第56話:見に行くだけ
「……今、家と畑って言った?」
モレルさんが、手に持っていた紙を下ろした。
「はい。村にあるんですけど」
「ライアス君の?」
「そうです」
「家も畑も?」
「はい」
モレルさんは少しの間、俺の顔を見ていた。
「……詳しく聞いてもいい?」
「いいですけど、そんな立派なところじゃないですよ」
「それは別にいいんだ。どこにあるの?」
「リンの村です。ここから西へ歩いて半日くらいですね」
「リンの村……ああ、前に言ってたところだね!」
植物の調査に付き添った時も、村の話をした気がする。
モレルさんは紙の束を机へ置き、近くの椅子を引き寄せた。
「座ろう。聞きたいことがたくさんある」
「あ、はい」
空いている家があると伝えただけのつもりだったのに、急に話が大きくなってきた。
◇
「まず、畑はどれくらいの広さ?」
「広さですか?」
「うん。大体でいいよ」
俺は自分の畑を思い浮かべた。
広いとは言えないが、一人で食べていく分には十分使ってきた。芋や豆を育て、余ったものは保存して冬に食べる。
ただ、広さを具体的に聞かれると困る。
「ええと……一人で耕すには結構大変なくらいです」
「それは、どれくらい?」
「……結構、です」
モレルさんが首を傾げた。
「それじゃわからないなあ」
「ですよね」
モレルさんは少し考え、聞き方を変えた。
「じゃあ、何を育ててた?」
「芋と豆が多いです。あとは、その年によって少し違います」
「毎年ちゃんと収穫できてた?」
「失敗した年もありますけど、食べてはいけましたよ」
「なるほど……」
モレルさんは紙を一枚取り出し、何かを書き込んだ。
「日当たりは?」
「場所によりますけど、悪くないと思います」
「水は近い?」
「汲みに行けばあります。ただ、畑まで運ぶことになります」
「土は? 乾きやすいとか、湿りやすいとか」
「場所によって違います。雨が降ると水が溜まりやすいところもあるので、そこは少し直してきました」
「直した?」
「水が流れるところに土が寄ってたんです。まだ全部は片づいてないですけど」
モレルさんの手が止まった。
「畑はずっと一人で?」
「はい。小さい頃は教えてもらってましたけど」
「じゃあ、土地のこともよく知ってるんだ」
「まあ、何年も使ってますから」
モレルさんは頷き、別の紙をめくった。
「その畑、今も使ってる?」
そこで少し返事に迷った。
「……今は何も植えてないです。冬でしたから」
「春からは?」
「それを、どうしようかと思ってたところで。町で仕事をするようになってから、村へ帰ることが減ったんです。畑は毎日様子を見ないといけないこともあるので、今年も今まで通りにできるかどうか……」
「なるほどね」
モレルさんは書きかけの紙を横へずらした。
「まだ決めてないんだ」
「そうなんです」
「家はどう? 住める?」
「この間まで何日か泊まってましたから、大丈夫ですよ。古いですけど」
「雨漏りは?」
「俺が見た限りでは、してないです」
「道具を置く場所は?」
「あります。ただ、俺の道具も残ってます」
「それはそのままにしておいて。ライアス君の家なんだから、勝手に片づけたりしない」
「それならいいんですけど」
「窓は開く?」
「……開きます。ちょっと引っかかりますけど。長く閉めてたからか、開けにくくなってるんです。一応、動くようにはしてきました」
「それくらいなら大丈夫そうだね」
俺としては、ちゃんと直してから人に見せたいところなんだけどな。
モレルさんは、すっかり乗り気になっていた。
◇
「で、その家を借りるとしたら、家賃はいくら?」
「……家賃?」
「うん。毎月いくら払えばいい?」
「ええと……」
モレルさんがこちらを見ている。
どう答えればいいんだろう。
今まで宿代は何度も払ってきた。部屋を借りるのに金がかかることはわかっている。
けれど、自分の家を誰かに貸して金をもらうなんて、考えたこともなかった。
「……いくらなんでしょう?」
「いや、それは僕が聞きたいんだけど」
「ですよね」
困った。
そこへ、受付からセラの声がした。
「ライアスさん、もしかして家賃のことを考えてなかったんですか?」
振り返ると、セラがこちらを見ていた。話が聞こえていたらしい。
「はい。家を貸すこと自体、さっき思いついたばかりなので」
「そうだったんですか」
「……無料で貸すのは、変ですかね?」
セラが少し目を丸くした。
「無料でも、お互いに納得していればいいとは思いますけど……」
「今は誰も住んでないですし」
「でも、ほかの方が住むなら、家を使うことになりますよね。傷んだところを直す必要が出てくるかもしれません」
「それは、そうですね」
「畑も使うんですよね?」
「まだ、そこまでは……」
言いかけて、モレルさんを見る。
モレルさんは頷いた。
「使わせてもらえるなら使いたいよ。ただ、何をどれくらい育てるかは、実際に見てから考えたい」
セラは俺たちを交互に見た。
「それなら、まず何をどこまで使っていいのか決めた方がいいと思います。金額はその後でいいんじゃないでしょうか」
確かに、家賃を決めるにも、何を貸すのかはっきりしていない。
「モレルさんは、町で借りるならいくらくらいかかるか調べたんですよね?」
「うん。いくつか聞いてみたけど、僕にはちょっと高くてね」
「植物を調べるための場所に、それほどお金を使えないんだ。道具も必要だし、調べに行く費用もかかるから」
モレルさんは少し残念そうに言った。
「もちろん、借りるなら払うつもりだよ。ただ、あんまり高いと難しいかな」
「……俺も、そんなに高い金額にするつもりはないですけど」
「本当?」
「だって、誰も住んでないですから」
誰も住んでいない家に、誰かが住む。
そうすれば、閉め切ったままになることもなくなるし、窓や屋根の傷みにも気づいてもらえるかもしれない。
畑も、今のままにしておくよりはいいのだろうか。
……いや、まだ貸すと決めたわけじゃないんだけど。
セラは少し笑った。
「ライアスさん、家を貸すって、結構大きな話ですよ」
「そうですよね」
さっきまでは、使っていない家があるというだけの話だった。
それが今は、誰かがそこへ住むかもしれない話になっている。
しかも、住もうとしているのはモレルさんだ。
植物を見ると水路へ落ちかける人である。
……大丈夫かな、あの家。
◇
「ところで、ライアス君は今、どこに住んでるの?」
「町の宿です」
「ずっと?」
「今のところは。仕事があるので」
「じゃあ、村の家にはあんまり帰らないんだね」
「最近はそうですね。ただ、これからも帰るつもりはあります」
「うん。それなら、そういうことも考えないとね」
モレルさんは紙の端に何かを書き足した。
覗き込むと、植物の名前らしきものが並んでいる。
「……あの、家の話ですよね?」
「そうだよ」
「今、草の名前を書いてませんでした?」
「うん。育てたいものを忘れないように」
「まだ貸すって決めてませんよ?」
「ああ、そうだったね」
モレルさんは笑って紙を裏返した。
どうやら、頭の中ではもう植物を育て始めているらしい。
「でも、ライアス君の畑が使えるなら、いろいろ試せそうなんだ」
「そうなんですか?」
「うん。前に一緒に見た草、覚えてる?」
「道端に生えてたやつですよね」
「そう。場所によって形が違っていただろう?」
「まあ、そうですね」
「それを、できるだけ似た条件で育てて比べてみたいんだ。土や水の違いもあるだろうし、確かめたいことがあってね」
モレルさんの声が少し大きくなった。
「それに、リンの村はもっと西だろう? 前から少し気になってたんだよ」
「草がですか?」
「それもあるんだけど、ここよりも西というのがまたいい。どういう形になるのか見ておきたいなって」
村の畑にも似た草が生えていた。抜いてしまったものもあるけれど、全部を片づけたわけではない。
モレルさんなら、あれを見て何か言うのかもしれない。
「でも、俺の畑って、普通の畑ですよ」
「それでいいんだよ」
「特に珍しいものを育ててたわけでもないですし」
「だから、まず見てみたいんだ」
モレルさんはあっさり答えた。
「見ないうちから、いいとか悪いとか決められないだろう?」
それは確かにそうだ。
どんな家なのか、どんな畑なのかも知らないまま、借りるかどうか決められるはずがない。
……というか、貸す側の俺も、まだ何をどうするのか決めてないんだった。
◇
しばらく話すと、モレルさんはようやく紙をまとめ始めた。
「じゃあ、一度見に行こうか」
「そうですね。実際に見てもらわないと、話も進まないでしょうし」
モレルさんは、もう出発するつもりなのかと思うくらい楽しそうな顔をしている。
「今日?」
「今から村へ行ったら、着くのは夕方ですよ」
「それに、俺は昨日戻ってきたばかりなんです」
「そうだったの?」
「家と畑を片づけて、こっちへ戻ってきたところで」
「それはちょうどよかったね!」
「……そうですかね」
モレルさんにとっては、ちょうどいいのかもしれない。
俺にとっては、また村まで往復することになるんだけど。
「じゃあ、明日は?」
「明日は仕事をしたいんです。今日はまだ何も受けてないですし」
「そっか。ライアス君にも仕事があるもんね」
少し考えた後、モレルさんは指を一本立てた。
「明後日ならどう?」
「明後日ですか……」
今のところ予定はない。
村までは半日かかるが、朝から向かえば、着いてから家と畑を見る時間は取れるだろう。
「それなら、大丈夫だと思います」
「よし、決まり!」
モレルさんが嬉しそうに頷いた。
「あっ、持っていった方がいいものってあるかな? 土を調べる道具とか、採取用の袋とか」
「家を見に行くんですよね?」
「畑も見るんだろう?」
「そうですけど……」
「じゃあ、少しは必要かな」
確かに畑を見るなら道具があってもいいのかもしれないが、あまり持ってこられても困る。
何となく、家に着く前に草の調査が始まるような気がした。
「モレルさん」
「何?」
「今回は、家と畑を見に行くんですよね?」
「うん、そうだよ」
「植物の調査じゃないですよね?」
「わかってるよ」
返事は早かった。
「あと、家を見てもらってから、どうするか考えるんですからね」
「もちろん」
「まだ貸すって決めたわけじゃないですから」
「うんうん」
……本当にわかってるんだろうか。
モレルさんは紙を鞄へしまいながら、もう村への道順を聞いてきた。
俺はひとまず、待ち合わせの時間と場所だけ決めることにした。
「じゃあ、明後日の朝、ギルドの前で」
「わかった。楽しみにしてるよ、ライアス君!」
モレルさんは立ち上がると、何か思い出したように紙を取り出した。
「あっ、そうだ。水のある場所も――」
「それも、行ってから見ましょう」
「そっか。それもそうだね」
ようやく納得してくれたらしい。
俺は鞄を抱えたモレルさんを見送り、受付へ戻った。
セラがこちらを見て、少し笑っている。
「話、まとまりました?」
「家を見に行くことだけは決まりました」
「そうですか」
「……あの」
「はい?」
「俺、何か大変なことを言っちゃいましたかね?」
セラは少し考えると、笑顔で答えた。
「それは、実際に見に行ってから考えてもいいんじゃないですか?」
「……そうですね」
とりあえず、今日は仕事を探そう。
そう思って掲示板へ向かいかけたところで、入口の方からまた声がした。
「ライアス君!」
振り返る。
モレルさんが扉から顔を出していた。
「明後日、楽しみにしてるね!」
「……見に行くだけですよ!」
無駄かもしれないが、一応念を押しておいた。




