第9話「奪うべきもの」
朝靄の中、村人から得た情報を頼りに、俺たちは街道を外れ、小さな集落へ入った。戸は閉ざされ、窓の隙間から怯えた目だけが覗いている。
目的は、白い粉を売る一味のアジトを押さえ、周辺への流通を断つこと。粉は人を高揚させ、効き目が切れると、嫉妬と破壊衝動が抑えられなくなる。
辺境で見た虚ろな目と、《万象奪界》で壊した男の姿が重なり、背筋が冷えた。
「……こっち」
レナリア先輩が手で合図する。
先輩は目を細め、見えないはずの“気配”を拾い上げるように歩いた。導かれるまま進むと、一軒の廃屋へ辿り着く。板張りの壁は黒ずみ、窓は内側から塞がれている。廃屋が外を拒んでいるようで、見ているだけでも息苦しい。
「ここで間違いない。魔力反応が……変。濃いだけじゃない。質が、嫌だ」
ガレウス団長が短く頷き、俺たちに視線を回した。
「気を抜くなよ。……ユイトは温存しろ。必要になったら――俺が言う」
前の戦いで奪った《矜持》が、俺の中で何になるのかは分からない。怖いのは、奪える自分を頼ってしまうことだ。
「ユイト」
ライラが俺の手を取った。その熱に、意識が戻る。
「今日は、あたしが戦う。ユイトは温存して」
「無理すんな」
「だから、“ちゃんと”やる」
「……分かった。背中は俺が見る」
ライラは頷き、扉の前で息を整えた。
「三拍で撃って離脱。長居しないで」
レナリア先輩の言葉に、ライラが頷く。
*
扉を蹴破って突入した瞬間、異様な空気が鼻を刺した。
床には酒瓶。煙を吐く奇妙な香炉。
「煙を吸わないで」
レナリア先輩が低く注意を促す。
奥の部屋には、虚ろな目をした人間たちがうずくまっている。息はあるのに、魂が抜けたみたいな顔。その中央に――一人の男が立っていた。派手な上着。白すぎる肌。
姿だけ見れば、妙な男で済んだ。
けれど、目が違う。
暗い赤の瞳。その奥で、魔力が渦を巻くように動いている。
「……なに、あいつ。人間……なの?」
ライラの声が小さくなった。
レナリア先輩の表情が変わる。
「……魔族」
その一言で、ガレウス団長がすぐに武器を構えた。
「全員、距離を取れ。あいつを人間と同じだと思うな」
「魔族……?」
俺が聞き返しても、団長は男から目を離さなかった。
魔族と呼ばれた男は、俺たちを見回した。
団員の数。ガレウス団長の立ち位置。レナリア先輩の静かな殺気。それらを一つずつ舐めるように見て――唇を歪めた。
「……はは。多いな。しかも、そこの大男と女は別格か」
魔族の笑みが、少しだけ壊れる。
「勝てねぇな、これは。俺はここまでか」
あまりにもあっさりした言葉だった。だが、その瞳の赤は消えない。むしろ、濃くなる。
「だからいい。力を余らせて死ぬ方が、よほど惨めだ。だったら最後まで使わせてもらう。俺の力を。俺の目を。俺の魔力を。お前ら人間の悲鳴で、ここを埋めてやる」
瞳の奥の赤が、ぐるりと回った。
その瞬間、ライラの膝が沈んだ。
「身体が……重い」
「見られている間、動きを鈍らせる力かもしれない」とレナリア先輩が低く告げた。
魔力弾が床を抉る。ライラは紙一重でかわしたが、頬を熱が掠め、髪が焦げた。
「いいねぇ。その顔だ」
魔族は楽しそうに笑っていた。
「――舞って。《紅蓮舞踏》!」
ライラの周囲に火が咲いた。
花弁は刃へ変わり、踊るように宙へ浮く。無数の紅い短剣が呼吸に合わせて揺れ、一斉に切っ先を魔族へ向けた。
「――いって!」
紅の刃を放とうとした途端、ライラの腕にまた重さがのしかかった。
紅刃の動きがわずかに遅れた。
「おせぇよ」
魔族は半身で避け、指先から魔力弾を連射した。
床が抉れ、壁が破れる。
香炉まで吹き飛び、白い煙が廃屋の中へ一気に広がった。
煙が喉を焼く。息が短くなる。
(吸うな。煙は敵だ)
レナリア先輩の言葉が頭の奥で鳴る。
ライラの肩が上下する。
視線に絡まれて、呼吸も乱れて、火の制御がわずかにブレる。
それでも――前にいる。
(ライラには――触れさせない)
俺の掌が熱を持つ。奪えば早い。
「団長!」
「俺たちはあの連中を守る。お前は起点を読め。ライラを支えろ」
ガレウス団長たちは、うずくまる人々を庇うように前へ出た。魔族が天井を撃ち抜くと、人々の悲鳴が上がる。奴はそれを聞いて笑った。
レナリア先輩は、すでに動いていた。
「視線を切る。ユイト、赤い瞳を見て」
俺は《穿界視》の焦点を、魔族の赤い瞳へ絞った。
瞳の奥から、細い魔力が伸びている。
その先は――ライラ。
ライラが右へ動く。
赤い瞳が追う。
魔力も追う。
そのたびに、ライラの足がわずかに遅れる。
(……目だ)
先輩が魔族の正面へ踏み込む。
赤い瞳が、ライラから外れた。
「……っ!」
ライラの身体が一気に前へ出る。
(やっぱりだ)
「ライラ! 見られてる間だけ重くなる! あいつの視線を切れ!」
「……戻った!」
だが、ライラの足が一瞬だけ止まった。
灰色の森で見たのと同じだった。
怖くて、身体が動かなかったあの時と。
ライラは自分の脚を一度だけ見た。
「……動け」
小さく呟く。
「今度は、動け!」
地面を蹴った。
火の刃が、ライラの動きに遅れずついてくる。
ライラは一拍ごとに一刃を放つ。
三拍で三本を撃ち切る。魔族がそれをかわす間に、ライラは間合いを外した。
レナリア先輩が魔族へ斬りかかる――視線を固定させるための切り込みだ。魔族は舌打ちして、先輩へ魔力弾を放つ。
魔力弾が唸りを上げて迫る。
先輩は半身になって直撃を避ける。肩口を焼かれても、踏み込みを止めない。
「……やっぱり嫌だ。質が、腐ってる」
「うるせぇよ、人間」
魔族が笑う。
「どうせ終わるなら、派手に終わってやるよ」
魔族が、ライラへ視線を戻そうとする。
すかさず、ライラが叫んだ。
「燃えて――終わって!《紅蓮舞踏・終舞》!」
三本の紅刃が一直線に飛ぶ。
魔族の視線が絡むより先に、レナリア先輩が踏み込み、顔の前で刃を振り抜く。
ほんの一瞬、魔族の赤い瞳が揺れた。
その隙に、紅刃が迫った。
紅刃が片腕を裂き、別の一刃が踏み込む脚を焼く。
体勢を崩した魔族の胸元へ、残る刃が食い込み、内側を巡る魔力の流れを乱した。
魔族が、初めて苦痛に歯を剥いた。
「……っ、はは……いいねぇ……! 人間のくせに……!」
笑いながら、魔力弾を作ろうとする。
けど、作れない。
胸元の火が、魔力の流れを焼いている。
レナリア先輩が低く言った。
「今」
「うん――!」
ライラが最後の一歩を踏み込む。
今度は遅れない。
胸元に食い込んだ最後の紅刃が、さらに深く燃え上がり、戦いに“終わり”を刻む。
「……終わり。ここで、止める!」
魔族の身体に、火の線が走った。
魔族の輪郭が、崩れた。
肉が砕けるんじゃない。
黒い灰でもない。
魔力の粒子が、風にほどけるみたいに消えていく。
キラキラと、嫌な光だけを残して。
「……っ、消え……」
ライラが息を吐いた。
膝が少し揺れる。
レナリア先輩が腕を支えた。
「倒した。……でも、油断しないで」
魔族が消えると、団員たちは粉の効き目が切れた後の暴走に備え、正気を失った連中を拘束した。ガレウス団長が香炉の火を踏み消した。
静けさが、遅れて落ちてくる。
*
廃屋から金貨、薬、帳面を回収し、白い粉は一瓶だけ証拠としてレナリア先輩に預けた。帳面の端には、二行の走り書き。
『潮が満ちたら運べ』
『都の受取口へ』
迷いのない、書き慣れた筆跡だった。
「王都に根がある。白い粉だけの話じゃ済まねぇ」
拘束した者たちは集落の者たちに預け、その日のうちに金や物資も渡した。礼も罵声も、どちらも正しかった。
ライラが手を握ったり開いたりしていた。
さっきまで赤い瞳に動きを縛られていた身体が、まだ重いのだろう。
「……ライラ」
「ん。大丈夫。……震えてない。たぶん」
言いながら、笑う。
でも、その顔は少しだけ青ざめている。
廃屋の前で、ガレウス団長が集まれと顎をしゃくった。
「……さっきの、見たな。あれが、魔族だ」
「魔族……」
俺は息を呑んだ。
ガレウス団長は空を見上げ、吐き捨てるみたいに言った。
「勇者が魔王を倒してから、もう二百年近い」
ガレウス団長は、廃屋の方へ目を向けた。
「魔王討伐前後の大戦で、文明も記録も、昔の魔術技術もずいぶん失われた。今じゃ魔族なんざ、昔話だと思ってる奴の方が多い」
「……じゃあ、さっきのは」
「消えたわけじゃねぇってことだ」
団長の声が低くなる。
「魔王が倒れた夜に姿を消した幹部がいるって話も残ってる。二百年経った今も、そいつらを見たって噂は消えちゃいねぇ」
「……最近は、ほとんど見ないって聞きました」
レナリア先輩が言う。
「ああ。だから俺も油断してた。まさか、こんな所で出会うとはな」
俺は、魔族の身体がほどけていく光景を思い出した。
黒い灰すら残らなかった。
「魔族や魔獣は死ぬと魔力に還る。死体が残らねぇから、後から痕跡を追うのも難しい」
ライラが小さく言った。
「……でも、倒せる」
団長は小さく頷く。
「倒せる。だが甘く見るな。俺が今まで会った魔族は、どいつも力を振るうことに飢えてた。今日みたいに覚悟と手順が揃わなきゃ死ぬ」
ガレウス団長は帳面を懐へ押し込み、俺たちを見回した。
「王都で根を掘り返す。白い粉の裏に魔族が一匹いただけならいい。だが――」
団長は懐の帳面を軽く叩く。
「魔族の手が王都まで伸びてるなら、話は別だ」
俺は頷いた。
なのに頭の中では、もう別の考えが動き始めていた。
誰から何を奪えば、一番早く終わるのか。
――奪えば早い。
その考えが自然に浮かんだことの方が、怖かった。
ライラが俺の前へ回り込み、視界を塞いだ。
「ユイト。いまの顔、王都の門番に見せたら“捕まる”やつ」
「……は?」
「“怪しい”。すっごく。“悪いこと考えてます”って書いてある」
俺が顔を逸らすと、ライラも同じ方へ半歩ずれ、わざと明るく笑った。
「ほら。深呼吸。……吸って、吐いて」
「……っ」
「もう一回」
言われたとおり、もう一度ゆっくり息を吸って吐く。
目の前で、ライラの目だけが笑っていなかった。
「……悪い」
「置いてかないでよ」
俺は小さく頷いた。
それを見て、ライラはようやく道を空けた。
昼過ぎ、霧は薄れていった。
街道は広くなり、人と荷車の数も増えていった。
やがて、街道の先に王都の城壁が姿を現す。
その下には、門を通るのを待つ人と荷車の長い列が続いていた。
王都。
帳面の文字が、頭に残っている。
――潮が満ちたら運べ。
――都の受取口へ。
ここまでは、まだ入口だった。
俺は高い城壁を見上げる。
(奪うべきものは――この向こうにある)
団長もその向こうへ目を向け、低く言った。
「ここから先は、森より面倒だぞ」
ライラが俺の袖をつまむ。
「変な顔して、門番に捕まらないでよ?」
「分かってる」
俺たちは、王都へ入る列の最後尾へ並んだ。
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引き続き、ユイトたちの物語をよろしくお願いします。




