第63話:今夜こそ
ベルドの町へ入る頃には、すっかり夕方になっていた。
街道でも何台か馬車を見かけたが、町の入口ではさらに数が増えていた。荷物を満載した馬車もあれば、荷台を空にして戻ってくるものもある。
「ライアス、こっちだぞ!」
前方からドーマの声がした。
「はい!」
「人が多いからな。二台目から離れるなよ」
「わかりました」
馬車の横について進みながら、周りを見回す。
以前来た時にも思ったが、ベルドはアルネより大きな町だ。通りの両側には店や倉庫が並び、荷物を担いだ人が何人も行き交っている。
「おい、そっちの馬車! もう少し端に寄せてくれ!」
向かいから荷車を押してきた男が声を上げた。御者が馬を寄せると、男は軽く手を上げて通り過ぎていく。
「ここらは荷車が多いからな。気をつけろよ」
「はい。随分混んでますね」
「夕方だからな。帰ってくる馬車も多いんだ」
前回は周囲の警戒ばかり気にしていたが、今日はどこを見ても荷物が目に入る。馬車から箱を降ろす人もいれば、建物から運び出す人もいた。
◇
馬車が止まったのは、大きな倉庫の前だった。
入口にはほかにも馬車が並んでいて、荷物を運ぶ人たちが出入りしている。
「ペック、先に受付を頼む!」
「おう!」
ペックは紙を持って倉庫の中へ入っていった。
俺は二台目の横で待っていたが、しばらくするとドーマが戻ってきた。
「ライアス、荷下ろしは明日の朝からだ。今日は数の確認をしたら終わりにするぞ」
「わかりました」
ペックが戻るのを待ち、二人で積み荷を確かめた。アルネで積んだ数と合っていることを確認すると、ドーマもようやく頷いた。
荷馬車は倉庫の敷地で一晩預かってもらうことになり、御者たちは馬の世話へ向かった。
「よし。宿へ行くか」
朝から荷積みをして、ここまで歩いてきた。足だけでなく腕や肩も疲れていたが、ベルドの通りを歩いていると、あちこちからいい匂いがしてくる。
焼いた肉の匂いだろうか。
「ドーマさん、宿に荷物を置いたら、外で飯を食べてもいいですか?」
「ああ、構わんぞ。明日の朝に遅れなきゃな」
「ありがとうございます」
「まずは宿まで歩いてくれ。もう少しだからな」
俺は道沿いの店を眺めながら、ドーマについていった。
◇
宿に着き、案内された部屋へ入ると、ようやく荷物を下ろすことができた。
寝台に腰を下ろす。
「……ふう」
足が重い。
靴を脱いで少し伸ばしてみると、今度は腕の疲れまで気になってきた。朝から随分動いたからな。
少しだけ休もう。
そう思って横になると、起き上がるのが面倒になった。
窓の外からは、まだ人の声が聞こえている。今から出かけても、飯を食べられる店はあるだろう。
……でも、また歩くのか。
店を探して、飯を食べて、それから宿まで戻ってくる。
考えただけで足が重くなった気がする。
「……今日はいいか」
結局、夕飯は宿の食堂で済ませることにした。
温かい料理はありがたかったし、味も悪くない。ただ、食べ終わる頃にはすっかり眠くなっていた。
部屋へ戻って寝台に横になると、そのまま眠ってしまった。
◇
翌朝、目が覚めると体のあちこちが重かった。
腕を伸ばして少し体を動かす。昨日よりはましだが、足にはまだ疲れが残っている。
顔を洗いながら、昨夜のことを思い出した。
……結局、外で飯を食べなかったな。
せっかくベルドまで来たのに。
宿の飯が悪かったわけじゃない。それでも、昨日は通りにいろいろな店が見えたし、うまそうな匂いもしていた。
今日は一日仕事で、明日はアルネへ帰る。ベルドで夕飯を食べられる機会は今日しかない。
そう思うと、昨日諦めてしまったことへの後悔が押し寄せる。
次にまた来るのがいつになるかはわからない。
「……絶対今日は外で食べよう」
そう決めて、朝飯を食べに部屋を出た。
◇
倉庫へ着くと、昨日よりも多くの荷物が入口に並んでいた。
ドーマはすでに馬車のそばにいて、ペックと紙を見ながら何か話している。
「おう、ライアス。来たな」
「おはようございます」
「朝飯は食ったか?」
「はい」
「なら始めるぞ。今日は荷を降ろして、帰りの分を積まなきゃならん」
「わかりました」
まずは、昨日運んできた荷物を降ろすところからだ。
ペックが札と紙を照らし合わせ、ドーマが降ろす順番を指示していく。俺もほかの人たちに交じって箱を運んだ。
アルネで積んだ時にドーマが気にしていた通り、先に降ろす荷物は手前にまとめられている。おかげで、奥の箱を動かさずに済んだ。
もっとも、倉庫の中へ運ぶ仕事は別だ。
「そっちの箱は右の奥だ!」
「はい!」
言われた場所まで箱を運ぶと、同じ印のついた荷物がいくつも積まれていた。俺はそこへ箱を下ろし、また入口へ戻る。
倉庫の中では、俺たちが運び込んだ荷物の隣から、別の男が袋を運び出していた。
「あれ、もう運び出すんですか?」
俺が尋ねると、男は袋を抱えたまま答えた。
「ああ、そいつは別の町へ行く荷だ。こっちへ来てから、まだ二日も経ってないけどな」
「そうなんですね」
「ここは出入りが多いからな。長く置いておく荷もあるが、すぐ出ていく荷も多いんだ」
男はそう言って倉庫の外へ向かった。
入口の向こうでは、別の馬車に荷物が積まれている。俺たちの馬車からは荷物が減っているのに、周りでは相変わらず箱や袋が運ばれていた。
ベルドに届いたら終わり、という荷物ばかりではないらしい。
「ライアス、次の場所へ行くぞ!」
ドーマに呼ばれ、俺も馬車へ戻った。
◇
午前中は、いくつかの届け先を回って荷物を降ろした。
入口で受け取ってくれる場所もあれば、建物の奥まで運ばなければならない場所もある。狭い通路ではほかの人が通るのを待ったり、大きな箱を二人で運んだりすることもあった。
最後の荷物を降ろした頃には、もう昼が近かった。
「よし。行きの荷はこれで全部だな」
ドーマが空になった荷台を見上げた。
「帰りはどうするんですか?」
「昼飯を食ったら、倉庫へ戻って積むぞ。向こうで用意してるはずだ」
「わかりました」
昨日の朝は荷物でいっぱいだった馬車が、今はすっかり空になっている。
帰る時には、また別の荷物で埋まるわけか。
俺は腕を軽く回しながら、休憩する場所へ向かった。
◇
午後、最初の倉庫へ戻ると、帰りの荷物がすでに並べられていた。
木箱や袋がいくつも置かれ、ペックが受け取った紙を見ながら数を確認している。
「ライアス、こっちの袋から頼む」
「はい」
俺は指された袋へ近づき、持ち上げようとした。
その時、少し変わった匂いがした。
「……ん?」
袋の口はしっかり縛られている。それなのに、近くへ顔を寄せると、何かの香りがかすかに漂ってきた。
野菜でも穀物でもなさそうだ。
「ペックさん、これ、何が入ってるんですか?」
「どれだ?」
俺が袋を指差すと、ペックは紙を確かめた。
「ああ、香辛料だな」
「香辛料?」
「そうだ。チョロンから来た荷だよ」
「チョロン?」
聞いたことのない町の名前だった。
「ベルドの先にある町だ。あっちから来た荷をここで分けて、アルネの方へ送ることもあるんだよ」
「へえ……」
俺は袋をもう一度見た。
「これ、料理に使うやつですよね?」
「そりゃそうだろ。ほかの使い道もあるかもしれんが、俺は知らんぞ」
「どんな味なんでしょうね」
「さあな。俺は食ったことねえよ」
ペックは笑いながら、別の袋を指差した。
「気になるなら、後で見てみたらどうだ。その辺の店でも売ってるはずだ。ただ、今は運ぶ方を頼むぞ」
「あ、はい」
俺は袋を抱え、二台目の馬車へ運んだ。
近くで嗅いだ時は少し鼻に残る匂いだったが、運んでいる間はそれほど気にならない。
ただ、いつも食べている塩味の料理とは、ずいぶん違うものになりそうな気がした。
袋を荷台へ置くと、ドーマが位置を指示してくる。
「そっちはもう少し奥だ。箱を載せる場所を空けておいてくれ」
「はい」
俺は言われた場所へ袋を移した。
次の荷物を取りに戻る途中で、ほかの袋の札も少し見てみた。
チョロンと書かれたものもあれば、ベルドの名前が書かれたものもある。
アルネで積んだ時は行き先ばかり気にしていたが、こうして見ると、荷物がどこから来たのかも書かれているものがあるらしい。
「ライアス! そっちの箱も頼むぞ!」
ドーマに呼ばれ、俺は札から目を離した。
「はい!」
◇
帰りの荷物を積む作業は、夕方まで続いた。
途中で運ぶ順番を変えることもあったが、基本的にはアルネで教わった通りに作業を進めていく。ペックが数と札を確認し、ドーマが荷台の上で位置を決める。
俺が次の箱を取りに行こうとした時、少し離れた倉庫から聞き覚えのある声がした。
「おい、そっちの箱はまだ持っていくなよ!」
顔を向けると、男が何人かに指示を出している。
……あれ?
「ヘルムさん?」
男が振り返った。
「ん? ……おお、ライアスじゃないか!」
「お久しぶりです」
「何だ、ベルドへ来てたのか?」
「はい。今回は荷運びの仕事で来ました」
「そうか。うちの便じゃないから知らなかったな」
ヘルムさんは俺の後ろにある馬車を見た。
「もう帰りの荷か?」
「はい。明日の朝、アルネへ戻ります」
「そうか。こっちも荷の受け取りがあってな。朝から走り回ってるよ」
ヘルムさんは手に持っていた紙を軽く振った。
そこへ倉庫の方から声がかかった。
「おっと、戻らんと。帰りも気をつけろよ」
「ありがとうございます」
「また仕事が合えば頼むからな」
「はい。その時はぜひ」
ヘルムさんは手を上げ、倉庫の中へ戻っていった。
「おーい、ライアス! そっちはまだか!」
今度はドーマの声だ。
「すみません! 今行きます!」
俺は慌てて残りの箱を取りに向かった。
◇
帰りの荷物を積み終えた頃には、空が少しずつ暗くなり始めていた。
ペックと一緒に数を確認し、ドーマが縄を締める。明日の出発に備えて御者たちも馬車を見て回り、ようやく今日の仕事が終わった。
「よし、これでいいだろ」
ドーマがそう言うと、俺は思わず息を吐いた。
腕が重い。朝から何度も箱を運んだせいで、足にも昨日とは違う疲れが残っていた。
「大丈夫か、ライアス?」
ペックが笑いながら声をかけてきた。
「はい。でも、今日は結構大変でした」
「まあ、二台分だからな。明日は帰り道だし、今日ほど箱を抱えることはないだろ」
「そうだといいですね」
「ただし、荷物の確認は頼むぞ」
「わかってますよ」
ペックは笑い、紙を鞄へしまった。
「さて、宿へ戻るか」
ドーマが言った。
「明日も早いぞ。遅くまで遊び歩くなよ」
「わかりました」
「お前に言ったんじゃねえ。ペックだ」
「俺だってわかってるよ!」
二人はまた言い合いを始めた。
俺もついて歩き出しかけたところで、昨夜のことを思い出した。
今日も足は重い。宿へ戻って寝台に腰を下ろしたら、またそのまま動きたくなくなるかもしれない。
……それは困る。
ベルドでゆっくり飯を食べられるのは、今夜しかないんだから。
「ドーマさん、俺、少し寄り道してから帰ります」
「おう。明日の朝は遅れるなよ」
「はい!」
ドーマとペックに挨拶し、二人と別れた。
通りへ出ると、店先に明かりがつき始めていた。荷物を運ぶ人たちの間を抜けて歩いていると、どこかから何かを焼く匂いが流れてくる。
昨日も、こんな匂いがしていた気がする。
ふと、昼間に運んだ香辛料の袋を思い出した。
あれはどんな料理に使うんだろう。ベルドの店でも、ああいうものを使っているのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、通りの先に何軒かの食堂が見えてきた。
どこに入ろうかな。
少しくらい歩くことになっても、今日はちゃんと店を探すつもりだった。




