第5話「選ばなくてもいい」
日が高くなり始めた頃、団長が目を開けた。
「あと、どれくらいだ」
「痛みはどうですか」
隣に座るレナリア先輩が、団長の顔を覗き込む。
「腹が減った。傷よりそっちが堪える」
「食欲はあるんですね。ですが、まだ横になっていてください」
団長は起き上がろうとはせず、声だけを御者台へ飛ばした。
「セド! 拠点まであとどれくらいだ!」
「もうひと走りだ! 馬がへばらなきゃな!」
「聞こえたでしょう。もう一度寝てください」
「着いた後のことを決めてからだ」
レナリア先輩が眉を寄せる。
「着いた後は治療です」
「それ以外だ」
「ありません」
「お前は少し黙ってろ」
先輩の手が、団長の脇腹へ伸びる。
「傷口が開いたら、また縫い直しですよ」
「……話くらいさせろ」
先輩は手を引いた。
団長が小さく息を吐き、荷台の中を見回す。
「拠点に戻ったら、まず馬を休ませる。セド、お前も寝ろ」
「俺より先に馬だ」
「なら、馬の世話が終わったらだ」
「分かってる」
御者台から返事が飛ぶ。
「ヴィンク。追手の動きを見られるか」
「拠点に戻ってから、街道の様子を見てくる」
「今日は駄目」
レナリア先輩が即座に遮った。
「ヴィンクもほとんど休んでいない」
「一人で行くとは言ってない」
「人数の問題じゃない」
「追手が来てから寝るよりいい」
「……拠点で少しは休んでからよ。暗くなる前には戻って」
「分かった」
ヴィンクが短く頷く。
ただし、先輩は荷台の端に置かれた薬箱へ手を伸ばした。
「その前に、手の傷を見せて」
「浅い」
「さっきも聞いた」
ヴィンクが目を逸らした。
「嬢ちゃん」
団長の声に、セレナが顔を上げる。
膝の上のモチくんも、つられるように団長を見た。
「グレディオルまでの道は分かるか」
「王都から続く街道であれば、地図で見たことがあります。ただ、この森からどこへ出ればよいのかまでは……」
「それは俺たちで調べる」
ヴィンクが言った。
「街道は使わない方がいい」
「騎士が先回りしているかもしれないからですか?」
セレナが尋ねる。
「ああ」
御者台から、ライラが会話に加わる。
「でも、ずっと森の中ってわけにもいかないでしょ。食料もいるし、馬車が通れないところもあるよ」
「拠点に地図があったはずだ」
セドの声が続く。
「古いやつだけどな。道が消えてても文句言うなよ」
「消えてたら、あたしが見つける」
「お前、王都へ行くときも迷っただろ」
「迷ってない。道が思ってた場所になかっただけ」
「それを迷ったって言うんだ」
セドが笑う。
「出発は、全員の傷が落ち着いてからです」
レナリア先輩は団長を見て、念を押した。
団長が鼻を鳴らす。
「俺は馬車に転がしておけばいい」
「寝ているだけで済むなら、今も苦労していません」
「次は起きねぇ」
「信用できません」
「お前な……」
二人のやり取りに、セレナがわずかに笑った。
けれど、すぐに表情を改める。
「皆さんも、グレディオルまで来てくださるのですか」
「帳簿を抱えた王女を、一人で放り出すほど薄情じゃねぇよ」
「ですが、皆さんにはすでに多くの危険を――」
「今さらだ。ここまで来たら、最後まで付き合う」
団長は目を閉じた。
「俺の傷が開かなくなったら、グレディオルへ向かう。それまでに道と追手を調べる。馬と食料も用意する」
「はい」
セレナが深く頷く。
モチくんも真似をするように、丸い頭を下げた。
グレディオルへ向かう。
話の中で、「俺たち」という言葉が使われた。
そこに俺が入っているのかは、分からなかった。
「ユイト」
団長が目を開け、俺を見た。
「はい」
「お前は、拠点へ戻ったらどうするか決めろ」
「どうするって……」
「盗賊団に残るか、出ていくかだ」
荷台から、音が消えた。
御者台にいたライラが、肩越しにこちらを見る。
「ちょっと、団長」
「前を見てろ」
「ユイトを追い出すの?」
「逆だ。残れと命じねぇと言ってる」
団長は俺へ視線を戻した。
「帰りたいって気持ちが、なくなったんだろ」
「……はい」
「だったら、今までここにいたってだけで縛る気はねぇ」
胸の奥は、何も返さなかった。
それでも、団長の言葉だけは妙に近く聞こえた。
「俺が抜けたら、団の仕事は」
「足りねぇ分は、残った奴が埋める。それが団だ」
「でも、俺は団長たちに拾ってもらって――」
「拾った分を返せなんて言った覚えはねぇ」
団長の声がわずかに低くなる。
「嬢ちゃんをグレディオルへ送るのも、帳簿を届けるのも、俺たちが決めたことだ。お前一人に背負わせる気はねぇ」
「そんな簡単に、出ていっていいなんて言わないでよ」
ライラの声が飛ぶ。
「残るかどうかは、ユイトが決めることだ」
「……そうだけど」
その先を、ライラは言わなかった。
ライラは御者台へ向き直り、前方の枝を手で払う。
団長が続ける。
「残りたきゃ残れ。別の場所へ行きたきゃ行け。俺たちとグレディオルへ来るのも、お前の自由だ」
「団長は、どれがいいと思ってるんですか」
「俺に決めさせるな」
「……今は、分かりません」
「なら、今は選ばなくていい」
団長は再び目を閉じた。
「拠点に着いたら、飯を食って寝ろ。頭が動くようになってから考えろ」
「話は終わりましたね」
レナリア先輩が毛布を団長の肩まで引き上げる。
「おい、まだ寝るとは――」
「寝てください」
「起きたばかりだぞ」
「では、もう一度眠れますね」
団長が何か言い返すより先に、先輩が目元へ布を被せた。
「見えねぇ」
「眠るのに必要ありません」
セドが御者台で声を上げて笑った。
やがて道幅が狭くなり、木々の間隔も詰まってきた。ここから先は、拠点まで一本道だ。
ライラは御者台を離れて荷台へ戻ると、俺の隣へ腰を下ろし、膝を抱えた。
「団長の話」
「ああ」
「別に、追い出したいわけじゃないから」
「分かってる」
「本当に?」
「団長がそう言ってただろ」
「団長のことじゃなくて……」
ライラは途中で口を閉じ、膝へ顎を乗せて幌の隙間から外を見た。俺も同じ方へ目を向ける。
「ライラは、グレディオルへ行くのか」
「行くよ。セレナを一人で行かせられないし、帳簿だって届けなきゃいけないから」
「そっか」
「ユイトは?」
「まだ分からない」
「……そっか」
ライラの靴先が、荷台の床を軽く叩く。
「でも、決めたら言って」
「団長に?」
「あたしに」
「なんで?」
「……団長より先に知っておきたいから」
「だから、なんで」
「いろいろあるの!」
ライラがこちらを睨む。
それ以上聞くと怒鳴られそうだった。
「分かった。先に言う」
「絶対だからね」
「ああ」
木々の向こうに、古びた屋敷の屋根が見えた。
「見えたぞ!」
セドの声に、荷台の空気が緩む。
ネストルが俺へ背負い袋を渡し、ヴィンクが幌を大きく開けた。
見慣れた屋敷の窓が目に入る。朝になるとライラが勝手に開ける、俺の部屋の窓も見えた。
胸は、まだ静かなままだった。
馬車が庭へ入ってゆっくり止まると、ヴィンクたちが次々と荷台を降りていった。ライラも縁へ手をかけたが、先には降りず、俺の隣に座ったままだった。
俺が立ち上がるまで、ライラは何も言わなかった。




