第45話
どのくらい、そのまま床に座り込んでいただろう。
アスタロトはボーッとしたまま動かなかったが、思い出したように、まだウリエルの唇の感触が残る頬にそっと手を当てた。
「ウリエル……」
すると彼はいきなり立ち上がると「やばいやばい! どうしよどうしよ! ああ、これは夢だ、きっとそうだ!」と、もはやパニック状態になり、扉の前を行ったり来たりした。
「落ち着け落ち着け……アスタロトよ、落ち着け……」
(そうだ、アスモデだ! アスモデのヤツを呼ぼう!)
何故こんな時にアスモデなのか、自分でも訳がわからず、結局相棒であるアスモデを呼びつけたのだった。
「あのなあ、お前……。なんでいつも俺を呼びつけるんだよ? たまにはお前が来いよ!」
「嫌だよ! お前の部屋、岩だらけだから嫌だ!」
何だかんだ文句を言いながらも、アスモデはアスタロトの部屋でビールを飲んでいる。
「それになあ、ネビロスのヤツを使いに出すのよせよ。文句たらたらだったぜ。お願いだから、こんな使いっ走りさせないでくれって」
「いいんだよ、どうせあいつだって自分の部下に同じ事やらせてんだから」
今日はいつもより多めにビールを、部下であるネビロスに持って来させていた。だが、奴の事だからきっと自分の部下に行かせただろう。
まあいい……。
こんなめでたい日に、酒場の不味い酒なんか飲んでられるか。
「で、何か良い事でもありましたかな? 大公爵殿」
アスタロトは、アスモデのこの嫌味さえ心地好かった。
「まあ聞け! 良い事なんてもんじゃないぜ!」
大音量で掛けたクイーンのBGMの中、アスタロトは高揚した気持ちを抑える事なく、「オーロラの間」での出来事を一気にアスモデに話した。その間、ビールは次々と消費されていった。
そして――。
「アス! それってデートじゃね? 良かったなあ、念願のウリエルとデート出来てよ!」
「そっか、あれがデートかあ……って。俺が言いたいのはそこじゃねえよ!」
アスタロトは興奮し過ぎて、ついビール瓶を倒してしまった。
「おいおい落ち着けよ、アス。どうしたんだよ?」
「キスだよ! キ・ス! ウリちゃんが、俺の頬にキスを――」
アスタロトは自分の頬を何度も指差し「信じられるか? あのウリエルが、俺になんか……ああ! どうしよう!」と、再びパニクりだした。
「落ち着けって!」
親友を祝ってあげたいが、その前にひとまず落ち着かせるのが先だった。だが、それは一苦労しそうだった。
「……そうか、それは良かったな、アス」
アスモデは、こんな相棒に素直に喜んであげた。
――なんせこいつは、天使時代からずっとウリエルに憧れ続けていたんだ。
「なあアスモデ、人間の言う『天にも昇る気持ち』って、こういう事を言うんだな」
「ああ、そうだな。ま、お前とウリエルに祝福だ!」
アスモデはビールを軽く掲げた。
「アスモデ、俺決めたよ! お前みたいに、記念に俺もタトゥーを入れようと思う。ここにな」
アスタロトは、自分の左腕に右手を当てた。
「ああ、例の”イラスト”か?」
「ちげーよ! それだけは嫌だ!」
例の”あの”イラスト――ヘンテコなドラゴンに乗ったへなちょこ王子。
冗談じゃない! 絵柄はもう決めてある。翼だ、ウリエルの翼だ。いつも俺の腕には、ウリエルの翼が一緒だ。
「アスモデ、彫り師紹介してくれないか?」
「アス、ヘタな彫り師なんかより、お前がやった方がいいと思うぜ。お前絵が得意だろ? よく描いてるだろ」
「俺が?」
そうか、考えもつかなかったな。
アスタロトは自分の左腕を、無意識にさすっていた。




