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奪うほど欠けていく俺は、今度こそ居場所を守りたい ~能力も記憶も感情も奪う《万象奪界》の異世界盗賊譚~  作者: 色乃理
第二章 王都潜入

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第3話「近道の囁き」

 王都の夜は、昼よりもよく喋る。

 酒場の笑い声。路地裏の咳。石畳を急ぐ靴音。

 灯りが増えるほど、その隙間にある影まで濃くなる。

 「五人で固まるな」

 宿を出るとき、ガレウス団長はそう言った。

 「水門が動くまで、昼の荷車が消えた裏通りを読む。二つ先の角まで散れ。仲間の顔をするな」

 俺たちは下町の人波へ、別々に紛れた。

 団長は少し前。

 レナリア先輩とヴィンクは通りの反対側。

 俺とライラは、古着屋の軒下を歩く。

 近くにいる。

 けれど、五人が仲間には見えない距離だ。

 「ユイト」

 ライラが前だけを見たまま、小声で言う。

 「団長に言われたこと、覚えてる?」

 「車輪の先と、道の下」

 「あと?」

 「……人の中身に答えを探さない」

 「よし」

 「お前、レナリア先輩みたいになってきたな」

 「誰のせいだと思ってんの」

 言い返せない。

 鼻の奥には、白い粉の甘ったるい匂いがまだ残っている。

 奪えば早い。

 それを知っているからこそ、今夜は自分の足で追う。


*


 最初に目に入ったのは、貴族街の外れだった。

 白い石の建物。窓から漏れる楽の音。飾り金具まで磨かれた馬車。

 通りの角で、絹の外套を羽織った青年が、同じような身なりの男へ詰め寄っている。

 「……お前さえいなければ、父上は俺を選んだ」

 「選ばれないのは、お前が弱いからだろ」

 「黙れ……ッ」

 拳が震えていた。

 「金持ちでも、ああいう顔するんだな」

 俺が呟くと、ライラがちらりと見る。

 「嫉妬に金持ちとか関係ないでしょ」

 「……俺も、あんな顔してた?」

 「あたしの火見てたとき?」

 「言うな」

 「してたしてた。もっと情けない顔」

 「余計だ」

 悔しい。羨ましい。追いつきたい。

 ライラが顎で先を示した。

 「でも、あの人たちは今日の仕事じゃない」

 「分かってる」

 「じゃ、次」

 一本先の通りへ入る。

 屋台から焼いた栗の匂いが流れてきた。

 幼い子どもが笑い、母親らしい女がその手を引いている。

 一瞬だけ、普通の夜だった。

 けれど、その先の路地へ踏み込んだ途端。

 栗の香りは、甘ったるい薬臭さと酒と汗の臭いに塗りつぶされた。

 背の低い建物の陰で、商人風の男が小袋を揺らしている。

 灰色の手袋。

 片耳には細い銀環。

 笑っているのに、目だけが笑っていない。

 向かいにいるのは、三十を少し過ぎたくらいの男だった。

 袖には安い染料の跡。指先には細かな切り傷。

 小さな店を、自分の手で回している人間の手に見えた。

 俺たちは壁際へ寄り、立ち話をするふりで耳を澄ませた。

 「今月で三袋目だ、ベック」

 「高すぎる……」

 ベックと呼ばれた男は、唇を噛んだ。

 「店を潰すより安いだろ。夜は眠れず、昼は手が震える。粉がなきゃ釣り銭も数えられないんじゃ、商売どころじゃねぇ」

 「来月には返す。店の品が売れれば……」

 「来月?」

 商人風の男が鼻で笑った。

 「粉代も借金も、きっちり記録してある。返せねぇなら、別の形で返してもらう」

 商人風の男が懐から、一枚の羊皮紙を取り出す。

 波打つ線が二本。

 ――潮待ち。

 俺とライラの視線が、一瞬だけ重なった。

 「明日の昼過ぎ。水門が開く前に、王城の裏門へ行け」

 商人風の男が羊皮紙を読み上げる。

 「裏門で荷役札を見せる。荷を引く。中身は問わない。誰にも話さない。届けば、今月分の利子は消す」

 「……俺は、ただの店主だ」

 「だから使いやすいんだよ」

 男は楽しそうに笑った。

 「門番は商人を疑わねぇ。王城の納品倉も、荷役札があれば通れる」

 ベックの目が揺れる。

 「家族の札は……返してくれ。妻と子は関係ないだろ」

 「関係あるから、こうして使ってんだろ」

 ベックの顔が歪んだ。

 「俺の札なら好きにしろ。店だって持っていけばいい。だから、家族だけは――」

 「駄目だ」

 商人風の男は即答した。

 「逃げれば、妻子の札は無札区へ流す。店も明日には差し押さえる」

 ライラが一歩踏み出しかけた。

 俺も奥歯を噛む。

 札と借金だけで、人をここまで追い込める。

 商人風の男が、羊皮紙の端を指で叩いた。

 「嫌なら押さなくていい」

 男は羊皮紙をベックの前へ差し出した。

 「粉を欲しがったのも、借金したのもお前だ。俺は返し方まで用意してやってる」

 そして、血印の欄を示す。

 「書いたことしか縛れねぇ。余計なことも書いてない」

 ベックは、しばらく動かなかった。

 「……これをやれば、家族には手を出さないんだな」

 「荷をちゃんと運べばな」

 ベックは俯いた。

 それでも最後には、指先を噛んだ。

 血が滲む。

 親指が、紙へ落ちる。

 赤黒い光が走った。

 細い鎖みたいな魔力が、血印からベックの手首に絡みつき、袖の下へ潜っていく。

 血印の光が消えると、俺たちは何事もなかったように歩き出した。レナリア先輩が通りすがりを装い、俺たちの横で歩調を緩める。

 視線は前のまま。唇だけが動く。

 「……誓いを魔力で縛る系ね」

 「分かるんですか」

 「似たものを、一度だけ見た」

 「破ったら?」

 「痛み。魔力も削られる」

 ライラが歩調を変えずに囁く。

 「じゃあ、何でも命令できるの?」

 「いいえ。書かれたことだけ」

 「でも、あれ……同意って言えるの?」

 「言えることにされるのよ」

 先輩の声がわずかに硬くなる。

 「能力だけなら万能じゃない。でも家族の札と借金まで握られたら、破れない。話せない。逃げられない」

 「だから証言も出ない……」

 「ええ」

 レナリア先輩は、それ以上言わずに俺たちを追い越した。

 ベックは手首を押さえていた。

 その手の震えが止まらない。

 粉のせいか。契約のせいか。

 もう、どちらかなんて分けられないのかもしれない。

 商人風の男が、路地脇の手押し車を引き出した。

 荷台には木箱がいくつも積まれ、荷縄には波の印がついている。

 「明日、これを引け。裏門を抜けたら、南の納品倉まで止まるな」

 男が、木製の荷役札をベックへ放った。

 「潮待ちの荷を遅らせるな」

 ベックは木札を握り、手押し車の柄を掴んだ。

 俯いたまま、こちらへ歩いてくる。

 すれ違う。

 肩が触れるほど近い。

 手を伸ばせば届く。

 触れれば、《万象奪界》が開く。

 そのとき初めて、ベックから何を奪えるのかが分かる。

 何日もかかる手順を、飛ばせるかもしれない。

 動きかけた指を、俺は握り込んだ。

 先を歩いていたレナリア先輩が歩調を緩め、俺たちが追いついたところで声を落とした。

 「今ここで、彼に触れる必要はないわ。もう十分、手がかりはある」

 「……はい」

 ベックは、もう俺たちの横を通り過ぎている。

 「……危なかった」

 俺が呟く。

 「うん」

 ライラは否定しなかった。

 「でも止まれた」

 ライラが遠ざかる手押し車へ目を向けた。

 ライラの指先に、小さな火花が灯った。

 赤い粒がひとつ、遠ざかる手押し車の荷縄をかすめる。

 結び目の裏に、豆粒ほどの焦げ跡が残った。

 誰も振り返らない。

 俺は思わず、ライラの指先を見た。

 「……便利だな、その火」

 「なに。嫉妬?」

 「……ちょっとな」

 ライラが小さく笑う。

 「触らなくても、できることあるでしょ」

 「分かってるよ」

 「じゃ、ユイトは見る係」

 「はいはい」


 今日は答えを抜き取る日じゃない。

 答えへ続く道を、見失わない日だ。


*


 宿へ戻ると、ガレウス団長が地図を広げた。

 「報告」

 俺たちは、見たものを順に置いていく。


 「南の納品倉」

 「明日の昼過ぎ」

 「水門が開く前」

 「潮待ちの荷役札」


 ライラが最後に指を立てた。

 「あと、荷縄にあたしの印。結び目の裏」

 「見つかるか?」

 ヴィンクが聞く。

 「近くまで行けば。あたしなら分かる」

 「十分だ」


 ガレウス団長が頷いた。

 「明日はベックと荷を追う。倉へ入る道を確認する」

 「ベックは?」

 俺が聞く。

 「助けられる余地があるなら助ける」


 団長の声は低かった。

 「だが、今は契約の解き方も、あの鎖を誰が握ってるかも分からねぇ。焦って鎖を引っ張れば、首が締まるのはあいつだ」

 「助けるためにも、順番がいるんですね」

 「ああ。善意で首を締めたら笑えねぇ」

 俺は頷いた。

 「よし」

 セドが大きく伸びをした。


 「難しい話は終わり。腹減った」

 「お前、さっきからそれしか考えてないだろ」

 ヴィンクが言う。

 「腹が減ってると良い作戦も出ねぇんだよ」

 隣で鍋を覗き込んでいたライラが、すぐに口を挟んだ。

 「さっきの作戦、セドほとんど喋ってなかったじゃん」

 「心の中では三つくらい出してた」

 「それ、誰にも伝わってないよ」


 思わず笑いそうになった。

 宿の女将から買った煮込みを囲む。

 肉と根菜だけの飯だった。

 セドが二杯目の酒に口をつけたころには、今度は口まで軽くなっていた。

 「そういや俺が北街道で、七人の追手を一人で撒いた話したっけ?」

 「昨日は五人だった」

 ヴィンクが即答する。


 「この前は四人だったよ」

 ライラは食べる手を止めない。

 レナリア先輩が淡々と続けた。


 「最初は三人だったわね」

 セドが頭を抱えた。

 「お前ら、どうでもいいことだけ記憶力よすぎだろ!」

 ガレウス団長が酒を飲みながら言った。

 「来月には十人だな」

 「増えねぇよ! 前のは言い間違いだ、七人で合ってる!」


 俺も思わず口を挟む。

 「言い直すたびに増えてんじゃねぇか」

 セドが俺を指差した。


 「ユイト、お前まで!」

 その隙に、ライラの手がセドの器へ伸びる。

 肉が一切れ消えた。


 「おい!」

 「自慢話の代金」

 「それ一番柔らかいとこだぞ!」

 「七人分なら安いでしょ」

 「七人は本当なんだって!」

 「三人よ」

 レナリア先輩の一言で、俺はとうとう耐えられなくなった。

 「っ、はは……!」

 「笑いすぎだろ!」

 「だって……三人が七人に……っ」

 「増えてねぇ! 最初から七人!」

 「三人よ」

 「またそれ言うんですか!」


 腹が痛い。

 こんなふうに、声を上げて笑ったのは久しぶりだった。

 「ほら」

 ライラが、柔らかく煮えた根菜を俺の器へ落とした。

 「これ好きでしょ」

 「お前も好きだろ」

 「あたしは肉もらったから」

 「盗ったんだよ」

 「細かいなあ」

 向かいでレナリア先輩の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

 その頬は、いつの間にか赤い。


 「レナリア先輩、酒弱いんですね」

 「弱くないわ」

 「弱い」


 ヴィンクの即答。

 「ヴィンク」

 「事実だ」


 ライラが吹き出す。

 「レナリア先輩、人の感情は分かるのに、自分が酔ってるのは分かんないんだ」

 「……関係ないわ」

 「じゃあ恋愛も分かる? 相手が自分のこと好きとか」

 レナリア先輩の杯が、一瞬だけ止まった。

 「分かるのは、感情の波だけよ。安心してる。信頼してる。好意がある。大切に思ってる」

 「十分じゃん」

 「十分じゃないわ」


 先輩は小さく酒を口にした。

 「その好意が、どういう意味なのかまでは分からないもの」

 「ふーん」


 ライラが妙な顔で笑った。

 「何よ」

 「別にー」


 ガレウス団長が空になった杯を置く。

 レナリア先輩はそちらを見ていなかったのに、自然に酒袋を取っていた。

 「悪い」

 「いつものことです」

 セドはまた話を盛り始め、ライラは次の肉を狙い、ヴィンクが呆れた顔をする。

 笑い声が、宿の狭い部屋に残った。


*


 団員たちは、毛布にくるまって転がっている。

 少し離れたところでは、誰かのいびきがうるさい。

 「……うるせぇな」

 隣からヴィンクの低い声がした。

 「俺じゃねぇ」

 暗闇の向こうでセドが答える。

 「お前だ」

 「寝てる間のことなんか知らねぇよ……」


 それきり、また寝息だけが残った。

 俺は目を閉じる。

 けれど、血印を押したベックの手首が浮かんだ。

 「……まだ起きてる?」


 すぐ近くから、小さな声がした。

 顔を向けると、隣の寝床からライラがこっちを見ていた。

 毛布を肩までかぶったまま、声だけを落としている。

 「なんで分かった」

 「寝返り多すぎ」

 「数えてたのかよ」

 「途中からね」


 ライラが毛布の隙間から手を伸ばした。

 俺の手を取って、両手で包む。

 少しだけ眉をひそめる。

 「やっぱり冷たい」

 「大丈夫だ」

 「こんなに冷たいのに?」

 「……温めなくていい」

 「やだ」

 「即答かよ」

 「冷たいまま寝かせる方が気になる」

 手を引こうと思えば、引ける。

 ベックの手首に絡んでいた鎖とは違う。

 それでも俺は、手を引かなかった。

 胸の奥の張りつめたものが、少しだけ緩む。


 「明日さ」

 ライラは毛布に半分顔を埋めた。

 「また近道を見つけても、一人で行かないで」

 「……行かないよ」

 「ほんと?」

 「今日は疑い深いな」

 「いつもだってば」


 少しだけ笑った。

 ライラも笑う。

 「明日は、あの荷を追う。ベックを見失わない」

 「ああ」

 「じゃ、もう寝よ。手はこのままね」


 俺は小さく頷いた。

 暗い部屋の外で、どこかの水路が低く鳴った気がした。

 明日、潮が満ちる。

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