第66話:そこからか
翌朝、いつもより少し遅く起きた。
昨日はベルドから一日かけて歩いてきたうえ、最後に荷下ろしまでしたので、体のあちこちが重い。それでも三日間の仕事は無事に終わったし、今日はギルドで報告を済ませれば、あとは自由に過ごせる。
朝飯を食べてから部屋へ戻り、財布と冒険者証を確かめた。
机の端には、昨日置いたハジャオの包みがある。
帰りに食材を買ってこよう。肉もいいけど、失敗することを考えたら、最初はいつもの豆で試す方が安く済みそうだ。
そんなことを考えながら、俺は荷物をまとめて宿を出た。
外へ出ると、空は明るく、道の端にはまだ水たまりが残っていた。店先ではいつも通り荷物を運ぶ人たちが働いている。
ギルドへ着くと、掲示板の前には何人かの冒険者が集まっていた。
依頼票を眺めている人たちの横を通り、受付へ向かう。
「あ、ライアスさん。お帰りなさい」
セラがこちらに気づいた。
「戻りました。ベルドの仕事の報告に来ました」
「お疲れさまでした。三日間でしたよね?」
「はい。昨日の夕方に戻ってきました」
「荷物は全部、問題なく届きましたか?」
「はい。行きも帰りも数は合ってました。帰りの荷下ろしまで終わってます」
「それならよかったです。少し確認しますね」
セラは受付の書類を取り出し、俺の冒険者証を確かめた。
ベルドで荷物を降ろした場所や、帰りに積んだ荷物のことをいくつか聞かれたので、覚えている範囲で答えていく。
帰り道で小さな流れが増水していたことも伝えた。道の端まで水が広がっていたが、ドーマさんたちが通れる場所を確かめ、無事に通過できたことを話すと、セラはそのことも書類に記録していた。
「はい。依頼の完了を確認できました」
セラが書類を揃えた。
「では、こちらが三日間の報酬です」
「ありがとうございます」
受け取った貨幣を確かめ、財布へしまう。
三日間働いた分だから、普段の日雇い仕事よりまとまった額になった。ベルドまで歩くのも、荷物を運ぶのも大変だったが、仕事を受けてよかったと思う。
これでようやく、ベルド行きの仕事も全部終わりだ。
「ライアスさん、今日はもうお休みですか?」
「そのつもりです。昨日までずっと歩いてたので」
「ふふ。ゆっくり休んでくださいね」
「はい。帰りに少し買い物をしてから戻ろうと思ってます」
そう答えたところで、少し離れた場所から聞き覚えのある声がした。
「……見張りを置くと、止まるんだろ?」
ギルドマスターの声だ。
何か話しているらしい。
別に聞くつもりはなかったのだが、続いて女の人の声が耳に入った。
「……また減っていたそうです」
「……引き上げた途端に、か」
何が減ったんだろう。
そちらを見ると、小会議室の入口近くでギルドマスターとミレアさん、それから見覚えのない男が話していた。
仕事の相談だろうか。
俺は目を戻し、セラから返された冒険者証を鞄へしまった。
「ほかに何かありますか?」
「いえ、大丈夫です」
「では、またお仕事を探しに来てくださいね」
「はい。ありがとうございました」
セラにお礼を言い、受付から離れようとした。
その時だった。
「お、耳のいいやつが来てるな」
またギルドマスターの声が聞こえた。
……ん?
「ライアスさんですよ」
今度はミレアさんの声だ。
俺の名前が出たよな。
思わず足を止めかけたが、何となく振り返りづらくて、そのまま歩き始めた。
「セラのやつ、随分機嫌良さそうじゃねえか。あんな顔もするんだな」
「本人に言いますよ」
「お、おい、やめろ。そういうことを告げ口するな」
何の話をしているんだ?
聞こえていないふりをして歩いていると、向こうで小さく笑う声がした。
そのまま入口へ向かおうとしたところで、ギルドマスターがまた何か言った。
「……耳のいいやつ、か」
少し間が空く。
「あいつ、どれくらい離れてても聞こえるんだ?」
……嫌な予感がする。
足を速めようとしたが、もう遅かった。
「ライアス! ちょっといいか!」
振り返ると、ギルドマスターがこちらへ歩いてきていた。
「……はい。何でしょう?」
「今日、依頼は受けてるのか?」
「昨日ベルドまでの仕事が終わったばかりなので、今日は特に受ける気は……」
「そうか。なら、ちょうどいいな」
何がちょうどいいんだろう。
ギルドマスターは俺の返事を聞き終わる前に、少し離れた場所で待っている二人へ手招きした。
「悪いが、ちょっと相談に乗ってくれ」
◇
案内された小会議室には、ギルドマスターとミレアさん、それから先ほどの男が入ってきた。
男はアルネの倉庫で荷物の管理をしている人らしい。
「最近、うちの倉庫で荷物が少しずつ減っていましてね」
男がそう切り出した。
「減る、というと?」
「箱ごと消えるようなことはないんです。ただ、保管していた品物を出そうとすると、数が合わないことがあるんですよ」
「数え間違いじゃないんですか?」
「最初はそう思ったんです。それで、荷物が入ってくる時と出す時に、前より念入りに確認するようにしたんですが……」
男は困ったように首を振った。
「入ってきた時には合っているのに、出す時に減っていることが何度かあったんです」
「なるほど」
荷物の数が合わないとなれば、確かに困るだろう。
ベルドではペックさんが何度も紙と札を確認していたし、俺も数を間違えないよう気をつけていた。
「それで、ギルドから夜の見張りを出したんだ」
ギルドマスターが話を引き継いだ。
「ところが、見張りがいる間は何も起きなかった。もう大丈夫かと思って引き上げると、また減る」
「それは……」
「もう一度見張りを出したら、また止まった。どうも、見張りがいるかどうかを知ってるやつがいるらしい」
なるほど。
見張りがいる時に何も起きないなら、悪いことではない気もするが。
「ずっと見張りを置くんじゃ駄目なんですか?」
「それなら荷物は守れるかもしれんが、誰がやってるのかわからねえだろ。それに、いつまでも人を置いておくわけにもいかん」
「まあ、そうですね」
「そこで、お前の耳だ」
ギルドマスターは俺を見た。
「見張りがいないように見せておいて、遠くの場所から、倉庫の中の音を聞けないかと思ってな」
「倉庫の中ですか?」
「ああ。怪しい音がしたら知らせるだけでいい。捕まえるのは別のやつにやらせる」
それなら、俺が犯人を捕まえに行く必要はないらしい。
ただ、ひとつ気になることがあった。
「どこから聞くんですか?」
「それを今から確かめたいんだよ」
「……そういうことですか」
「お前、どれくらい離れてても聞こえる?」
聞かれて、少し考えた。
遠くから声が聞こえることはある。荷車の音なんかも、ほかの人より先に気づくことが多い。
けれど、それがどれくらい離れたところなのかと言われても、考えたことがなかった。
「……わかりません」
ギルドマスターが眉を上げた。
「わからんのか?」
「はい。聞こえる時は聞こえるんですけど、聞こえない時もありますし」
「ふむ。じゃあ、ちょっと試してみるか」
そう言って、ギルドマスターはミレアさんの方を向いた。
「悪いが、手伝ってくれ」
「はい。何をすればいいですか?」
「少し離れたところで声を出したり、物を動かしたりしてくれればいい」
ミレアさんは頷き、会議室の戸へ向かった。
最初は、それほど難しいことではなかった。
ミレアさんが少し離れたところから話しかける。その声が聞こえるか、何と言ったかわかるかを確かめるだけだ。
近くにいる間は、もちろん普通に聞こえた。
ところが会議室を出て距離を取ると、少しずつ様子が変わってきた。
「今、何と言った?」
「えっと……最初の方はわかりましたけど、最後はちょっと」
「聞こえなかったのか?」
「ほかの人の声が重なって、よくわからなかったです」
会議室の外では、冒険者たちが話している。
受付の方からも何人かの声がしていて、そこへ足音や椅子を引く音なんかが混じってくる。
ミレアさんが壁を軽く叩いた時は、その音も聞こえた。ただ、周りの物音が大きくなると、どこから聞こえたのか迷うことがあった。
「じゃあ、もう一度だ」
ギルドマスターに言われ、今度はミレアさんがいる方へ意識を向けてみる。
しばらくすると、小さく木を叩く音が聞こえた。
「あ、今って壁を叩きました?」
「当たりです」
ミレアさんの声が返ってきた。
「よし。じゃあ、次は戸を閉めてみよう」
会議室の戸が閉まると、今度は声が少しくぐもった。
聞こえなくなるわけではないが、言葉を聞き分けようとすると、さっきより集中しなければ聞き取れない。
何度か試しているうちに、ギルドマスターが腕を組んだ。
「妙だな」
「何がですか?」
「お前、聞こえる時と聞こえない時の差が結構あるだろ」
「そうですね。周りがうるさいと、よくわからなくなります」
「それはわかるが……」
ギルドマスターは少し考え、それから俺の方を見た。
「お前、特性をどう使ってるんだ?」
「どうって?」
何を聞かれているのか、よくわからなかった。
「遠くの音を聞く時だよ。自分で強めたり弱めたりしてるだろ?」
「……え?」
「必要な時に強くするだろうが。普段はそこまで聞いてねえはずだ」
「そうなんですか?」
ギルドマスターが顔をしかめた。
「そうなんですかって、お前の特性だろ?」
「はい。でも……」
どう説明したらいいんだろう。
確かに、遠くの音が気になる時は、そちらへ耳を向けることがある。夜番の時なんかは、耳を澄ましてずっと周りの音を聞こうとしていた。
けれど、強めるとか弱めるとか、そんなことは考えたことがない。
「……聞こえるから聞いてるだけです」
ギルドマスターが黙った。
「……何?」
「だから、音が聞こえたら聞くというか……気になる音があったら、そっちに耳を向けてるだけで」
「待て待て」
ギルドマスターが片手を上げた。
「じゃあ、お前は普段から、聞こえた音をそのまま聞いてるだけなのか?」
「はい」
「特性を強く使おうとか、使うのを抑えようとか、そういうことは?」
「耳を澄まして聞こうとすることはあっても、特にそういうふうに考えたことはないです」
ギルドマスターはしばらく俺を見ていた。
何だろう。
そんなにおかしなことを言っただろうか。
「お前なあ……」
ギルドマスターは額に手を当てた。
「例えば《筋力強化》のやつ。あいつらは四六時中全力で過ごしてるわけじゃねえんだぞ」
「そうなんですか?」
「当たり前だろ。そんなことしてたら、物を持つたびに壊しかねねえ。必要な時に強く使って、そうじゃない時は抑えるんだよ」
「へえ……」
そういうものなのか。
俺は自分の手を見た。
力を入れようと思えば、普通に手に力が入る。
でも、耳はどうなんだろう。
耳に力を入れるって、何をすればいいんだ?
「お前の《聴力強化》も、何か加減して使ってるのかと思ったんだがな」
「……そう言われても」
「そもそも、特性には魔力が関わってるんだ。お前も使ってるなら、何か感じるものがあるんじゃねえのか?」
「……え?」
今、何と言った?
魔力。
その言葉自体は知っている。魔法を使う人がいることも知っているし、特別珍しい言葉でもない。
ただ……。
「……俺、魔力使ってるんですか?」
「は?」
ギルドマスターが、さっきよりもはっきりした顔でこちらを見た。
「お前、自分の特性を使ってるんだろ?」
「はい」
「だったら魔力も使ってるだろうが」
「そうなんですか?」
「おい……」
ギルドマスターは振り返った。
「セラ! ちょっと来い!」
受付の方から返事があり、少ししてセラが会議室へやってきた。
「はい。何でしょう?」
「こいつ、どうなってる?」
「……ライアスさんですか?」
「そうだ。自分が魔力を使ってることも知らねえらしいぞ」
セラは俺を見た。
「ああ……」
何だろう、その反応。
「ライアスさん、リンの村でずっと暮らしていたんです。村には鑑定士がいなくて、自分の特性が《聴力強化》だと知ったのも、アルネへ来てからなんですよ」
「そうだったのか?」
「はい。初めてギルドへ来た時も、特性をどう仕事に使えるか、あまりご存じなかったので」
ギルドマスターは俺へ向き直った。
「じゃあ、特性の使い方も習ってないのか?」
「習うものなんですか?」
また、ギルドマスターが黙った。
しばらくして、大きく息を吐く。
「……そこからか」
何だか、今日は知らないことばかり出てくるな。
ギルドマスターはミレアさんと倉庫の男を見て、それからもう一度セラへ向き直った。
「セラ。頼んだ」
「……わかりました」




