第6話「俺が選ぶ」
目を覚ますと、窓から差し込む光が赤く染まっていた。
見慣れた天井の下に、使い込んだ机と椅子がある。壁際には、王都から持ち帰った背負い袋が置かれていた。
俺の部屋だ。
身体を起こすと、まだわずかに眩暈がした。ベッドの縁へ座って収まるのを待ちながら、団長に言われたことを思い出す。
残るか。
出ていくか。
剣と着替えがあれば、ここを出られる。
荷物は背負い袋一つに収まる。壁際の袋へ手を伸ばした。
下の階から、大きな物音が響いた。
「セド! それ、食料の袋でしょ!」
「落としてねぇ! 置いただけだ!」
「床が揺れたんだけど!」
「床が弱いんだよ!」
続いて、ライラの怒鳴り声と団員たちの笑い声が聞こえる。
俺は背負い袋から手を離し、部屋の扉を開けた。
廊下には、煮詰めた薬草の匂いが漂っていた。
団長の部屋から、血のついた布を抱えたレナリア先輩が出てくる。
「起きたのね」
「はい。団長は?」
「眠ってるわ」
「本当に?」
「目を閉じて黙ってるから、寝てることにした」
部屋の中から、低い声が返る。
「聞こえてるぞ」
「やはり眠っていませんね」
レナリア先輩が溜息をついた。
「傷はどうですか」
「今のところ、開いてはいないわ。熱も酷くなっていない」
「よかった」
「ただし、動いていい状態じゃない。本人だけが分かってないけど」
「聞こえてるっつってんだろ」
「ちょうどいいので、もう一度言いました」
先輩は汚れた布を桶へ落とし、俺へ視線を戻す。
「ユイトは?」
「少し眩暈がします。でも、歩けます」
「今日は歩くだけ。それ以上は駄目」
「分かりました」
「食事は?」
「まだです」
「下に用意してある」
それだけ言い残し、先輩は新しい布を取りに廊下の奥へ向かった。
階段を下りると、食堂の大きな机に古びた地図が広げられていた。ライラとセレナがそれを挟んで向かい合い、地図の端に座ったモチくんが、丸まりかけた紙を短い両手で押さえている。
「この川は覚えてる。行きに一度渡ったよ」
「では、この辺りから街道を外れたのでしょうか」
「たぶん。夜だったから、そこまで自信ないけど」
「たぶんで道を決めるなよ」
馬小屋から戻ったらしいセドが、肩に空の飼葉袋を担いでいる。
「じゃあセドは覚えてるの?」
「御者が後ろの景色まで見てるわけねぇだろ」
「前に川があったでしょ」
「川なんざ、何本もあった」
「役に立たないなぁ」
「お前にだけは言われたくねぇ」
ルフスたち三人が、食糧庫から運んできた袋を壁際へ積んでいる。
ルフスが俺に気づき、机の端を顎で示した。
「起きたなら食え。お前の分、ライラが取ってある」
「あたしじゃない。レナリア先輩に言われただけ」
「まだ何も言ってないだろ」
俺が口を挟むと、ライラは即座に返した。
「言いそうだったから先に言ったの」
机の隅に、固焼きのパンと薄いスープが置かれていた。
俺が腰を下ろすと、ライラが地図の一か所を指さす。
「ユイト。王都へ行く途中、炭焼き道へ入る前に川を渡ったよね?」
「川は渡ったけど、炭焼き道へ入った後だ。川沿いを進んでから渡っただろ」
「ほら、セド。あたしが合ってた」
「順番が逆だっただろ」
「だいたい合ってればいいの」
「道案内で言う台詞じゃねぇ」
俺はスープを飲みながら、地図へ目を落とした。王都から離れて拠点へ続く道。その先には、グレディオルへ向かう街道が細い線で描かれている。
「ここからなら、古い山道へ入れるかもしれません」
セレナが地図へ指を添える。
「地図の通りなら、王都から続く街道と合流せずに、国境近くまで進めます」
「でも、馬車で通れるか分からないね」
「明日、見に行く」
背後からヴィンクの声がした。
振り返ると、外套の裾を泥で汚したヴィンクが入口に立っている。
「戻ったのか」
「ああ」
「追手は?」
「街道にはいない。騎士たちの足跡も、森を出た先で王都の方へ続いていた」
「諦めたってこと?」
「分からない」
ヴィンクは首を横へ振った。
「少なくとも、今夜ここへ来る気配はない」
「なら、今日は寝られるな」
セドが大きく伸びをする。
「その報告、団長にも聞かせて」
新しい布を抱えたレナリア先輩が、階段を下りてきた。
「ただし、話は短く。団長を興奮させないで」
「報告で興奮するか?」
「出発できると勘違いするから」
「もうしてそうだな」
セドの言葉に、ヴィンクが小さく頷いた。
レナリア先輩は二人を連れ、先に階段を上がっていった。
ライラとセレナが地図を巻き始める。
モチくんも一緒になって端を押し、今度は必要以上に強く巻いていく。
「モチくん、そこまで固くしなくて大丈夫です」
セレナに言われ、モチくんが力を抜いた。
ライラが地図を抱え、団長の部屋へ向かおうとする。
「ライラ」
「何?」
「決めた」
足が止まった。
ライラがゆっくり振り返る。
「……どっち?」
「残る」
地図を握っていた指から、力が抜けた。
「グレディオルにも行く」
「そっか」
返事は、それだけだった。
けれど、ライラは一度俯いてから、もう一度俺を見る。
「団長には?」
「まだ言ってない」
「先に、あたしに言ったの?」
「約束しただろ」
「……そういうところだけ律儀なんだから」
ライラは地図で口元を隠した。
「ほら。早く言いに行くよ」
「一人で行ける」
「あたしも地図を持っていくの」
そう言って、俺より先に階段を上っていく。
団長の部屋まで来ると、ほかのみんなも集まっていた。団長はベッドへ横たわったままで、レナリア先輩が傍らに立っている。寝台の前に並ぶ床板のうち、一本だけ縁に古い傷がついていた。
ヴィンクとセドが小さな机を運び込んで下ろすと、セレナがその上へモチくんを乗せた。ルフスたち三人は、部屋へ入りきれずに扉の外から覗いている。
ヴィンクが、街道に追手はいなかったことと、騎士たちの足跡が王都の方へ続いていたことを団長に伝えた。
「なら、撒けたか」
「まだ分からない。別の道から回っている可能性もある」
「十分だ。明日、グレディオルへ抜ける山道を――」
「団長は行きません」
レナリア先輩が遮った。
「場所を確かめるだけだ」
「それも行きません」
「じゃあ誰が行く」
「ヴィンクとティモンです」
「俺も行くぞ」
セドが手を上げる。
「あなたは馬の世話があるでしょ」
「明日の朝には終わる」
「その後は寝て」
「寝るのも仕事ってか」
ライラは地図を机へ広げ、モチくんが端を押さえる。
俺は扉の前に立ったまま、その光景を見ていた。
「団長」
「なんだ」
全員の視線が、俺へ向く。
「俺も行きます」
「どこにだ」
団長が聞き返した。
「ここに残ります。その先、グレディオルにも行きます」
「帰りたいって気持ちは戻ったのか」
「戻ってません」
すぐに答えられた。
「みんなが俺の仲間だってことは、今もちゃんと思えるんです。なのに、ここに帰ってきたって気がしない。それが、自分でも変で……」
ライラ。
セレナ。
レナリア先輩。
団長。
ヴィンクとセド。
扉の外から覗いているルフス、ティモン、ネストル。
「この気持ちまでなくなったら、みんなが目の前にいても、俺だけ一人になるんじゃないかって。……それが怖いです」
声が詰まり、一度息を継いだ。
「でも、さっき下でみんなと話して、飯を食って……明日もそうしたいって思ったんです。帰りたい気持ちは戻ってないけど、みんなと一緒にいたい。これからどこへ行くか、何をするか、俺も一緒に考えたいです」
もう一度、団長を見た。
「だから、ここに残ります。俺が、そうしたいんです」
団長は、しばらく何も言わなかった。
やがて、鼻から短く息を吐く。
「そうか」
「……はい」
「なら、入口に突っ立ってねぇで入れ。地図が見えねぇだろ」
「それだけ?」
ライラが不満そうに言う。
「何を言わせてぇんだ」
「別に何も!」
「なら話を進めるぞ」
セドが笑い、ヴィンクが机をわずかに横へずらした。
セレナが椅子を引き、俺の方へ向ける。
隣の椅子に腰を下ろしたライラが、空いた座面を手のひらで叩いた。
「ユイト。ここ」
「ああ」
俺は部屋へ入り、ライラの隣へ腰を下ろした。
地図の上で、拠点からグレディオルへ伸びる道を、皆の指が追っていく。
俺の指も、その中にあった。




