第74話:もう少し先へ
街道へ戻ってから、ロルフとネイトは男の運び方を少し変えた。
さっきまでは斜面を上がるために何度も身体を持ち直していたが、平らな道ならもう少し楽に運べるらしい。それでも、人一人を抱えたまま長い距離を歩くのは大変そうだった。
「ネイト、もう少しそっちを上げてくれ」
「これくらいか?」
「ああ。足が揺れないようにな」
「すまねえな……」
運ばれている男が申し訳なさそうに言うと、ネイトは笑った。
「気にするな。あんたが暴れなきゃ何とかなるさ」
「こんな足で暴れられるわけねえだろ」
「そりゃそうだ」
そんなやり取りを聞きながら、俺は二人の少し前を歩いていた。
リーザは街道の右側、林に近い方を確認している。俺は道の先を見ながら、時々後ろを振り返った。
アルネまでは、まだ結構な距離がある。
途中で馬車でも通ってくれればいいんだけど、さっきから人の姿は見かけていない。この辺りは林が続いているせいか、歩いていてもあまり見通しがよくなかった。
「ライアス、少し先に休めそうな場所はないか?」
後ろからロルフに声をかけられた。
道の先を見ると、緩やかな曲がり角の手前に、道幅が広くなっている場所があった。
「あそこなら少し広くなってます。荷車も寄せられそうですし」
「よし。そこまで行こう」
ネイトが大きく息を吐いた。
「助かる。さすがに腕が疲れてきた」
「あと少しですね」
「お前は気楽に言うなあ」
「俺も荷物は持ってますよ」
「そりゃご苦労なこった」
ネイトが笑ったので、俺も少し笑った。
男を運ぶ二人に比べれば、俺の仕事はずいぶん楽なものだ。それでも、足元や周囲の様子を確かめながら進むのは、今の俺にもできる。
林の方からは、風に揺れる木々の音や鳥の声が聞こえている。少し離れたところでは、何か小さなものが草を動かしているようだった。
今日だけで何匹も魔物を見ているので、普段より物音が気になる。
ただ、遠くの音を一つずつ確かめていたら、目の前の道まで見落としそうだ。
俺は街道の先を見ながら歩き、時々立ち止まって林へ耳を向けた。
そのうち、右手の少し後ろから、枝が擦れるような音が聞こえてきた。
最初は風かと思ったが、少し間を置いて、同じ辺りで草を押し分ける音がした。
……何かいるな。
「リーザさん、右の林に何かいるかもしれません」
俺が声をかけると、リーザは槍を持ち直した。
「どの辺り?」
「少し後ろです。あの木が何本か並んでる辺りだと思います」
リーザが振り返った。
「姿は見えないね」
「はい。でも、さっきから同じ辺りで音がしてます」
「ロルフ、ちょっと待って!」
リーザの声で、ロルフとネイトも足を止めた。
「どうした?」
「右の林に何かいるみたい」
ロルフが俺を見た。
「魔物か?」
「まだわかりません。ただ、草を押し分けて動いてるみたいです」
ロルフは林を見てから、街道の先へ目を向けた。
「このまま進むか。道の左へ寄ろう」
俺たちは林から少し距離を取り、街道の左側へ移動した。
木々の間には何も見えない。
ただ、先ほどまで後ろから聞こえていた音が、少しずつ横へ移っているようだった。
「……こっちと同じ方向へ動いてるみたいです」
「離れてはいないのか?」
「そうですね。まだ近くにいると思います」
ロルフは少し考えてから頷いた。
「なら、あの広いところまで進もう。ここで立ち止まっていても仕方ない」
「わかった」
「リーザ、林の方を頼む。ライアスは前を見ててくれ」
「はい」
俺たちは再び歩き出した。
広くなった場所まで行けば、少なくとも今よりは周りを見渡しやすいはずだ。
ところが、あと少しというところで、右手の茂みが大きく揺れた。
「来るよ!」
リーザが声を上げた。
木々の間から、四足の魔物が姿を現した。
さっき戦ったものと似た姿をしている。
魔物は林から半身を出したところで足を止め、こちらを見た。
「……またかよ」
ネイトが呟いた。
本当に、今日はどうなってるんだろう。
「刺激するな。こっちから近づく必要はない」
ロルフが言った。
「リーザ、距離を保ってくれ。俺たちは先へ進む」
「わかった」
リーザは槍を向けたまま、ゆっくりと後ずさった。
俺も男を運ぶ二人の横へ移動する。
魔物がそのまま林へ戻ってくれるなら、それが一番いい。
けれど、魔物はこちらの動きを見ていたかのように、街道へ一歩踏み出した。
ロルフが足を止める。
俺たちが進もうとすると、魔物も少し前へ出てくる。
これでは背中を向けにくい。
「ネイト、いったん下ろすぞ」
「ああ」
二人は街道の左端へ移動し、男をゆっくりと地面に下ろした。
そこには大きな石がいくつか転がっていて、男を座らせるにはちょうどよさそうな場所があった。
「すまんが、少し待っててくれ」
「あ、ああ……」
男は魔物の方を見ながら、石にもたれかかった。
ロルフとネイトが剣を抜き、リーザもその横へ並ぶ。
俺は男の近くに立ち、周囲を見回した。
前には三人がいる。
その後ろに俺と怪我人。
男の背後には大きな石があり、左側は少し地面が高くなっている。ただ、右側には人が通れるくらいの隙間があった。
……ここを通られると、男のところまで近いな。
俺はその隙間へ移動した。
「ライアス、あんまり前へ出るなよ」
ネイトに声をかけられた。
「はい。こっちへ回ってこられると困るので、ここを見てます」
「そうか。無理に相手するなよ」
「わかりました」
俺は左腕の盾を構え、右手の棒を少し低く持った。
男を守るなら、俺が前へ出て魔物と戦うより、ここを通らせない方がいいだろう。
石の横に立ってみると、魔物がこちらへ来るには、俺のいる隙間を通るか、三人のいる方を回るしかない。
もちろん、俺を押しのけてしまえばそれまでだ。
……それなら、その時は棒で邪魔するか。
「兄ちゃん、大丈夫なのか?」
座っていた男が声をかけてきた。
「何がですか?」
「いや、あんたも戦うのかと思ってな」
「ああ。俺はここにいるだけですよ」
「ここに?」
「はい。あっちから来られると困るので」
男は俺の立っている場所を見て、それから石の向こうを覗いた。
「……なるほどな」
「まあ、来ない方がいいんですけどね」
そう答えて、魔物の方へ目を戻した。
◇
魔物は街道の右側をゆっくりと移動していた。
ロルフが一歩前へ出ると止まり、リーザが槍を向けると少し横へ動く。
攻撃するつもりなのか、それとも別の場所へ行きたいのか。
今のところ、こちらへ飛びかかってくる様子はない。
「こいつ、なかなか行かねえな」
ネイトが呟いた。
「ああ。できれば、このまま離れてほしいところだが」
ロルフも剣を構えたまま答えた。
俺は魔物と三人の位置を見比べた。
魔物が右へ回ればリーザがいる。正面へ来ればロルフ、左へ向かえばネイトだ。
ただ、魔物の方がずっと速い。
大きく回り込まれたら、三人ともすぐには追いつけないだろう。
そう考えていた時、魔物が急に動いた。
ロルフの右側へ回り込むように走り、街道の端へ向かう。
「そっちへ行くぞ!」
ロルフが声を上げた。
リーザもすぐに向きを変えたが、魔物は槍の届く手前で大きく横へ跳んだ。
その先は、俺のいる側だった。
……やっぱり、こっちか。
俺は棒を横へ伸ばした。
魔物は一瞬足を止めたものの、すぐにこちらへ向かってくる。
正面から盾で受けるには、少し大きすぎる相手だ。
俺は石のそばから動かず、棒の先を低くした。
魔物が石の横へ入り込もうとしたところで、前足の近くへ棒を突き出す。
「っと!」
思っていたより強い力で、棒が押し返された。
そのまま押さえようとすると腕を持っていかれそうになり、俺は慌てて棒を引き戻した。
魔物は一度足を踏み直し、再び隙間へ入り込もうとする。
……押さえるのは無理だな。
俺は棒を少し持ち替えた。
相手を押し返すのではなく、前へ出そうとする足の邪魔をする。
もう一度、魔物が踏み込んできたところで、棒を斜め下から差し出した。
棒の先が前足に当たり、相手の身体が少し傾く。
その勢いで、魔物は石の方へ足をついた。
一瞬だけ動きが鈍った。
「今だ!」
ネイトが踏み込んだ。
魔物は剣を避けようとして、石の横から飛び退いた。
そこへリーザが槍を向ける。
「そっちは通さないよ!」
魔物は低く唸り、再び俺たちの方を見た。
しかし、ロルフも剣を構えて近づいてくると、今度は大きく後ろへ跳んだ。
そのまま街道の右側へ走り、林の手前で一度振り返る。
「追うな!」
ロルフの声に、ネイトも足を止めた。
魔物はしばらくこちらを見ていたが、やがて木々の間へ戻っていった。
俺は棒を持ち直した。
手にはまだ、押し返された時の感触が残っている。
あれだけ力が強いと、棒でまともに止めようとしても無理だろう。
ただ、足元を邪魔するくらいならできる。
……あの石があってよかったな。
「ライアス、大丈夫か?」
ネイトがこちらへやってきた。
「はい。何ともないです」
「よくあそこで踏ん張ったな」
「押し返されて、棒を持っていかれそうでしたけどね」
「そりゃそうだろ。あいつの力をまともに受けたら、俺だって面倒だぞ」
ネイトは笑いながら、俺の立っていた場所を見た。
「なるほど。石の横で待ってたのか」
「はい。あそこを通られると、この人のところまで来ちゃうので」
「いい場所を選んだな。おかげでこっちも追いつけた」
そう言って、ネイトは男の方へ目を向けた。
「大丈夫か、あんた」
「あ、ああ……」
男は石にもたれたまま、何度か頷いた。
「兄ちゃん、あんな近くまで来るとは思わなかったぞ」
「俺も、もう少し離れたところで止まってくれると思ってました」
「それでも、よくやってくれたな」
「まあ、通られずに済んだので」
男はそれを聞いて、少し笑った。
ロルフが林の方を見ながら声をかけてきた。
「そろそろ移動するぞ。あいつが戻ってこないうちにな」
「はい」
俺は石のそばから離れ、男を運ぶ二人のために荷物をまとめ直した。
◇
少し先の広くなった場所まで進むと、林との間に距離ができた。
ロルフはそこで一度足を止め、後ろを振り返った。
「ここまで来れば、少しは周りを見やすいな」
「休むか?」
ネイトが尋ねた。
「ああ。少しだけな」
二人は男を地面に下ろし、それぞれ腕を伸ばした。
「さすがに疲れたなあ」
ネイトが肩を回す。
「もう少しで誰か通るといいんだが」
「そうですね」
俺も街道の先を見た。
道は緩やかに曲がり、その先までは見えない。
こんな時、馬車が通ってくれれば本当にありがたい。
……都合よく来るものでもないか。
そう思いながら、持ってきた水を飲んだ。
ロルフたちも交代で休み、男の様子を確認している。
左足は相変わらず痛むようだが、ここまで運ばれている間に新しく出血した様子はなかった。
ただ、町までこのまま運び続けるのは大変だろう。
「今からだと、暗くなる前に着けますかね?」
俺が尋ねると、ロルフは街道の方を見た。
「俺たちだけなら問題ないだろうが、怪我人を運びながらとなるとな。休み休み行くしかない」
「そうですよね」
「まあ、街道だからな。誰かしら通るだろ」
そう答えた時、後ろの方から車輪の音が聞こえてきた。
俺は振り返った。
……ん?
今度は、馬の蹄の音もする。
街道の向こうから、ゆっくりと近づいてくるようだった。
「ロルフさん、後ろから馬車が来てるみたいです」
「本当か?」
「はい。まだ見えませんけど、こっちへ向かってます」
ロルフも立ち上がり、道の先を見た。
少し待っていると、曲がり角の向こうから馬車が一台現れた。
荷台にはいくつかの木箱が積まれているが、まだ空いている場所もある。
馬車はアルネの方へ向かっているらしい。
「おお、ちょうどいいな」
ネイトが嬉しそうに言った。
ロルフが道の端で手を上げると、御者は俺たちを見て速度を落とした。
「どうした?」
「怪我人がいるんだ。アルネまで乗せてもらえないか?」
御者は男の足を見て、少し困った顔をした。
「荷物もあるから、全員は乗せられんぞ」
「怪我人だけでもいい。俺たちは歩くから」
「……それなら、何とかなるか」
御者は荷台を確かめ、木箱を少し寄せて場所を空けてくれた。
ロルフとネイトが男を乗せ、足を無理に曲げずに済むよう、持っていた荷物を使って身体を支える。
「すまねえ。本当に助かる」
男が何度も礼を言うと、御者は軽く手を振った。
「礼なら町に着いてからでいい。道が揺れるから、あまり動くなよ」
「わかった」
俺たちも御者に礼を言った。
「お前たちはどうする?」
御者に尋ねられ、ロルフが答えた。
「歩いて戻るさ。怪我人を先に町まで連れていってくれれば十分だ」
「そうか。じゃあ、先に行くぞ」
御者が手綱を動かすと、馬車はゆっくりと走り始めた。
男は荷台から俺たちへ手を振っていた。
「本当にありがとうな!」
「町に着いたら、ちゃんと足を診てもらってくださいね!」
俺が声をかけると、男は大きく頷いた。
馬車は少しずつ遠ざかり、やがて曲がり角の向こうへ消えていった。
ネイトが大きく伸びをした。
「あー、ようやく腕が空いた」
「ずっと運んでましたもんね」
「明日は筋肉痛かもしれん」
「それくらいで済めばいいけどな」
ロルフが笑った。
俺も荷物を背負い直し、三人と一緒に歩き始めた。
これなら、アルネまでそれほど時間はかからないだろう。
◇
しばらく歩いていると、右手に持っていた棒が少し気になった。
さっき魔物の足元へ差し出した時、かなり強い力で押し返された。
あの時は握り直すことばかり考えていたけど、何となく持った感じが違う。
俺は歩きながら棒を持ち替え、先の方を確かめた。
大きな擦り傷ができている。
さらに、木目に沿って細いひびが入っていた。
……あれ?
こんな傷、前からあったっけ。
一度立ち止まって、指でなぞってみる。
表面がわずかに浮いていて、力をかければそこから割れそうな気もした。
「どうした、ライアス?」
ネイトが振り返った。
「ああ、棒にひびが入ってるみたいで」
「どれ?」
俺が見せると、ネイトは少し顔を近づけた。
「……ああ、こりゃ結構いってるな」
「やっぱり、まずいですかね」
「今すぐ折れるかはわからんが、無理に使わない方がいいんじゃないか?」
「ですよねえ……」
今まで何度も使ってきた棒だ。
森を歩く時にも、仕事で荷物を動かす時にも使ってきたし、魔物と戦ったことだってある。
多少傷がつくのは仕方ない。
ただ、今回のひびは少し深そうだった。
「町に戻ったら、装備屋で見てもらえばいいんじゃないか?」
ネイトが言った。
「そうですね。何か考えないと」
「あの棒、結構長く使ってるんだろ?」
「はい。ずっとこれですね」
「だったら、そろそろ替え時かもしれんな」
俺はもう一度、ひびの入った部分を見た。
これまで特に不満はなかった。
軽くて持ちやすいし、歩く時にも使える。魔物を遠ざけたり、相手の動きを邪魔したりするにも、それなりに役立ってきた。
でも、今日みたいに強い力で押し返されると、棒そのものが耐えられないこともあるらしい。
もう少し丈夫なものなら、違うんだろうか。
……それとも、使い方を考えた方がいいのかな。
俺は棒を持ち直した。
ひびの部分に強い力がかからないよう、地面へつくのも少し控えておこう。
「……これ、次も使えるのかな」
口に出してみたものの、答えは出なかった。




