第69話:聞こえたもの
ギルドから戻ってもう一度寝たものの、目が覚めた時にはまだ少し眠気が残っていた。
昨日は一晩中起きていたし、今日も夜から同じ仕事がある。昼間に眠るのは思っていたより難しく、身体は休まった気がするのに、頭の方はどうにもすっきりしない。
それでも耳鳴りはしていないし、頭が重い感じもなかった。
前に夜番をした時は、翌日まで耳の調子がおかしかったんだよな。
今回は無理に聞こうとしなかったのがよかったんだろうか。それとも、単に何も起きなかったからか。
どちらなのかはわからないが、今夜も同じように気をつけておこう。
俺は残っていたパンを食べ、水を飲んでから、いつもの装備を身につけた。
◇
夕方のギルドは、仕事から帰ってきた冒険者たちで賑わっていた。
受付では何人かが報酬を受け取っていて、その横では別の男が依頼の相談をしている。
俺は空いている方へ回り、セラに声をかけた。
「こんばんは。見張りの仕事で来ました」
「こんばんは、ライアスさん。ギルドマスターから聞いていますよ。今日は場所を変えるそうですね」
「はい。どこになるかは、まだ聞いてないんですけど」
「それなら、もう奥で待っていると思います」
セラは俺の顔を見て、少し声を落とした。
「昼間は休めましたか?」
「寝たんですけど、あんまり寝た気がしなくて」
「あら。それは困りましたね」
「でも、耳の調子は大丈夫です」
「それならよかったです。今夜も無理はしないでくださいね」
「はい。気をつけます」
セラに礼を言い、奥へ向かった。
ギルドマスターは机に倉庫周辺の図を広げていた。昨日も見せてもらったものだが、いくつか印が増えている。
「おう、来たな。昨日の話を聞いて、場所を少し考え直した」
「はい」
「建物が多いと、音の方向がわかりにくいんだったな」
「そうですね。近くの看板の音を、もっと遠くから聞こえたと思ったくらいなので」
「なら、今夜はこっちだ」
ギルドマスターが指したのは、昨日より倉庫の裏手に近い位置だった。
倉庫の裏には細い通りがあり、その両端から別の道へ抜けられるらしい。今夜の待機場所は、その裏通りへ続く道の途中にある建物の陰だった。
「ここなら、倉庫の裏へ続く道に沿って音が届くかもしれん。昨日よりは聞きやすいと思うが、どうだ?」
「実際に行ってみないとわからないですけど……」
「まあ、そうだよな」
ギルドマスターは笑い、図の別の場所を指した。
「見張りの二人は、お前より少し手前の角に置く。何かあったら、昨日と同じように戻って知らせろ」
「わかりました」
「怪しい動きがあれば、一人が裏通りへ向かって、もう一人は反対側から回る。ただ、必ず捕まえられるとは限らん。無理に追って怪我をするより、何をしていたか確かめる方が先だ」
「はい」
「お前は知らせた後、そこで待ってろ。何があっても一人で倉庫には近づくなよ」
「わかってます」
「本当か?」
「……はい」
昨日も似たようなことを聞かれた気がする。
ギルドマスターは俺の顔を見て少し笑い、それから図を畳んだ。
「お前の耳だけで全部解決させようとは思ってねえよ。何か聞こえたら、そのまま伝えてくれればいい」
少し気が楽になった。
昨日は結局、倉庫の方から何が聞こえているのかもわからなかった。今夜も同じだったらどうしようかと思っていたところだ。
「じゃあ、頼んだぞ」
「はい。行ってきます」
◇
日が暮れてから、時間をずらしてギルドを出た。
表通りにはまだ人がいたが、奥へ入るにつれて少なくなっていく。昨日通った道を途中まで進み、今夜は別の角を曲がった。
しばらく歩くと、建物の陰から小さく声をかけられた。
「おう、今日もよろしくな」
昨日、朝になって迎えに来てくれた男だった。少し奥には、もう一人の男もいる。
「よろしくお願いします」
「場所は聞いてるか?」
「はい。この先ですよね」
「そうだ。俺たちはここで待つ。何かあったら戻ってこい」
俺は頷き、二人と別れて指定された場所へ向かった。
建物の間に入り込んだ細い道の途中で、壁が少し奥まっているところがある。そこなら通りからは見えにくく、腰を下ろすこともできた。
倉庫そのものは、やっぱり見えない。
この道をさらに進み、角を曲がった先が倉庫の裏通りになるらしい。
昨日よりは近いけど、こんなところから聞こえるんだろうか。
俺は壁際に腰を下ろし、棒を横に置いた。
耳を澄ませると、遠くの通りを歩く人の声や、石畳を踏む足音が聞こえてきた。荷車もまだ通っているらしく、車輪の転がる音が時々混じる。
ただ、昨日ほど周囲の音が入り混じっている感じはしなかった。
建物に囲まれているのは同じでも、こちらの方が道の奥を聞きやすい気がする。
……まあ、気がするだけかもしれないけど。
肝心なのは、倉庫で何かが起きた時に聞こえるかどうかだ。
俺は一度姿勢を直し、しばらく待つことにした。
夜が更けるにつれ、通りを行き交う人の声が減り、時々聞こえていた荷車の音も、いつの間にかしなくなっていた。
俺は水を少し飲み、固くなってきた足を伸ばした。
昨日と同じように、ずっと耳を澄ませ続けることはしない。しばらく聞いたら少し休み、また倉庫の方へ意識を向ける。
何かが急に聞こえなくなるわけではないけど、一晩中集中し続けるよりは楽だった。
魔力の使い方がわかってきた、というほどではない。それでも、今のところ耳鳴りはしていない。
そろそろ、もう一度聞いてみようか。
俺は壁から背を離し、倉庫の裏手へ続く道の方へ意識を向けた。
しばらくは何も変わらなかった。
遠くで犬が鳴いている。
その声が聞こえなくなった頃、何かが擦れるような音がした。
俺は顔を上げた。
……今の、どっちだ?
木の表面を何かでこすったような、短い音だった。倉庫の裏手から聞こえてきた気もするが、建物が間にあるので、はっきりとはわからない。
少し待っていると、また聞こえた。
今度は何かが擦れた後に、小さく硬いものが触れ合うような音が混じっている。
昨日は看板の音を勘違いしたんだよな。
俺は周囲を見回したが、ここから見える範囲に、風で揺れているようなものはなかった。
もちろん、見えない場所に何かあるのかもしれない。
もう少し聞いてみることにした。
しばらく何も聞こえなかったが、やがて似たような音が続いた。一度途切れ、少し間を置いてからまた聞こえてくる。
……誰かいるのかな。
そう思ったものの、声も足音も聞こえない。
そもそも、何の音なのかさえわかっていなかった。
これ以上待てば、もう少しはっきりするだろうか。
でも、待っているうちに音がしなくなったら、結局何もわからないままだ。
少し迷った後、俺は棒を手に取った。
ギルドマスターは、何が聞こえたのかをそのまま伝えればいいと言っていた。
勘違いだったら、その時は謝ろう。
俺は足元に気をつけながら、来た道を戻った。
◇
角を曲がると、待機していた二人がこちらに気づいた。
「どうした?」
俺は声を落として答えた。
「何かを擦るような音が聞こえました。何度か続いていて、硬いものがぶつかるような音も混じってました」
「倉庫の方か?」
「たぶん。ただ、はっきりとはわかりません。人の声も聞こえなかったです」
二人は顔を見合わせた。
「わかった。俺がこっちから行く。お前は反対側へ回ってくれ」
「了解」
一人が倉庫の裏通りへ続く道を進み、もう一人は別の道へ向かった。
俺は教えられた通り、その場に残った。
二人の姿が見えなくなっても、しばらくは足音が聞こえていた。
そのうち、片方の足音が聞き取れなくなる。
……どうだろう。
気になって耳を澄ませたが、さっき聞いた擦れる音はもうしなかった。
何もなかったのかな。
そう思い始めたところで、遠くから急に足音が重なって聞こえてきた。
それまでとは違う、慌ただしい音だった。
「おい、待て!」
男の声が響いた。
思わず身体を起こす。
……誰かいたのか?
走る足音が続いた。
一人だけではないらしい。ただ、音が重なっていて、何人いるのかまではわからなかった。
何か叫ぶ声も聞こえたが、言葉は聞き取れない。
やがて足音は遠ざかり、聞こえなくなった。
追っている方なのか、逃げている方なのか。どちらへ向かったのかも、俺にはわからなかった。
行って確かめたい気持ちはあったが、ギルドマスターからは何度も勝手に動くなと言われている。
俺は棒を握り直し、その場で待つことにした。
しばらくすると、一人分の足音が近づいてきた。
角から姿を現したのは、先ほど倉庫の方へ向かった男だった。少し息が上がっている。
「……逃げられた」
「誰かいたんですか?」
「ああ。裏通りへ出たところで、倉庫の裏口の近くに人影が見えたんだ」
「裏口ですか?」
「こっちに気づいた途端、走り出した。追いかけたんだが、反対側の道へ抜けられちまったよ」
「もう一人の人は?」
「反対側から回ってたんだが、向こうに着く前に抜けられたらしい。今、周りを確かめてる」
なるほど。
こちらから裏通りへ入っても、相手は反対側へ逃げられる。もう一人が回り込むより先に、通りを抜けてしまったわけか。
「顔は見えたんですか?」
「いや。暗かったし、こっちが近づく前に走り出したからな」
男は息を整え、俺の方を見た。
「ただ、妙なものが見つかった」
「妙なもの?」
「布の包みだ。逃げたやつが通ったあたりに落ちてたんだよ」
「中には何が?」
「小さな品物がいくつか入ってた。倉庫のものかもしれんが、まだわからん。もう一人が預かってるから、明日、責任者に確認してもらう」
「そうですか……」
俺が聞いたのは、その品物を扱っていた音だったんだろうか。
「倉庫には入られてたんですか?」
「そいつもまだわからん。裏口には錠が掛かってるように見えたんだが、近づいてみると、どうもおかしくてな」
「壊されてたんですか?」
「いや、壊れてるようには見えねえ。ただ、詳しいことは明るくなってから確かめてもらう」
男はもう一度、裏通りの方を振り返った。
「今夜はこっちで周りを見ておく。お前はもう帰っていいぞ」
「……俺は何もしなくて大丈夫ですか?」
「ああ。知らせてもらったおかげで、人がいたことはわかったからな。助かったよ」
「でも、逃げられちゃいましたね」
「そりゃ仕方ねえ。俺たちだって、捕まえられるとは限らんからな」
男はそう言って笑った。
「とにかく、今日はもう休んでくれ。ギルドにはこっちから報告しておく」
「わかりました。ありがとうございました」
俺は男に礼を言い、荷物を持ってその場を離れた。
帰り道、何度かさっき聞いた音を思い返した。
何かを擦るような音と、硬いものが軽くぶつかる音。
あの時は、本当に倉庫で誰かが何かをしているのか、それとも別の音なのか、わからなかった。
実際に何をしていたのかは、今もわからない。
……まあ、知らせてよかったんだろうな。
そう思いながら、宿へ戻った。
◇
翌日、少し眠ってからギルドへ向かった。
倉庫の件が気になっていたが、昨夜の男からは、あとはギルドへ報告しておくと言われている。
受付で事情を話すと、セラが奥へ取り次いでくれた。
しばらくして、ギルドマスターが出てきた。
「おう、ライアス。昨夜はご苦労だったな」
「はい。あの、倉庫の方はどうなりましたか?」
「ちょうど責任者が来てる。話を聞いていくか?」
「はい」
ギルドマスターに案内され、小会議室へ入った。
「お前が倉庫まで行く必要はねえからな。あっちに関係者がいるかもしれん以上、お前が昨夜何をしていたかまで、作業員に知られたくない」
「……ああ、そうですね」
倉庫の人たちの中に、荷物を盗んでいる人がいるかもしれない。
それなら、俺が離れた場所から音を聞いていたことも、なるべく知られない方がいいんだろう。
会議室には倉庫の責任者が待っていた。
俺を見ると、立ち上がって頭を下げる。
「昨夜はありがとうございました」
「いえ。俺は音がしたのを知らせただけなので」
「それでも助かりました。実際に、うちの品物が持ち出されていたようですから」
責任者の前には、小さな布の包みが置かれていた。
「これが、昨夜見つかったものです」
包みを開くと、中には小ぶりな品物がいくつか入っていた。
「うちで保管していたものと一致しています。今朝、倉庫の中も確認したんですが、箱の中身がちょうどこの分だけ減っていました」
「じゃあ、やっぱり……」
「はい。箱はそのまま残っていました」
責任者は困ったように頷いた。
「これまでと同じやり方です。箱ごと運び出すのではなく、中身を少しずつ持ち出していたんでしょう」
俺は包みを見た。
このくらいなら、大きな箱を抱えて歩くよりずっと目立たない。
それに、倉庫の中の箱がなくなっていなければ、毎回すぐに気づくとは限らないんだろう。
「それで、裏口はどうだったんですか?」
俺が尋ねると、責任者は少し渋い顔をした。
「そこが、どうにも妙なんです」
ギルドマスターが机に紙を広げた。
「錠の掛け方がおかしかったそうだ。説明してやってくれ」
責任者は紙に二つの小さな輪を描いた。
「裏口には、扉とその枠にそれぞれ金具がついています。二つを重ねて、両方の輪に錠を通す仕組みなんですが……」
そう言いながら、片方の輪を指した。
「昨夜は、こちらの枠側にしか錠が通っていなかったんです」
「……片方だけ?」
「はい。錠そのものは掛かっていましたが、扉の金具には通っていませんでした」
「それじゃ、扉は開いちゃいますよね?」
「ええ。ただ、外から見ると錠は掛かっていますから、少し離れたところからでは気づきにくいんです」
なるほど。
鍵は掛かっているのに、扉には掛かっていなかったわけか。
「錠が壊されたわけでもねえ。扉の金具にも異常はなかったそうだ」
ギルドマスターがそう言うと、責任者も頷いた。
「昨日の作業が終わった時には、裏口を閉めたはずなんですが……」
「誰が最後に閉めたんですか?」
俺が尋ねると、責任者は少し困ったような顔をした。
「裏口の確認をする担当者はいるんですが、ほかの作業員も出入りに使うことがあります。昨日は誰が最後に通ったのか、まだ確認できていなくて」
「じゃあ、誰かが閉め忘れたんでしょうか」
「その可能性もある」
答えたのはギルドマスターだった。
「だが、錠は掛かっていたんだ。間違えて片方だけに通したのか、誰かがそうしたのか、今のところはわからん」
責任者が頷いた。
「昨日の作業記録を確認して、裏口を使った人たちにも話を聞いてみます」
「そうしてもらえると助かる。こっちは昨夜の見張りの動きを、もう一度確認しておく」
「ありがとうございます」
「それと、裏口の錠なんだが、しばらくは確認する人数を増やした方がいいかもしれんな」
「そうですね。今日から二人で確認するようにします」
「ああ。その方が安心だろう」
二人の話を聞きながら、俺は昨夜の音を思い返していた。
あの擦れる音は、箱を開けたり、中の品物を取り出したりしていた音だったんだろうか。
そう言われれば、そんな気もする。
でも、実際に見ていたわけじゃないし、今となっては確かめようもなかった。
「ライアス」
ギルドマスターに呼ばれ、顔を上げた。
「はい?」
「昨夜、お前が聞いた音のことなんだが、話し声は聞こえなかったんだな?」
「はい。何かを擦るような音と、硬いものが触れ合うような音だけです。人が何人いたのかもわかりません」
「そうか。足音の方は?」
「走る音は聞こえました。でも、見張りの人たちも動いていた時なので、誰の音なのかは……」
「わかった。それなら十分だ」
ギルドマスターは頷き、責任者に向き直った。
「ほかにも何かわかったら、こっちにも知らせてもらえるか?」
「もちろんです。ギルドの皆さんにもご迷惑をおかけしていますし、できる限り協力します」
「助かる。こっちも昨夜の件で何かわかれば連絡する」
責任者は頷き、何度か礼を言って会議室を出ていった。
俺も立ち上がろうとしたが、ギルドマスターに呼び止められた。
「ライアス。お前は昨日の音をよく覚えておいてくれ」
「はい」
「また何か頼むかもしれんからな」
「……また夜の見張りですか?」
「どうだろうな。そいつは、もう少し調べてから決める」
ギルドマスターは机の紙を畳み、懐へしまった。
「とにかく、昨夜はよくやってくれた。何の音かわからなくても知らせに来たのは正解だったぞ」
「ありがとうございます」
「ただ、次も同じように聞こえるとは限らん。お前も、無理して聞こうとするなよ」
「はい」
「それじゃ、今日は休んでいい。二晩続けて起きてたんだろ」
「そうですね。まだちょっと眠いです」
「ははっ。そりゃそうだろうな」
俺は礼を言って会議室を出た。
受付では、セラがいつも通り仕事をしていた。
何となく声をかけようかと思ったが、ほかの冒険者の相手をしていたので、そのまま帰ることにした。
今日は夜まで起きている必要もない。
帰ったら何か食べて、早めに寝よう。
そう考えながらギルドを出たところで、責任者が話していたことをふと思い出した。
昨日、誰が最後に裏口を通ったのか、まだわからないらしい。
……裏口の出入りも、何か記録してないんだろうか。
まあ、今から俺が調べることでもないか。
俺は欠伸を噛み殺し、宿への道を歩き始めた。




