32-2.
*****
日時がやや経過し。
デモンが寝泊まりをしている宿の一室にレイドの部下を名乗る少年のような青年が訪ねてきた。
すぐに署にまで出向いてもらいたいという用向きだった。
どうして本人が来ないんだ?
そう訊ねた次第だが、すると、「レイドは今、動けません」と事務的でしかない返答があった。
「怪我でもしたのか? それともいきなり病気でも患った?」
「いえ、現状、いずれでもありません。署を襲撃するという声明があったんです」
「声明? 誰の声明だ?」
「イクミ・ガラハウです」
背中が、背筋がぞわとした。
奴さんがそんなつまらないことをする人物だとは思えない。
世捨て人みたいな男だったなとは、つい近頃思い出したのだ。
*****
警察署。
以前、通された一室。
デモンは椅子の上でふんぞり返っている。
レイドは机に両肘をつき、手の指を絡ませ合って難しい顔をしている。
「仮にマジな特A級の使い手である場合、早々に逃げるべきではないのかね?」
「冷ややかですね。警察署は安全の象徴であり、市民の心のよりどころです。そう簡単に明け渡すわけにもいかないんですよ」
「一般論を言うと、警察を敵に回して得をすることなどないはずだが、どういうつもりなのかね」
「わかりません」
「愉快犯かね」
「それもわかりません」
周辺に住まう市民の退避も済んだらしい。
どこからどう見たって、平和にしか見えない街だ。
避難を強いられた時点で、大事ではないのか。
そも、どういう理由をつけて、逃げるようになどと謳ったのか。
興味深いところではあるが、知ったところで意味などないなとも思う。
「お呼びしたのは、デモン・イーブル、あなたならなんとかしてくれるだろうと考えたからです」
「正直ではある。虫がいい話でもある」
「そうではあります――が、他に案が浮かばなかった。あなたとの出会いに感謝しているところです」
「潰し合いをさせたいだけなんじゃないのか?」
「そうかもしれませんが、信用はしています」
「どうしてだ? どうしてそう言える?」
「なんとなく、ですよ」
まあいい、しかしだ。
ぽんとそう言いつつ、デモンは腕を組んだ。
「そも、犯罪確率自体は閾値に達していないんだろう? だったらそれを信じていいのではないのかね?」
「数字では言い表せない悪意があると見てしかるべきです。それくらい、彼は――」
「各地で犯罪を犯している、と? まあ、そうだから有名人なんだろうが」
「はい。わからないものです」
いきなり、脳裏に悪寒。
なんとなくだがそう来るのだろうと直感し、デモンは自らの頭の上に薄紫色のバリアをはった。
途端、金色の矢のような雨が降り注いだ、上空から建物を突き破ってきたのだろう。
咄嗟のことであるがゆえ、最低限の防壁しか展開することができなかった。
よってレイドは一瞬でぐちゃぐちゃの肉片と化した。
まずは敵を確認する必要があると考え、デモンは駆けた。
重ね重ねぐちゃぐちゃな死体ばかりの道中を抜け、出入口から表に出た。
晴れ渡った空を仰ぐ。
遠目でもわかる碧眼、なにより銀色の髪という稀有な特徴。
間違いない。
あれは、イクミ・ガラハウだ。
一度会っただけのニンゲンを覚えていることなんて珍しい。
それだけインパクトがあって、また優秀だと感じさせられたのだろうと、デモン・イーブルなんかはそう思う。
ガラハウ氏は目を丸くした。
それから目を細めたように見えた。
「おやおや、どうしてきみがいるのかな? っていうか、久しぶりだね」
「おまえが犯罪者だということくらいは理解していたが」
「名うてのやり手の魔法使いだとは思わなかった?」
「今は納得している。確かにおまえは特A級だよ」
「戦おうか、デモン・イーブル」
「ああ。他にやることもないしな」
「手加減しようか?」
「こっちのセリフだ」
「じゃあ、早速、本気で行くよ。舐めていい相手じゃなさそうだ」
三十メートルほど先に下り立った、ガラハウ氏。
途端、にこりと笑う彼の身体を内側からぐいぐいと押し出すような現象。
全身の骨という骨が皮膚や肉を勢いよく著しくめちゃくちゃに突き上げている――感じ。
やがて長く伸びた髪の色は完全に紅色へと変化し、唇も変色、艶っぽい紫色になった。
白いシャツの胸の部分を強烈に押し上げる大きな乳房が宿る。
えんじ色のズボンの内には肉感的な脚があるのだろうと予測させられた。
「私の名は、J.D.ウォルス」
デモンは目を見開いた。
「それは千年も前に討たれたとされる魔法使いの名だ」
「生きているはずがないと?」
「違うのかね?」
「そのおよそ千年前に、私は人魚を食らったのよ」
「ほぅ。その伝説はほんとうだったのか。人魚を食ったニンゲンは不老になるという」
それで?
――と、デモンは先を促した。
「あとは簡単。私みたいな存在がごろごろ生まれては面白くないから――」
「人魚どもも人魚を食らったとされる時の権力者も皆殺しにした?」
「おかしいことではないと思うわ」
「たしかに妥当な線だろうな」
J.D.ウォルス、このヘンタイめ――。
デモン・イーブルさん? 気に入らないなら相手になるわ――。
「わたしに勝てると思うのかね?」
「確かにあなたはやり手だと思う。だけどそれも、私が相手となるとね」
デモンは右手を後方にやる。
上下に裂け、割れた空間「論理倉庫」から、最近手に入れたカタナ、「オニマル」を取り出した。
左手で鞘を握り、ぐっと身を落とした姿勢……居合なら世界中の誰より速いだろう。
イクミ・ガラハウあらため、J.D.ウォルスは小気味良く、あるいは気味悪く笑う。
くすくす、クスクスクス……。
「イーブル、悪いことは言わないから、さっさと本気を出したほうがいいわ」
「おまえのフォルムは問答無用で明らかに女なんでな」
「手を抜きたくなるとでも言うのかしら?」
「くそしょうもないことだがな」
J.D.ウォルスは歪んだ笑みを浮かべただけだ。
そうしただけなのにノー・モーション、四方八方から隕石のような巨大な火の玉が迫ってきた。
わたしに冷や汗をかかせるなんて、これまで生きてきた中にあって、間違いなく初めてのことだ。
それでも冷静に対処できるあたり、デモン・イーブルだって捨てたものではないのだろう。
いずれの火の玉も「オニマル」で斬って捨てた、やってみればなんの造作もない、簡単なことである。
が、次の段、危機をやりすごしたと瞬間――情けない、ああ、ほんとうに情けない。
危険から逃れたと確信してしまったがために、反応が遅れた。
J.D.ウォルスはその場を動いていない。
いっぽうでデモンは――食らった。
デモン自身が得意とし、そうであるがゆえに他に使い手など珍しいはずの「見えない斬撃の魔法」で胸の真ん中を左右に裂かれた。
な、に……?
意外性ゆえにそう声が漏れた。
無防備に、どっと仰向けに倒れてしまう。
戦いを継続しようとする意志は確かなものだが、今、この場面においてそれは無意味だと知る。
今、追い打ちをかけられてしまっては――悲しいかな――どうしたってやられてしまうのだから。
やはり空を仰いで倒れた。
血を吐くなんて、生まれて初めてのことだった。
敵が、近づいてくるのがわかった。
敵は、見下ろしてきたのだった。
「悉く、私は油断だと思うわ」と、J.D.ウォルスが不敵に妖しく笑った。
「そうかもしれないが」デモンは潔く、ふっと笑んだ。「おまえの勝ちだ。殺せ」
「私は飽いているのよ、この世界に、そして、この世界に住まう悪者、バケモノ、ニンゲンに」
「何が言いたい?」
「私は魔女よ。そしてきみ――あなたは、ニンゲンの代表よ」
ニンゲン代表?
おかしくておかしくて、喉の奥からしきりに血が込み上げてくる中にあっても笑ってしまった。
「ご覧のとおり、あいにくとわたしはもはや死んでしまうようだから、ヒトの代表とはなりえないな」
ウェーブのかかった紅色の髪に、妖艶すぎる紫色の唇。
そして乳房がデカすぎるJ.D.ウォルスは無警戒に顔を近づけてきたのだった。
「魔法は奇跡よ。ヒトによってはすべての事象を具現化する」
「くそったれの魔女よ、わかりきっているそれが何か?」
「私の右手はあなたの大けがすら治せるの」
致命傷に違いない傷を治せると?
おまえの右手はそこまで万能だと?
デモンはなんとか身体を起こした。
ぜはぁぜはぁとなんとも情けない息を継ぎ、それでも敵を睨みつける。
「誇りゆえに、殺せと言うのかしら?」
「いや――が、その場合、次はないぞ、J.D.ウォルス」
「それでいいのよ。私はただひたすらに、あなたの傷の面倒を見てやろうと思うだけよ」
J.D.ウォルスはすぐそこでしゃがむと、がデモンの胸の真ん中に右手を寄越した、当てた。
ふわふわとしていて温かい、絶妙に奇妙な感覚。
白い光に包まれた結果、一分と経過せずに負傷の個所は何事もなかったように癒えたのだった。
血を吐きたがる臓器も喉も、もうない。
まったくもって健康だと、かなりの勢いで言い切れる。
だからこそ情けない思いに駆られ、極端な話、死にたくもなった。
――が、拾った命だとは思う。
プライドゆえに死にたくなったとは言ったが、生き残ったのであればケリをつけるまでは戦闘に従事してやろうと考える。
J.D.ウォルスよ。
おまえが、このデモン・イーブルが現世で出会った、最も稀有な存在だ。
J.D.ウォルスはバックステップ――すーっと一気に後方へと退いた。
それを追うようにして、すーっと前進したのはデモン。
居合でカタナを振るい、即座に喉元へと刃で迫った。
――届かない。
バリアだ、障壁だ、それなりの硬度を誇るであろう薄紫色のそれで、未然に防がれてしまった。
腕力で押し込もうと試みる。
が、むしろオニマルのほうが刃こぼれを起こしてしまった。
やむなく引く。
いいところで音を上げた第二か第三の愛刀にかける優しい言葉など今さらあろうはずもなく――。
「今回は私の勝ちということで間違いはないかしら?」
「次回はない。この場で殺してやる」
「油断したとでも?」
そんなふうに指摘されてしまうと、気持ちは崩れ落ち、それは残骸になった。
どうあれ負けた。
負けたのだ。
デモンは顔をしかめた。
敵に背を向け、歩き出す。
逃げるのではない、諦めたわけでもない。
ただ、悔しかった。
生まれて初めての敗北、惨敗、大敗。
噛み締めるには、甚大すぎる問題――現象と言えた。
「また会いましょう! デモン・イーブル!!」
J.D.ウォルスの声は、あまりに大きく心地良く、あたりに響き渡った。
*****
左のほっぺたの切り傷にガーゼを当てがったままの状態で、デモンは警察署を訪れた。
警察署と言っても、仮社屋のようなものだ。
すべてはJ.D.ウォルスによってずたずたにされてしまったのだから。
そのじつ、テントハウスみたいなものである。
レイド刑事は容赦なく殺されてしまったわけで、だからデモンの相手をしてくれるのは生き残った若い彼である――レイドの部下だ、名前は知らないし、そんなもの、どうだっていい。
デモンは知り得た情報だけ、展開してやった。
「J.D.ウォルス? まさか、近代魔術史に名を刻む、あの大魔法使いですか?」
「そうらしいぞ。少なくともわたしは間違いがないと判断した」
「超級の掃除人とされるあなたがそのようにおっしゃるのであれば――」
「そうだよ。認めるしかないんだよ」
デモンは顎を上げてふんぞり返り、そしたら若造は深刻そうに目を伏せた。
「ほんとうに、あたりまえのように教科書に掲載されているような人物なんですよ?」
「だからどうした? どうあれぶち殺してやりたいと、わたしは思っているぞ」
「できますか?」
「可能不可能の話じゃない。やるんだよ」
若造は一転、明るい顔を向けてきた。
「だったら、頼ることにします」
「そうしてもらおうか」
とはいえ、一度は心をカンペキなまでにへし折られたように感じている。
そう。
わたしはたしかに一度、負けたのだ。
だからこそ、デモンはにぃと邪悪に笑うのだ。
ありがとう、J.D.ウォルス。
暇を持て余していたに違いないわたしはおまえのおかげで、今しばらく、生きてみようと思うよ。




