第5話「罠の先」
ベックの咳と、手押し車の音が遠ざかっていく。
俺たちは保守通路の壁際で息を潜めた。足元では、細い水路が低く鳴っている。
「……今」
レナリア先輩の囁きに合わせ、通路の奥へ進む。
行き着いたのは、小さな排水点検室だった。錆びた工具の並ぶ壁に、保守扉よりずっと広い鉄扉がある。
《穿界視》で向こうを確かめると、厚い鉄板の外側に、もう一枚、鉄格子の戸があった。その先は外の排水支路だ。
内側の鉄扉には、太い鉄の錠が取りつけられている。鍵穴はこちら側にしかない。外から入口を見つけても、鉄板に遮られて錠には触れない造りだった。
「ここなら、ヴィンクも入れそう」
ライラが鉄扉の幅を確かめる。
「団長たち、呼ぶ?」
「先を確かめてからだ。ここは開けておこう」
俺はしゃがみ込み、鍵穴へ道具を差し入れた。《穿界視》で確かめると、頑丈な錠の中身は普通の仕組みだった。金属の爪を順に持ち上げ、ほどなく錠を外す。
重い鉄扉を引き、外側の格子の閂も外した。水音に紛れるよう、ゆっくり押し開けると、ライラが小声で笑った。
「お、やるじゃん」
「これくらいならな」
「呼ぶ時は、ここから火花を一つね」
「ああ」
内側の扉は開けたまま、外の格子だけを少し戻す。人が通れる隙間を残し、俺たちは部屋の奥の鉄階段へ向かった。
*
濡れた鉄階段を上りきると、足元が乾いた床石に変わった。薬草や香辛料の匂いが鼻に届く。
納品倉の裏通路だ。床には荷車の轍が残り、積まれた荷箱の向こうに魔石灯の明かりが見えた。
「止まって」
レナリア先輩の声に、俺とライラは荷箱の陰へ身を寄せた。
箱一つ隔てた向こうを、荷役が通り過ぎる。俺は肩を壁に押しつけ、足音が離れるのを待った。
荷箱の隙間から、仕分け回廊が見えた。
穀物や薬材の箱が並ぶ奥で、灰色の手袋をした男たちが白い粉を小袋に詰め、薬草の下へ隠している。隣の男が荷札を替え、波印の封蝋を押した。
厨房行き。施療院行き。兵站倉行き。
「……ここで分けてるんだ」
ライラが呟いた時、腰に大きな鍵束を下げた男が回廊の奥から現れた。こいつも灰色の手袋をしている。
男は古い薬材棚の前で足を止め、麻袋をずらした。その陰に、人ひとりが通れる細い通路が口を開ける。
「隠し道……」
男が通路の右壁へ手を伸ばした。
俺は《穿界視》を開く。床下を走る魔力の線が消え、男が通り過ぎると、再び浮かび上がった。
「床に何かある。あいつが通る時だけ、魔力が途切れた」
「止めてから通ってるってこと?」
「たぶん」
しばらく見ていると、別の男が同じ通路から出てきた。その時も、魔力は一度消えた。
普通の荷役は近づかず、粉を扱う連中だけが出入りしている。
調べる価値はある。
人の流れが切れるのを待ち、俺たちは薬材棚へ近づいた。
麻袋の陰へ入ると、数歩先の床石だけ、ひびもなく綺麗だった。
「そこ、踏むな」
《穿界視》で覗くと、石の下に黒い触媒石があった。そこへ魔力を送る銀線が、右の壁へ続いている。
「罠だ」
レナリア先輩が目を閉じ、眉を寄せた。
「……心に干渉するものだと思う。焦りを引っ張られる感じがする」
「どんな罠か分かります?」
「そこまでは。触れないで」
男が手を伸ばした壁にも、線が通っていた。だが、床下の魔力を追っていて、手元の操作までは見ていなかった。
「さっきの人と同じこと、できそう?」
「何をしたか見えてない。下手に触れない方がいい」
ライラが俺の顔を見た。
「団長たち、呼ぼっか」
「ああ」
今度は迷わず頷いた。
*
排水点検室へ戻り、ライラが鉄格子の外へ赤い火花を一つ飛ばした。
しばらくして、濡れた外套を羽織ったガレウス団長が格子をくぐり、開いた鉄扉から入ってきた。肩をすぼめたヴィンクが続く。
団長が、開いた鉄扉の錠を一瞥した。
「こいつを内側から開けたか。上出来だ」
俺が頷くと、団長は通路の奥へ目を向けた。
「それで、何があった」
「粉を分けてる場所の奥に、隠し通路がありました。鍵束を下げた男が入っていったんですが、罠があります」
「そこで戻ったのは正解だ」
俺はヴィンクへ向き直った。
「ヴィンク。鎖槍で、離れたところから罠に触れてほしい」
「分かった。案内しろ」
鎖槍の柄を握るヴィンクに、ライラが笑った。
「やっぱり便利だね、ヴィンク」
「道具扱いするな」
五人で薬材棚へ戻ると、団長が罠の手前でしゃがみ込んだ。
「ユイト。見えることを教えろ。分からねぇもんは、分からねぇでいい」
「はい」
俺は床下の触媒石から、銀線を目でたどった。
「ヴィンク。右壁の下、床から三つ目の継ぎ目だ。その奥の銀線が、罠に魔力を送ってる」
「切れば止まるか?」
「たぶん。さっき男が通る時も、ここの流れが消えてた」
「十分だ。――《鎖槍操術》」
鎖が低く鳴り、穂先が壁石の継ぎ目に食い込む。
ヴィンクが石を浮かせると、隙間から銀線が覗いた。
「そこだ」
穂先が線を断ち、床下の魔力が消えた。
レナリア先輩の表情が緩む。
「引っ張られる感じも、消えたわ」
ヴィンクは槍の先で床石を押した。何も起きない。続いて、穂先を継ぎ目へ差し込み、床石の端を浮かせる。
俺も魔力が戻らないのを確かめ、隙間から覗く黒石に触れた。
冷たい感触があるだけで、《万象奪界》は開かなかった。
やはり、物には反応しない。
壁の隙間に、切れた銀線が覗いていた。
次に連中がここを通れば、侵入がばれる。
「進むぞ。連中が戻る前にな」
団長に続こうとした時、ライラが俺の袖をつまんだ。
「息、浅いよ」
「……ああ」
一度、息を吸って吐く。俺はすぐに団長の背中を追った。
*
隠し通路は、薬草の束が並ぶ棚の裏へ続いていた。棚の脇を抜けると、保管庫の中に出た。
甘ったるい粉の臭いが鼻を刺す。
棚には封蝋袋、床には偽の荷札。壁際には帳簿と、金貨の詰まった革袋が並んでいた。どれにも波印がある。
棚の間を抜けた先には、荷を出し入れするためらしい幅広い扉が見えた。
「罠まで置くわけだ」
ライラが呟く横で、団長が帳簿を開いた。
粉の納品、偽荷札の割り当て、門番への支払い。粉代や利子に加え、預かった札まで記されている。
「王家の金じゃねぇ。潮待ちの連中が、人を縛って溜めた裏金だ」
団長が帳簿を閉じた。
「なら盗む。帳簿、偽荷札、納品控え。裏金は二袋だけだ。逃げ足を鈍らせるな」
団長は帳簿を袋へ押し込み、ヴィンクが革袋を二つ取る。ライラは偽荷札と納品控えをまとめ始めた。
俺は別の帳簿を開いた。
血印を押した運び手たちの一覧。その中に、ベックの名があった。
「次の帳簿、持ってこい」
背後の隠し通路から、男の声が届いた。続いて、足音がこちらへ向かってくる。
ライラが入口を振り返る。俺は開いた頁に目を走らせた。
小間物屋。第二搬入口から南納品倉へ、搬送済み。
家族札、継続預かり。
次回搬送予定――三日後。
「……まだ使う気だ」
レナリア先輩が、ベックの名の横を指した。
「この記号、昨日の手首の印に似てる」
「これで鎖を外せますか」
「分からない。でも、誰がベックを使っているのかは追える」
俺は頷き、帳簿を閉じて袋へ押し込んだ。ライラも納品控えを詰め終え、袋の口を絞る。
その時、近づいていた足音が止まった。
「……おい。仕掛けが落ちてるぞ」
手が止まる。再び聞こえた靴音は、さっきより速かった。
レナリア先輩が目を閉じる。
「二人。こっちへ来る」
「戻り道は使えねぇな」
ヴィンクの言葉に、団長は棚の向こうの扉へ目を向けた。
ベックの咳と、手押し車の音が遠ざかっていく。
俺たちは保守通路の壁際で息を潜めた。足元では、細い水路が低く鳴っている。
「……今」
レナリア先輩の囁きに合わせ、通路の奥へ進む。
行き着いたのは、小さな排水点検室だった。錆びた工具の並ぶ壁に、保守扉よりずっと広い鉄扉がある。
《穿界視》で向こうを確かめると、厚い鉄板の外側に、もう一枚、鉄格子の戸があった。その先は外の排水支路だ。
内側の鉄扉には、太い鉄の錠が取りつけられている。鍵穴はこちら側にしかない。外から入口を見つけても、鉄板に遮られて錠には触れない造りだった。
「ここなら、ヴィンクも入れそう」
ライラが鉄扉の幅を確かめる。
「団長たち、呼ぶ?」
「先を確かめてからだ。ここは開けておこう」
俺はしゃがみ込み、鍵穴へ道具を差し入れた。《穿界視》で確かめると、頑丈な錠の中身は普通の仕組みだった。金属の爪を順に持ち上げ、ほどなく錠を外す。
重い鉄扉を引き、外側の格子の閂も外した。水音に紛れるよう、ゆっくり押し開けると、ライラが小声で笑った。
「お、やるじゃん」
「これくらいならな」
「呼ぶ時は、ここから火花を一つね」
「ああ」
内側の扉は開けたまま、外の格子だけを少し戻す。人が通れる隙間を残し、俺たちは部屋の奥の鉄階段へ向かった。
*
濡れた鉄階段を上りきると、足元が乾いた床石に変わった。薬草や香辛料の匂いが鼻に届く。
納品倉の裏通路だ。床には荷車の轍が残り、積まれた荷箱の向こうに魔石灯の明かりが見えた。
「止まって」
レナリア先輩の声に、俺とライラは荷箱の陰へ身を寄せた。
箱一つ隔てた向こうを、荷役が通り過ぎる。俺は肩を壁に押しつけ、足音が離れるのを待った。
荷箱の隙間から、仕分け回廊が見えた。
穀物や薬材の箱が並ぶ奥で、灰色の手袋をした男たちが白い粉を小袋に詰め、薬草の下へ隠している。隣の男が荷札を替え、波印の封蝋を押した。
厨房行き。施療院行き。兵站倉行き。
「……ここで分けてるんだ」
ライラが呟いた時、腰に大きな鍵束を下げた男が回廊の奥から現れた。こいつも灰色の手袋をしている。
男は古い薬材棚の前で足を止め、麻袋をずらした。その陰に、人ひとりが通れる細い通路が口を開ける。
「隠し道……」
男が通路の右壁へ手を伸ばした。
俺は《穿界視》を開く。床下を走る魔力の線が消え、男が通り過ぎると、再び浮かび上がった。
「床に何かある。あいつが通る時だけ、魔力が途切れた」
「止めてから通ってるってこと?」
「たぶん」
しばらく見ていると、別の男が同じ通路から出てきた。その時も、魔力は一度消えた。
普通の荷役は近づかず、粉を扱う連中だけが出入りしている。
調べる価値はある。
人の流れが切れるのを待ち、俺たちは薬材棚へ近づいた。
麻袋の陰へ入ると、数歩先の床石だけ、ひびもなく綺麗だった。
「そこ、踏むな」
《穿界視》で覗くと、石の下に黒い触媒石があった。そこへ魔力を送る銀線が、右の壁へ続いている。
「罠だ」
レナリア先輩が目を閉じ、眉を寄せた。
「……心に干渉するものだと思う。焦りを引っ張られる感じがする」
「どんな罠か分かります?」
「そこまでは。触れないで」
男が手を伸ばした壁にも、線が通っていた。だが、床下の魔力を追っていて、手元の操作までは見ていなかった。
「さっきの人と同じこと、できそう?」
「何をしたか見えてない。下手に触れない方がいい」
ライラが俺の顔を見た。
「団長たち、呼ぼっか」
「ああ」
今度は迷わず頷いた。
*
排水点検室へ戻り、ライラが鉄格子の外へ赤い火花を一つ飛ばした。
しばらくして、濡れた外套を羽織ったガレウス団長が格子をくぐり、開いた鉄扉から入ってきた。肩をすぼめたヴィンクが続く。
団長が、開いた鉄扉の錠を一瞥した。
「こいつを内側から開けたか。上出来だ」
俺が頷くと、団長は通路の奥へ目を向けた。
「それで、何があった」
「粉を分けてる場所の奥に、隠し通路がありました。鍵束を下げた男が入っていったんですが、罠があります」
「そこで戻ったのは正解だ」
俺はヴィンクへ向き直った。
「ヴィンク。鎖槍で、離れたところから罠に触れてほしい」
「分かった。案内しろ」
鎖槍の柄を握るヴィンクに、ライラが笑った。
「やっぱり便利だね、ヴィンク」
「道具扱いするな」
五人で薬材棚へ戻ると、団長が罠の手前でしゃがみ込んだ。
「ユイト。見えることを教えろ。分からねぇもんは、分からねぇでいい」
「はい」
俺は床下の触媒石から、銀線を目でたどった。
「ヴィンク。右壁の下、床から三つ目の継ぎ目だ。その奥の銀線が、罠に魔力を送ってる」
「切れば止まるか?」
「たぶん。さっき男が通る時も、ここの流れが消えてた」
「十分だ。――《鎖槍操術》」
鎖が低く鳴り、穂先が壁石の継ぎ目に食い込む。
ヴィンクが石を浮かせると、隙間から銀線が覗いた。
「そこだ」
穂先が線を断ち、床下の魔力が消えた。
レナリア先輩の表情が緩む。
「引っ張られる感じも、消えたわ」
ヴィンクは槍の先で床石を押した。何も起きない。続いて、穂先を継ぎ目へ差し込み、床石の端を浮かせる。
俺も魔力が戻らないのを確かめ、隙間から覗く黒石に触れた。
冷たい感触があるだけで、《万象奪界》は開かなかった。
やはり、物には反応しない。
壁の隙間に、切れた銀線が覗いていた。
次に連中がここを通れば、侵入がばれる。
「進むぞ。連中が戻る前にな」
団長に続こうとした時、ライラが俺の袖をつまんだ。
「息、浅いよ」
「……ああ」
一度、息を吸って吐く。俺はすぐに団長の背中を追った。
*
隠し通路は、薬草の束が並ぶ棚の裏へ続いていた。棚の脇を抜けると、保管庫の中に出た。
甘ったるい粉の臭いが鼻を刺す。
棚には封蝋袋、床には偽の荷札。壁際には帳簿と、金貨の詰まった革袋が並んでいた。どれにも波印がある。
棚の間を抜けた先には、荷を出し入れするためらしい幅広い扉が見えた。
「罠まで置くわけだ」
ライラが呟く横で、団長が帳簿を開いた。
粉の納品、偽荷札の割り当て、門番への支払い。粉代や利子に加え、預かった札まで記されている。
「王家の金じゃねぇ。潮待ちの連中が、人を縛って溜めた裏金だ」
団長が帳簿を閉じた。
「なら盗む。帳簿、偽荷札、納品控え。裏金は二袋だけだ。逃げ足を鈍らせるな」
団長は帳簿を袋へ押し込み、ヴィンクが革袋を二つ取る。ライラは偽荷札と納品控えをまとめ始めた。
俺は別の帳簿を開いた。
血印を押した運び手たちの一覧。その中に、ベックの名があった。
「次の帳簿、持ってこい」
背後の隠し通路から、男の声が届いた。続いて、足音がこちらへ向かってくる。
ライラが入口を振り返る。俺は開いた頁に目を走らせた。
小間物屋。第二搬入口から南納品倉へ、搬送済み。
家族札、継続預かり。
次回搬送予定――三日後。
「……まだ使う気だ」
レナリア先輩が、ベックの名の横を指した。
「この記号、昨日の手首の印に似てる」
「これで鎖を外せますか」
「分からない。でも、誰がベックを使っているのかは追える」
俺は頷き、帳簿を閉じて袋へ押し込んだ。ライラも納品控えを詰め終え、袋の口を絞る。
その時、近づいていた足音が止まった。
「……おい。仕掛けが落ちてるぞ」
手が止まる。再び聞こえた靴音は、さっきより速かった。
レナリア先輩が目を閉じる。
「二人。こっちへ来る」
「戻り道は使えねぇな」
ヴィンクの言葉に、団長は棚の向こうの扉へ目を向けた。
「ぶつかるより、城内側へ抜けるぞ」
団長が帳簿の入った袋を担ぎ、棚の間を抜ける。扉を細く開けて外を確かめ、俺たちを手招きした。
保管庫の外は廊下だった。最後に出た俺が扉を引くと、その表に「薬材保管庫」の札が揺れた。
閉じた扉の向こうで、靴音が響く。
団長が角の先へ顎をしゃくった。俺たちは足音を忍ばせ、その後を追う。
角を曲がると、「食糧庫」と札のかかった扉が見えた。
「いったん、ここに隠れる」
団長が声を落とし、取っ手へ手をかけた。扉の隙間から、乾いた穀物と焼き上がったパンの匂いがする。
その奥で、かすかな呼吸音がした。
団長の手が止まる。
背後で、保管庫の扉が開く音がした。靴音が廊下へ出てくる。
ライラと目が合った。彼女も、食糧庫の扉と曲がり角へ素早く目を走らせる。
ここにいれば見つかる。
けれど、この扉の向こうにも誰かがいる。
貴重なお時間を使ってお読み下さり、ありがとうございます。
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