第2話「荷台を射るな」
鎧の擦れる音が、林の外で重なった。
さっきまで遠かった追手が、もう木々の向こうまで来ている。
ガレウス団長が片手を上げた。
「声を殺せ。馬車はまだ動かすな」
セドは御者台で手綱を握り、道を塞ぐ騎士たちを睨んでいる。
荷台の幌布の下では、セレナが息を潜めている。
ティモンが木の幹に身を寄せ、木々の隙間から騎士たちの動きを目で追った。
「道を塞いでる連中の後ろに、弓もいる」
「多すぎだろ」
ヴィンクが鎖槍の柄を握り直す。
「侵入者の鐘が鳴ったからな」
ガレウス団長の声は静かだった。
「前の連中を押し返して道を開ける。殺す必要はねぇ。馬車へ近づけさせるな」
林の外から、男の声が飛んだ。
「納品倉から盗まれた帳簿と荷を確保しろ! 賊は生かせ! 誰へ渡すつもりだったのか吐かせろ!」
鎧の音が止まった。
「……騎士団も、潮待ちの味方なの?」
ライラが小さく聞いた。
「まだ分からない」
俺は車輪の陰から立ち上がった。荷台へ押し込んだ背負い袋を一度だけ見て、剣の柄を握り直す。
「城から盗まれたものを取り戻せって命令なら、普通の騎士でも動く」
「じゃあ、誰がどこまで知ってるかも分かんないってこと?」
「ああ」
「面倒くさ……」
ライラの指先に、小さな火が灯った。
「分かってる。人は焼かない。足止めだけ」
林の外で白い光が弾けた。
照明用の術具が木の枝へ打ち上げられ、地上から伸びる細い魔力糸が力を送り込む。
夜が、一瞬で白くなる。
荷台を覆う幌布が、かすかに揺れた。
照らされた林に、道を塞ぐ六人の騎士と、その後ろに控える三人の弓兵の姿が浮かんだ。さらに奥には、もう一人いる。
「伏せろ!」
ガレウス団長の声が飛ぶ。弓兵たちが一斉に弦を引いた、その瞬間、闇の奥から澄んだ女の声が響いた。
「荷台を射るな! 車輪を止めろ!」
弦が鳴り、矢が前輪の脇や逃げ道の土、馬車の周囲の木の幹に突き立った。飛び出そうにも、次の矢が来る。
幌の下で、セレナの呼吸が一瞬止まった。
レナリア先輩が眉を寄せた。
「……あの声。命令してるだけじゃない。焦ってる」
「何に?」
「そこまでは分からない。でも、帳簿を取り戻すだけの焦り方じゃない」
「左が薄い!」
ティモンが叫ぶ。
ガレウス団長が短く指を振った。
「ヴィンク、正面を崩せ! ライラ、光を落とせ! ユイト、俺と左を開ける!」
「了解!」
セドが御者台を降り、ルフスとともに馬のそばで手綱を押さえ、身を低くする。
ティモンが荷台の前へ空箱を積み、騎士が一直線に近づけないよう塞いだ。
見張りから戻ったネストルも加わり、二人で荷台の前を固める。
ヴィンクの鎖槍が走る。
「――《鎖槍操術》!」
鎖が地面すれすれを走り、盾兵の足元へ絡みつく。ヴィンクが引くと盾が傾き、隊列の端が崩れた。
その一瞬に、ライラの紅刃が照明術具につながる魔力糸へ飛ぶ。ぱん、と乾いた音とともに糸が切れ、術具の光が消えた。林へ闇が戻る。
「行くぞ!」
ガレウス団長が左の木々へ踏み込んだ。騎士たちを押し返し、馬車が道へ出る隙間を作るためだ。俺もその背を追い、《穿界視》を開く。
目の前の槍兵が肩を動かし、膝を沈めた。重心が前へ移るのを捉え、俺は突き出される槍先を半歩でかわす。そのまま剣の腹で手首を打つと、男は短く呻いて槍を取り落とした。
すぐ横からは、盾を構えた騎士が押し込んでくる。まともに受ければ、馬車の方へ押し戻される。盾の縁へ剣を当てて横へ身を逃がすと、入れ替わるように団長が肩からぶつかり、盾兵を押し返した。
「前だけ見ろ!」
騎士たちの後方で、弓の軋む音がした。
「弓は私が止める」
レナリア先輩が、押し返された騎士の脇をすり抜ける。三人の弓兵が先輩へ狙いを向けたが、弦が鳴るより早く、先輩は横へ踏み出していた。
放たれた矢が髪を揺らして通り過ぎ、間を置かずに次の一本が迫る。それを剣で弾きながら、先輩は足を止めずに間合いを詰めた。正面の弓兵の懐へ入り、返した刃で弓の弦だけを断つと、そのまま柄頭を男の腹へ叩き込む。
「ぐっ……!」
男が身体を折る横で、隣の弓兵が腰の剣へ手を伸ばした。だが、抜くより先にレナリア先輩の鞘が手首を打つ。男が手を引っ込めたところへ踏み込み、膝裏を払って倒した。
残った一人が、至近距離から弦を引く。先輩は目を細め、男の呼吸が変わる瞬間に剣の腹で弓を下から跳ね上げた。矢が夜空へ消えるのと同時に、鞘の先が鳩尾へ入り、最後の弓兵も膝をつく。
三人とも致命傷は負っていない。それでも、もう弓を引ける者はいなかった。残る騎士は七人だ。
「弓は止めた」
いつもの静かな声だった。戦いの直後とは思えず、逆に怖かった。
先輩がこちらを向きかけたとき、弓兵たちのさらに奥から、何かが回転しながら飛んできた。
大斧だ。
「先輩!」
レナリア先輩が横へ身を投げると、刃は肩先すれすれを抜け、さっきまで先輩の立っていた地面を抉った。跳ねた土と石が、倒れた弓兵の鎧を叩く。
先輩は跳ね起きると、俺たちの方へ駆け戻ってきた。団長が追いすがる槍を弾き、先輩を背後へ通す。
「盗賊の頭、ガレウス!」
声は、斧が飛んできた方から響いた。
倒れた弓兵たちの向こうから、一人の女騎士が歩み出る。
白銀の髪を、大きな黒いリボンが飾っていた。戦場には似合わない可憐な飾りなのに、不思議と甘く見えない。
褐色の肌を大きく晒す戦装束で、鎧に覆われているのは片肩と四肢、それに最低限の急所だけだ。本来なら目を引くはずの格好なのに、色気より先に強さが来る。
女騎士は地面に食い込んだ大斧の柄を掴み、自分の背丈ほどもある得物を片手で引き抜いた。
女騎士が歩を進めると、騎士たちが左右に退いた。
俺のすぐ隣で、ガレウス団長も大剣を構える。
青い瞳は、俺たちの背後にある馬車の幌へ向いていた。




