42話 帝国皇帝
帝都ケネス。
日がもう沈もうかという時刻にも関わらず、帝都には多くの見物人が集まっている。やがて、人垣をつくる見物人から大きな歓声があがった。
見物人は皆、帝都の市民達であるがそのほとんどが王族や貴族といった特権階級というわけではない。
しかし、皆の着ている服装の大半は高級な生地が使われている事が一目で分かるような品物ばかりだ。
この辺にも、ケネス帝国の本拠でもある帝都ケネスがいかに豊かであるかが伝わってくる。
「皇帝陛下の凱旋だッ!!」
その言葉と共にウワッ、と市民達の声がいっそう高くなる。
それとほぼ同時に、隊列を組んだ兵士達の姿がゆっくりと大きくなってくる。そして、その先頭の兵団が帝都の入口である大門を潜った。
声援を受ける兵士達も満更ではないのか、行軍速度に変化こそないものの顔が紅潮しているものが多い。
新たな部隊が大門を潜るたびに声援がワッとあがる。
そして、一際大きなあがる一団が入ってきた。
ケネス帝国第29代国主・シーザー皇帝だ。
「皇帝陛下万歳ッ!」
「また新しい領地を手に入れたそうでッ!」
「陛下は我らの誇りですッ!」
そして、そんな市民達をかき分けるように馬車が進む。
皇族特製の竜車であり、竜車の屋根に当たる部分が自由に取り外しできるようになっており、今は全開の状態で開いている。
黄金に輝く鎧に加え、その鎧に負けないほどの見事な金髪。そして、その金髪にも負けないほどの見事な口髭。
とても今年で60歳を迎えようとしている男とは思えないほどのがっしりとした筋肉の持ち主だ。
数十年前に皇位を継承して以降、隣国・ティブロンの驚異にさらされていたこの国を纏め上げ、周辺の大国・強国を瞬く間に併呑してしまい、現在は世界最強と言われるほどの国に育てあげた皇帝だ。
住民の歓声も当然といえよう。
その歓声に対し、皇帝は悠然と両手を組んだ状態のまま皇帝の馬車が進んだ。
北方にあるボルガ国での戦いが終わり、これはその帰還セレモニーである。
ボルガ国を巡り、ケネス軍の北方方面軍は長らく抗争を続けていた。
ボルガ国は、小国であり資源も乏しい。
だが、西方と北方の折衝地帯とも言える位置に国があり、地理的には大きな意味を持つ国だった。
長らく抗って来たとはいえ、ケネス帝国との国力差は明白。
既に滅亡寸前にまで追い詰められていた。
ボルガ国にとどめをさすべため、ボルガ国へと遠征した皇帝軍率いるケネス軍はボルガ国を見事に攻め滅ぼした。
これにより、ケネス帝国はボルガ国を併呑し、北方大陸へと北進するための貴重な橋頭堡を得たのである。
無論、市民達はそんな細かい事情は知らない。
だが、自分達の崇拝する皇帝が戦争に勝ち、領土を広げた。
この事実だけで、十分な喜ぶ理由になる。
その歓喜の声に包まれながら、皇帝の馬車は悠然とアルトゥス宮殿へと入っていった。
帝都の中央部に建てられたアルトゥス宮殿の中へと入っていったシーザー皇帝だが、そこからも大変だった。
ご機嫌伺いに来る有力貴族との謁見。
今回の戦で得た利権と、被害の確認作業。
さらには、自身に付き添った有力将校達に対して言葉をかけ、その功を労ったりもした。
また、今後の方針を巡っていくらかの議論をかわしもした。
北方でさらに版図を拡大するべく、軍を進めるか。
それとも、東方での利権の確保を狙うか。
……等の議論だ。
その諸々が終わった時点では、既に日付が変わっていた。
「陛下……今日の仕事はこれで終わりです」
皇帝即位時点から仕えている、側近であるドゥエインが声をかけた。
年齢は、シーザー皇帝と同じくらいの男性だ。
だが、皇帝はそれに答える事なく玉座でそのまま目を閉じている。
最初、その側近は眠っているのだと思った。
「陛下。このようなところで寝られては体調を崩されます。部屋の方に」
だが、皇帝は何の反応も示さない。
「……陛下?」
ドゥエインは近づく。
そして、顔色を変えた。
「へ、陛下……。まさか」
――死んでいるのでは?
最悪の事態を考え、ドゥエイン近は青ざめる。
その体からは生気を感じることができない。
「……騒ぐでない」
低いが、よく通る声だ。
ドゥエインが、若い頃から知る声。
シーザー皇帝が、まだ少年だった時期から変わっていない声だ。
皇帝の目がかすかに開く。
安堵する側近だが、顔色はまだ青い。
「陛下、もしやお体が……」
「遠征する前から予兆はあったのだがな」
ふふ、とシーザーは笑った。
そしてゴホリ、と咳き込む。
「で、でしたら何故もっと早くに!? 治癒魔術師を呼びますゆえお待ちください」
「良い」
シーザー皇帝は手で制した。
「余の自作の魔法薬がある。それを使えば収まる」
そう言ってシーザーは、手元から小瓶を取り出しそれを口に含んだ。水も使わずにそれを飲み込む。
暫し時間が流れる。
わずかではあるが、シーザーの顔色が良くなっているように感じた。
「見よ。大した事がなかったであろう。気にしすぎだ」
「は、はあ。分かりました」
「だが、余も年齢だ。万が一の事を考えねばならぬかもしれん」
シーザーがそうぼそりと呟くように言った。
「陛下……」
「あくまで万が一の事だ」
再び心配そうな表情をするドゥエインを手で制し、シーザーは小さく笑う。
「何年になる?」
「は?」
質問の意図わ分からず、ドゥエインは困惑する。
「余とお前の付き合いだ」
「それでしたら……40年ほどになるのではないかと」
「もうそんなに経つか」
シーザーは顎髭を弄びながら答えた。
「はい」
「何やら一瞬の出来事のようだ。余の体感時間では40年どころか4年程度にしか感じておらん。お前と出会ったばかりの頃は、逆に1年が10年にも感じられたというのに」
「陛下……」
「あの頃は楽しかった。何より、幼かった頃の余は明確な目標があったからな。そして、それが達成された時は嬉しかった。あれほどの感動。もはや、一生味わう事はあるまい」
「幼き日より、陛下はその椅子に座る事を願い続けておりましたからね」
ふふ、とはじめてドゥエインの顔に笑みが浮かんだ。
”その椅子”というような皇帝専用の玉座の事である。
「だが、皇帝になってから余の頭を占めていたものは、帝国臣民の安寧と繁栄。例え他国の民を地獄に落としてでも帝国をいかにして栄えさせるかだけだった」
ここで、シーザーの顔から笑みが消える。
その瞳に浮かぶのは、何なのか。
それは、ドゥエインにも分からない。
「思えば、あの時が余にとっても最も楽しい時期であったかもしれぬ。皇帝になってからの人生は余の抜け殻よ。こんなざまでは、そろそろ余の後継者達が争う頃かもしれん」
「陛下ッ! そのような事を……」
皇帝の発言に、詰め寄ろうとするドゥエインを皇帝は手で制した。
「いや、良い。余も少しばかり疲れているようだ。らしくもない事を言ってしまった」
すっ、と皇帝は玉座から立ち上がった。
「やはり、体調が思わしくないようだ。今日はこれで休む事にする」




