第6話「食糧庫の息づかい」
団長がレナリア先輩を見る。先輩は食糧庫の扉へ意識を向けた。
「中は一人です。動いていません。かなり怯えています」
背後の靴音が近づく。
「入るぞ。声を上げさせるな」
団長が扉を押し開け、俺たちは食糧庫へ滑り込んだ。背後の扉を閉めると、その向こうで声が飛ぶ。
「誰か呼べ! 俺は中を調べる!」
レナリア先輩が、閉じた扉へ顔を向けた。
「一人は離れた。もう一人は、保管庫へ戻った」
「応援を呼びに行ったか」
ガレウス団長が低く言う。
応援が来れば、逃げ道はさらに狭まる。
俺は食糧庫を見回した。
壁一面の棚と、積み上げられた麻袋。その間に空樽が並んでいる。
入ってきた扉の反対側には、荷車がそのまま通れそうな両開きの扉があった。
その脇には、夜番が使った木皿や空樽を積んだ返却用の荷車。取っ手には厨房の返却札が結ばれている。
「出口か?」
ヴィンクが扉を見る。
「少なくとも、荷を出す道ではあるな」
ガレウス団長が返却札へ目を細めた。
「だが、その先がどうなってるか分からねぇ」
レナリア先輩が、右奥の棚を示した。
ガレウス団長が棚の奥へ低く声を投げた。
「そこにいる奴。声を上げるな。こっちも騒ぐ気はねぇ」
少し間があった。
麻袋が、わずかに動く。
その隙間から、ひとりの女の子が姿を見せた。
肩に触れるくらいの青い髪が、薄暗い魔石灯の下で揺れる。
ライラより少し背が高く、俺よりは低い。
服は埃で汚れ、唇も乾いていた。
青緑の瞳が、暗がりにいる俺たちを一人ずつ確かめていく。
怖がっている。
それでも、逃げようとはしなかった。
「……誰ですか」
かすれた声。
けれど、言葉は妙に落ち着いていた。
ガレウス団長が一歩前へ出る。
「通りすがりの盗賊だ。お前こそ、ここで何してる」
彼女の表情が固まった。
「盗賊……」
青緑の瞳が、今度は団長の腰の武器へ向く。
それから、真面目な顔で言った。
「人のものを盗むのは、いけないことです」
ライラが目を丸くした。
「この状況でそれ言う?」
「いけないことは、いけません」
怖くて声が少し震えているくせに、そこだけは譲らないらしい。
「お前、名前は?」
ガレウス団長が聞く。
彼女は迷った。
「……セレナです」
「セレナ。俺たちは急いでる。騒がねぇなら、ここに隠れてろ」
団長が両開きの扉へ向き直ろうとする。
「待ってください」
セレナが一歩出た。
両手は胸元で固く握られている。
「取引をしませんか」
ガレウス団長が振り返った。
「取引?」
セレナは返却用の荷車を指した。
「その荷車がどこを通るか、わたしは知っています。どこで止められて、何を確かめられるかも」
ガレウス団長の目が細くなる。
「条件は」
セレナは一度、息を呑んだ。
それでも、視線は逸らさない。
「わたしも一緒に、王都の外まで連れていってください」
「城の外じゃなく、王都の外か」
「はい。城を出るだけでは、すぐに連れ戻されます」
ヴィンクが低く聞く。
「なんで逃げる」
セレナの両手が、少し震えた。
「明日の朝、北の離宮へ移されます」
「療養のためだと聞かされています。でも、わたしは病気ではありません」
「じゃあ、何のためだ」
セレナは答えかけて、止まった。
「……今は、すべてを話せません」
「ただ、父と母を救うために、王都の外へ助けを求めに行かなければならないんです」
ガレウス団長の眉が動く。
「肝心なところは秘密。それで俺たちに運べって?」
「信じてくださいとは言いません」
セレナはすぐに返した。
「わたしの知っている道が使えるか、皆さん自身で確かめてください。もし嘘なら、わたしも一緒に捕まります」
団長がレナリア先輩を見る。
レナリア先輩はセレナから目を離さず、小さく答えた。
「怖がっています。でも、私たちへの敵意は感じません。それ以上は分かりません」
最後に決めるのは、俺たちだ。
ガレウス団長が鼻を鳴らした。
「盗賊相手に取引か。約束を守ると思うのか?」
セレナは少しだけ困った顔をした。
「取引は約束です。約束は守るものでしょう?」
「相手が盗賊でもか」
セレナは本気で不思議そうに瞬いた。
「……盗賊でも、人なのでしょう?」
一瞬、誰も何も言わなかった。
綺麗すぎる考え方だと思った。
なのに、妙に胸へ残った。
ガレウス団長が、短く息を吐いた。
「分かった。王都の外までだ」
「団長」
ライラが小さく呼ぶ。
「ただし、命の保証はしねぇ。俺の指示には従え」
セレナはまっすぐ頷いた。
「はい。それで構いません」
「じゃあ道を話せ。お前らは荷車の準備だ」
セレナが両開きの扉を指す。ライラと俺は、返却車の荷を寄せて隙間を作り始めた。
「この先は搬出回廊です。夜番の交代前になると、空樽と使い終えた木皿を南の洗い場へ戻します」
「途中で一度、兵が荷の数と返却札を確かめます。返却係の顔は、ほとんど見ません」
「ほとんど?」
ライラが聞く。
「絶対とは言えません」
即座に認めた。
「ここ数日、配膳係と返却車の動きを見ていました。本当は、返却係が来たら一人で荷の下へ隠れるつもりだったんです」
「じゃあ、なんで今あたしたちと取引するの?」
ライラの問いに、セレナは閉じた扉を見た。
「騒ぎになった以上、返却係を待っていたら、その前にここを調べられます」
レナリア先輩が、閉じた扉へ顔を向けた。
「まだ保管庫にいるわ。今のうちに」
全員が動いた。
ガレウス団長が背負っていた袋を下ろす。俺とライラも、持ち出した帳簿や偽荷札、納品控えをそこへまとめ、袋ごと荷車の麻袋へ押し込んだ。
レナリア先輩は、白い粉の小瓶も同じ麻袋へ入れた。
ヴィンクも、裏金の入った革袋二つを空樽の陰へ入れた。
「金より帳簿。帳簿より命だ」
ガレウス団長が低く言う。
「順番を間違えるな」
セレナが荷台へ移ろうとした拍子に、袖口から青銀の細い飾り紐が覗いた。
ライラが気づく。
「それ、着けたまま行くの?」
セレナは飾り紐を見て、一瞬だけ迷った。
「……いいえ。身元が分かるものです」
セレナは飾り紐を外し、同じ麻袋へ入れた。
何の印なのか聞く暇はない。
俺は荷台の麻袋を持ち上げる。
「セレナ。空樽の陰なら外から見えにくい」
「ありがとうございます」
「まだ外には出てないぞ」
「はい。分かっています」
言いながら、自分で荷台へ上がる。
ライラが小さな布を渡した。
「顔、隠して。苦しくなったら荷台を二回叩いて」
「分かりました」
セレナは布で顔を覆い、空樽と麻袋の間へ身を滑り込ませた。
ほぼ同時に、薬材保管庫の方から、男の声が廊下に響いた。
「……帳簿がねぇ」
間を置かず、足音がこちらへ近づく。
「食糧庫か……!」
レナリア先輩が短く言った。
「来る。一人だけ」
ガレウス団長が返却車から手を離した。
「ヴィンク」
「ああ」
二人が扉の両脇へ移る。
俺たちは息を殺した。
取っ手が下がる。
扉が、わずかに開いた。
男が顔を覗かせた瞬間、ガレウス団長の腕が伸びた。
口を塞ぎ、そのまま食糧庫へ引きずり込んだ。
ヴィンクが後ろから腕を押さえる。
「――っ!」
声になる前に、ライラが扉を閉めた。
男の身体が床へ押さえ込まれる。
ガレウス団長が低く言った。
「騒ぐな。じっとしてりゃ、命は取らねぇ」
男が抵抗をやめると、ヴィンクが手早くその手を縛った。
口にも布を噛ませた。
レナリア先輩が扉の向こうへ意識を向ける。
「今のところ、他には来てない」
「なら出るぞ」
俺たちは武器を外套や荷の陰へ隠し、返却係を装って荷車についた。
ガレウス団長が返却車の取っ手を握った。
「押せ」
両開きの扉を開く。
荷車の車輪が、搬出回廊の石床へ転がり出した。
荷の隙間から、セレナの青緑の瞳が覗いた。
殺すと思っていたのかもしれない。
でも、何も言わなかった。
貴重なお時間を使ってお読み下さり、ありがとうございます。
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