第71話:まだ来ます
翌朝、宿を出る前に、昨日借りた鉄板をボノへ返した。
きれいに洗ったつもりだったが、ボノは表面を確かめると、何だか楽しそうに笑った。
「どうだ、うまく焼けたか?」
「まあまあです。ちょっと味にむらができましたけど」
「ははっ。食えたんなら上出来だろ」
「そういうものですかね」
「最初からうまくできるやつばかりじゃねえよ。また使いたきゃ言ってくれ」
礼を言って宿を出た。
昨日の肉は、なかなかうまかった。ハジャオを均等に振りかける方法さえ考えれば、もう少しおいしくできそうな気がする。
……今度は塩も忘れないようにしよう。
そんなことを考えながら、いつもの道を歩いてギルドへ向かった。
今日も特に仕事の予定はない。
倉庫の見張りは終わったし、しばらくは町の中で働いてもいいだろう。材木屋の荷運びも悪くなかったし、ほかにも探せば仕事はあるはずだ。
ただ、昨日のギルドマスターとの話が、少し気になっていた。
あの夜、俺が聞いた音は何だったんだろう。
裏口の錠がおかしいことは見つかったし、盗みをしていた男も捕まった。俺が頼まれた仕事は見張りだったんだから、それで十分なのかもしれない。
それでも、結局あの音の正体はわからないままだった。
もし、もう少し違う聞き方をしていたら、何かわかったんだろうか。
……いや、音を聞いただけで犯人がわかるわけでもないか。
そんなことを考えているうちに、ギルドへ着いてしまった。
◇
掲示板の前には、今日も何人かの冒険者が集まっていた。
俺もその中に混じって依頼票を眺める。町の中の荷運びや、商店の手伝い、少し離れた畑での作業なんかもある。
いつもなら、この中から報酬と仕事内容を見比べて決めるところだ。
けれど、今日は何となくその気になれなかった。
……そういえば。
この前、セラに魔力の話を教えてもらったんだったな。
俺の《聴力強化》も魔力を使って働いているらしいという話だったが、あれから何か変わったかと言われると、正直よくわからない。
夜の見張りでも耳を澄ませたり、少し休ませたりはしていた。ただ、それが魔力の使い方と関係しているのかどうか、自分では確かめようがなかった。
もう少し聞いてみようか。
受付を見ると、ちょうどセラの前に並んでいた人が手続きを終えたところだった。
「おはようございます」
「あ、おはようございます、ライアスさん。今日は何か依頼を?」
「まだ決めてないんですけど、その前にちょっと聞いてもいいですか?」
「はい。何でしょう?」
少し考えてから、俺は口を開いた。
「特性って、どうやったら上手く使えるようになるんですか?」
セラは一度瞬きをして、それから俺の顔を見た。
「《聴力強化》のことですか?」
「はい。この前、魔力の話を教えてもらったじゃないですか。あれから少し考えてたんですけど、結局どうすればいいのか、よくわからなくて」
「ああ、なるほど」
セラは頷いた。
「ライアスさんは、今まで特に意識せずに使ってきたんでしたよね」
「そうなんです。遠くの音を聞こうとしたり、何か気になった時に耳を澄ませたりはしてましたけど、それが特性を強く使ってるってことなのかもわからないんです」
「そうですねえ……」
セラは少し考え込んだ。
「特性によって使い方も違いますし、私にも《聴力強化》の細かい扱い方まではわかりません。でも、結局は使いながら覚える部分も大きいと思いますよ」
「使いながら、ですか」
「はい。ライアスさんも、今までのお仕事でいろいろ覚えてきたんじゃないですか?」
そう言われて、少し考える。
確かに、最初の頃は遠くから聞こえる音が何なのか、今よりずっとわからなかった気がする。
森の中で魔物の気配に気づいたこともあったし、人の声を頼りに場所を探したこともある。逆に、水路の音が反響して、どこで詰まっているのかわからなかったこともあった。
「……そうですね。前よりは、わかることが増えたかもしれません」
「でしたら、その経験も役に立つと思います」
「でも、今までと同じように仕事してるだけでいいんですかね?」
「うーん。どうでしょう。何が聞こえたのか、どういう時に聞き取りやすかったのか、少し気にしてみるのはいいかもしれませんね」
なるほど。
今までは、必要な音が聞こえればそれでよかった。
でも、聞こえた時に自分が何をしていたのかなんて、あまり考えたことがない。
「ありがとうございます。ちょっと試してみます」
「ふふ。無理はしないでくださいね」
「はい。それは気をつけます」
そう答えたところで、セラがふと思い出したように掲示板へ目を向けた。
「そういえば、今日出している依頼の中に、ライアスさんにも向いていそうなものがありますよ」
「どんな仕事ですか?」
「街道の安全確認です。ベルド方面へ向かう街道なんですけど、最近、周辺で魔物を見かけたという報告が増えていまして」
……魔物か。
「それって、討伐ですか?」
「いえ。今回は調査が中心です。どの辺りで目撃されているのか、道に危険な場所がないかを確認してもらう依頼ですね」
「なるほど」
セラは受付の横に置かれた書類を取り出した。
「今のところ、魔物が増えているのか、普段とは違う場所に出てきているだけなのかも、はっきりしていないそうです」
「違う場所、ですか?」
「はい。いつもはあまり見かけない場所で目撃された、という報告もあるみたいですね」
ベルド方面の街道なら、俺も何度か通っている。
護衛の仕事でも使った道だし、まったく知らない場所というわけじゃない。
ただ、魔物が出るとわかっている場所へ、わざわざ行くのもなあ。
「危なそうですね……」
「もちろん、危険がないとは言えません。ですから、複数人で確認することになっています」
「何人くらいですか?」
「四人の予定です。三人はもう決まっていて、あと一人を募集しています」
セラは書類を確認してから、こちらへ向けてくれた。
「ロルフさん、ネイトさん、リーザさんですね」
「あ、その三人なら知ってます」
「ご一緒したことありましたっけ?」
「はい。前に水路と作業小屋を調べる仕事で」
あの時は、作業小屋で板を倒してしまったんだったな。
盾で防いだまではよかったけど、あの大きな音で耳がおかしくなって、しばらく休むことになった。
……あまり思い出したくない失敗だ。
「それなら、ちょうどいいかもしれませんね。皆さん、こういう調査のお仕事にも慣れている方ですから」
「そうなんですね」
書類を受け取り、仕事内容を確認する。
街道沿いの状況確認と、魔物を目撃した場合の報告。必要があれば周辺の痕跡も調べるが、無理に追跡する必要はないらしい。
討伐が目的ではないというのは、ありがたい。
それでも、魔物と出会ったら戦うことになるかもしれない。
俺はしばらく書類を眺めていた。
……別に、わざわざ危ない仕事を選ばなくてもいいんだよな。
町の中にだって仕事はある。
耳の使い方を確かめるだけなら、ほかの依頼でもできるんじゃないだろうか。
ただ、街道の安全を調べる仕事なら、周りの様子をよく確かめる必要がある。
今まで何となく聞いていた音にも、少し気を配れるかもしれない。
「……あの、危険な時は引き返してもいいんですよね?」
「もちろんです。今回は状況を調べる依頼ですから、対処できない危険があれば、無理せず戻って報告してください」
「それなら……」
もう一度、書類を見た。
報酬も悪くない。
……いや、報酬だけで選ぶ仕事じゃないけど。
「やってみようかな」
「受けられますか?」
「はい。三人と一緒なら、何とかなるかなと思います」
「わかりました。では、手続きをしますね」
セラが依頼票を受け取り、必要なことを書き込んでいく。
出発は明日の朝。
ギルド前で集合してから、四人で街道へ向かうことになった。
「今日は準備の時間がありますから、食料や装備を確認しておいてくださいね」
「はい。わかりました」
……さて。
依頼を受けたからには、ちゃんと準備しておかないとな。
◇
翌朝、ギルドの前へ行くと、すでに三人が集まっていた。
「おう、ライアスじゃねえか」
最初に気づいたのはロルフだった。
剣を持ったロルフとネイト、それから短い槍を持ったリーザ。以前と同じ三人だ。
「おはようございます。またよろしくお願いします」
「おはよう。久しぶりだね」
リーザが笑い、ネイトも片手を上げた。
「今度は水路じゃないけどな」
「そうですね。あの時はお世話になりました」
「作業小屋で大変だったもんな。耳はもう大丈夫なのか?」
「はい。あの後は何ともないです」
「そりゃよかった」
ネイトは笑っていたが、俺としてはあまり笑えない話だった。
あんなことがもう一度あったら困る。
ロルフは全員の装備を確認してから、街道の方を指差した。
「今日はベルド方面の街道を確認する。目撃報告があった辺りを中心に調べるが、無理に林の奥までは入らない。危ないと思ったら引き返すぞ」
「わかりました」
「ライアスが一緒なのは助かるな。音で何か気づいたら教えてくれ。ただ、聞こえたからって勝手に確かめに行くなよ」
「はい」
「よし。じゃあ行くか」
四人で町を出た。
ベルドへ続く街道は、何度か通ったことがある道だ。
以前、荷物を運ぶ馬車の護衛をした時にも、この辺りを歩いている。
あの時は荷物の様子や周囲を気にしながら進んでいたけど、今回は街道そのものを調べる仕事になる。
ロルフは道の状態や見通しの悪い場所を確認し、ネイトは林に近い側を見ていた。リーザは時々街道から少し離れ、地面に何か変わった跡がないかを調べている。
俺も周りを見ながら、少し意識して耳を澄ませてみた。
木々の間から鳥の声がする。
離れたところで、何か小さなものが草を動かしているような音も聞こえた。
ただ、どちらも普段から聞こえるものだ。
……これでいいんだろうか。
もう少し遠くまで聞こうとしてみる。
何となく耳の奥へ意識を向けてみたが、魔力を使っているような感覚はまるでない。
そもそも、耳の奥に魔力があるのかどうかもわからないんだけど。
「ライアス、どうした?」
横からネイトに声をかけられた。
「え?」
「何か難しい顔してたぞ」
「ああ、ちょっと耳を使おうと思って」
「耳を?」
「はい。自分の特性を、もう少し上手く使えないかなと思いまして」
「へえ。そういうことか」
ネイトは俺の顔を少し見てから笑った。
「まあ、あんまり力んでも仕方ないんじゃないか?」
「……そうですかね」
「耳で聞くのに、そんなに顔しかめる必要もないだろ」
言われてみれば、確かに。
自分では意識していなかったけど、随分難しい顔をしていたらしい。
……これじゃ、何の練習なんだかわからないな。
俺が苦笑いしていると、前を歩いていたロルフが振り返った。
「試すのは構わんが、足元も見ておけよ。調べに来てる俺たちが怪我したら笑えんからな」
「はい。気をつけます」
とりあえず、歩いている間は普通に周りを見ることにした。
耳のことは、立ち止まった時にでも考えればいい。
◇
昼を少し過ぎた頃、街道脇の開けた場所で休憩を取った。
ここまでの間、特に変わったものは見つかっていない。
一度、リーザが地面についた跡を確認していたが、古いものらしく、今回の目撃報告と関係があるかはわからなかった。
俺たちは持ってきた昼飯を食べながら、これから先の道について話した。
「この辺りは、今のところ普通だね」
リーザが言うと、ロルフも頷いた。
「ああ。ただ、目撃された場所はもう少し先にもある。そこまでは見ておきたいな」
「報告が増えてるって、そんなに魔物が出てるんですか?」
俺が尋ねると、ロルフは少し考えてから答えた。
「何とも言えんな。見かける場所が変わっただけかもしれんし、たまたま続いただけかもしれん」
「そうなんですね」
「だから調べに来てるんだろ」
ネイトが笑う。
……それもそうか。
昼飯を食べ終え、少し休んでから出発した。
街道の周囲には林が続いている場所もあるが、道そのものは比較的広く、歩きにくいところも少ない。
ただ、曲がった先が見えない場所では、ロルフが一度立ち止まって様子を確認していた。
俺もその時に、耳を澄ませてみる。
……うん。
何か特別なことをしている感じはしない。
けれど、立ち止まって聞いている方が、歩きながら聞こうとするより周りの様子を確かめやすい。
単に、自分の足音がしないからかもしれないけど。
魔力のことは、やっぱりよくわからなかった。
しばらく進んだところで、ロルフが足を止めた。
「ここから先は林が道に近いな。少し気をつけて進むぞ」
「はい」
俺たちは間隔を少し空けて歩き始めた。
道の右側には木々が密集していて、奥の方までは見通せない。左側も低い草が茂り、ところどころに大きな石が転がっていた。
少し進んだ時だった。
林の中で、何かが勢いよく動いている音がした。
最初は木の枝が揺れたのかと思ったが、続けて地面を蹴るような音が聞こえてきた。
……何だ?
「ロルフさん、右の林で何か動いてます」
俺が声をかけると、ロルフはすぐに立ち止まった。
「どの辺りだ?」
「えっと……あの辺だと思います。結構速く動いてます」
そう答えた時、木々の間で草が大きく揺れた。
「来るぞ!」
ロルフの声に、俺は慌てて棒を構えた。左腕の盾も前へ出し、林の方を見る。
次の瞬間、茂みから四足の魔物が飛び出してきた。
「うわっ!」
思わず声が出た。
けれど、魔物はこちらへ向かってこなかった。
街道へ飛び出した勢いのまま、俺たちの前を横切っていく。
ロルフが剣を構え、ネイトも身を低くしたが、魔物は見向きもしない。
そのまま反対側の草むらへ突っ込み、姿を消してしまった。
「……何だ、今の?」
ネイトが呟いた。
俺も棒を構えたまま、魔物が消えた方を見ていた。あんな勢いで飛び出してくるとは思わなかったし、もう少しこちら側を通っていたら、ぶつかっていたかもしれない。
「襲ってこなかったね」
リーザもまだ草むらを見ている。
「ああ。こっちには見向きもしなかったな」
ロルフは剣を下ろさず、魔物が飛び出してきた林へ目を向けた。
「追いかけますか?」
ネイトが尋ねたが、ロルフは首を横に振った。
「いや。今回は調査だ。わざわざ林に入って戦う必要はない」
「そうだな」
「今の場所は覚えておこう。戻ったら報告する」
ロルフが街道の様子を確認している間、俺はもう一度、魔物が飛び出してきた林へ耳を向けた。
……ん?
林の奥から、また何かが動く音が聞こえてきた。
一つの音かと思ったが、少し離れたところでも草が激しく揺れるような音がしていた。
それに、さっきよりも音が近づいている気がする。
……いや、待てよ。
これ、ひとつじゃないんじゃないか?
「ロルフさん」
「どうした?」
「まだ、向こうで何か動いてます」
ロルフが林の方へ向き直った。
「さっきのやつか?」
「わかりません。でも、音がいくつか重なっていて……」
その時、林の奥で大きく枝が折れる音がした。
続けて、別の方向でも草が揺れ始める。
俺は思わず棒を握り直した。
「……まだ来ます」




