第59話:銀貨五枚と豆の種
翌朝、モレルさんは朝飯を食べながら、昨日描いた畑の図を眺めていた。
俺にはあまり上手に見えなかった絵だが、本人にはちゃんとわかるらしい。時々何かを書き足しては、パンを一口食べている。
「モレルさん、そろそろ片づけないと帰るのが遅くなりますよ」
「ああ、そうだったね」
モレルさんは紙を鞄へしまい、残っていたパンを口に放り込んだ。
今日はアルネへ戻り、家を貸す条件を相談することになっている。昨日のうちに大まかな話はしたものの、家賃も含めて決めることはまだ多い。
俺も食器を片づけ、戸締まりを確かめた。
次にこの家へ来る時には、モレルさんの荷物が置かれているのかもしれない。
……まあ、まだ話がまとまればのことだけど。
◇
アルネへ戻ったのは、夕方近くになってからだった。
帰り道ではモレルさんが何度か草を見たがったものの、昨日から歩き通しだったこともあって、結局ほとんど立ち止まらずに帰ってきた。
その足でギルドへ向かう。
受付にいたセラへ事情を話すと、ちょうど手が空いたところだったらしく、少し話を聞いてくれることになった。
「それで、実際に見てどうだったんですか?」
「とてもよかったよ! 畑も面白いし、家も使えそうだしね」
「気に入ってもらえたみたいです」
「それはよかったですね」
セラは笑顔で頷き、それから俺の方を見た。
「では、貸すことに決めたんですか?」
「はい。ただ、条件をどうしようかと思って」
モレルさんと向かい合って座り、昨日までに話したことを整理する。
家は住むために使ってもらう。畑は研究に必要な場所だけを使い、残りは俺が使えるようにしておく。
家に残っている道具や家具は勝手に処分しないこと。何か壊れたり、傷んだところを見つけたりしたら知らせてもらうこと。
それから、俺が村へ帰った時は、これまで通り家に泊まれるようにしてもらう。
「もちろんだよ。ライアス君の家なんだから」
「ありがとうございます」
「あとは家賃ですね」
セラの言葉に、俺は少し考えた。
正直、まだよくわからない。
村で家を貸している人なんて、ほとんど知らない。町の宿なら毎日銀貨の半分を払っているが、あれは泊まるための部屋だし、自分の家とは随分違う。
「……月に銀貨五枚くらいでどうでしょう?」
口にしてから、ふと鑑定の時も銀貨五枚だったことを思い出した。
「えっ?」
モレルさんが顔を上げた。
「五枚?」
「はい。高いですか?」
「いや、逆だよ。ちょっと安すぎない?」
「そうですか?」
「家も畑も使わせてもらうんだよ? それで月に銀貨五枚って、何だか申し訳なくなってくるなあ」
モレルさんは困ったように笑った。
セラも頷いている。
「確かに、かなり安いと思います。お二人が納得していれば構いませんけど、ライアスさんはそれでいいんですか?」
「俺は今、町で仕事をしてますから。家も畑も、誰も使わないまま置いておくことになりますし」
「でも、手入れだって必要だろう?」
「そこは、モレルさんが住むならお願いしたいです。俺が帰るたびに掃除するのも大変なので」
「それはもちろんやるよ」
「じゃあ、それでいいんじゃないですかね」
二人ともまだ納得していないようだった。
モレルさんは腕を組んで、しばらく考えている。
「もう少し払ってもいいんだけどなあ」
「……じゃあ」
ふと、畑のことを思い出した。
昨日、モレルさんは全部の畑を使うわけではないと言っていた。
俺が今まで野菜を育てていた場所も、かなり残ることになる。
「モレルさん、畑で少し野菜を作りませんか?」
「野菜?」
「はい。研究に使わないところで、食べる分だけでも」
「野菜かあ……」
モレルさんは少し考え、それから何か思い出したように顔を上げた。
「ああ、そういえば、食べ物も考えないといけないね」
「……考えてなかったんですか?」
「いや、必要なら買えばいいと思ってたんだけど」
「村では、町みたいにいつでも食べ物が買えるわけじゃないですよ」
「えっ、そうなの?」
「みんな自分の畑で作ってますから。余ったものを分けてもらえることはありますけど、欲しい時に必ず買えるとは限らないです」
「それは困るなあ」
「町へ買いに来るにしても、片道半日ですからね。保存できるものは用意しておいた方がいいと思います」
モレルさんは、さっきまで家賃について考えていた時よりも真剣な顔になった。
……本当に考えてなかったのか。
「だから、少しでも野菜を作っておけば、自分で食べられますし。畑も無駄にならないですから」
「なるほどね。それはいいかもしれない」
「俺が帰ってきた時は一緒に作業できますし、わからないことがあれば、村の人に聞いてみてもいいと思います。知り合いにも頼んでみますよ」
「それはありがたいなあ」
モレルさんは頷いた後、少し首を傾げた。
「でも、研究用の植物も育てたいから、どれくらいできるかな?」
「無理にたくさん作らなくてもいいですよ。まずは少しだけで」
「そうだね。それならやってみようかな」
「あと、野菜作りは家賃の代わりじゃないですからね。モレルさんが食べるために作るものですし」
「うん。わかってるよ」
モレルさんはしばらく考え、それから笑った。
「植物を調べるために引っ越すのに、自分の食べ物を育てることになるとは思わなかったなあ」
「……俺は、そっちも考えておいた方がいいと思いますけど」
セラが小さく笑った。
「では、家賃はライアスさんが提示した金額で、お互いに納得ということでいいですか?」
「僕はありがたいけど……ライアス君、本当にいいの?」
「はい。それでお願いします」
「わかった。じゃあ、お世話になるよ!」
こうして、家を貸す話がまとまった。
使う場所や家の扱いについては紙に書き残し、家賃はモレルさんが住み始めてから払ってもらうことにした。
モレルさんは早速、いつから荷物を運ぼうかと考え始めている。
俺も予定を確かめたが、引っ越しの手伝いをするなら、しばらくは仕事を入れない方がよさそうだった。
◇
数日後。
俺は再びリンの村へ向かっていた。
前を進む荷車には、モレルさんの荷物が積まれている。
紙の束が入った箱、鉢、採取道具、研究に使うらしい細々としたもの。町から荷物を運んでもらうため、モレルさんが荷車を手配していた。
荷物のほとんどが研究道具に見える。
「……思ったより多いですね」
「そうかな? ずいぶん減らしたつもりなんだけど」
「これで減らしたんですか?」
「うん。持っていきたいものはまだあるんだけど、全部運ぶのは大変だからね」
なるほど。
少なくとも、普通の引っ越しとは荷物の中身が違いそうだ。
「それにしても、ライアス君には何度も村と町を往復させちゃって悪いね」
「まあ、自分の家のことですから」
「ありがとう。助かるよ」
俺も仕事を休んで手伝っているので、全く負担がないわけではない。
ただ、これで家が使われるようになるなら、今後は帰るたびに掃除から始めなくても済むかもしれない。
荷車の揺れに合わせて、箱の中からかたかたと音がする。
「その箱、大丈夫ですか?」
「ああ、鉢が入ってるんだ。割れないように詰めてあるから大丈夫だと思うよ」
「ならいいですけど」
「心配?」
「割れたら困るんじゃないですか?」
「それは困るなあ」
モレルさんは荷物の様子を確かめてから、また前を向いた。
俺はその後ろを歩きながら、時々道の周囲へ耳を向けた。
◇
村へ着いた時、ちょうど道の脇で薪を運んでいる男がいた。
前に帰ってきた時、俺に声をかけてくれた人だ。
「おお、ライアス。また帰ってきたのか」
「こんにちは。今日はちょっと荷物を運んできました」
「荷物?」
男は荷車を見て、それからモレルさんへ目を向けた。
「何だ、誰か引っ越してきたのか?」
「はい。こちら、モレルさんです。しばらく俺の家に住むことになって」
「初めまして。モレルです。よろしくお願いします」
モレルさんが頭を下げると、男は少し驚いた顔をした。
「ライアスの家に? じゃあ、お前は町に住むのか?」
「今のところは。仕事がありますから」
「そうか。まあ、家も誰か住んでた方がいいだろうな」
男は納得したように頷いた。
「それで、あんたは何の仕事をしてるんだ?」
「植物を調べています。ここでも少し育ててみようと思ってまして」
「植物?」
「はい。野草なんかを育てて、違いを調べたりするんです」
男は首を傾げた。
「……草を育てるのか?」
「そうです!」
「へえ。変わった仕事もあるもんだな」
まあ、そう思うだろうな。
モレルさんは少しも気にした様子がなく、研究の話を始めようとしていたので、俺はその前に声をかけた。
「あの、それでちょっとお願いがあるんですけど」
「何だ?」
「モレルさん、畑で野菜も作ることになったんです。もし何かわからないことがあったら、教えてもらってもいいですか?」
「何だ、野菜も作るのか。それなら普通だな」
男は笑った。
「まあ、俺にわかることならいいぞ。畑のことならライアスの方が詳しいかもしれんがな」
「ありがとうございます。俺も帰ってきた時は手伝うつもりです」
「そうか。じゃあ、今年は何を植えるんだ?」
前にも聞かれた質問だった。
あの時は、何も答えられなかった。
「まだ決めてないですけど、芋か豆は少し作ろうかなと思ってます」
「そうか。まあ、無理せずやれよ」
「はい」
男に礼を言い、荷車の後を追う。
モレルさんは隣を歩きながら、何やら考えていた。
「野菜かあ。何から始めるのがいいんだろうね」
「まずは、育てやすいものがいいと思いますよ」
「そうだよね。失敗したら食べられないし」
「はい。そこは大事です」
◇
家へ着くと、荷物を運び込む作業が始まった。
モレルさんは箱を一つずつ確かめながら、どこへ置こうかと考えている。俺も運ぶのを手伝ったが、紙の入った箱は見た目より重かった。
「これはどこに置きます?」
「ああ、それは窓の近くがいいかな。明るい方が見やすいから」
「じゃあ、こっちですね」
「ありがとう。あっ、その箱は気をつけてね」
「鉢ですか?」
「いや、乾かした植物が入ってるんだ」
何が入っているのか、外からではさっぱりわからない。
家の中には、少しずつモレルさんの荷物が増えていった。
前からあった机や農具はそのままにして、空いていた壁際に箱を並べていく。持ってきた棚を置く場所も、実際に確かめながら決めることになった。
「ここなら大丈夫ですかね」
「うん。邪魔にはならなさそうだね」
「俺が使ってた道具は、この辺にまとめておきます」
「ありがとう。触る時はちゃんと聞くよ」
荷物を運び終える頃には、窓から差し込む光も随分と弱くなっていた。
手配した荷車を見送り、二人で家へ戻る。
モレルさんは部屋を見回し、満足そうに頷いた。
「うん。いい感じだね」
「まだ片づいてない箱もありますけど」
「それは少しずつやるよ」
「あと、水汲みの場所は覚えてます?」
「うん。昨日教えてもらったところだね」
「昨日じゃなくて、この間ですよ」
「ああ、そうだった」
大丈夫だろうか。
もっとも、水汲みくらいなら何度か行けば覚えるだろう。
「それから、俺が帰ってきた時、ここに泊まっても大丈夫ですか?」
「もちろん。ライアス君の家だろう?」
モレルさんは当たり前のように答えた。
「僕の荷物で狭くならないようにはするけど、もし邪魔だったら言ってね」
「ありがとうございます」
俺がいつも寝ていた場所には、まだ何も置かれていない。
その横の壁際には、モレルさんが持ち込んだ箱がいくつか並んでいた。
◇
夕飯は、二人で簡単なものを作ることにした。
モレルさんも町で保存の利く食料を買ってきていたので、しばらくは困らなそうだ。ただ、村で暮らすなら、いずれ野菜を育てるだけでなく、食料の買い方も考えなければならないだろう。
「明日は俺も町へ戻りますけど、大丈夫ですか?」
「うん。まずは荷物を片づけるよ。それから畑も見たいし」
「研究用の草を植えるなら、どこにするかちゃんと決めてからにしてくださいね」
「もちろん。それに、野菜のことも考えないとね」
モレルさんは食べ終えた器を置くと、何か思いついたように顔を上げた。
「そうだ。ライアス君、豆って種類によって育ち方が随分違うんだろう?」
「そうですね。植える時期とか、育て方も違いますよ」
「じゃあ、いくつか育てて比べてみるのも面白そうだね」
「……食べる分ですよ?」
「うん。でも、せっかくだから違いも見てみたいなあ」
モレルさんはもう、どんな豆を育てようか考え始めていた。
俺も去年使っていた畑を思い浮かべながら、どの辺りに植えるのがいいか考えてみる。
「とりあえず、最初は一種類にしましょう。慣れてから増やせばいいですから」
「そうか。それもそうだね」
珍しく素直に頷いたと思ったら、モレルさんは鞄から紙を取り出した。
「じゃあ、まず何を育てるか、候補を書いておこうか」
「……夕飯、もう片づけてからにしません?」
「ああ、そうだった!」
モレルさんは紙を鞄へ戻し、食器を片づけ始めた。けれど、器を運びながらも何やら豆の名前を呟いている。
……一種類に絞るのは、思ったより大変そうだ。
気付けば、20万文字を超えていました。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
20万文字。
数字にすると、さすがにちょっと驚きます。
……でも、まだまだ序盤なんですよね。
ライアスの話は、この先もゆっくり進んでいきます。
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引き続き、のんびりお付き合いください。




