第7話「いつもの食事」
「返せ」
「駄目です」
「一杯だけだ」
「駄目です」
「水で薄める」
「何をしても駄目です」
拠点へ戻って三日目の夜、団長は酒瓶を取り上げられていた。
熱が下がって、ようやく食事の間だけ部屋を出してもらえたらしい。長椅子の背には丸めた毛布。手の届くところには水の杯。肝心の酒瓶は、レナリア先輩の脇にある。あそこから取り返すのは、たぶん無理だ。
「傷を負った奴ほど、酒を飲むもんだろ」
「どこで聞いた話ですか」
「俺の経験だ」
「治りきる前に飲むから、長引くんです」
「お前、さっきから俺の扱いが酷くねぇか?」
「部屋へ戻されるよりはいいでしょう」
団長が水を飲んだので、俺も安心して自分の椀へ手を伸ばした。煮込みの底を探ると、根菜の間に干し肉が一つ見つかる。これは最後に取っておこう。
鍋の方では、セドがルフスとネストルに押し退けられていた。そこに居座られると、ほかの奴がおかわりできない。窓際のティモンは外へ目を配りつつ、椀から立つ湯気を吹いている。団長も下りてきて、これで九人全員だ。
「モチくん。こちらをお願いします」
向かいのセレナがパンを渡すと、白く丸いモチくんが食卓の上を歩いてきた。椀を少し引いて道を空けてやる。俺とライラの前へ一つずつ置いて、次はセド――のはずが、その手前で止まった。
「俺の分は?」
モチくんは残りのパンを抱えたまま、セドを見上げている。
「あるだろ。寄越せ」
伸びてきた手を避け、モチくんはくるりと向きを変えた。そのままヴィンクの前へパンを置く。
「おい!」
「まだ食べようとしたことを覚えてるんでしょ」
ライラが言うと、セドはすぐに手を引っ込めた。
「食べようとしてねぇ!」
「では、何をしようとしたのですか」
セレナにまで聞かれて、セドの声が少し小さくなる。
「味を聞こうとしただけだ」
「誰に?」
つい俺も聞いてしまった。
「……本人に」
「モチくんは、お餅の味については答えられないと思います」
「食われたことねぇもんな」
セレナの返事にセドが頷くと、モチくんが両腕を上げた。頭の稲穂まで、ぴんと立っている。
「怒ってるぞ」
ヴィンクは、もらったパンをちぎりながら言った。
「ヴィンクには分かるのか?」
「見れば分かる」
「俺にも見えてる。怒られる理由が分かんねぇんだよ」
「そこが分からないから怒られるんでしょ」
ライラが言い終わる前に、ネストルがパンを一つ投げて寄越した。セドが慌てて受け損ね、自分の椀へ落とす。汁が跳ね、ライラが俺の方へ逃げてきた。
「何すんだ!」
「柔らかくなって食いやすいだろ」
「そういう問題じゃねぇ!」
肩に触れたライラの体温が気になって、俺は少しだけ身を固くした。けれど、ライラはもう自分の椀を覗いている。俺だけが肩を気にしているのも変なので、スプーンを持ち直した。
「ユイト、肉入ってる?」
「一つ」
「あたしの、根菜しかないんだけど」
「さっき鍋から取ってただろ」
「あれ小さかった」
ライラの目が俺の椀へ移る。答えるんじゃなかった。
「だからって俺のはやらないぞ」
「じゃあ、半分」
「嫌だ」
「半分って言ってるでしょ」
「俺の椀を覗くなよ」
木のスプーンが伸びてきた。椀を遠ざけると、ライラまで身を乗り出してくる。さっき触れた肩のことなんか、もう気にしていられない。
「怪我人から奪うな」
「怪我人はあたしも同じ」
「干し肉なら、俺のにも入ってるぞ」
セドが椀を差し出したおかげで、ライラの手が止まった。
「セドのはいらない」
「なんでだよ」
「汁に落ちたパンが溶けてるから」
見れば、崩れたパンが汁を吸って、椀の中をほとんど埋めていた。
「うまいぞ」
「見た目が嫌」
「食えば同じだろ」
「違う」
二人が言い合っている間に、ヴィンクが自分の肉を一つ、ライラの椀へ落とした。
「いいの?」
「静かにしろ」
「ありがと、ヴィンク」
ライラがさっそく肉を口へ運ぶ。俺も取っておいた肉をすくった。今のうちに食ってしまおう。
「最初からヴィンクに頼めよ」
「頼んだらくれないでしょ」
「今くれただろ」
「頼んでないから」
向かいでセレナが口元を押さえていた。その横では、モチくんまで小さく身体を揺らしている。
「モチくん、今笑った?」
「笑っています」
「声出ないのに分かるの?」
「相棒ですから」
セレナが頭を撫でると、稲穂が左右に揺れた。さっきセドに向けていたのとは、ずいぶん違う動きだ。
「そういやよ。グレディオルって、飯うまいのか?」
セドはもう椀を空にして、鍋へ手を伸ばしていた。
「国境を越える話で、最初に気になるのが料理なのですか?」
「食い物は大事だろ」
「でも、あたしも気になる。甘いものある?」
ライラも加わると、ヴィンクが二人を見た。
「お前らは飯のことしか頭にねぇのか」
俺は黙ってパンをかじった。実は少し聞きたい。
「グレディオルは多くの国と交易していますから、様々な料理が集まると聞いています」
「肉は?」
「あると思います」
「甘いものは?」
「それも、あると思います」
「ずいぶん曖昧だな」
団長に言われ、セレナは困ったように眉を下げた。
「王城で出される料理と、町の人たちが食べるものは違います。わたしも市場へ行ったことは、ほとんどありませんから」
そうか。王女なら何でも知っていそうな気がしていたけど、城の外の飯なんて、俺たちの方がよく食っているのかもしれない。
「じゃあ、着いたら一緒に探そうよ」
ライラが食卓に肘をついた。
「セレナも食べたことないもの、いっぱいあるんでしょ?」
「よいのでしょうか。わたしは、助けを求めに行くのに」
「ずっと誰かに会ってるわけじゃないでしょ。空いた時間くらいあるって」
セレナが何か言いかけたところで、セドが妙に背筋を伸ばした。
「そのときは、わたしも一緒に行きます」
「セドは来なくていい」
「なんでだよ」
「全部食べるから」
「金は払うぞ」
「その金、誰が管理してると思ってるの?」
「団長」
「今はあたし」
セドは団長を見たが、助け舟は出なかった。俺も財布の話になった途端、パンをかじる手を止めた。
「一日にどれくらい使っていい?」
「銅貨二枚」
「子どもの小遣いじゃねぇか!」
「三枚渡したら、全部その日に使うでしょ」
「使わねぇよ。二日もたせる」
「じゃあ、一日二枚で足りるじゃない」
セドが口を閉じた。笑いながら向かいを見ると、セレナも肩を揺らしていた。市場へ行く話は、断らないで済んだらしい。
団長が空の椀を置き、俺たちを見回す。
「遊びに行くんじゃねぇぞ。まずは嬢ちゃんの知り合いに会う。それから帳簿だ」
「分かってるって」
ライラが答える横で、俺も頷いた。知らない料理は楽しみだけど、そのために国を出るわけじゃない。
「国境を越えたら、まずわたしの知人に連絡を取ります。それまでは、わたしが王女だと知られない方がよいと思います」
「ああ。追手がどこまで来るか分からねぇからな」
団長はヴィンクへ顔を向けた。
「山道は?」
「途中で一か所、崩れている。馬車を通すなら直す必要がある」
「なら、明日そこを直しておけ」
「俺も行く」
食って寝てばかりいると、みんなの出発を待っているだけみたいで落ち着かない。口を挟むと、レナリア先輩がこちらを見た。
「ユイトは明日も休み」
「もう眩暈はありません」
「今、立って歩いて確かめる?」
椅子から腰を浮かせかけて、やめた。食堂まで下りてくるだけでも、まだ階段の手すりを頼った。あれを見られていたのか。
「……明後日にします」
先輩が頷いたので、俺は座り直した。隣から笑われるかと思ったが、ライラは何も言わずに煮込みを食べている。
「俺は明日から動いていいだろ」
今度は団長だった。先輩の顔がそちらへ向く。
「まだ駄目です。出発は、早くても五日後です」
「五日も寝てられるか」
「傷口が開けば、そこからさらに延びます」
「……五日だな」
団長が水を飲むと、セドが噴き出した。
「団長、レナリアにだけは勝てねぇな」
「お前の飯を減らすぞ」
「なんで俺が!?」
俺も笑ったが、先輩とは目を合わせないでおいた。明後日のことまで取り消されては困る。
またグレディオルの話になった。ルフスが馬を休ませられる宿がいいと言えば、ティモンは街道の見える部屋を欲しがり、ネストルは近くに肉を食える店があるかを気にしている。
俺は残った汁にパンを浸した。セドの椀を笑えない食べ方だけど、こうすると最後までうまい。
次の町では、どんな飯が出るんだろう。ライラに取られる前に、肉は先に食べよう。それでセレナが市場へ行くなら、俺も一緒に――。
コン、コン。
玄関の方から聞こえた音に、パンを持つ手が止まった。
誰かが扉を叩いた。こんな時間に?
さっきまで笑っていたセドも口を閉じ、ティモンが椀を置いた。玄関へ向かう背中を見て、俺も扉の方へ身体を向ける。
ここは、山道からも隠れた拠点だ。通りがかりに寄れるような場所じゃない。
「失礼。少し道を尋ねても?」
閉ざされた扉の向こうから、穏やかな男の声がした。




