第78話:持っていくもの
網の練習をした日から、三日が経った。
あれから部屋でも何度か畳み方を試してみたが、練習場所でやった時ほど上手くはいかなかった。床へ広げると場所を取るし、途中で絡まるとほどくのに時間がかかる。
それでも、最初に比べれば随分ましになったと思う。
問題は、持ち歩く方法だった。
今日はギルドで仕事を探すつもりなので、試しに網も持っていくことにした。
畳んだ網を布袋へ押し込み、口を紐で縛る。それを腰の横へ下げてみると、歩くたびに太腿へ当たった。
……うーん。
少し位置を後ろへずらしてみたが、今度はしゃがんだ時に邪魔になる。これなら手で持った方が楽かもしれない。
ただ、それだと片手が塞がるんだよな。
何度か位置を変えた末に、結局、腰の少し後ろへ下げることにした。歩くだけなら何とかなりそうだ。
盾も背負って、部屋を出る。
ひびの入った棒は壁際へ置いたままだ。代わりの武器はまだ決めていないが、そろそろ何か考えないと、町の外へ出る仕事も受けにくい。
階段を下りると、ボノが帳場で帳面を広げていた。
俺が通りかかると、腰の袋に目をやった。
「おう、網はそこに下げることにしたのか」
「一応。でも、まだしっくりこないんですよね」
「ずいぶん面倒な荷物だな」
「買う前は、畳めばもっと小さくなると思ってたんですけど」
「そうか。まあ、引っかけて転ぶなよ」
「……それは気をつけます」
ボノは笑いながら帳面へ目を戻した。
宿を出て歩き始めると、早速、腰の袋が揺れた。何度か位置を直してみたものの、やっぱり少し気になる。
……慣れるまでには、もう少しかかりそうだな。
◇
ギルドの掲示板には、いつものようにいくつか依頼が並んでいた。
町の中の荷運びや、商店の手伝い。少し離れたところへの配達もある。
左腕はもう痛まないので、荷運びでも問題なさそうだ。ただ、今日は網を持ってきている。これをつけたまま重い荷物を運ぶのは、あまりやりたくない。
……まあ、仕事中は外せばいいんだけど。
そう思いながら依頼を眺めていると、少し気になるものを見つけた。
街道脇に残された荷物の回収。
場所を確かめると、先日ロルフたちと歩いた辺りだった。
……あれ?
もしかして。
依頼票を持って受付へ行くと、セラが顔を上げた。
「おはようございます、ライアスさん」
「おはようございます。あの、この依頼なんですけど」
俺が差し出した紙を見て、セラは頷いた。
「ああ、そちらですか。先日、怪我をされた方の荷物ですよ」
「やっぱり、あの時のですか」
「はい。荷車が壊れてしまっているので、今回は運び出せる荷物だけを回収するそうです」
なるほど。
あの時は男を助けるのが先だったから、荷車も荷物も残したままだった。
正確には、必要なものだけは持って帰ったんだったな。
確か、畑へ届ける道具だったはずだ。
「怪我をした人は、どうなったんですか?」
「まだしばらく足を休ませる必要があるそうです。でも、無事に町へ戻られていますよ」
「そうですか。よかった」
あれだけ痛がっていたんだから、すぐに歩けるようにはならないだろう。ただ、無事に町へ帰れたなら何よりだ。
「この仕事、俺も受けられますか?」
「はい。ただ、今回は林の近くで作業するので、一人では受けられない依頼なんです」
セラは依頼票を確かめた。
「ロルフさん、ネイトさん、リーザさんの三人が参加する予定です。ライアスさんも加われば、前回と同じ四人になりますね」
「あ、そうなんですか」
「皆さん、荷車が落ちていた場所をご存じですから」
「はい。あの場所なら覚えてます」
それなら話も早い。
知らない場所へ行くよりはいいだろう。
もちろん、あの辺りで何度も魔物を見かけたことは忘れていない。
「魔物のことは、大丈夫なんでしょうか?」
「安全になったという報告は、まだありません。ですから、危険があれば回収を中止することになっています」
「そうですよね」
「無理をしてまで荷物を運ぶ必要はありませんから」
セラはそう言って、俺の装備へ目を向けた。
「ところで、今日は棒を持っていないんですね」
「ああ、前の棒が傷んじゃったので。新しいのをどうするか、まだ決めてないんです」
「そうだったんですか」
「町の中ならいいんですけど、外へ出るとなると、やっぱり何もないのは不安で」
「でしたら、準備してからでも大丈夫ですよ。出発は明日の朝ですから」
「明日ですか」
それなら、まだ時間がある。
俺は少し考えてから頷いた。
「じゃあ、明日までに何か用意してきます」
「わかりました。では、参加する予定でお名前を控えておきますね。もし準備が間に合わなかったら、必ず知らせてください」
「はい。お願いします」
◇
ギルドを出たあと、俺はダンの工房へ向かった。
また来たのか、と言われそうだけど仕方ない。
前の棒が使えなくなった以上、何か用意しなければならない。
工房へ着くと、ダンは作業台の上で木材を削っていた。
俺に気づくと手を止め、少し眉を上げた。
「おう、ライアス。また来たのか」
「すみません。ちょっと相談がありまして」
「今度は何だ。こないだの棒か?」
「はい。実は、明日また町の外へ行くことになって」
俺はまだ次の武器を決められていないことと、ひびの入った棒を持っていくわけにもいかないことを説明した。
ダンは聞き終えると、少し呆れたように笑った。
「だから、代わりの棒が欲しいってわけか」
「そうなんです。でも、ちゃんとしたものを作ってもらうかどうかは、まだ迷ってて」
「なるほどな。とりあえず一本、手元に置いときたいわけだ」
「はい」
ダンは作業台から離れると、壁際に立てかけてある木材を何本か確かめ始めた。
長さも太さもばらばらで、板にする前のものもあれば、すでに丸く削られているものもある。
その中から一本を取り、俺へ渡してきた。
「ほら。これならどうだ」
受け取ってみると、今までの棒より少し重かった。
長さはそれほど変わらないが、表面にはまだ削った跡が残っていて、握った感じも違う。
「これ、何に使う木なんですか?」
「別の仕事で使うつもりだった材だ。まだ仕上げちゃいないが、曲がりも少ないし、持つ分には問題ないだろ」
俺は右手で握り、ゆっくりと前へ出してみた。
……うん。
前の棒ほど馴染むわけじゃないけど、使えなくはなさそうだ。
「ただし、こいつはお前に合わせて作ったわけじゃねえぞ」
「わかってます」
「それに、丈夫だからって魔物を殴っていいとは限らん。普通の木なんだからな」
「はい。そこは気をつけます」
ダンは俺の持ち方を見ながら、もう一本、少し細い材を取り出した。
「こっちは軽いぞ」
試しに持たせてもらう。
確かに軽いが、今までの棒より少し細い。
「……こっちの方が動かしやすいですね」
「そうか。なら、そっちにするか?」
「でも、細いと折れやすくないですか?」
「使い方次第だな。太けりゃ絶対に折れねえってもんでもない」
そう言われると、迷ってしまう。
今までの棒が傷んだ原因も、結局は魔物の力をまともに受けてしまったことだ。どんな木を使ったって、同じことをすれば傷むかもしれない。
何度か持ち比べた末に、俺は最初の一本を選んだ。
少し重いが、まだ片手で扱えそうだったし、握る部分もそれほど太くない。
ダンは握りやすいよう表面の粗いところを軽く整えてくれた。
「ほら、こんなもんだろ」
「ありがとうございます」
「礼は代金を払ってからにしろ」
「……そうでした」
ダンが笑う。
俺もつられて笑い、代金を支払った。
出来上がったものは、以前作ってもらった棒ほど手をかけたものではない。
それでも、ひびの入った棒を持ち出すよりはいいだろう。
「次の武器を決めたら、また相談に来るかもしれません」
「おう。その時は何をしたいのか、ちゃんと決めてから来いよ」
「……努力します」
「ははっ。まあ、無理に急ぐこともねえだろ」
俺は礼を言い、工房を出た。
◇
宿へ戻ってから、新しい棒を背負えるようにした。
前の棒に使っていた革紐を外し、買ってきた棒へ付け替える。
ただ、少し太さが違うので、今までとまったく同じようにはいかなかった。何度か紐の長さを変え、背負って歩いてみる。
……こんなものかな。
以前、装備店で紐の位置を調整してもらった時のことを思い出しながら、盾も背負ってみた。
少し身体をひねると棒が盾に当たるが、位置をずらせば歩く分には何とかなりそうだった。
問題は網だ。
腰の後ろに下げた袋が、棒を取り出そうとした時に引っかかる。
「……あれ?」
もう一度試してみる。
今度は袋を横へずらしてから棒を取ったので、何とか抜けた。けれど、これでは急いでいる時に困りそうだった。
網の袋を反対側へ回してみると、今度は盾を下ろす時に邪魔になる。
……何か増やすたびに、面倒なことになるな。
結局、網は腰の少し前寄りに下げ、棒と盾はなるべくこれまでに近い位置へ収めることにした。
その状態で部屋を何度か歩き、しゃがんだり、棒を抜いたりしてみる。
完璧とは言えないが、ひとまず持ち歩くことはできそうだった。
それから、明日の仕事に持っていく食料と水を用意した。
網も持っていくつもりではいるが、使う機会がなければそれでいい。
というより、できれば使わずに帰ってきたい。
そう思いながら荷物をまとめ、翌朝に備えて早めに休むことにした。
◇
翌朝、ギルドの前へ行くと、ロルフたちはすでに集まっていた。
「おう、ライアス。久しぶりだな」
ネイトが片手を上げる。
「おはようございます。またよろしくお願いします」
「こちらこそ」
ロルフも頷いた。
「今日は前と同じ場所へ行くが、危なそうならすぐに戻るぞ」
「わかりました」
ネイトが俺の背中を見た。
「お、棒を替えたのか?」
「はい。昨日、ダンに見てもらって、とりあえず一本」
「そうか。前のは結構ひびが入ってたもんな」
「ええ。まだ次に何を使うかは決めてないんですけどね」
「まあ、急いで決めてまた壊しても困るしな」
そう言って笑うネイトの横で、リーザが俺の腰の袋を見た。
「それ、何?」
「ああ、網です」
「網?」
「ちょっと試してみたくて、持ってきたんです」
ネイトが首を傾げた。
「そんなもの、何に使うんだ?」
「魔物の動きを邪魔できないかなと思いまして。まだ練習してるところなんですけど」
「へえ。そいつは面白いな」
リーザは興味を持ったらしく、袋の方を覗き込んだ。
「どうやって使うの?」
「木の間に張ったりとか。ただ、広げるのに結構時間がかかるんですよね」
「じゃあ、急に出てきたら使えないんじゃないか?」
ネイトに言われ、俺は頷いた。
「今のところは、そうですね」
「今のところって、お前……」
ネイトが笑い、ロルフも少し口元を緩めた。
「まあ、今日は荷物を回収しに行くんだ。その網を試すために魔物を探すなよ」
「そんなことしませんよ」
「ならいい」
ロルフは俺たちを見回した。
「今回の目的は残された荷物の回収だ。危険な場所で無理をするつもりはない。回収できそうなものだけ持って帰る。いいな?」
「了解」
「わかった」
俺も頷いた。
出発前に、荷物を運ぶための小さな荷車を受け取る。
壊れた荷車を直して持ち帰るのではなく、残っている道具や箱の中から、運べるものを回収するためだ。
俺たちは交代で荷車を引きながら、ベルド方面の街道へ向かった。
◇
街道を歩き始めてしばらくすると、腰の網が気になり始めた。
普段なら荷車を引く時、腰の辺りに余計なものはない。ところが、今日は少し身体をひねるたびに袋が揺れ、手を伸ばすと紐に引っかかることがある。
何度か位置を直していると、ネイトに声をかけられた。
「さっきから何してんだ?」
「網の袋が邪魔で……」
「外して荷車に載せりゃいいじゃねえか」
「あ」
そうか。
荷車があるんだった。
俺は網の入った袋を外し、荷台の隅へ置いた。
「……楽になりました」
「そりゃそうだろ」
ネイトが笑った。
せっかく持ち歩き方を考えてきたのに、結局荷車に載せてしまった。
……まあ、仕事の邪魔になるよりはいいか。
「ただ、急に必要になっても取り出せないんじゃない?」
リーザが言った。
「そうですね。その時はちょっと困るかもしれません」
「今すぐ使う必要もないんだから、無理に身につけておかなくてもいいと思うよ」
「そうですね」
俺は荷台の袋を見た。
使わずに済むなら、その方がいい。
少なくとも、今日は荷物の回収が仕事だ。網の使い方を試すために来たわけじゃない。
荷車を引く役がネイトに替わり、俺はその隣を歩いた。
「……そういえば、最近思うんですけど」
「ん? 何だ?」
「ネイトさんって、最初に一緒に仕事した時と、だいぶ違いますよね」
「俺が? そうか?」
「はい。前はもう少し静かな人なのかと思ってました」
「ああ、こいつ、こう見えて人見知りなんだよ」
後ろからロルフが言った。
「おい、ロルフ」
「最初は結構、相手の様子を見てるんだよな。慣れてくるとこんなもんだ」
「別に人見知りってわけじゃねえよ」
「そうなの?」
リーザが笑いながら尋ねた。
「お前まで何だよ。初めて組む相手に、いきなり好き勝手言わねえってだけだろ」
「それを人見知りって言うんじゃない?」
「……ったく」
ネイトは呆れたように笑った。
「じゃあ、俺にも慣れたってことですか?」
そう聞くと、ネイトはこちらを見た。
「そりゃ、何回も一緒に仕事してりゃな」
「そうなんですね」
「何だよ、その返事」
「いえ、何となく」
「変な奴だな、お前も」
ネイトはそう言って、また前を向いた。
俺も隣を歩きながら、荷車の車輪が道のくぼみに取られないよう、時々足元を確かめた。
◇
以前、男を見つけた場所へ近づくと、ロルフが足を止めた。
「この辺りだったな」
「はい。もう少し先です」
俺は街道の左側を指差した。
林の手前で地面が少し低くなり、その先は草に隠れて見えにくくなっている。
前に通った時も、街道から荷車の姿は見えなかった。
「回収用の荷車は道の端に置いて、まず様子を確かめよう」
ロルフの指示で、俺たちは荷車を街道の少し広くなった場所へ寄せた。
ネイトが車輪を動かないようにし、リーザは林の方を見ている。
俺も耳を澄ませてみたが、今のところ、気になるような大きな音は聞こえなかった。
ただ、それで安全だとは言い切れない。
ロルフが周囲を確認してから、ゆっくりと斜面を下り始めた。
俺たちもその後ろについていく。
やがて、草の間から壊れた荷車が見えてきた。
「おお、まだあったな」
ネイトが言った。
「そりゃ、そう簡単には動かせんだろう」
ロルフが答える。
荷車は以前とほとんど同じ場所に倒れていた。
ただ、周囲に散らばっていた袋の一つは汚れがひどく、表面に泥がついている。木箱もいくつか残っていた。
「じゃあ、持てそうなものから確認しよう」
ロルフが言った。
「無理に全部運ぼうとするなよ。まずは中身が無事かどうかだ」
「了解」
俺はネイトと一緒に、荷車の近くに置かれていた小箱を確かめた。
蓋が少しずれているものもあったが、中身がこぼれている様子はない。
持ち上げてみると、それほど重くなかった。
「これなら運べそうですね」
「ああ。そいつは先に道へ上げよう」
ネイトが答えた。
俺たちは小箱を持ち、斜面を上がって回収用の荷車へ運んだ。
戻る途中で、リーザが林の方を確かめているのが見えた。
ロルフも作業を急がせず、周囲を見ながら一つずつ荷物を運ぶよう指示していたので、思っていたより時間がかかっていた。
「これで二つか」
ネイトが荷台を見た。
「あと何個くらい運べそうだ?」
「大きい箱は、ちょっと厳しいかもしれませんね」
俺が答えると、ロルフも頷いた。
「無理をするな。持てないものは残しておけばいい」
そうして、もう一度斜面を下りようとした時だった。
林の奥から、草を踏むような音が聞こえた。
俺は足を止めた。
風に揺れる葉とは違う。何かが地面を踏み、枝を押し分けているような音だった。
「ロルフさん、ちょっと待ってください」
声をかけると、ロルフはすぐに立ち止まった。
「どうした?」
「林の奥から、何か動いてくる音がします」
リーザが林へ向き直った。
「魔物?」
「まだわかりません。でも、結構大きそうです」
耳を澄ませると、また草を踏む音が聞こえた。
それに、少し離れたところでも枝が揺れ、何かが地面を蹴るような音が重なっている。
「……複数いるかもしれません」
「どっちだ?」
「斜面の奥です。さっきより近づいてます」
ロルフは林の方を確かめた。
「よし、ここまでだ。戻るぞ」
「了解」
ネイトがすぐに引き返し、リーザも林から目を離さずに後ろへ下がった。
俺も二人について斜面を上がった。
街道へ出ると、回収用の荷車が止めてある。運んだ小箱はまだ二つだけだが、今はそんなことを気にしていられない。
ネイトが車輪の固定を外した。
「荷車はどうする?」
「引いて戻る。何か出てきたら置いていけ」
ロルフが答え、俺たちはアルネへ向かって歩き始めた。
俺は後ろを振り返った。
林の奥では、まだ音が続いている。
前に出会った魔物たちも、こんなふうに草や枝を押し分けて走っていた。
……あの時みたいに、急に出てきたりしないよな。
荷車を引くネイトの足音に混じって、枝が折れる音が聞こえた。
さっきより近い。
「ロルフさん、まだこっちへ来てます!」
「わかった。ネイト、荷車は置いていこう」
「おう」
ネイトが持ち手から離れた。
荷車を置いて走れば、少なくとも荷物を引いているよりは速く動ける。
ロルフが俺たちを先に行かせようとしたところで、俺は荷台の隅にある袋に目を留めた。
……あ。
網だ。
俺は袋をつかみ、中から網を引っ張り出した。
「おい、ライアス。何してる?」
ネイトが振り返った。
俺は網を抱え、道の脇へ向かった。
林と街道の間には、低い茂みが続いている。さっきから聞こえている音は、その奥の方からだった。
茂みの手前は街道まで少し開けている。
もしあそこから何かが飛び出してきたら、俺たちのいる道へ出てくることになる。
……ここに置いたら、どうだろう。
「ライアス!」
ロルフの声に振り返る。
「何やってる! 戻るぞ!」
「あ、はい! でも、音はこの茂みの奥からなんです!」
俺は網を持ち上げた。
「ここにかぶせておけば、出てくる時に少しは邪魔になるんじゃないかと思って!」
「網を?」
「はい!」
「お前、今から張るつもりか?」
「いえ、かぶせるだけです!」
そう言いながら網を広げようとしたが、片側がまとまったまま開かない。
……あれ?
練習では端を固定してから広げていたが、今はそんな時間もない。
俺は目印にしていた長い縄を持ち直し、網の端を茂みの上へ放った。
広がった部分が枝に引っかかり、残りは手元からずるずると引っ張られていく。
「ライアス、もういい! 戻れ!」
ロルフに言われ、俺は慌てて網から手を離した。
網は半分ほど茂みにかかっていたが、残りは地面に落ちている。
……これじゃ、あんまり意味ないか?
もう少し広げたかったが、林の奥で大きく枝が折れる音がした。
近い。
俺は網をそのままにして、みんなの方へ走った。
「すみません!」
「謝るのは後だ。走れ!」
ロルフに背中を押されるようにして、俺たちは街道を走り出した。
後ろでは、草を踏み荒らす音が続いている。
俺は何度か振り返ったが、茂みの向こうに何がいるのかは見えなかった。
ただ、一度だけ、枝が激しく揺れる音がした。
その後も何かが動く音は聞こえていたが、走るにつれて少しずつ遠くなっていく。
……こっちには出てこなかったのか?
それとも、別の方向へ行ったんだろうか。
俺にはわからなかった。
◇
しばらく走ったところで、ロルフが速度を落とした。
周囲を確かめ、さらに街道を進んでから、ようやく足を止める。
ネイトは膝に手をつき、大きく息を吐いた。
「……まったく。荷物を取りに来たはずが、また走ることになるとはな」
「仕方ないさ。無事に帰る方が大事だ」
ロルフが答えた。
リーザも林の方を見ていたが、やがて槍を下ろした。
「今のところ、追ってくる気配はなさそうね」
「そうだな。ただ、もう少し離れよう」
ロルフが言ってから、俺を見た。
「それと、ライアス」
「はい」
「さっきの網のことだがな」
……やっぱり怒られるよな。
「すみません。勝手に動いちゃって」
「ああ。それはよくない。何か思いついたなら、まず一声かけてくれ。お前が突然林の方へ行ったら、こっちもどう動けばいいかわからん」
「はい……」
「お前が戻らなかったら、俺たちだってそのまま走るわけにはいかんからな」
……そうか。
網を置こうとして、逆にみんなを待たせてしまったのかもしれない。
「ただ、考えてたことはわかった。あそこから何か出てきても、すぐには通れないようにしたかったんだな?」
「はい。音がしてたので、網に引っかかってくれたら少しは時間が稼げるかなと思って」
ロルフは頷いた。
「そうか。でも、相手がどこから出てくるかまではわからなかったんだろ?」
「そうですね。だいたいの方向だけです」
「なら、網を置いた場所を通らないことだってある。そこは覚えておけよ」
「はい」
ネイトが横から口を挟んだ。
「それより、お前、あんな使い方するつもりだったのか?」
「いえ、思いついたのはさっきです」
「さっきかよ!」
ネイトが笑った。
「ずいぶん大胆なことするなあ」
「俺も、ちゃんと広がると思ってたわけじゃないんですけど……」
「それで、どうだった?」
リーザが尋ねてきた。
「半分くらいしか広がらなかったです」
「そうなの?」
「はい。途中で枝に引っかかっちゃって」
俺が答えると、ネイトが首を傾げた。
「ん? 枝に引っかかったなら、むしろいいんじゃねえか?」
「え?」
「いや、網を張りたかったんだろ。枝に引っかかってんなら、簡単には動かねえかもしれないじゃねえか」
……ああ。
そういう考え方もあるのか。
ただ、あの網は荷物を押さえるためのものだ。魔物の力で引っ張られたら、枝が折れるか、網の方が切れるかもしれない。
そもそも、何かがあそこを通ったのかどうかもわからない。
「……どうなったんでしょうね、あれ」
「さあな」
ネイトが肩をすくめた。
ロルフは街道の先を見た。
「確認するのは後だ。今は町へ戻ろう」
「そうですね」
俺たちは歩き始めた。
回収用の荷車も、運んだ小箱も、あの場所に置いたままだ。
網まで置いてきてしまった。
……せっかく買ったのに。
まあ、無事に帰れたんだから、いいか。
そう思いながら、腰の辺りに手をやった。
そういえば、網を入れていた袋も、荷車に載せたままだったな。
荷車を借りてきたのに、結局、荷物を増やして置いてきただけになってしまった。
……何やってるんだろう、俺。
俺は小さく息を吐き、前を歩く三人の後を追った。




