第1話「塞がれた逃げ道」
排水口を抜けてから、初めて足を止めた。
城壁沿いの暗い水路を離れ、ガレウス団長の先導で炭焼き道の脇の林へ入った。王都で動く前に決めておいた、セドたちとの合流場所だ。
木々の間に、馬車が一台。荷台には空の木箱と毛布、それに身を隠すための古い幌布が積まれていた。
二頭の馬はすでにつながれ、炭焼き道へ向けて立っている。轡の金具には、音が鳴らないよう布が巻かれていた。
御者台のセドが俺たちに気づき、手綱を握り直した。
「出せます」
「全員乗れ。すぐ出るぞ」
団長が答えると、馬のそばにいたルフスが荷台へ回った。ティモンとネストルは道の見張りに出ている。
聞き慣れたセドの声に、背負い袋の紐を握る手が少し緩んだ。城内ではずっと、次の角から誰が出てくるか分からなかった。
今、目の前にいるのは待っていてくれた仲間だ。荷台へ乗れば、あとはセドが走らせてくれる。俺は馬車へ歩み寄った。
セドが、俺たちの後ろにいるセレナを見て、目を丸くした。
「……団長。なんで女の子が増えてるんです?」
「セレナだ。城内で取引した。王都の外まで連れ出す約束だった」
「セレナです。急なことで、ご迷惑をおかけします」
荷台へ歩み寄りながら、セレナが頭を下げる。
「いや、迷惑ってわけじゃ……」
セドは俺たちとセレナを交互に見た。
ライラが小さく笑う。
「セド、口開いてる」
「そりゃ驚くだろ」
俺が荷台へ背負い袋を上げかけたとき、林の外で枝の折れる音がした。
全員の手が止まる。
木々の間から、ティモンが駆け込んできた。
「団長。騎士だ」
息を整える暇もなく続ける。
「炭焼き道を上がってくる。今見えてるのは十人だ」
レナリア先輩が馬車の脇で目を閉じ、すぐに開いた。
「道を塞ぐように、横へ広がってる」
セドが道へ目を凝らす。
木々の向こうで、月明かりを受けた鎧が動いた。馬車を出そうとしていた、その先だ。
「くそっ」
すぐに出発するはずだった。
けれど今、馬車を走らせれば、騎士たちの目前へ飛び出すことになる。
団長が手で低く合図した。
俺は背負い袋を荷台へ押し込み、セレナと一緒に車輪の陰へ身を屈める。
ヴィンクは林縁の木陰へ移り、鎖槍を構えた。
煙も灯りも出さずに待っていた馬車が、もう見つかろうとしている。
足裏には、《地脈感知》の感覚が残っていた。
魔力の扱いが雑な俺には、大きな違いを拾うだけで精一杯だ。それでも、城内で奪った力は俺の中にある。
その代わりに、ライラの叫んだ言葉が抜け落ちていた。
「ユイト!」
名前は覚えている。焦った声だったことも。なのに、そのあとがどうしても出てこない。
「ユイト」
ライラが俺の袖を軽く引いた。
「走れる?」
「ああ」
「よし。逃げ足は残しといてよね」
いつもの調子なのに、俺の顔を確かめる目は笑っていない。
城内で何を叫んだのか、聞きかけて口を閉じた。今はその時間も惜しい。
「お前もな」
ライラは短く頷き、木々の向こうへ視線を戻した。
荷台の背負い袋には、潮待ちの帳簿と偽荷札、納品控えが入っている。
団長が大剣を抜いた。
「道を開ける。セド、合図したら馬車を出せ」
「ああ」
「これ以上、あの粉で人を壊させねぇ。ベックも助ける。帳簿を持って、全員で抜けるぞ」
俺は頷き、剣の柄へ手を置いた。
セレナが車輪の陰から団長を見上げた。
「わたしは、何をすればいいですか」
「見つからないことだ」
団長が馬車を顎で示す。
セレナは一瞬、戸惑った。
「でも、王都の外には出ました。約束はもう――」
「果たした」
ガレウス団長が遮る。
「約束は終わってる。だが、ここで置いてったら見殺しと変わらねぇ。隠れてろ」
セレナが少しだけ目を見開く。
「……分かりました」
セレナは自分で荷台へ上がり、空の木箱の間へ身体を入れた。
ルフスが幌布を掛ける直前、セレナが小さく顔を出す。
「皆さんも、生きてください」
それだけ言って、今度こそ姿を隠した。
林の外で、鎧の擦れる音がした。
一つじゃない。
いくつも重なって、近づいてくる。
馬は走れる。
だが、逃げる道を開けるには、あの騎士たちを押し退けるしかなかった。




