第77話:とりあえず、やってみる
網を買ってから、四日が経った。
その間は腕を休ませながら過ごしていたが、ようやく左腕の痛みも気にならなくなってきた。朝起きて動かしてみても、特に痛むところはない。
これなら、少しくらい練習しても大丈夫そうだ。
……ただし、魔物と戦うのはまだ遠慮したい。
朝飯を済ませ、部屋の隅に置いていた網を取り出した。
買ってきた日に広げて以来、ほとんど触っていない。あの時は畳むだけでも苦労したし、結局どうやって持ち歩くのがいいのかもわからなかった。
今日は、まず使い方を試してみよう。
網を抱えて階段を下りると、帳場にいたボノがこちらを見た。
「おう。今日はそいつを持っていくのか」
「はい。ちょっと試してこようと思って」
「魚でも捕る気になったか?」
「違いますって」
「ははっ。そうか」
ボノは笑いながら、帳場の上に置いていた帳面へ目を戻した。
「まあ、怪我しないようにな」
「はい。気をつけます」
宿を出て、ギルドへ向かう。
網は畳んでいるものの、片手で持つには少しかさばる。袋に入れようかとも考えたが、出し入れが面倒そうだったので、今日はそのまま持ってきた。
歩くだけなら何とかなるが、荷物が増えたら困りそうだ。
……これは後で考えるか。
ギルドに着くと、受付にはセラがいた。
「おはようございます、ライアスさん」
「おはようございます。あの、今日は裏の練習場所を借りたいんですけど」
「あ、網の練習ですか?」
「はい。ちょっと試してみようと思いまして」
セラは俺の持っている網を見た。
「本当に買ったんですね」
「買ってからほとんど触ってなかったんですけどね」
「ふふ。そうでしたか」
セラは裏の様子を確認してから、使ってもよい場所を教えてくれた。
午前中はほかにも練習している人がいるらしいが、端の方なら空いているそうだ。
「ほかの方が通るところには広げないでくださいね」
「わかりました」
「終わったら、受付に一声かけてください」
「はい。ありがとうございます」
礼を言い、ギルドの裏へ向かった。
◇
久しぶりに来た練習場所では、何人かの冒険者が剣を振ったり、身体を動かしたりしていた。
前に棒の使い方を教えてもらったのも、ここだったな。
あの時は突くのも払うのも上手くできず、何度も同じ動きを練習した。今だって、上手くなったと言えるほどじゃないけど。
俺はほかの人の邪魔にならない端の方へ移動し、網を地面に置いた。
前に考えたのは、木と木の間や狭い道に網を張って、魔物の通れる場所を減らすことだった。
ただ、実際にどんなふうに張ればいいのかはわからない。
練習場所の端には柵があり、少し間隔を空けて柱が立っている。人の通らないところを選べば、柱と柱の間に網を広げることもできそうだ。
まずは、あそこで試してみよう。
俺は網の片側を持ち、柱のところへ運んだ。
端についている縄を柱へ回し、ほどけないように結ぶ。
これくらいなら、荷運びの仕事でも似たようなことをしたことがある。
問題は反対側だ。
網を地面へ広げ、もう一方の柱まで引っ張ってみる。
すると、結んでいない部分が途中で引っかかり、網が細長くまとまってしまった。
「……あれ?」
もう一度広げ直す。
今度は最初から少しずつ引き出してみたが、網目が地面に引っかかるし、途中で端がねじれてしまう。
部屋でやった時よりは場所が広い。それでも、一人で広げるのは思ったより大変だった。
何とか反対側まで持っていき、そちらも柱へ結びつけてみる。
……おお。
とりあえず、張れた。
ただ、網の上の方は広がっているのに、下の方は地面へ垂れ下がっていた。
これじゃ、魔物が足を引っかけるどころか、そのまま踏んで通り過ぎてしまいそうだ。
俺は下側の縄も柱へ結びつけてみた。
すると今度は、網の形が少し整った。
「おお、いいじゃないか」
思わず声が出た。
もちろん、見た目がそれらしくなっただけだ。これで魔物の動きを止められるかどうかはわからない。
それでも、さっきまで地面に転がっていた網が、柱の間に広がっている。
ちょっと嬉しい。
俺は少し離れて、張った網を眺めてみた。
……うん。
問題は、これをどう使うかだな。
◇
試すため、練習に使ってもよい古い木箱を一つ借りてきた。
箱を網の前に置き、そっと押してみる。
網に触れると、箱の前にあった縄が少し押し込まれた。
もう少し押すと、今度は網全体が引っ張られる。
……なるほど。
網そのものは動かなくても、押された部分は伸びるんだな。
もう一度、少しだけ押してみた。
網が引っ張られるにつれて、柱に結んだ縄もぴんと張っていく。
これ以上押すと、どこかが傷むかもしれない。
俺はそこで手を止めた。
木箱くらいなら引っかかる。
でも、相手が魔物だったらどうだろう。
力任せに押し込んできたら、網が破れるか、結び目が外れるかもしれない。そもそも、横から回り込まれたらそれまでだ。
俺は網の端へ回り、結び目を確かめた。
少し緩んでいるようにも見える。
これじゃ、何度も使ううちに外れてしまうかもしれないな。
もう一度結び直してみる。
今度は少し強めに引っ張ったせいで、網の真ん中が細くなってしまった。
……難しいな、これ。
緩すぎても駄目だし、引っ張りすぎても形が崩れる。
試しに、少し余裕を持たせて張り直してみたが、今度は下の方が垂れ下がってしまった。
何度か繰り返して、ようやく最初よりはましな形になった。
ただ、その頃には随分と時間が経っていた。
俺は柱の間に広がった網を眺め、それから結び目の数を数えた。
……これ、魔物が来てからじゃ間に合わないよな。
一本結んで、反対側まで広げて、また結んで。
それだけのことなのに、やってみると面倒な作業が多い。
しかも、ここには都合よく柱が立っている。
森の中でも、張りやすい場所ばかりとは限らないだろう。
試しに、今度は片側を柱に結んだまま、反対側を木箱へ結びつけてみた。
木箱を少し離せば、柱との間に網を広げられる。
……よし。
ところが、網を引っ張ってみると、木箱がずるずると動いてしまった。
「ああ、そりゃそうか」
固定されていないものに結んだって、引っ張れば一緒に動くだけだ。
それなら重い石でも使えばいいのかもしれないが、どれくらいの重さが必要なのかもわからない。
少なくとも、この木箱では駄目らしい。
俺は結び目をほどき、網を地面へ置いた。
……思っていたより、うまくいかないな。
◇
少し休んでから、もう一度柱の間に網を張ってみることにした。
今度は、さっきと同じように結ぶつもりだ。
まず片側を固定し、反対側へ網を広げる。
途中で引っかかったところをほどきながら引いていくと、先ほどよりは早く反対側へ届いた。
……あれ、少し慣れてきたかな。
柱へ縄を回し、結ぶ。
ただ、下側の縄を結ぼうとしたところで網がねじれていることに気づき、結局一度ほどくことになった。
まだまだだな。
それでも、最初よりは手順がわかってきた気がする。
何度か繰り返しているうちに、網を広げる時、どちらの端から始めれば絡みにくいかも少しずつわかってきた。
最初に適当なところを持ってしまうと、後から端を探すのが大変になる。
だったら、毎回同じところから始めればいい。
俺は網を地面へ広げ、四隅を確かめた。
どこも似たような形をしているが、一か所だけ端の縄が少し長く残っている。
……これを目印にしよう。
その縄を最初に持つことにして、そこから順番に網をまとめてみる。
今度は、途中で絡まることなく畳むことができた。
「……おお」
ちゃんと畳めた。
もう一度、同じ端を持って広げてみる。
すると、さっきよりも引き出しやすかった。
途中で少しねじれたものの、どこからほどけばいいかはすぐにわかった。
これはいいかもしれない。
網を張る場所や結び方については、まだまだ考えなければならないことが多い。
でも、少なくとも広げたり畳んだりするのは、少し楽になった。
俺はもう一度網をまとめ、手の中で形を整えた。
……こういうのは、慣れなんだろうな。
前に棒を背負い始めた時も、最初は荷物に引っかかったり、仕事中に邪魔になったりしていた。
今ではそれほど気にならなくなったけど、あれだって、使い方を変えながら少しずつ慣れていったんだった。
網も、そのうち扱いやすくなるといいんだけど。
◇
昼を少し過ぎた頃、俺は練習を終えることにした。
網をまとめ、借りた木箱を元の場所へ戻す。
使った場所に縄や荷物が残っていないか確かめていると、少し離れたところから剣を打ち合わせる音が聞こえてきた。
ほかの冒険者たちは、まだ練習を続けているらしい。
俺もそろそろ武器の練習をした方がいいんだろうけど、肝心の武器をどうするか決めていない。
ひびの入った棒は、今も宿の部屋に置いてある。
ダンにもう一度作ってもらうか、装備店で別のものを探すか。そもそも、次も棒にするかどうかさえ迷っている。
……まあ、今日は網のことで十分だ。
畳んだ網を抱えて立ち上がると、左腕が少し重く感じられた。
痛むわけではないが、普段使わない動きをしたせいか、思ったより疲れている。
今日はこの辺りでやめておこう。
練習場所を出て、ギルドの受付へ戻った。
「お疲れさまです、ライアスさん。どうでした?」
セラが尋ねてきた。
「思ったより難しかったです」
「あら、そうなんですか?」
「張るのは何とかできたんですけど、準備に結構時間がかかるんですよね」
「なるほど……」
「それに、張る場所も選びそうです」
「そうですか。あまり簡単ではなさそうですね」
「はい。でも、畳むのはちょっと上手くなりました」
俺がそう言って網を見せると、セラは少し笑った。
「それはよかったですね」
「まあ、まだ使えるかどうかはわかりませんけど」
「最初から全部上手くできるわけじゃないですし、少しずつ試すのがいいと思いますよ」
「そうですね」
「では、練習場所は使用終了にしておきますね」
「はい。ありがとうございました」
礼を言ってギルドを出る。
歩きながら、抱えていた網を少し持ち直した。
最初より畳めるようにはなったけど、こうして持ち歩くとなると、やっぱり片手が塞がってしまう。
今は網だけだからいい。
でも、盾や新しい武器も一緒に持つことを考えると、もう少し工夫が必要そうだった。
……まあ、今日はここまででいいか。
そう思いながら歩いていると、ちょうど食堂の前を通りかかった。
中からいい匂いがしてくる。
そういえば、今日は朝から身体を動かしていたんだった。
……腹減ったな。
俺は網を持ち直し、食堂の扉を開けた。
とりあえず、昼飯にしよう。
◇
ライアスが練習場を出ていったあと。
剣の練習をしていた男が、隣にいた仲間へ声をかけた。
「なあ、さっき端っこに変な奴いなかったか?」
「ああ、網を張ってた奴か?」
「そうそう。何してたんだ、あれ」
「知らねえよ。ずっと結んだりほどいたりしてたな」
男は少し考えてから、何かを思い出したように言った。
「……あれ、前にここで棒を振ってた奴じゃねえか?」
「ん? ああ、いたな。棒の奴」
「またあいつか。今度は漁師にでもなるのか?」
「さあな。ここじゃ魚なんか捕れねえだろ」
「そりゃそうだ」
二人は笑った。
「……よくわからねえ奴だな、あいつ」
「まあ、いいんじゃねえか。ほら、次お前の番だぞ」
「ああ、そうだった」
男は剣を持ち直した。
それきり、網の話は出なかった。
気付けば、30万文字を超えていました。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
20万文字を超えた時も驚きましたが、そこから思ったより早かったですね。
……まあ、話数も77話まで来てるんですが。
それでも、まだまだライアスの話は続きます。
引き続き、のんびりお付き合いいただけたら嬉しいです。




