第3話「セレナの相棒」
東の空が白み始めていた。
荷台では、団長が毛布にくるまって眠っている。レナリア先輩が額へ手を当ててから、胸の上下を確かめた。
「今のところ、熱はないわ」
「馬はまだ休ませたい。団長の方はどうだ?」
馬の脚を冷やしていたセドが聞く。
「こっちも、もう少し休ませて」
林から戻ってきたヴィンクが、鎖槍を肩へ担いだ。
「追手はいない」
「じゃあ、その間に片づけよ」
ライラが使い終えた布や鍋を集め始める。ルフスたちも、小屋から運び出した物を元へ戻していた。
俺も立ち上がろうとして、荷台の縁へ手をつく。
「ユイトは座ってて」
「でも――」
「さっき立っただけでふらついてたでしょ」
反論できず、腰を下ろし直す。
その横で、セレナが立ち上がった。
「わたしも手伝います」
「セレナも休んでていいよ。ずっと団長の傷を押さえてたんだから」
「ですが、皆さんには役割があります」
セレナは自分の両手を見る。
「わたしだけ、運ばれているわけにはいきません」
ライラが鍋を抱えたまま首を傾げた。
「何ができるの?」
「紹介します」
セレナが荷台を降りて胸の前で右手を開くと、青白い光が細い線となって重なり、その手の上で一冊の本を形作った。濃紺の表紙に銀色の留め具がつき、表紙の中央にはいくつもの円が重なった紋章が刻まれている。
「《契約の書》」
風もないのに本が開き、何枚もの紙がひとりでにめくれた。一本の黄金色の稲穂と白い米粒が描かれたところで止まる。
「来てください、モチくん」
紙の上で光が膨らむと、そこから白い塊が転がり落ち、地面へぽすんと着地した。役目を終えた本は、青白い光へほどけて消える。
子猫ほどの大きさだった。つきたての餅みたいに真っ白で、大きな丸い頭とずんぐりした身体に短い手足がついている。頭のてっぺんからは、黄金色の稲穂が一本、重たげに垂れていた。
黒い目と小さな口に、うっすら桃色の頬。その愛嬌のある顔が、俺たちを順番に見上げた。
最後にセレナを見つけると、丸い身体が弾んだ。
「わっ」
セレナの胸へ飛びつき、そのまま頬へ身体を擦りつける。
「心配をかけました。ごめんなさい」
抱き留めたセレナの顔から、張りつめていたものが初めて消えた。
鍋を置いたライラが、すぐそばまで寄ってくる。
「何これ。白い丸?」
「米に宿る植物の精霊です」
「名前がモチくん?」
「はい。『くん』までが名前です」
「そこまで?」
馬のそばにいたセドまで、いつの間にか覗き込んでいた。
「食べられません」
「まだ聞いてねぇぞ」
「顔に書いてあります」
モチくんがセレナの腕から下り、彼女を庇うようにセドの前へ立つ。
短い両腕を上げた姿は、どう見ても強そうには見えなかった。
「こいつ、戦えんのか?」
「戦えます。モチくんは、とても頼りになるんです」
セドが片膝をつき、大きな手のひらを差し出した。
「なら、一発やってみろ」
モチくんがセレナを見上げる。
「軽く、ですよ」
モチくんが小さく頷くと、頭の稲穂がぴんと立ち、白い身体が下から押し広げられるように膨らみ始めた。短かった腕と脚が太く伸び、肩と胸が大きく盛り上がる。腹には、餅とは思えないほどくっきりした筋肉が浮かんだ。
数息もしないうちに、三メートル近い巨体になっていた。愛嬌のある顔と黄金色の稲穂はそのままに、筋骨隆々の巨体がセドを見下ろしている。
「……でかくなるなんて聞いてねぇぞ」
巨大な右拳がゆっくり後ろへ引かれたかと思うと、次の瞬間にはセドの手のひらへ軽く触れた。ぱん、と乾いた音が鳴る。
「うおっ」
セドの腕が跳ね上がり、膝が土の上を滑った。モチくんはみるみる元の子猫ほどの大きさへ縮むと、セドへ深く頭を下げた。
「今、謝った?」
ライラが目を丸くした。
「加減を間違えたみたいです。モチくんは勉強熱心なので、次はもっと上手にできます」
「次も俺で試すのか?」
セドが手のひらを振る。
ライラはもうモチくんの前にしゃがみ込み、その身体へ指を伸ばしていた。
「触ってもいい?」
「急に引っ張らなければ――」
セレナが言い終わる前に、ライラの指が沈んだ。
「柔らかい」
指を戻そうとしても、モチくんがくっついたまま伸びてくる。
「ちょっと、離れない!」
「だから、急に引っ張らないでください」
「先に言ってよ!」
「言っている途中でした」
セレナがモチくんを抱え、ライラが今度はゆっくり腕を引く。それでもモチくんは、二人の間でどんどん長くなっていった。
「どこまで伸びるの、これ!」
「わたしにも限界は分かりません」
「相棒なのに!?」
「相棒にも、知らないことはあります」
真面目な顔で返すセレナを見て、思わず小さく吹き出した。
二人が同時に、俺を見る。
「今、笑った」
ライラが言った。
「笑ってない」
「笑ったよね?」
「はい。笑っていました」
セレナまで頷く。
「二人で決めるなよ」
「三人だ」
いつの間にか、ヴィンクが荷台の外から覗き込んでいた。
「ヴィンクまで……」
ライラが吹き出す。
その拍子に指が外れ、モチくんの身体が一気に縮んだ。勢い余ってセレナの腕へ収まる。
「こんなのがいるなら、騎士と戦ったときに呼べばよかったのに」
ライラの言葉に、セレナの笑みがわずかに消えた。
「モチくんは、王城でいつもわたしのそばにいました。城の人たちも、この子がわたしの契約相手だと知っています」
腕の中の白い身体を撫でる。
「呼べば、カタリナ以外の騎士にも、わたしが荷台にいると知られてしまいます。カタリナが最後まで名前を呼ばずに隠してくれたことを、無駄にはできませんでした」
「……そっか」
ライラはそれ以上、聞かなかった。
「それに、何もしてなかったわけじゃない」
俺は眠っている団長を見る。
「セレナが傷を押さえてくれなかったら、団長はここまでもたなかった」
セレナは少し驚いたように俺を見て、それから頷いた。
「ありがとうございます」
「話が終わったなら、働いてもらおうかな」
ライラが地面に置かれた敷布を指す。
「モチくん、あれ畳める?」
「できます。モチくん、お願いします」
地面へ下りたモチくんは短い両腕を伸ばして敷布の両端を掴むと、隣で布を畳むルフスの動きをじっと見た。一度見ただけで、同じように折り始める。
「本当に勉強熱心なんだ」
「はい。わたしの大切な相棒です」
セレナが、少し誇らしそうに答えた。
「モチくん、その布は小屋に戻して」
ライラが頼むと、モチくんは一度だけ彼女を見上げた。それから敷布を抱え、小屋へ跳ねていく。
「あたしの言うことも聞くんだ」
「味方だと分かれば、手伝ってくれます」
モチくんが小屋から戻ってくると、セドが声をかけた。
「俺の袋も頼む」
モチくんは聞こえなかったように背を向けた。
「なんでだよ」
「食べようとしたからでしょ」
「聞こうとしただけだ」
やがて火が消され、荷物が馬車へ戻されていく。
モチくんはライラの後ろを跳ねながら、次の仕事を探していた。セドが近づくと、まだ警戒するように両腕を上げる。
そのたびに、セレナの声とライラの笑い声が重なった。
帰りたいという気持ちは、まだ戻っていない。
それでも、その声をもう少し聞いていたいと思った。




