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三色の王2  作者: 水山柔
11/15

開戦

 事態は、迷える若人に逡巡する暇も与えず、急展開で推移する。


「んん?」


 南條が異変に気付いたのは、奇しくも乾とほぼ同時。

 唐突に静止したかと思うと、青年は激しく目を泳がせる。数秒不穏な沈黙を保っていた彼は、突然左へと直角に向き直り、険しい表情を浮かべた。

 脇に大振りのナイフを吊るす大胆な武装で、嫌が応にも人目を引く青年が、大股の歩みを不自然に止め、またしても剣呑な空気を放ち始めたのだ。特に何もしていないのだが、周囲のまばらな人影も不穏な気配を察してか、再び一斉に距離をとる。


 それにしても、場所は人工湖の畔、火災発生現場からは街の丁度半分ほども離れている。臭いを嗅ぎつけたのであれば、乾をも上回る嗅覚ということになってしまうが、見ている方向はまさしく南東の外周部。偶然の一致ではなさそうだった。


「――これは!」


 暫く目をすがめていた南條は、遂に何らかの確信を得たのか、雑踏を物ともせず走り出す。その凄まじい初速に、密かに盗み見ていた一般人の目には、まるでかき消えたように映ったはずだ。普段よりは控えめとはいえ、それでも周囲には少なくない人間がたむろしており、その誰とも全く接触すらしなかったことが、それに拍車を掛けた。


 軽やかに建物の屋上を跳び移りながら移動し続けること、はや五分あまり。秘匿するつもりもないのか、乾よりも遥かに衆目を浴びているが、全く気にした様子もない。ただただ、全速一直線で現場へと突き進む。

 

 そして程なく、先駆者に遅れること数分、南條も火元を視界に捉える。

 立ち上る煙、連続する破壊音、そして一際大きな轟音。

 もはや疑いようもない。出来過ぎな巡り合わせを否定しそうになるが、信じがたくとも期せずしていきなり核心に到達してしまったらしい。あーだこーだと考えていた段取りは、もはやどうでもいい。事は起きた、後は解決するだけだ。


「けど、やっぱ……そう上手い話は無い、か」


 とはいえ、喜んでばかりもいられない。どちらかといえば、最悪の状況なのかもしれない。火元に到達した青年は、最後の一跳びの前に急停止した。

 元々、南條はそうツイている性質ではない、と己を評している。不幸の星の下に産まれついているとまでは卑下していないが、幸運のみに因って何かを成し遂げたことがあるかと問われれば、即答で否定するだろう。

 

 今回も、都合のいい展開はここまでらしい。

 見下ろせば、人間の残骸が景気良く燃え盛っている。毛髪の焦げる臭いだろうか、鼻をつく刺激臭の漂う、酸鼻極まりない現場だが、今問題なのはある意味期待通りのそちらではない。極大の脅威は、そこから目と鼻の先、呑気に頭をかく半裸の大男だ。重要参考人と思しき不審人物は、後ろ姿でも分かるほどの化物であった。


 銀の短髪。尋常ではなく隆起した筋肉を搭載した肉体は、重量にして南條の倍近い。体躯は二メートルを優に超え、巨木のような安定感を持ちながら、鈍重さは微塵も感じられない。

 何より、滲み出るなんて曖昧な表現ではなく、ただそこにあるだけで他を圧倒する覇気。その強度は、常在戦場を旨とする南條をして、戦慄が走る途方の無さ。


 大まかな彼我の戦力差を測ろうとして、青年は自らが持つ秤のちっぽけさから敢え無く断念せざるを得なかった。

 無数の戦闘経験があるからこそ分かる。無駄だ、これまで出会った全ての存在を総合しても、眼前の怪物の足元にも及ばない。勝てない逃げろと本能が訴えるのは、当然の判断だった。しかし、


「けど――このまま引き下がるってのは無し、だよな」


 最強の〝青薔薇〟捜査官を自負するが故に。南條真琴に、撤退の二文字はない。


 確かに、敵はあまりに強い。

 加えて、状況を把握していない、相手の詳細は不明、地理情報も曖昧、援護を頼める部下さえ連れていないとなれば、一見条件は整っていない。まともに考えれば、仕切り直しが定石だろう。

 だがそれでも、五体満足で疲労は皆無、暫く走って身体も温まり、装備も概ね不足無し、つまり十全万全だ。そして、敗色濃厚なんて状況は、常々想定していることでもある。


 現場の人間として、次を待つ愚は重々承知。外野からみた合理は撤退だろうが、次の機会が存在する保証はどこにもない。次相まみえた時に事態が好転しているなんてのは、都合のよ過ぎる妄想でしかないのだ。


 勝率を高める鍛練は何より尊いが、戦闘の最中に勝機を見出すのも不可欠なスキルだ。挑まなければ無駄な負傷を避けての賢明な不戦敗、しかし南條にとって、その賢しい選択は敗北よりなお悪い。


 大体、安定性を重視するなら、そもそも自分が送られてはいまい。常識や安全策に留まるようでは、状況を変えられないと判断されたからこそ、自分が選抜されたではないのか。上の意図は判然としないが、今なら最悪でも失うものは最小限で済む。

 

 そして、もし万一負けて死んでも、威力偵察の役目は果たせる。荒事に特化した南條が、敗走どころか殉職する相手だったなら、街一つ消すような強硬手段に訴えるしかないと証明されるというわけだ。一当たりもせずに逃げれば、脅威の度合いをはかる機会をむざむざ見過ごすことにもなる。


「所詮、捨て駒扱い。成功すれば良し、失敗も織り込み済み。役目を果たさぬ臆病者に、この名を背負う資格なし」


 勿論、あくまで負ける気はない。個人的にも、これは腕試しの絶好の好機であった。


 単騎として既に完成の域にある南條は澱みない。

 交戦すべきか否か、危険と利点を天秤にかけ、その決断にコンマ数秒の遅滞なく、当然のようにその身を空中へ投げ出す。

 着地までの僅かな時間で、精神状態は死地へ挑む戦士のそれへと作りかえられていた。


 ――ただ、その判断の素早さは、今日に限っては拙速に過ぎたかもしれない。

 控えめにいって、乾忠猛という生物は、これまで南條が相対してきた艱難辛苦を遥かに超える絶望であった。


「動くなァ!」


 落下途中で叫んだのは、自らに発破をかける意味合いに加え、下手に気配を絶ったまま接近して奇襲すれば、怪物の反射的な迎撃を受けることを本能的に察したからだろう。無意識下の攻撃は、往々にして通常のそれを上回る。純粋な肉体性能では乾に全く及ばないと、内心認めている証拠だ。


 降下完了、黒眼鏡越しに、南條は相手の姿を間近に捉える。

 


――瞬間、色が消え、音が消え、体感時間が極限まで引き伸ばされた。



 世界が漂白された。

 脅威を知らせる警鐘すら、沈黙した。あらゆる物理運動が、緩慢になっていった。


 ひたすら眼前の相手に集中、余分な情報を遮断した結果だ。ルールに守られたスポーツ、一対一を前提とした決闘ならともかく、何処から狙われているか分からない戦場にあるまじき愚策だが、かまうものか。

 

 もはや他の全てが些事だ。接近した相手は形骸こそ人間の男だが、その身に蔵された桁違いの熱量たるや、ただそこに在るだけで総身が焼け爛れていく錯覚さえ起こす。背後で燃え盛る現実の炎が可愛く思えるほどだ。


 凡人なら、気付かないだろう。それなりの兵隊なら、焦って銃を乱射するだろう。

 そして、なまじその脅威を片鱗でも理解出来る強者は、恐怖のあまり硬直するか、或いは怖れを克服して勇ましく逃亡するか、許される選択肢は概ねその二つ。


 だが、南條は凡人ではなく、兵隊でもなく、無論勇者でもなく、取った手は三番目。

 すなわち、即時撃滅。接敵から行動がほぼ同時、希代の怪物相手に心が折れるどころか、脊髄反射じみた反応で殲滅を選択した点は、驚嘆に値する。

 

 まともに交戦しては不利。敵に先んじ、初撃で致命打を与える。あくまで勝とうと企むなら、性能の最大値で圧倒的に劣る相手にはそれしかない。絶望的な強敵を前に、僅かな逡巡も見せないのは何度も死地を潜った証か、はたまた若さゆえの無鉄砲か。とりあえず、自然災害に徒手空拳で挑むのは、蛮勇をも通り越した大馬鹿としか言えない。


 常人の精神構造ではないが、本人してみれば、少なくとも怯んだ上での破れかぶれではない。あくまで、最善と信じた特攻である。奇跡を起こすには、それしかないという最適解だった。

 とはいえ、どういい繕おうと、力量差を考えれば、命知らずとしかいえない悪手だ。威勢よく現れて、すぐさま転進しろというのも、腹をくくった若人にとっては酷な話ではあるが。


 どうあれ、戦端は開かれた、開かれてしまった。それはいわんや、もはや平和裏に終わる道が閉ざされたことを意味していた。

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