第62話:林の中の足音
午後の街道を進んでいると、道の脇に木が増えてきた。
それまで見晴らしのよかった場所にも低い木立が続き、少し奥へ入れば街道からは見えなくなりそうだ。道は緩やかに曲がり、先を行く一台目の馬車も時々木々の陰に隠れる。
俺は二台目の右側を歩きながら、昼の休憩で直した袋を見上げた。袋は元の場所に収まり、縄も緩んでいない。
朝から歩き続けて足は疲れていたが、今のところ仕事に支障はなさそうだ。
その時、右前方の林から、乾いた枝を踏むような音が聞こえた。
前を行く一台目よりも、さらに先の方だ。
道端に鳥や小動物がいることは珍しくない。だが、耳を澄ますと、馬の足音と車輪の音の向こうから、土を踏みしめるような音が何度か続いた。
少し間を置いて、また別の場所から聞こえる。
「……人か?」
右前方の木立へ目を向ける。枝と葉が重なっていて、奥までは見えない。
薪を拾っている人かもしれないし、動物の足音を聞き間違えた可能性もある。そう考えている間にも馬車は進み、音のした辺りが近づいてきた。
もう一度、足音がする。
それから、聞こえなくなった。
俺は二台目の前寄りを歩いていた護衛に声をかけた。
「すみません。ちょっといいですか?」
「ん? どうした?」
「この先の右の林に、誰かいるかもしれません」
護衛は俺の指した方へ目を向けた。
「人か?」
「たぶん。歩いているような音がしました。何か所かから聞こえたと思います」
「何人だ?」
「そこまではわかりません」
「姿は見たか?」
「いえ。木が多くて見えないです」
護衛は道の先と林を見比べた。
「今も聞こえるのか?」
「さっきまでは聞こえてたんですけど、今は止まってます」
「そうか。お前はそのまま馬車についてろ。林の方ばかり見なくていい」
「はい」
護衛は少し前へ出て、仲間へ短く声をかけた。二人が右側の木立を確かめているのが見える。
俺は二台目の横に戻り、歩幅を合わせた。
◇
少しすると、ドーマが一台目からやってきた。
「ライアス、林に人がいるかもしれないって?」
「はい。右前の方から足音が聞こえたんですけど、今は聞こえなくなりました」
ドーマは護衛を見た。
「どうする?」
「このまま進もう。姿も見えてないんだ。わざわざ林へ入って確かめることはない」
「そうか」
「ただ、二台目が離れすぎないようにしてくれ。道が曲がってるからな」
「わかった」
ドーマは俺の方へ向き直った。
「ライアス、お前は二台目についててくれ。何か聞こえたら教えてくれればいい」
「はい」
「荷物の方も頼むぞ」
「わかりました」
ドーマは一台目へ戻っていった。
俺は右前方へ耳を向けたが、足音はもう聞こえなかった。
一台目が緩やかな曲がり角を抜け、二台目もその後に続いた。木々が街道のすぐ脇まで迫っている。
護衛の一人は少し前を歩きながら右側を警戒していた。俺も林の奥を見ようとしたが、相変わらず何も見えない。
「おい、ライアス」
反対側からペックが声をかけてきた。
「はい」
「ドーマから聞いたぞ。林に何かいたんだって?」
「人の足音みたいなのが聞こえたんです。まだ、何だったかはわからないですけど」
「……盗賊かねえ」
「どうでしょう」
「まあ、護衛に任せるしかねえな。俺たちは荷物を見ておこう」
ペックは歩きながら荷台を見上げ、縄や箱の位置を確かめた。俺も反対側から荷物を見た。
袋は昼に直した位置から動いていない。箱も縄で固定されていて、問題なさそうだった。
「こっちは大丈夫です」
「よし。じゃあ、次はこっちだ」
ペックに呼ばれ、二台目の後ろ寄りへ移ろうとした時だった。
また、かすかな音が聞こえた。
今度は右後ろだ。
「……あ」
振り返ると、さっきと似た土を踏むような音が、少し離れた林の中から聞こえた。
俺は近くにいた護衛へ声をかけた。
「すみません。また聞こえました」
「さっきの足音か?」
「似た音です。今度は右後ろから聞こえます」
護衛は振り返り、林へ目を向けた。
「追ってきてるのか?」
「……いえ。こっちに近づいてる感じはしません。馬車が進むにつれて、音も遠くなってると思います」
「わかった。このまま進め。何か変わったら知らせてくれ」
「はい」
護衛は仲間に合図を送り、二台目の少し後ろへ下がった。
俺はペックのところへ戻った。
「どうだった?」
「また足音がしたんですけど、今度は後ろからでした」
「そうか。もう通り過ぎたのかね」
「たぶん」
「だったら、あとは護衛に任せよう」
ペックは歩きながら荷台の様子を確かめた。俺も箱の位置を見ながら後ろへ耳を向けたが、土を踏む音はしばらくすると聞こえなくなった。
◇
林を抜けると、街道の周りは少し開けてきた。
遠くまで見通せるようになり、道の脇には低い草が続いている。俺は後ろを振り返ったが、さっき通った木立はもうだいぶ離れていた。
追ってくる人影も見えない。
しばらく進んだところで、ドーマの指示で二台の馬車が道幅の広い場所へ寄り、短い休憩を取ることになった。
馬に水を飲ませる間、俺たちも道の脇へ集まる。
ドーマは護衛の一人と話していたが、やがて二人でこちらへやってきた。
「ライアス、さっきの足音はもう聞こえないか?」
「はい。林を抜けてからは聞こえません」
「そうか」
護衛は頷いた。
「こっちでも木の陰で何か動いたのは見えたが、人だったかどうかまではわからなかった」
「そうなんですか」
「街道の近くに人がいたって不思議じゃない。薪を拾ってたのかもしれんしな」
ドーマが腕を組んだ。
「それなら別にいいんだけどな」
「もし盗賊だったら、どうするんですか?」
俺が尋ねると、護衛は少し考えてから答えた。
「今のところ、何もされちゃいないからな。それなら、そのまま通れた方がいい」
「そういうものですか」
「こっちから林へ入ったら、馬車を守る人数が減るだろ。相手もわからんのに、わざわざ近づく必要はないさ」
なるほど。
俺が聞いたのは足音だけだ。何をしていたのかも、盗賊だったのかもわからない。
ただ、何かいたかもしれないと伝えたことで、護衛たちは周りを確かめながら進んでくれた。
「それにしても、お前の耳はよく聞こえるな」
ドーマが言った。
「足音だけですけどね」
「その足音が聞こえねえんだよ、普通は」
「……まあ、そうかもしれません」
「また何か聞こえたら、早めに言ってくれればいい。あとはこっちで考えるさ」
「はい」
ドーマは頷くと、ペックを呼んだ。
「おい、ペック! 出る前にもう一回、二台目の荷を見てくれ!」
「さっき見ただろ!」
「休んでる間に緩んだところがないか確かめるんだよ!」
「お前は本当に心配性だな!」
二人はまた言い合いを始めた。
俺も二台目へ向かい、ペックと一緒に荷物を確認した。特に変わったところはなく、縄もしっかり締まっている。
「よし、こっちは大丈夫だな」
「はい」
「じゃあ、そろそろ出発するか」
ペックは荷台を軽く叩き、御者の方へ向かった。
◇
休憩を終えると、馬車は再び街道を進み始めた。
道の周りはさっきより開けていて、行き交う人や荷馬車も増えてきた。前方から来た馬車とすれ違う時、向こうの御者が軽く手を上げ、二台目の御者も手を振り返した。
「兄ちゃん、さっきは何かあったんだって?」
御者が声をかけてきた。
「林の中に人がいたかもしれないんです」
「ほう」
「結局、誰だったかわからなかったんですけどね」
「この道もいろんな人間が通るからな。気をつけるに越したことはないさ」
俺はもう一度、後ろを振り返った。
林はすっかり遠くなっている。
今は、聞き慣れた馬の足音や車輪の音のほかに、すれ違う人たちの話し声が聞こえるくらいだった。
しばらく歩くと、街道の先に建物の屋根が重なって見え始めた。
あの町並みには見覚えがある。
以前ベルドへ来た時も、町が近づくにつれて馬車や人が増えてきた。今回も道の先には何台かの馬車が続き、荷物を背負った人たちがその脇を歩いている。
「ベルドが見えてきましたね」
「ああ。暗くなる前に着けそうだ」
御者が馬の歩みを少し緩めた。
道を行き交う人が増え、一台目も前方の流れに合わせて進んでいる。
俺は二台目の荷台を見上げた。
朝に積んだ箱も袋も、まだそこに収まっている。ここまで来ればもうすぐだが、ベルドに着けば今度は荷下ろしが待っている。
前の方から、ドーマとペックが言い合っている声が聞こえてきた。
「だから、札を確認してからだって言ってるだろ!」
「わかってるよ! お前が急かすからだろ!」
どうやら、着く前から忙しそうだ。
俺も馬車の横で歩幅を合わせながら、少しずつ近づいてくるベルドの町並みを眺めていた。




