに?」


 ルキアノスの目が、セレナを通り過ぎた。俺もその先を追い、長椅子に座っている団長を見る。


 「そちらの方に、お会いするためでございます」


 長椅子が床を擦った。団長が食卓に手をついて立ち上がろうとして、レナリア先輩がすぐに腕へ手を伸ばす。


 「団長、立たないでください」

 「客が俺に用だって言ってんだ。座ったままじゃ話しにくい」

 「傷が開きます」

 「話が終わったら寝る」


 先輩の手を断り、団長は俺たちと扉の間へ出た。左脇を庇っているせいで、普段より歩くのが遅い。それでも、団長が前へ出ると、俺は少し息を吐いていた。

 扉の向こうでは、ルキアノスの口元がゆっくり緩んだ。さっきまでの挨拶の笑みとは、少し違って見えた。


 「なるほど」

 「何がだ」

 「左脇に深い傷を負っておられる。それでも、ご自分より先に仲間を逃がせる位置へ立たれました」


 赤い目が、団長の足元から肩まで動く。


 「負傷してなお、その場にいる誰よりも強い。噂以上でございますね」

 「見ただけで知ったような口を利くな」

 「おっしゃる通りです。ですから、確かめに参りました」


 団長が目を細めた。


 「俺の名を知ってるのか」

 「もちろんでございます」


 ルキアノスは黒い杖を身体の前へ立てた。


 「〈奪還の獅子〉ガレウス殿。以前より、ぜひお会いしたいと思っておりました」

 「俺はてめぇなんざ知らねぇぞ」

 「それは仕方がございません。わたくしは、王都からほとんど出ない人間でしたから」

 「その王都から、俺たちを追ってきたのか」

 「正確には、ガレウス殿を」


 男の目は、もう団長から動かない。

 今夜くらい、飯を食って、そのまま寝かせてやってくれよ。さっきまで、あんなに普通に話していたのに。


 「団長」


 レナリア先輩が声を落とした。


 「この人、怖がってません」


 俺は扉の両脇にいるティモンとヴィンクを見た。男は二人のすぐ外に立っている。こちらにはセレナを入れて十人。剣に手をかけている奴もいるのに、ルキアノスは下がろうともしない。


 「それどころか――喜んでます」


 ルキアノスが先輩へ顔を向けた。


 「ご明察です。ようやくお会いできたのですから、喜ばずにはいられません」

 「気色の悪い奴だな」


 団長が吐き捨てた。


 「用件を言え」

 「では、遠慮なく」


 ルキアノスは黒い杖から手を離さず、深々と頭を下げた。


 「わたくしと、戦っていただけませんか。〈奪還の獅子〉ガレウス殿」

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