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奪うほど欠けていく俺は、今度こそ居場所を守りたい ~能力も記憶も感情も奪う《万象奪界》の異世界盗賊譚~  作者: 色乃理
第四章 帰る場所

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第1話「次の行き先」

 馬車は、夜の森を止まることなく走り続けた。


 車輪が石を踏むたび、荷台が大きく跳ねる。

 俺との話を終えたレナリア先輩は、荷台の中央に横たわるガレウス団長の左へ移り、傷口を確かめていた。右ではセレナが血に染まった布を押さえている。

 俺は団長の足元で、揺れる灯りをどうにか支えていた。


 「後ろは!」

 御者台からセドの声が飛ぶ。

 荷台の後ろで幌をわずかに開けていたヴィンクが、暗い道へ目を凝らした。

 「……来てない」

 御者台では、ライラが往路で覚えた目印を探していた。

 「次の分かれ道は左!」

 身を乗り出し、前方を指さす。

 「分かった! あんまり乗り出すな! 落ちても拾えねぇぞ!」

 「落ちないって!」

 言い返しながらも、ライラは御者台へ身体を戻した。

 馬車が左へ曲がると、団長の身体が揺れ、セレナの肩が大きく傾いた。反対側からレナリア先輩が団長を支える。

 「手はそのまま。力を抜かないで」

 「はい」

 セレナは唇を噛み、傷口へ体重をかけ直した。重ねた布には、もう新しい血が滲んでいた。


 「……血は、まだ止まらないんですか」

 俺が尋ねると、レナリア先輩は首を横に振った。

 「走りながらじゃ、これ以上はできない。けど今止まれば、追いつかれるかもしれない」

 レナリア先輩の声は落ち着いていた。ただ、血に濡れた指だけが急いでいる。

 「もう少しだけ耐えて。団長も、あと少しだけ我慢してください」

 「俺は……寝てるだけだ」

 「では、黙って寝ていてください」

 セレナに言われ、団長が薄く口元を歪めた。

 それきり目を閉じる。


 胸は動いている。

 分かっているのに、確かめるのをやめられなかった。


 「セド。馬がもたない」

 ヴィンクが言った。

 御者台から返事はなく、代わりに馬車の速度が少しずつ落ちていく。

 「この先、道を外れるよ!」

 ライラの声の直後、馬車は木々の間へ入った。枝が幌を引っ掻く。

 やがて馬車が止まると、ヴィンクが真っ先に飛び降りた。周囲を見回し、短く告げる。

 「……今は平気だ」

 ルフス、ティモン、ネストルも続く。ティモンが来た道を見張り、ルフスとネストルは馬のもとへ駆けた。


 俺も降りようと腰を上げたが、途端に視界が揺れ、荷台の縁へ手をついた。

 「どこ行く気?」

 御者台を降りたライラが、荷台の外から俺を見上げていた。

 「見張りを――」

 「ティモンが見てる。ユイトは灯り持ってて。倒れたらレナリア先輩の仕事が増えるだけでしょ」

 「……分かった」

 「よろしい」


 「灯り、こっち」

 俺は団長の足元から、レナリア先輩の手元へ灯りを寄せた。

 セレナが手を離した途端、傷口からまた血が滲み出した。先輩は新しい布を押し当て、セレナの手をその上へ重ねさせる。

 「ここ、押さえてて。……もう待てない。縫い始める」

 セレナが頷くのを確かめ、革袋から針と糸を取り出す。

 団長の喉から、低い呻きが漏れる。

 「全部は無理でも、出血を抑えられるところまでは縫います」

 「好きにしろ」

 「最初からそのつもりです」

 先輩が針を通すと、団長の指が毛布を強く掴んだ。


 セドは馬の首筋へ触れ、荒い息を確かめていた。

 「長くは止まれねぇ。水を飲ませたら出すぞ」

 「追手は?」

 ライラが尋ねる。

 「来てねぇからって、諦めたとは限らねぇ。距離を稼げるうちに稼ぐ」

 誰も反対しなかった。

 休みたいのは全員同じだ。それでも今は、森の奥へ進むしかない。

 その間にも、レナリア先輩の手は止まらなかった。


 団長が目を開けた。

 「おい、セレナ」

 「はい」

 「王都は出た。で、お前はこれからどうする」

 セレナは答える前に俺たちを見回し、血に汚れた自分の両手へ視線を落とした。

 「まず、お伝えしなければならないことがあります」

 静かな声だった。

 「わたしは、この国の第二王女です」


 馬へ水を飲ませていたセドの手が止まる。

 「……王女」

 ヴィンクが呟いた。

 ライラは目を丸くしたあと、納得したように息を吐く。

 「そっか。だから、騎士団長があそこまでして連れ戻そうとしたんだ」

 俺も驚きはした。

 けれど、城にいたこと。カタリナが部下に名前を隠したこと。これまでに知った事実が、一つにつながっただけだった。

 「黙っていて、申し訳ありません」

 セレナが頭を下げる。

 「謝るのは後でいい」

 団長は浅く息を吐いた。

 「聞いてんのは、その先だ」


 セレナが顔を上げる。

 「グレディオル王国へ行きたいです」

 聞いたことのない国の名だった。

 「隣国です。そこに、信頼できる知人がいます。王都セグラディンの中だけでは、もうどうにもできません。城で起きていることを伝えて、力を借りたいんです」

 「そこへ行けば、それを止められるのか」

 俺の問いに、セレナはすぐには頷かなかった。

 「分かりません。でも、この国の外へ知らせなければ、何も変わらないと思います」


 団長が尋ねた。

 「国境まで、どうやって行くつもりだった」

 「それは……」

 セレナの言葉が止まる。

 ライラが片眉を上げた。

 「もしかして、決めてない?」

 「城を出ることが先でしたから」

 「よくそれで外まで来たね」

 「自分でも、そう思います」

 真面目な顔で答えるものだから、ライラがわずかに口元を緩めた。


 団長は痛みを堪えるように息を止めてから、低く言う。

 「その身体一つで国境越えは無理だ。道も、荷も、追手をかわす当てもねぇ」

 「それでも、行かなければなりません」

 セレナの声は揺れなかった。


 「行くなとは言ってねぇ」

 団長が目を閉じる。

 「まず拠点へ戻る。俺の傷もそうだが、お前らもそのままじゃ使いもんにならねぇ。追手を撒いて、全員休ませる」

 「グレディオルの話は、それからですね」

 レナリア先輩が言う。

 「ああ。考えるのは、生きて戻ってからだ」


 戻る。

 また、その言葉だった。


 「わたしも、皆さんの拠点へ行ってよいのでしょうか」

 セレナが尋ねる。

 団長は目を閉じたまま答えた。

 「ここで降りたきゃ止めねぇぞ」

 「それはなし」

 ライラが先に言い切る。

 「今置いてったら、何のためにここまで来たのか分かんないでしょ。来るの。あたしたちと」

 セレナは一度だけ瞬きをして、柔らかく笑った。

 「では、もうしばらくお世話になります」

 「もうしばらくで済むかは、知らないけどね」

 ライラも笑い返す。


 レナリア先輩が糸を結び、傷口へ布を巻き直した。

 「今はここまで。残りは、次に止まったときに」

 セドが馬の前から水桶を退けた。

 「休憩終わりだ。乗れ!」

 ルフス、ティモン、ネストルが荷台へ戻る。セドとライラは御者台へ上がった。

 ヴィンクが最後に周囲を確かめてから荷台へ飛び乗り、幌を下ろした。

 馬車が再び動き出す。


 少し進むと、見覚えのある二股の木が幌の隙間を流れていった。その先には、苔で半分埋もれた岩がある。拠点へ戻るとき、何度も見た道だ。


 「ここまで来りゃ、あとはいつもの道だな」

 セドの声から、ほんの少し力が抜けた。

 荷台の空気もわずかに緩む。


 みんなにとっては、帰り道なのだ。

 俺も、この道を知っている。

 この先をどちらへ曲がるのかも、曲がった先に何があるのかも覚えている。


 けれど、懐かしさも、安堵もなかった。

 馬車は俺たちの拠点へ向かっている。

 みんなは、帰っている。


 俺だけは、拠点へ向かっているだけだった。

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