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三色の王2  作者: 水山柔
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初撃

 対して、乾はというと、突如現れた青年に戸惑っていた。

 どこまで飛んで行ったかしれない不審者と、崩れ去る路地裏に頭を抱えていたところ、不意に強烈な敵意を叩きつけられたのだ。すわ猟奇殺人犯の仲間かと僅かに疑いはしたものの、感じたのは純度の高い闘志で、殺意は薄い。無関係ならば、なぜこのタイミングで乱入してきたとは思うが、まさか逆に自分が放火殺人の嫌疑を掛けられているまでは至らず、むしろ彼は唐突な展開に面食らった。

 戸惑いの証に、顔を半回転させるだけで、身体も正面を向いたまま呆けていた。もっとも、驚きが先行しているだけで、脅えで足がすくんでいるわけではない。何故怒鳴られているのかは分からないものの、ここまで正面から恫喝されて、黙っているほど達観してもいなかった。勿論、すぐさま殴りかかるほど気が短くもないが。


 乾は、さてどうしたものかと思案しつつ、路地に飛び降りてきた人物の全身を見流す。

 ――見ない顔だ。

 年は恐らく二十前で、男性。白の髪に細い黒眼鏡を掛け、背は中の下くらい。ただし、よく鍛えているらしく、矮躯ではない。

 その程度の所見を呑気に思い浮かべる暇もあればこそ、昼ごろ漏出しただけで子供を脅えさせた威圧を叩きつけられても、乾は平然としたものだ。

 両脇に提げた二振りの刃も、特に意識していない。人が凶器を脅威とみなして注意を払うのは、害される恐れのあればこそだ。一般人とて、幼児が玩具の包丁を持っていたところで気にも止めないだろう。乾忠猛にとって、分厚いナイフを装備した怒れる青年とは、それくらいの危険でしかないのだ。


 故に、焦燥の類を感じることもない。闖入者の目的は分からないが、いちいち歯牙にもかけない。どうせ、一睨みで事は済むだろうと、経験則から数秒先の未来を予想した。


 ――刹那、二人の視線が激突。


「……へえ?」


 だから、一瞬の対峙の後、青年が僅かに身を沈めたのを確認した時、乾は率直にいって意表を突かれた思いだった。それはまごうことなき攻撃態勢への移行、肩越しに睨みつけていた目を瞠って感嘆の呟きを漏らす。

 自分の威嚇で戦意を喪失しない相手など、いつ以来か。更に一切の躊躇いなく向かって来た人間となると、前後不覚に陥った酔漢くらいしか覚えが無い。

 

 人類最強も、あの〝魔王〟ですらも、そんな真似は出来なかった。


「正気じゃねえよ、てめえ」


 恐怖を司る回路が故障しているとしか思えない。前代未聞の鈍感かと呆れ半分、乾はようやく反転して向き合う。間合いは十歩あまり、まだまだ、どのように動かれても充分対応できる。


 

 事ここに至って、南條と乾の心構えは余りに隔絶していた。片や身命を賭して怪物に立ち向かう壮絶な覚悟を固め、片や雑魚と侮り弛緩しきっていた。

 

 だからこそ、次手の交錯は成立した。油断していればこそ、乾は突如駆け抜けた旋風に思わず目を閉じた。

 まるで幸運の女神が南條に微笑みかけているかのようだが、戦闘だと認識していれば、突風如きで瞬きするなどあり得ない。字義通り一瞬の闇は、鉄火場では簡単に致命的な隙となるからだ。


 当然、代償は大きい。再び開眼して、三度目の驚愕を乾は味わった。

 眼前三十センチ、地面から二メートル。至近距離に、足を振りかぶる青年の姿。いかな術理か、一拍の間に距離を詰めた彼は、跳躍の勢いそのまま攻撃動作に入っている。

 常人であれば、もはやどうしようもない。少なくとも、初手の優劣は決した。防御や回避は論外、激突と同時に首を振り、僅かでも衝撃を逃がす位が精々だろう。


 だが、乾はそうではない。あまり意味が無いので実際には示威目的位でしかやらないが、ほぼ零距離から銃器の掃射を受けても、残さず掴み取るだけの反応速度を誇る。それに比べれば、たかが人間の蹴り程度あくびが出る遅さだ。両腕を盾にしての防御、先んじてのカウンターは勿論、なんなら脚を空中で掴み取り放り投げることも可能だ。完全に後手に回ったが、単純な蹴撃ごとき、強引に割り込むのは容易いことだ。



 ……だが気付けば、乾忠猛は上を飛び越そう、と構えていた。そんな自分に、愕然とした。


 ――――回避?


 いや、大局的な視点で冷静に考えれば、それは悪くない対応だ。

 実のところ、社会的に微妙な立ち位置にいる乾は、通常笑い話で済む騒動でも、深刻な問題として手が後ろに回る可能性がある。明らかに犯罪行為を行っていた先の不審者はともかく、誰とも知らない人物に暴力を振るったことが発覚すれば、まずお咎めなしというわけにはいくまい。

 だから、取りあえず相手の正体が知れるまで短気を起こさず、怪我をしないさせないように避けるのは、咄嗟の反応にしては満点回答に近い。そもそも戦闘行為など起こらなかった、それがベストだ。


 けれど、その思考はつまり、事なかれ主義が骨の髄まで沁み渡っている何よりの証明であり。敵対行動を許すくらいに、乾が甘い人物だと舐められている事実を、本人が認めた証である。


 刹那、圧縮された時の中、久しく忘れていた感情が乾の心に湧き起こった。

 屈辱、怒り、胸を焦がす激情は、十年間抑圧された様々な想いだ。


 即時攻撃を受けるのは初めてだが、それはあくまで相手の問題だ。危機察知能力の欠如等、まともではない狂人と考えればまだ頷ける。

 しかし、避けようなどとひよったのは、それを妥当だと受け入れているのは、他ならぬ乾の弱腰の産物だ。平穏無事に過ごそうと願うあまり、いつしか逃げを何とも思わない恥知らずになり果てた。


 そう、逃げたのだ。明確に敵対の意志を見せた挑戦者からすら、当たり前のように。

 かつて世界最強と謳われた、いや今なおそう自負する、誇り高き獣が。


 ――ンむ。獣の王ともあろう者が、随分と丸くなったものだ。そんな弱気じゃあ、舐められても致し方ないね。


 脳裏に誰かの意地の悪い笑みが浮かんだ途端、乾は動きを止めた。その代わり、全身、特に足の親指と首に力を入れて歯を食いしばる。回避を諦めたのではない。

 まずは相手の全力を正面から受け止める。その上でより強い力で叩き潰す。それこそ、王者のあるべき姿だ。



 両腕を組んで仁王立ちする乾に、南條の脳裏に当惑の感情が過ぎった。

 何故、この怪物は避けないのか、防御姿勢をとらないのか。どうして、笑みを浮かべて待ち構えているのか。

 まずい、と躊躇ったのはほんの僅か――――ままよ、と渾身の力を込めて、青年は何かを叫びながら右脚を振り切った。


 僅かな間、そして、先ほど街路を蹂躙した突進に劣らぬ轟音が炸裂する。大型旅客機が真っ逆さまに墜落したような、巨大な質量が高速で叩きつけられる爆音だった。断じて、人体がぶつかり合って生じる音の種類と大きさではない。

 同時に暴風が吹き荒れ、凄まじい振動が発生。煽りを受けて、たまらず崩落の連鎖が加速する。蹴撃の余波は、先の突撃に辛うじて耐えた建物をも根こそぎ吹き飛ばし、廃材へと分解させていった。

 

 しかし、既に甚大な被害を出してはいるが、まだまだ序の口である。

 それを示すかのように、路地裏、いや、もはや数分前の面影の欠片もなくなった、爆撃跡じみた元路地裏で、二人の発破士は無言で睨み合う。蹴りの反動で再び間合いが離れ、立ち位置は初期状態まで戻っている。恐るべきことに、まだどちらも健在であった。

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