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三色の王2  作者: 水山柔
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ラップランドの神獣

 南條は、完全に当てが外れ、早急に策を練り直していた。


 反撃を受ける前に初手で無力化、という目論見は放棄せざるを得ない。このまま後数打追加で攻撃しても、目標を制圧出来るとは到底思えなかった。

 確かに、理論的には更に出力を上げることは出来る。今のはまともな助走もせず、間合いを詰める飛び込みの勢いだけで放った、速度に重きを置いた一撃。あくまで奇襲を最優先にした、単発攻撃でしかない。威力も回数も、まだまだ上げられる。

 しかも、当然ある筈と想定していた回避や迎撃はなく、何故か動きを止めた相手に訝しみ、打撃の瞬間も疑念が渦巻いていた。確かに人類の限界を超越する壮絶な一撃ではあったが、会心の出来とはほど遠かった。


 と、説明を重ねれば幾らでも、限界ではない理屈はつけられる。だが、それにどれだけの意味があるだろうか。

 止まった的を蹴るのではない以上、理論値など論じるだけ無駄だ。実戦では、全身全霊を込めた必殺技は、例えば軽打を重ねるか視界を奪うなど、少なくとも動きを鈍らせた上でなければ繰り出せない。強烈な反撃手段を持っている格上の相手ならば尚更だ。

 しかし……今回に限り、実現はあまりに望み薄だ。何故なら、現実的に命中させられる最高の一撃が直撃したにも関わらず、敵は不動のまま、平気な顔で直立しているのだ。しかも、何度注意深く観察しても、殴打した部位に痣どころかへこみすらない。まさに無傷、何度も同じ場所に打撃を集中すれば、なんて淡い期待さえ粉砕された。


「かってぇな、化け物め。街から叩き出すつもりで蹴り飛ばしたんだぞ」


 先の言通り、どちらも健在ではあるものの、無傷ではない。肉体的に、ではなく、精神的に。

 南條は接触の瞬間、その硬度と重量に度肝を抜かれていた。まるで霊銀の巨塊、破壊どころか蹴り飛ばすことさえ到底不可能と思い知った。再び空いた距離も何のことは無い、突っ込んだ筈の南條が反動で一方的に吹っ飛んだ故のものである。

 まさに、敢えて初撃を受けることで、格の違いを見せつけられた格好だ。今もこうして対峙しているだけで、尋常ならざる精神力を消費している。気を抜けば、恥も外聞もなく逃亡、或いは地に頭をこすりつけて命乞いしそうになる。


 

 結局ろくな防御姿勢すらとっていない乾だが、攻撃を喰らう前と比較して、ほんの数センチ後退しただけだ。地面に衝撃を流すといった類の受け身技の気配もなかった。己の攻撃が不発でなかったことは、周囲の惨状をみれば一目瞭然。されど、力を込めて踏みとどまっただけ、純粋な肉体性能で耐えきったのだ。勿論、実はやせ我慢で意識を喪失したり、といったようなこともない。

 

 恐るべき耐久性、頑強極まる肉体強度。対する南條は、蹴りの反作用だけで脚部に深刻な損傷を受けたが、取りあえず痛みにのた打ち回るような隙はみせない。というか、そんな些末事に構う余裕、どこにもない。生きるか死ぬかの瀬戸際で喚く阿呆なら、彼はとっくに墓石の下である。


――それよりも、目の前で膨れ上がる熱量が、全身を隈なく焼き焦がしていく脅威がより深刻だ。


「ちッ……!」


 先の例えなら、今度は太陽フレアだ。

 時間切れ数秒前の時限爆弾を前に、平然と解体作業を続行する南條をして、流石に全速で離脱した。初撃を躊躇いなく仕掛け、結果見事命中させたが、手傷一つ負わせられなかった。畳み掛けるのも躊躇った、即ち今度は相手の手番。これは退かなければ、確実に死ぬ状況である。彼は命知らずだが、自殺志願ではないのだ。

 しかし、既に手遅れの感は拭えない。怪物に背中を向ける恐怖を堪えて、丸々一区画分は離れて廃屋の陰に身を隠してはみたものの、気休めにもなりはしない。相手にその気があれば、いとも容易く薙ぎ払われるのは明々白々だ。いっそ距離をあけるのではなく本当に逃げ出してしまいたいが、到底逃げ切れるとは思えない。


 目標は俯いてただの一歩も動かないまま、断続的に漏れだす威圧は、ぐんぐん熱を増していく。

 ――まるでたっぷり溶岩を蓄えた、噴火寸前の火口だ。

 直接何かをされた訳ではないのに、痛みすら感じるほどに肌を刺す怒気の放射は、物理的な効力さえ伴っていて、気のせいで片付けられる範疇をとうに逸脱している。この場に踏みとどまる為だけに、南條は歯を食いしばり、己を鼓舞し続けなくてはならなかった。


「冗談、じゃねえぞ。こんな生き物、実在するのかよ」


 嘆きの声はこれ以上ないくらいに震え、歯の根は完全にあっていないが、南條を臆病と罵ることは出来まい。

 ただ一個体の感情の昂りが、それほどの圧迫感だった。気の弱い者なら、接近しただけで失禁どころか心臓が停止しかねない。むしろ、それを叩きつけられているのに、曲がりなりにも正気を保っているだけ南條は天晴れだ。

 青年が巨人に抑えつけられているような重圧に心を奮い立たせて抗い、物陰から僅かに彼方を覗き見ると、怒涛のごとき咆哮が叩きつけられる。その勢いたるや、叫びの波動だけで更に倒壊が加速していく。


 よく分かった、これが――


「そうだ! オレが獣の王、乾忠猛だ‼」


 雄叫びをあげ、怪物は脚を振り上げ、大きく踏み込む。直後、南條は内心震えあがりながら異様な光景を目の当たりにした。

 それは、名状しがたい異形。白銀の体毛に覆われた獣の後脚だった。それが服が破れ露出した部分、大男の片膝の下から生えていた。

 眼を覆いたくなるほどの異常でありながら、一種神々しささえ放つ見事な毛並みの脚は、いとも容易く放射状に大地を砕く。踏み込むといっても、力を入れた訳ではなく、注意深く体重移動するのを止めた結果に過ぎない。度重なる衝撃に晒された路地は、乾が気兼ねなく歩き回るには脆すぎたのだ。超大型車の往来が前提である都市間の道路ならともかく、普通車も入れない路地裏の通路には、必然それほどの強度は供えられていない。



 そう――乾忠猛。国家保安局、通称〝青薔薇〟に敵視されている彼は、人間ではない。その正体は、幾星霜の時を生きる巨大な狼だ。それも、ただ桁外れに長命で大きい獣というだけではない。

 

 メガラニカ連邦の真逆、北方大陸の北の果て、雪と氷に閉ざされた大公国の僻地、世界屈指の極寒地ラップランド。その厳しい土地で古代より崇められてきた、神性を帯びた化身、いわば神獣なのだ。人の姿に擬態したところで、その本質は全く失われない。本来直視することさえ憚られるほどの神秘は、仮に闘争相手だとするならば絶望の一言だ。

 その体毛はあらゆる衝撃を通さず、その牙はあらゆるものをかみ砕く。風よりも速く駆け、英雄の一撃すら滅ぼすに能わず。

この世で最も神に近い生物。文字通り、存在としての格が違う。


 重量の単位が異なり、隔絶した膂力を誇る巨獣の苛立ちを込めた足踏みを支えられる舗装路など、手抜き工事でなくとも望むべくもない。堪忍袋の緒が切れていても、ぎりぎりで冷静な部分が残っていたのが幸いだった。実際のところ、これでも限界まで手加減したくらいで、もし乾が本気で震脚を繰り出したなら、カイリーは巨大地震に襲われていただろう。


「下手に出てりゃ付け上がりやがって。人間風情が、このオレとタイマンはろうなんざ、思い上がるんじゃねえよ! こちとら、てめえらが四つ脚の頃から生きてる怪物だ! よりによって、さっき産まれたようなクソ餓鬼が――――!」


 吠える。もはや内容は聴き取れないながら、滾る怒りのまま、吠え続ける。大音声は、カイリーの津々浦々にまで響き渡っているに違いない。


 乾は許せなかった。

 そもそも、己と対峙した者が、立ち向かおうとした事実そのものが、度し難い屈辱だった。狼藉者の心中など知ったことではないが、刃向かってみようと決心された時点で自尊心はずたずただった。

 絶対の捕食者たる傲慢、食物連鎖の頂点に君臨する乾忠猛は、大前提として万人に忌避されなければならない。嫌われ、疎まれ、避けられ――それでこそ、獣の王。戦ってみようと思われた段階で、その地位を穢されたも同じこと。


 だがここで、強過ぎる自負心が邪魔をした。

 今すぐ、つけ上がった不心得者を噛み殺すことはあまりに容易く、甘美な誘惑だ。一秒以下で片が付き、苛々もひとまず解消するだろう。しかし、その結果として、事情を知った他の人間、そして何より、自分はどう感じるか。格上に立ち向かった勇気を褒め称え、虫けらの戯言に逆上した狭量さを引きずるのではないだろうか。

 それでは、傷付いた矜持はいつまでも回復しない。力の頂点たる王として、先の舐めた行動を過ちと認めさせねば、この先忘れ得ぬ汚点となって残り続ける。遥かな時を生きる乾であればこそ、後悔することはあまりしたくない。それより、気の迷いで敵うはずもない相手に手を上げてしまったと思い知らせて、初めて真の意味で溜飲を下げられるだろう。

 故に必死で反撃を堪え、更に鬱憤が溜まって激怒しては抑えてを繰り返す。頭では重々分かっているのだ、生かして過ちを認めさせるべきだと。


 ここで〝青薔薇〟、そして南條真琴にとって僥倖だったのは、乾が怒りに任せて短慮を起こさなかったこと。

 まるで従順な家畜のように振る舞い、そうまでに侮ることを許した己にも刃向かわれた責任の一端がある。とある人物に、乾がそう自省する気持ちを抱くように矯正されていなければ、不敬には苛烈で以て応えるかつての性格のままであったならば、手当たり次第に血祭りにあげられていただろう。それこそ、最終的な結末はどうあれ、今日中に第一支部は壊滅させられていたに違いない。


「ふーっ、ふー、ふー、ふぅ……」


 短気はいけないと自らに言い聞かせ、乾は数分掛けて赫怒を落ち着ける。決して譲れない根幹に関わる問題だったせいで、大きく取り乱したものの、知恵が回らないだけに、一度目標が定まった彼は脇目もふらない性質だ。

 それに思い返せば、何か見覚えのある紋章も見えた。もしかしてもしかすると、既に下手を打ったかもしれないと、冷え始めた頭に浮かぶ声なき訴えに密かに狼狽しつつ、精いっぱいの虚勢を張る。幸いにも、まだ後ろ暗いところはない。

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