第54話
ベルフェゴールは自室へ戻った後パイプ煙草を吸いながら、先程までいた天界での出来事を思い出していた。
彼女はその昔天使だった頃は、ウリエルとは一二を争う程の美少女だった。腰まで伸びた黒髪は艶やかで、鋼色の翼は輝きを放っていた。だが、そんな彼女はウリエルに対し、いつも妬みと嫉妬が渦巻いていたのだ。天界一の美少女は自分一人だけだと。
その妬みと嫉妬のせいで、ウリエルが地獄界を管理していた頃、彼女に対し酷い仕打ちをしてしまったのだ。その歪んだ性格は今も変わらず、ウリエルの生徒達にも、つい嫌がらせをしてしまった。彼女らの行動を監視し、レポートをチェックするふりをし、一枚をこっそり抜き取ったのだ。
部屋へ戻った彼女は生徒のレポートから”あら探し”をしたのだが、しかし、それは彼女の予想を裏切られてしまった。生徒のレポートは、まさに完璧で、管理界の成り立ちや、そこに住む者達の人となりを詳細に調べ上げていたのだ。
ベルフェゴールは、ウリエルの生徒の優秀さを認めざる得なかった。
「ちっ、面白くない……」
だが同時に――。
――あたし、何やってるんだろ……。
本当だったら、そのレポート用紙を燃やしてしまうつもりだった。だが、何故かそれをためらってしまったのだ。
歪んだ気持ちの裏に潜むもう一つの気持ちに、彼女は戸惑った。
(返しに行ってくるか……。そうだ! ついでに天界の様子を覗いてやろう。”あいつ”の事も)
好奇心には抗えない!
彼女はほくそ笑んだ。
ベルフェゴールはさっそく天界へと向かうべく、赤い霧となって飛び立って行った。
(さて、まずは何処を覗いてやろうか)
天界へやって来たのはいいが、何処をどう行っていいか分からず、暫く廊下をウロウロ歩いていた。天使界の広い廊下は、ベルフェゴールにとって忌々しい程に白く眩しかった。
幸いその廊下には、天使達の姿は見えない。だが、油断は禁物だ。ベルフェゴールは慎重に、天界の廊下を進む。
「何か用かな?」
――――!!!
心臓が飛び出しそう、とはこういう事か。
「ひっ!」
ベルフェゴールはヘンな声を上げてしまい、恐る恐る振り向いた。そこには、怪訝そうな顔のミカエルが立っていた。相変わらず虹色の翼は光り輝き、美しい。
(げっ! よりによってミカエルじゃん! やべ……)
「君はベルフェゴール殿だね? 何か、いや、誰に用事かな?」
ベルフェゴールはその場で固まってしまい、足が動かなかった。
ようやく口を開いたが「あ……あの、これ……」と、手にしたレポート用紙を震えながら差し出した。
ミカエルはそれを受け取った。
「ん? これは?」
「ああ……さっき管理界にウリエルの生徒達が来たんだけど、それを落としたみたいで」
「ああ、それで君は届けてくれたんだね? わざわざありがとう」
「いえ……別に……」
「じゃあ僕が責任持ってウリエル殿に届けておくからね」
ミカエルはそう言って行きかけたが、ふと足を止め「そう言えば、君は舞踏会に一度も出席した事がなかったね。もちろん強制ではないけど、何かあるのかな?」と、美しい青い瞳を向けた。
「いえ、別に……好きじゃないんです。ああいう場が。それに、あたしなんか相手にするヤツなんかいないだろうし」
そう、あたしには孤独がお似合いだ――。
「いけないな、自分の事をそう言うのは」
「えっ?」
「君はちゃんと、こうやって届けてくれたじゃないか」
ミカエルは一枚のレポート用紙を掲げ微笑んだ。
「君は優しい方だ」
(このあたしが優しい?)
それから「実はね、残念な事に僕はまだパートナーが決まっていないんだ。君さえ良ければ――」と言いながら「パートナーになって頂けますか?」と、手を差し出した。
ベルフェゴールを見つめる瞳は、穏やかで温かかった。
彼女は今まで、こんな優しい瞳で見つめられた事がなかったものだから、ドギマギしてしまった。下を向き、落ち着きをすっかり無くしてしまう。
ミカエルの逞しい手を、チラリと見る。
(ど、どうしよ……)
ベルフェゴールは、自分の胸の鼓動が聞こえてくるのを感じた。そして――。
迷う必要なんて無いよね……。
「……はい、お受けします」
差し出されたミカエルの手に、ベルフェゴールは自分の手を添えた。
彼女の凍った心が、少しだが、春のように解けていくようだった。




